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第一章

12.紫色をした甘い香りの深い眠り

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「話は変わるけど、エリクは嫌いな味とかある? せっかくハーブティーを飲んでもらうなら、できるだけおいしく飲んでもらいたいんだけど」
「特には。ハーブティーって聞くと苦いだけかと思うけど、うまく飲めるもんなのか?」
「うん。砂糖を入れたり、フルーツとかを混ぜたりして、飲みやすくしてあるのもあるよ。でも、今回はシンプルなのが良いかな」
 シュゼットはキッチンの戸棚を開け、ずらりと並んだビン詰めにされているハーブティーの茶葉の一つを取り出した。
「エリクに飲んでもらうのは、パッションフラワーのハーブティーね」
「初めて聞く植物だな」
「癖が少ない草花の香りがするお茶だから、飲みやすいと思うよ。口にあったら、今日持って帰って、寝る前に飲んでみてくれる? きっとよく眠れるから」
「りょーかい。楽しみだ」
 茶葉をティーポットに入れ、沸騰したてのお湯を注いでいく。三分から五分蒸らしてから、来客用の青い花柄のカップにそっと注いだ。うっすらと緑を帯びた黄色いお茶の豊かな葉や花の香りがふわっと広がると、エリクは目を閉じて、「あ、好きな匂いだ」とつぶやいた。その口元には笑みが浮かんでいる。
「よかった。口にも合うと良いんだけど。はい、どうぞ」
 エリクの前にカップを置くと、エリクはすぐに口をつけた。シュゼットは少し緊張しながらその様子を見守る。ブロンもこの時はジッとして、エリクの顔を見つめた。
「うん。うまいな」
「本当に! よかったあ!」
 シュゼットとブロンがピョコンッと飛び跳ねると、エリクは笑顔でうなずきながら、もう一杯を自分で注いだ。
「なんか落ち着く味だな」
「鎮静効果もあるからじゃないかな。心身が落ち着くんだと思うよ。それじゃあ、今日はこのハーブティーを持って帰ってね。今、瓶に分けるから。よかったら残りも飲んでて」
「ありがとな」
 シュゼットはリビングルームを出て、調合室へ向かった。消毒済みの瓶は調合室にあるのだ。

 調合室から戻ると、アンリエッタがニコニコしてブロンを抱いている姿が目に入って来た。ブロンも珍しく大人しくしている。
 シュゼットは不思議に思いながら口を「お待たせ」と口を開こうとすると、アンリエッタが「シーッ」と人差し指を唇に当てた。アンリエッタはニコッとして、エリクが座っているソファを指で示した。調合室に通じる廊下のドアは、ソファの裏側にある。シュゼットはそろそろとソファの表に回り、納得したようにうなずいた。
 エリクは眠っていた。腕を組み、スースーと規則正しい寝息を立てている。
ハーブティーの効果だろうか。何にせよ、少し前に広場で寝ていた時よりも顔つきは穏やかだ。寝顔は子どもみたいだな、と思いながら、シュゼットは瓶をテーブルに置いて、ソファの背もたれにかけてある毛布でエリクの体を包んだ。
「ゆっくり休んでね、エリク」
 エリクの心地よさそうな寝息を聞きながら、シュゼットは瓶の中にハーブティーを移し入れた。



「――……ト! ……ゼット! シュゼット!」
「……わっ!」
 シュゼットがバチッと目を開けると、ロウソクの火に照らされた困惑した表情のエリクが飛び込んできた。
「ど、どうしたの、エリク?」
 シュゼットは寝ぼけながらそう尋ねる。エリクのように寝起きの態度が悪いわけではないが、それでもすぐには頭が働かない。
「どうしたのじゃねえよ!いや、俺が悪いんだけど……」
 エリクは気まずそうにバサバサ頭を掻く。その顔を見ると、徐々にシュゼットの頭はハッキリしてきた。
「ああ、起こさなかったこと? エリクってばよく寝てるから、起こすのもかわいそうだなと思って」
「だとしても、無理やり起こしてくれてよかったのに」
「あ、夕食の時は声をかけたよ。料理取っておいてあるから、今食べる? 今日の夕食はたっぷり野菜のラタトゥイユだったんだ」
「いや、いい。ありがとな。てか、今、何時だと思ってるんだよ」
 そう言われたシュゼットは、壁に掛けられているハト時計を見た。時刻は夜の一時過ぎ。窓の外は真っ暗で、辺りは静まり返っている。
「俺が起きるまで、ここで起きてるつもりだったのか?」
「うん。本当は起きてるつもりだったんだけど、ブロンが寝たら退屈になっちゃって」
 ブロンはシュゼットの足元で寝息を立てている。エリクの声にも起きないくらいよく寝ているようだ。エリクはブロンをなでてから、ため息をつきながらソファに座りなおした。その顔は怒っているというよりも戸惑っているように見える。どうやら気を使わせてしまったようだ。
 シュゼットは話題を変えようと、明るい声で話し出した。
「でも、こんなにぐっすり寝られたってことは、ハーブティーがよく効いたんだね。よく寝られたでしょう?」
「……まあ、それは。よく寝られたよ。感謝してる」
「感謝してほしいわけじゃないよ」
 シュゼットがにっこりと微笑むと、エリクもうっすらと微笑みを浮かべてくれた。しかしすぐに厳しい顔つきになり、シュゼットにズイッと詰め寄った。
「でも、いくらなんでも危ないだろ。俺が悪いやつだったらどうするんだよ。何かを盗んだり、壊したり、シュゼットやアンリエッタさんに乱暴したりしたら、どうするつもりだったんだ」
「ええっ、その心配は、なかったなあ」
 シュゼットはどの言葉にもピンとこなかった。なぜだかシュゼットはエリクを悪い人だと思えないのだ。しかし、そんな曖昧な理由では、エリクを納得させるのは難しそうだ。今は少し怒っているように見える。
 そこで、足元で眠る親友を理由にしようと考えた。
「エリクの言う通り、ブロンが魔法動物なら。ブロンがエリクのことをすぐに好きになったってことは、エリクは安全ってことになるって思ったんだよ」
 これは嘘ではない。ブロンは基本的に人懐こい性格をしているが、嫌いな者や苦手な者には態度が豹変する。目が爛々として、普段は隠れている鋭い犬歯をむき出しにするのだ。そのブロンが、出会って間もないエリクにはお腹まで見せているところを見ると、シュゼットは安心せずにはいられなかったのだ。
 エリクは口を開けたまましばらく固まっていた。シュゼットが「ね?」と言って首を傾げると、弾かれたようにため息を付いた。
「いろいろ言いたいことはあるけど。まずは改めてお礼だな。ありがとな、シュゼット」
「どういたしまして」
 シュゼットが手を差し出すと、エリクはすぐにその手を取って、強く握ってくれた。こういう時に素直に握手をさせてくれるエリクのことも、シュゼットは好きだと思った。
「さて、今日はうちに泊まっていきなよ。元はおじいちゃんの部屋だった部屋にベッドがあるから」
「さすがに図々しくないか?」
「ちっとも。むしろ真夜中に友達を帰らせるような薄情者だと思われたくないよ。エリクさえ良かったら、泊まって行って」
「まあ、今は武器も持ってないから危ないか。それじゃあ一晩お世話になります」
「どうぞ、どうぞ」
 シュゼットは祖父の部屋の鍵を使ってドアを開けた。カーテンがついていないため、月明かりが部屋の中に差し込んでいる。その下に、ベッドがぽつんと置いてあった。まるでスポットライトを浴びた白い舞台のようだ。
「シーツと毛布と枕は戸棚の中のを使って。あ、そうだ、それから……」
 シュゼットはバタバタと二階の自室に駆けて行き、すぐに戻って来た。
「はい、これピロースプレー」
「ピロースプレー?」
 シュゼットがエリクに手渡したのは、ガラス製の霧吹きだ。
「ラベンダーの精油が入ってるから、これを枕に吹きかけると良く寝られるよ」
「へえ、良いな。でも、これ以上寝たら、猫になっちまうんじゃねえか?」
 シュゼットはエリクに似た毛がバサバサの猫を想像し、クスッと笑った。
「いいじゃない、エリクはずっとよく寝られてなかったんだから。むしろ猫に負けないくらい寝た方が良いよ」
 シュゼットはそう言い、部屋の鍵をベッドの上に置いた。
「鍵の管理よろしくね。わたしの部屋は二階にあるから、何かあったらいつでもノックして」
「了解。それじゃあまた明日な、あ、数時間後か」
「あはは、そうだね。それじゃあまた朝に」
「おう、朝に」
 ふたりは笑顔で別れ、それぞれの部屋で、紫色をした甘い香りの深い眠りについた。
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