鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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七章 帰参

二十三.使者

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 四月半ば。
まだ冷たい風の吹く中、岐阜城に足利義秋の使者を名乗る人物が訪れた。
足利義秋は〝覚慶かくけい〟と名乗って興福寺の一乗院門跡を継ぐ予定でいたが、兄の義輝が殺されてからは松永久秀らによって興福寺に幽閉されていたらしい。
その後は細川藤孝や一色藤長などにより、越前の朝倉氏の下へ逃れていたーーーらしいのだが…。
その足利義秋の使者、とは一体何用で来たのやら…。

 信長は翔隆と森可隆、堀久太郎を伴い千畳台に入った。
暫くすると、帰蝶が使者を案内してきた。
その使者は程よい所へ座り、平伏する。
ーーーと、
「ーーあっ!」
と突然、翔隆が声を上げて己の口を塞いだ。
その使者も顔を上げて驚くが、声は出さなかった。
信長は二人が旧知の仲であると悟ってニヤリとして言う。
使者であったかな?」
「は…足利義昭さまが使者にござる。義昭さまは是非とも…」
言い掛けると、信長がそれを制して喋った。
「朝倉は臆病だ。上洛をねだってもまるで動こうとはしない。そこで今度はの織田信長を頼ろうと考えたーーー違うか?
まだ名乗ってもいないのにそう言うと、明智十兵衛光秀は驚いて再び顔を上げた。
「な、何故拙者の名を…」
「フン、翔隆がおことを見て動揺したのと、帰蝶がおことを連れてきたのを繋げれば分かる。帰蝶は確か従兄弟であったよな?」
「は、はっ…」
「それで、か?」
信長は深く掘り下げようとはせずに、次の話題に移る。
「は…?」
よりかと聞いておるのだ。義輝は刀剣などにうつつを抜かしたが故に三好らに討たれた。何故か分かるか?武をもって将軍として動かれるのではないかと危惧きぐしたからじゃ。今の時代、征夷大将軍とは、政務まつりごとをこなしていれば良いだけの存在………それを見誤って権力を行使しようとされては困るからの。その義輝より上か下かで、担ぐかどうかが決まろう」
その言葉に、光秀はサーッと蒼白した。
実に的を得た言葉に、言葉を失っていたのだ。
「…去年は上洛を龍興めに阻まれたからな。次こそはと思うたのであろう?前の使者は和田伊賀守であったがな…おことは確か朝倉に仕えていたのでは無かったか?それが義秋の使者、なぁ…?」
信長は見透かすような目で光秀を見た。
対して光秀は冷や汗を拭う。
〈確かに凡庸の将では無い…!〉
光秀はなんとか心を落ち着かせようとする。
その間にも信長が喋る。
「はは、隠さずとも良い。朝倉に愛想が尽きて和田や細川の〝義秋を立てて上洛しよう〟という企てに乗った。そして朝倉を出る為の口実を得んが為にここに来た……違うか?」
「…仰せの、通りで……」
「して?」
信長の問いに、光秀は息を飲んでから喋る。
「その…義昭公は先日元服致しまして、あきの字を日を召すと書くあきらになさいました。それで…」
「わざわざ字を変えたのか。名を変えたとて、中身が無うては日など召されまいよ」
「ごもっともで……何もかも見抜いておられるとは承知で申し上げまする。義昭公は少々短気で我儘な面もございます。周知の通り、書状を書いては全国に触れを出されておりまする。しかしながら、今、将軍となられるべきは義昭公であり、断じて…」
「良い」
「はっ…?」
「その童のような将軍を担いでいこうというのは分かった」
それを聞き、光秀は断られるのかと思い焦って何かを言おうとするが、信長の後ろに控える翔隆が首を振ったので思い留まり、口をつぐんだ。
それを見て、信長は更に喋る。
「…して?当地へ公方くぼうを迎える手順は、どうされるつもりかの?」
「はっ、上総介さまより、〝喜んで迎える〟との旨の書状を頂けますれば、直ちに朝倉家の細川兵部大輔ひょうぶのたいふに届け、即座に…」
「道は?!」
「はっ!北近江へ抜け浅井に拝謁を許された後に、美濃に入られるが宜しいかと」
即座に答えると、信長はニヤリとした。
「ほお、なる程。おことも油断のならぬ男よ」
「恐れ入りまする」
「して、その次にやる事は?」
信長はわざと聞いてみる。
「近江の六角の説得ですが…恐らくは三好が先に手を打って来るものと思われます。難儀した場合は…制圧もやむ無しかと存じまする。その上で公方さまを奉じての都入りが宜しいと存じまする」
「ーーー良し、お主を召し抱えてやろう!」
「は?!」
「わしに仕え、公方と仲介をせよ」
「で、では、お味方されると…」
そう問うと信長はニッとほくそ笑む。
「うむ。その代わりもう織田家臣として働いて貰うぞ?」
「ーーー承知、仕りました…」
光秀は動揺しながらもそう答えた。
すると信長は翔隆を返り見て言う。
「話もあろうて…わしに構わずに話をするが良い。お濃!酒を持て」
「はい」
帰蝶がニッコリとして駆けていくと、翔隆は一礼して光秀の隣に行く。
「四年振りだな、光秀」
「うむ…」
「驚いただろう?信長様は気が短いからな」
そう笑って言うと、んんっ!と咳払いが聞こえる。
光秀はその主従を見て微笑んでから答える。
「急な話で、少々動じてしまって…」
「そうだ、今夜屋敷に来ないか?光征も喜ぶだろう…いいですか?」
光秀に聞いてから信長に尋ねると、信長は微笑して軽く頷いた。
元より書状を書く間の接待は翔隆に任せるつもりだったのだ。
こんなにはしゃぐ翔隆を見るのは久方振りで、信長としては嬉しかったのだ。
翔隆は無邪気に笑って話し掛ける。
「ここの宿老は…」
と、まずは重要な人物を指を折りながら数えて説明していく。
それを光秀は微笑を浮かべて聞いていた。
その姿を見る内に信長は胸がざわつくのを覚え、苦笑する。
〈クッ…〉
などとは大人げない。そう思いながら、帰蝶の持ってきた酒を煽った。

 申の一刻には翔隆は光秀を自分の屋敷に連れて行った。
「今戻った。お客様だ」
そう言い入ると、身重な弓香と葵が出迎える。
「お帰りなさいませ」
「ちょうどいい。光秀、これは先程話した光征の妻の葵だ。葵、こちらは光征の父上である明智十兵衛様だ」
そう互いを紹介すると、葵は頭を下げた。
「お父上様…!あ、あの、葵と申します」
「うむ、明智十兵衛にござる」
互いに言い合ってから中に入る。
広間に座ってもらうと、まずは茶を出す。
「今誰か居るか?」
翔隆が天井に声を掛けると、睦月が奥から出てくる。
「皆、修行やら何やらに出ているから、積もる話でもしていなさい」
「分かった…」
睦月に言われて翔隆は光秀と話をする。
話すのは光征の活躍や織田家の事だ。

皆が戻ったのは二刻後。
「あ、客人だ」
忠長が会釈しながら二階に行き、ぞろぞろと皆が入ってくる。
その中で光征は放心して光秀を見る。
「まさか……父上?!」
「桜弥か!なんと立派になって…」
光征は光秀に駆け寄って側に座る。
「何年…もう十二年です!私も四郎衛門しろうえもん光征みつまさと改名しております、……ああ、桜巳おうみ龍巳たつみあかねむぐら来なさい。お前達のお祖父様だ」
そう光征が言うと、四人がやって来て光征の後ろに座る。
そして一人ずつ挨拶をした。
「明智桜巳おうみ、六つです」
「明智龍巳たつみ、五つです!」
「明智茜、四つになります!こっちはむぐら三つです」
そう挨拶をして頭を下げる。
初めて出会う祖父に、少し緊張気味だ。
「明智十兵衛だ…桜弥、いや、四郎にそっくりだ」
そこに膳が運ばれてくると、子供達は入れ違いに広間を出て部屋に行った。
「どうぞ」
光征が酌をする。
そんな様子を仲間達は天井から見守る。
「父だってよ」
と忠長が言うと、蒼司が唸る。
「父………あんな挨拶は狭霧では無理だな」
「人間だからこその挨拶だ」
疾風が言い立ち上がる。
「接待だろうから、何か魚を買ってくる」
「では野菜もあれば買いましょう」
共に上に来ていた冬青そよごも立ち上がって共に出た。

 夕餉の後、翔隆は気を利かせて自分の部屋に光秀と光征を二人きりにさせた。
親子水入らずで、積もる話もあるだろうとの配慮だ。
光秀はこれまで何処で何をしてきたかを光征に話した。
ふいに光征が浮かない顔をする。
「どうした?四郎」
「…私はきちんと翔隆様のお役に立てているか不安です」
「急にどうした…何か言われたか?」
「いいえ、色々な任はするのですが…きちんとお役に立てているかどうか…」
「恩賞などが無いのか?」
そう聞くと光征は首を振る。
「いいえ、違います!ただ…お側仕えなどもせずに、修行ばかりでしたので…」
「…それがお前の役目ならば、誰よりも強くならねばな」
「…はい!」
光征は微笑んで答える。

 その後、宿泊する館に光秀を送ってから、翔隆が屋敷に戻ってくると、家臣達が広間に居た。
ちょうどいいので、翔隆は広間に座って聞いてみる。
「…先程少し聞こえてしまったので聞くのだが……恩賞が欲しかったら言うんだぞ?私は気が利かないからな」
そう言うと、光征は真っ赤になる。
「違います、恩賞ならば笛を戴いたり名を頂いております!」
「私は恩賞が貰える事をしてませんね…」
とは蒼司。
「…では、報告に移るか。疾風」
「はい」
「明日でいいから、島津へ行き、来月に出仕すると伝えてくれ」
「はっ」
疾風に頷いて、翔隆は光征を見る。
「光征、氏政様はどうだ?」
「はい。この所は武田の動きが怪しく、いずれは戦になるかと存じます。新九郎様は至って平静を装っておられます。翔隆様が参られた時にはでも習おうかなどと仰せられておられまする」
「そうか…六月に、十日程出仕しに行く旨を伝えておけ」
「はっ!」
答えて光征は後方に下がる。
「忠長、武田は」
「はい。これといった事は……ただ、桜弥の言うように今川領を近々狙うのは確かです。それと、上杉への牽制で一向衆やその家臣などに何やら働き掛けています」
「詳しくは私が聞く。ーーー同じく六月に十日程出仕すると伝えておけ」
「承知」
それに頷くと、翔隆は眉をしかめる。
「一成」
「はっ…ご存知の通り、未だ一向衆を鎮められておりません。夜も余り眠られぬご様子です」
「ん…心配だな。また戦の無い時に伺えるといいが…。良し、ではもう寝よう」
「はっ」
報告が終わり、皆は各々の部屋に散った。
翔隆は溜め息を吐きながら部屋に戻った。
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