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身も心も縛られて(5)

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 何気なくファイルを開き画像を確認すると、やはり二十代前半頃の和服姿の月子である。

 旅館らしき和風の建物の座敷部屋で、窓辺の籐椅子に腰掛けていた。その目は何を見るともなく、虚ろに中空に漂っている。本人の許可を得て撮った写真ではないのだろう。

 真琴は月子の白い手首と剥き出しの足首の双方に、うっすらと赤い筋があるのに気付いて首を傾げた。

(……? これって怪我をしているの?)

 なら、なぜ手当をしていないのだろう。

 それにしても、背に流れる艷やかな黒髪がよく似合っている。また、当時の彼女は同性の真琴ですらドキンとするほど美しかった。

 表情はどこか憂いを帯び、身に纏う空気は弱々しく、今にも消え入りそうに儚げだ。着物は花弁が急流に翻弄される模様が、紺碧の絹地に表現されていたが、その花弁と月子が重なって見えた。

 女性の脆弱さとは庇護欲をそそるのと同時に、いっそみずからの手で壊してしまいたいという、ある種の欲望を掻き立てるものらしい。なよやかな色気となって月子を際立たせていた。

(儚くて色気があるってどこかで聞いたことがあるような……。ああ、直樹がそう言っていたんだっけ。あれはお世辞なんだろうけど)

 ディスプレイから少々距離を取り、あらためて写真を眺めて「うーん……」と唸る。

 真琴の知る義母とは随分印象が違う。真之の妻であった頃の月子はよく笑い、継子の真琴も分け隔てなく可愛がる、明るく優しい家庭的な母親だった。

(でも、人って変わるものね。私も……変わったのかな……)

 薫などまさに一夜で豹変したのだ。

 他にも月子の写真がないかと、隣のファイルをクリックする。すると、今度は見知らぬ古寺の門前の画像だった。
  
 瓦屋根と年月を経た木材で出来た、荘厳な門構えの寺院である。左側には石碑が建てられており、磨り減って読めない文字が、時の流れと重みを感じさせた。ぐるりと張り巡らされた壁は、磨かれた石が積み上げられたもので、伊達ではない格式と資金力があるのだとわかる。

 壁の前には何台かの黒塗りの自動車が駐車されていた。これから葬儀が始まるのだろうか。五、六人の喪服姿の男性が門を潜っている。

(誰のお葬式なんだろう?)

 これほど立派な寺での葬儀なのだから、名家出身の人物や有名人、富裕層なのではないかと思われた。

(どうして薫がこんな写真を持っているんだろう?)

 月子はともかくとして、葬儀の写真はよくわからない。修習先で世話になっている法曹関係者の、家族や親族が亡くなったのだろうか。

 そこまで考えてはっとしてファイル、フォルダを矢継ぎ早に閉じ、パソコンの電源を切ってキーボードの上に突っ伏した。自己嫌悪にどっと落ち込み頭を抱える。

(盗み見なんて最低じゃない。プライバシーの侵害じゃない。いくら薫のパソコンだからって……)

 自分のプライバシーは薫に侵害どころか支配されているのだが、それでも律儀に常識と倫理を守ろうとするのが真琴という人間だった。

(……お茶でも飲もう。ご飯はもう夕飯だけでいいや)

 薫は七時には戻ると聞いている。それまではダイニングで大人しく、持参の文庫本を読むことにした。

 ところが、薫は八時を過ぎても九時になっても帰ってこない。LINEでも電話でも連絡がなく、こちらからしても返信が来ず、次第に不安が募ってきた。

(どうしたんだろう? ……まさか事故とか?)

 薫が高校二年になって間もない頃、帰宅途中にバイクに跳ねられ、救急車で病院に運び込まれたことがあった。幸い擦り傷で済んだものの、駆け付けて無事を確かめるまで、生きた心地がまるでしなかったのを覚えている。

(どうしよう。またそんなことになったら、どうしよう) 

 その後も何度も電話をかけたものの、いつもはすぐに取るはずの薫が出ない。

 やがて、警察に通報すべきかと思い詰めた頃になって、マンションのドアが開けられ、「ただいま」と薫が姿を現した。怪我一つなくピンピンしている。

「……!」

「スマホが壊れて参ったよ。明日買い直しに行く。飯ある?」

 無事だったのだと胸を撫で下ろすのと同時に、腹が立ち悔しさに涙がこみ上げてきた。コートを脱ぐ薫に鬼の形相で詰め寄る。

「……こんな時間までどこ行ってたの。どうして連絡してくれなかったの」

 薫は真琴のいつにない剣幕に驚いたらしく、切れ長の目を見開きながらも理由を述べた。

「修習先で同期が倒れたんだ。AEDを起動させたり救急車を呼んだり、病院まで付き添ったりでこんな時間になった」

 なるほど、それではスマートフォンが正常でも、公衆電話があっても連絡できたかどうか怪しい。

 理解できたがそれと感情とは別物だった。

「そういうことは早く言って! ど、どれだけ心配したか……」

 去年から精神的に不安定になっているからか、涙を堪え切れずにしゃくり上げてしまった。いい年をしてみっともないと、自分を叱り付けても止まらない。

「ほんと、心配してっ……。……っ」

 フロアに涙が次々と落ち、手で拭おうとした次の瞬間、不意に手首を捕まれ力任せに引き寄せられ、息も止まるほど強く抱き締められた。眼鏡が外れて足元で硬質の音を立てる。

「か、おる……」

「――ごめん」

 薫は耳元でそう囁いて、真琴の涙を唇で吸った。

「ごめん、心配かけて」

 卒業式の夜から続く荒々しさが嘘のように、掠れた声は優しく広い胸は温かかった。

「……真琴」

 名前を呼ばれて顔を上げると、夜風に冷えた薄い唇が重なる。

 薫は一旦唇を離して真琴を見つめ、再び瞼を閉じて口付けた。

「……ん」

 恐ろしいと感じなかったキスは初めてだった。
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