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86.ウィルバートと消えた指輪

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 アリスの誕生日にはどうやってプロポーズしようか?
 プロポーズの舞台演出を悩んでいた頃が遥か昔のことのように懐かしい。

 時が経つのは早いものだ。アリスがいなくなってもう一ヶ月以上になる。初めは暗く沈んでいた王宮内も、すでに日常を取り戻していた。

 それでもわたしやアナベル、そしてキャロラインのように、未だアリスの死を受け入れられない者もいる。

 アリスのいないこの寝室は、綺麗に整えられてはいるが寂しく暗い。最初でこそアリスの香りが残っていたベッドも、今ではアリスの名残は何一つなくなってしまった。それでもアリスを少しでも感じたくてベッドに顔を埋める。ただ冷たいだけのシーツが虚しい。

 用意していたプレゼントを、そっとナイトテーブルの上に置いた。プロポーズのためにと、指輪だけは早めに用意しておいたのだ。

「アリス、誕生日おめでとう」
 もちろん返事はない。

 だが、カタッという小さな音が聞こえた。

 誰だ? 誰かいるのか?
 急いで体を起こし、いつ襲い掛かってくるかもしれない敵を迎えうつ態勢をとる。全神経を研ぎ澄まして部屋の様子を感じとるが、人の気配はない。

 気のせいだったか?
 小さくため息をつき、再びナイトテーブルに目を……

 指輪が!! 指輪がない!?
 どういうことだ? 間違いなくここに置いたはずなのに。

 明かりをつけナイトテーブルの周りもくまなく探すが指輪は見つからない。
「指輪が消えた?」
 そんなバカな話があるか? だが本当に見つからない。

「ルーカス、ルーカスをここへ呼んでくれ。今すぐにだ」

 大声を出したわたしに驚いたメイドに呼ばれ、何事かとルーカスがとんでくる。

「殿下!? どうされましたか?」

「指輪が、指輪が消えたんだ!!」

「指輪が……ですか?」

 意味が分からず怪訝な顔をするルーカスを寝室に呼び入れ説明しようとすると、
「おい、何かあったのか?」
 はぁはぁっと息を切らせ、アーノルドが部下を引き連れて寝室に入ってくる。

「お前がただならぬ様子で叫んでたって聞いたが、どうしたんだ?」

 そんな大袈裟な。確かにいつもより大声を出したが、叫んだ覚えはない。

「だから指輪が……」
 わたしが口を開くと同時に、
「ウィルバート殿下、ご無事ですか?」
 今度はエドワード達騎士団が寝室になだれ込んで来た。

「賊はどこです?」

「賊? そんなものはどこにもいないよ」

 わたしがいつもより少し大きい声を出しただけでこの騒ぎだ。ルーカスを呼んだだけなのに、アリスの寝室は駆けつけてきた騎士達でごったがえしている。本当に我が王宮騎士団は有能だ。

 部屋の中に賊はいないと確認したエドワードは、部下達を撤収させるかどうかを考えているようだ。

「殿下、一体何があったのですか?」

「アリスへのプレゼントの指輪が……」

「アリス様の亡霊が出たんですって?」

 エドワードに説明しようとした所で、またもや邪魔が入ってしまう。今度飛び込んできたのは、キャロラインとアナベルだ。これじゃいつまでたっても話ができやしない。

 しかもキャロラインは、何か変なことを叫んでいなかったか?

「アリスの亡霊って何の話だい?」

「違うんですか?」

 部屋の中をキョロキョロとしていたキャロラインが、がっくりと肩を落とした。

「アリス様の亡霊に取り憑かれたウィルバート様が暴れてるとお聞きしましたので……」

「んなわけないだろ」
 アーノルドがあきれたような顔をしている。

 私がルーカスを呼んでから今までのこの短時間で、どうやったらそんな話がキャロラインに伝わったのか。全くもって意味が分からないが、目の前のキャロラインはがっかりしすぎて泣きそうになっている。

「今日はアリス様のお誕生日ですし、もしかしたら会いに来てくださったのかと思ったんです」

「だからって、亡霊はないだろ」

「亡霊でもいいから……亡霊でもいいからアリス様に会いたかったんです」

 そう叫び、しゃがみこむように泣いてしまったキャロラインの言葉にアナベルが、ぐっと涙を堪える。そんな二人に誰もかける言葉が見つからない。

 私が無事だと分かったことで、アーノルドもエドワードも部下達を引き上げさせ、寝室にはわたしとルーカス、アーノルドとエドワード、キャロラインとアナベルだけとなった。

「キャロライン嬢の言ってる事も、あながち間違いではないかもしれないよ」

 何があったのかと説明を求められたわたしは、アリスの寝室に入ってルーカスを呼ぶまでの話をする。

「そんなの、どっかに落ちてんじゃねーのか?」
 アーノルドはそう言ってテーブル周りの床に目を落とした。

「指輪が消えて驚いたけれど、確かにキャロライン嬢達の言う通りだ。アリスへのプレゼントだから、アリスがとりにきたのかもしれない」

 アリスが死んだとは信じたくないので、亡霊とか幽霊などとは言いたくない。だけどなんらかの形でアリスがとりに来たのだとしたら、それはとても嬉しいことだ。

「殿下は最近お忙しかったのでお疲れなのでしょう。すぐにお茶をおいれいたしますので、皆様どうぞかけてお待ちください」

 なんとも言えない表情を浮かべたルーカスが動き始めたのを合図に、アーノルドとエドワードが腰を掛けた。

「先程指輪がなくなったとおっしゃいましたが、ウィルバート様はアリス様の誕生日に指輪をご用意されていたんですか?」

 湯気のたつカップに口をつけたキャロラインが、探るような目でわたしを見た。

「てっきりウィルバート様は、アリス様の事などすっかり忘れておられるのかと思ってました」

「忘れているわけありませんよ」

 誰がアリスを忘れるものか!!
 誰が何と言おうとも、アリスの事を一番に思っているのは、このわたしだ。だが今のわたしにはそれを口に出す事はできない。

 今わたしがすべき事は、カサラング公爵を油断させ、悪事の尻尾を掴む事だ。カサラング公爵に繋がる人物はどこに紛れ込んでいるか分からない。キャロラインがカサラング公爵と繋がっている可能性はないが、それでも用心した方がいいだろう。信用できる騎士達数人が秘密裏に動いているが、アリス失踪の手がかりは未だ見つからない。

「そうですか。ウィルバート様はグレース様に夢中のようですから、てっきりアリス様の事はお忘れなんだと思っておりました」

 キャロラインの口調には棘があったが、わたしに挑むような視線は口調以上に鋭いものだった。

 誰が好き好んでグレースなんかと!! 
 わたしがグレースを気に入っているフリをしているのは、カサラング公爵を油断させるためだけだ。

 まぁ実際にカサラング公爵が油断するかどうかは分からないが、わたしが公爵に疑いの目を向けていることを隠す目眩しにはなるだろう。

 そんな事実を知らないのだから、キャロラインに薄情者だと思われても仕方のないことだ。キャロラインだけではない。アナベルもわたしに対する不信感を隠そうとはしない。ひどく冷めきった瞳でわたしを見つめている。

 事実を語れない以上、これ以上キャロラインと話すのは危険だ。

「おい、アーノルド。何とかしておくれ」
 そんな思いでアーノルドを見ると、事情を知っているアーノルドは頷いた。

「おい、キャロライン。もうこの話はやめよーぜ。もしアリスが本当に指輪を取りに来たのだとしたら、まだこの部屋にいるかもしれねーからよ」

 アーノルドの性格からすれば、アリスがここにいるなんて微塵も思っていないだろうに……こんな風に言われてはキャロラインも黙らざるを得ない。

「アリス様、後で私の部屋にも来てください」

 アリスが本当にいると思っているのだろうか、アナベルが両手を合わせ、ベッドに向かって拝むようなポーズをしている。

「あっ。わたくしの部屋にも来ていただきたいわ」

 キャロラインまで拝み出したその横で……
 「そうか……亡霊か……」
 それまで黙っていたエドワードがニヤリと不敵な笑みを見せたことに、わたしは全く気がつかなかった。
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