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一章 天命
三.邂逅〔一〕
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「はっけよい!」
河原に、織田三郎信長の声が響く。
いつもの如く小姓・近習、そして村の悪童共を引き連れていた。
若い衆は近くで竹槍合戦をさせて、小姓達に河原で相撲をさせている。
着物を脱ぎ、指貫の紐をふんどしの代わりにしての相撲だ。
「ぬう…」
腰紐を取り合い睨み合うのは、今年小姓として入った丹羽万千代(十六歳)と、同じ小姓の長谷川橋介(十七歳)。
「万千代そこだ!」
信長の乳母の息子である池田勝三郎(十五歳)が声を上げて応援する。
「橋介、今じゃ!」
小姓の服部小平太(十六歳)も声を上げる。
あぐらをかいて観戦する信長の周りに小姓達が居て、その後方に笑って見ている塙 九郎左衛門 直政(十九歳)、福富 平左衛門尉 秀勝(二十歳)などが居た。
バッシャーン…
まだ冷たい川の中に、敗者が投げ込まれた。
「橋介の勝ちじゃ!」
織田三郎信長は笑って勝者の長谷川橋介を招き寄せると、饅頭を与えた。
おやつ代わりの野菜の饅頭だ。
それを受け取り、橋介は満面に笑みを浮かべて頬張った。
かたや丹羽万千代は川から這い出て面目無さそうな表情で指貫を絞る。
それを見て信長が険しい顔で言う。
「これが戦ならば討ち取られているぞ。もっと鍛えろ」
「ハッ! 申し訳もございません」
そう万千代が言った時、くすくす、と何処からか笑い声が聞こえた。
途端に信長がギロリと目を光らせる。
すると皆一様に首を横に振って〝自分ではない〟と必死に伝えた。
「そんな事は分かっとる。…そこの!」
言い様、信長は素早く小石を草むらに投げた。
すると、ザッと茂みから黒い影が飛び出して宙を舞い、土俵を模した石の輪の真ん中に降り立った。
見た事も無いような、灰色の髪に青い目…。
「?! 物の怪かっ!」
驚愕しながらも塙直政、長谷川橋介、毛利十郎(二十歳)、服部小平太、丹羽万千代、池田勝三郎(十五歳)、佐々内蔵助(十五歳)などが信長を守るように立つ。
その中で信長は目の前に立つ塙直政と池田勝三郎の足を叩いてどかせ、立ち上がってじっとその者を見据える。
年は十四・五。
灰白色のような明るい銀鼠色の髪の毛に、深く澄んだ藍染めのような目の少年。
〈やっと出てきたな、森の鬼〉
ずっと自分を付け回していたのは知っているが、今まで一度もその姿を捉えた事が無かった、森に巣食うという鬼。
信長はニヤリとして前に進み出る。
「鬼っ子! 何用じゃ!」
言われて鬼は、背に掛けた刀を外して土俵脇に置く。
「相撲! …やるのだろう?」
鬼は無邪気に笑って言う。
「うむ。…相撲がしたくて出てきたのか?」
「うん、一度でいいから交ぜて欲しくて。俺、勇気を出して出てきたんだよ、吉法師様」
「勇気?」
「だってさ、ほらーー」
言い終えぬ内に、
「この鬼めがっ!!」
と塙直政と毛利十郎が斬り掛かる。
バシャ バシャーン
一瞬であった。
堀川に投げ込まれたのは二人…塙直政と毛利十郎である。
「ほら、こうやって斬ろうとするから。だから、一度だけでもと思ったんだ」
そう鬼は悠然と立っている。
その足元には二人の刀が落ちていた。
「あー…泳げるよな? よし、早くやろう!」
慌てて泳いでいる二人に言ってから、鬼は信長を見て爽やかに笑った。
信じられない事にこの鬼…いや少年は、あの一瞬で二人の刀を打ち落として投げ飛ばしたのだ。
〈面白い!〉
かなり鍛えている二人の寵臣を軽くあしらった鬼に、信長は強く惹かれた。
「よしッ! 内蔵助、やれ!」
「は、はっ!」
狼狽しながらも返事をし、佐々内蔵助は鬼の前に出る。
鬼の方は着物を上半身だけ脱ぎ、落ちている刀二本を拾って、這い上がってきた塙直政と毛利十郎に投げ渡す。
二人はそれを受け取り互いに顔を見合わせてから、びしょ濡れの着物を脱いで絞った。
そんな二人を見て、信長は更に目を見張る。
なんと二人の右手と背、脇腹などに痣が三・四ヶ所程くっきりと出ていたからだ。
〈あ奴、あの間に打ったのか!〉
感心しながらも信長は土俵の前に立って手の平を軍配代わりに二人の間に入れるようにする。
「見合うて~」
鬼と佐々内蔵助は、睨み合いながらも地に片手の拳を付く。
「はっけよぉーい!」
瞬間、両者はドシンと肩をぶつけて互いの腰紐を取る。
〈白い鬼なんぞに負けてたまるか!〉
そう佐々内蔵助が決意して足を踏ん張る。が、
「やあっ!」
という掛け声と共に、宙に舞い倒れたのは佐々内蔵助だった。
「鬼の勝ちじゃッ!」
信長は手を叩いて大笑する。
それに対して鬼はムッとして眉をしかめる。
「俺は〝鬼〟なんて名じゃない! 翔隆って名がある!」
「とびたか? ふむ…次! 勝三郎、行け!」
「はっ…」
名を呼ばれた池田勝三郎は甲高い返事をして前に出るものの、手の震えをごまかしながら周りを見る。
「若殿から頂いた折角の機だが…万千代に譲ろう!」
「えっ?! …はあ」
丹羽万千代は驚いて信長を見る。
すると信長は微苦笑を浮かべて頷いた。
どう見ても池田勝三郎が怖がっているのは分かるので、そこは見て見ぬ振りをしてやり、丹羽万千代が翔隆の前に出る。
丹羽万千代はしこを踏みながら翔隆を見る。
よく見れば、自分よりも細い身体だ。
腰紐を掴んでしまえば投げられる…筈。
〈こんな鬼に負けてたまるか!〉
そう思いながら、拳を地に付ける。
「はっけよぉい!!」
信長の声と共に互いに肩からぶつかり、腰紐の取り合いをする。
〈取った…!〉
そう思った刹那、丹羽万千代は宙に舞って川に落ちた。
「強いなぁ、お主…」
見ていた信長が言うと、翔隆は笑って答える。
「修行してるから。…名、教えてよ吉法師様」
「苗字は織田、字は三郎、諱は信長じゃ。吉法師は幼名だから、もう呼ぶな。お前の苗字と字は?」
「…みょうじ、と、あざな…?」
「にゃあのか? 〝とびたか〟は諱だろう? お前が諱を名乗ったから、諱を教えたのだが…」
「え…」
混乱する翔隆を、信長は不思議そうに見る。
村の悪童達でさえも、知っている事だ。
知らぬ筈は無い。
民草には字はある。
なので、〇〇村の太郎、などと名乗るのだ。
しかし翔隆はどう考えても諱…。
諱を名乗る者はいない。
〈角や牙は無さそうだが…〉
思いながら近寄ろうとすると、翔隆は着物を直して、刀を手にする。
翔隆の視線の先には、警戒している村の子供達が居た。
「なんじゃ…村の餓鬼共とは遊んでいかぬのか?」
「……」
翔隆は黙って目を反らす。
どうやら、自分が〝鬼〟だという自覚はあるらしい。
信長は笑って言う。
「…また参れ、とみたか」
「 とびたか! …それじゃあ…」
微笑して、少年は風の如く走り去った。
それを見送る信長の側に、乾いた着物を着た塙直政が近寄る。
「あの〝とびたか〟という鬼、強うござりまするな」
塙直政の言葉に、信長はフフッと片笑む。
〈とびたか、か……面白い〉
〈信長かぁ…面白い人だなぁ…〉
森の中を歩きながら、翔隆は一人で顔を綻ばせていた。
〈やっぱり思った通りだ……俺、あの人が好きだな…〉
そう思いながら、名乗りの事が気になって走っていく。
「義成! 睦月! 居る?!」
バン!と睦月の小屋の戸を勢いよく開けて言うと、二人は驚いて戸を見て眉をしかめる。
「翔隆、戸が壊れるような開け方をするなと、いつも言っているだろう!」
そう睦月が叱ると、翔隆がすぐに謝る。
「ご、ごめんなさい…でもどうしてもみょうじとあざなといみなって言葉が知りたくて!」
「苗字と……」
義成が呟くように言い、織田三郎の事だと気付く。
「何が、気になるんだ?」
「俺には、その中の二つが無いみたいで…今まで名だと思ってたのは〝いみな〟っていうみたいで…何かおかしいの?!」
「…あ、いや。おかしくは無いのだが…」
一族であれば、普通の事だ。
だが、翔隆はまだ一族の事すら知らない。
〈…教えるのならば、今だろう〉
睦月が思い、外を見る。
そこには、翔隆の声が聞こえてやってきたのであろう志木と千太が立っていて頷いて歩いていく。
それを見て、睦月は義成と頷き合って立ち上がる。
「では行こうか」
義成が言い翔隆の肩を叩いて外に出る。
続いて睦月が翔隆を見て微笑んで言う。
「翔隆」
「な、何? 皆で叱ろうって話?」
「違う。大事な話があるんだよ」
「大事な…?」
翔隆は訝しがりながらも、義成と睦月についていく。
鬱蒼と生い茂る森の奥の開けた場所に〝集落〟がある。
幾つか小屋がまばらに建てられており、人が行き交う。
小屋は質素な作りの割には頑丈で、台風が来ても壊れた事が無く、地震でも崩れない程だ。
小屋の周りには槍や斧、刀まである。
通り過ぎる者は皆、屈強な男ばかり…。
女子供は、翔隆の家族しか居ない。
そして、普段は翔隆や睦月達が外に出るだけで、この〝集落〟の者は誰一人として森から出ようとしないのだ。
〈…やっぱり俺のせいで、皆が狭苦しい暮らしをしているのかな……〉
自分のせいで、野伏せりのような生活を送っているのだとしたら…申し訳無くて仕方がない。
〈よし! 今日こそ聞こう〉
そう決意して口を開くと、先頭の志木が一つの大きな小屋の前で立ち止まる。
「入りなさい」
そこは、いつも男達が夜集まって何やら議論をしている小屋で、翔隆は入るのを許された事が無い。
「えっ…でもここは子供が入っちゃいけないって…」
「いいから」
言われておずおずと中に入ると、中の炉辺に人が居た。
自分の師匠の拓須、そして最長老の爺様といつも志木と難しい話をしている男達四人だ。
〈な、何だ…⁈〉
異様な雰囲気に気圧されて、翔隆はビックリして立ち尽くした。
「そこに、座りなさい」
と、志木に背中を押されて中に入り、翔隆は炉辺に正座した。
続いて志木、千太、義成、睦月も中に入って戸を閉め、爺様の隣りに座る。
すると拓須と志木以外、真剣な眼差しで翔隆を見つめる。
翔隆はドキッとして背を正す。
「あの…俺、今日は…」
「…よう、ここまで大きゅう育った…」
爺様が、目頭に涙を浮かべてしみじみと言った。
「うむ。何事もなく、無事に…」
髭の男も、微笑しながら翔隆を見て言う。
…違う。
自分の容姿がどうのというような事では無い。
本当に、何か重要な話だ!
そう悟った翔隆は、きちんと座り直すと真っすぐに父を見た。
それを感じ取って頷くと、志木は口を開いた。
河原に、織田三郎信長の声が響く。
いつもの如く小姓・近習、そして村の悪童共を引き連れていた。
若い衆は近くで竹槍合戦をさせて、小姓達に河原で相撲をさせている。
着物を脱ぎ、指貫の紐をふんどしの代わりにしての相撲だ。
「ぬう…」
腰紐を取り合い睨み合うのは、今年小姓として入った丹羽万千代(十六歳)と、同じ小姓の長谷川橋介(十七歳)。
「万千代そこだ!」
信長の乳母の息子である池田勝三郎(十五歳)が声を上げて応援する。
「橋介、今じゃ!」
小姓の服部小平太(十六歳)も声を上げる。
あぐらをかいて観戦する信長の周りに小姓達が居て、その後方に笑って見ている塙 九郎左衛門 直政(十九歳)、福富 平左衛門尉 秀勝(二十歳)などが居た。
バッシャーン…
まだ冷たい川の中に、敗者が投げ込まれた。
「橋介の勝ちじゃ!」
織田三郎信長は笑って勝者の長谷川橋介を招き寄せると、饅頭を与えた。
おやつ代わりの野菜の饅頭だ。
それを受け取り、橋介は満面に笑みを浮かべて頬張った。
かたや丹羽万千代は川から這い出て面目無さそうな表情で指貫を絞る。
それを見て信長が険しい顔で言う。
「これが戦ならば討ち取られているぞ。もっと鍛えろ」
「ハッ! 申し訳もございません」
そう万千代が言った時、くすくす、と何処からか笑い声が聞こえた。
途端に信長がギロリと目を光らせる。
すると皆一様に首を横に振って〝自分ではない〟と必死に伝えた。
「そんな事は分かっとる。…そこの!」
言い様、信長は素早く小石を草むらに投げた。
すると、ザッと茂みから黒い影が飛び出して宙を舞い、土俵を模した石の輪の真ん中に降り立った。
見た事も無いような、灰色の髪に青い目…。
「?! 物の怪かっ!」
驚愕しながらも塙直政、長谷川橋介、毛利十郎(二十歳)、服部小平太、丹羽万千代、池田勝三郎(十五歳)、佐々内蔵助(十五歳)などが信長を守るように立つ。
その中で信長は目の前に立つ塙直政と池田勝三郎の足を叩いてどかせ、立ち上がってじっとその者を見据える。
年は十四・五。
灰白色のような明るい銀鼠色の髪の毛に、深く澄んだ藍染めのような目の少年。
〈やっと出てきたな、森の鬼〉
ずっと自分を付け回していたのは知っているが、今まで一度もその姿を捉えた事が無かった、森に巣食うという鬼。
信長はニヤリとして前に進み出る。
「鬼っ子! 何用じゃ!」
言われて鬼は、背に掛けた刀を外して土俵脇に置く。
「相撲! …やるのだろう?」
鬼は無邪気に笑って言う。
「うむ。…相撲がしたくて出てきたのか?」
「うん、一度でいいから交ぜて欲しくて。俺、勇気を出して出てきたんだよ、吉法師様」
「勇気?」
「だってさ、ほらーー」
言い終えぬ内に、
「この鬼めがっ!!」
と塙直政と毛利十郎が斬り掛かる。
バシャ バシャーン
一瞬であった。
堀川に投げ込まれたのは二人…塙直政と毛利十郎である。
「ほら、こうやって斬ろうとするから。だから、一度だけでもと思ったんだ」
そう鬼は悠然と立っている。
その足元には二人の刀が落ちていた。
「あー…泳げるよな? よし、早くやろう!」
慌てて泳いでいる二人に言ってから、鬼は信長を見て爽やかに笑った。
信じられない事にこの鬼…いや少年は、あの一瞬で二人の刀を打ち落として投げ飛ばしたのだ。
〈面白い!〉
かなり鍛えている二人の寵臣を軽くあしらった鬼に、信長は強く惹かれた。
「よしッ! 内蔵助、やれ!」
「は、はっ!」
狼狽しながらも返事をし、佐々内蔵助は鬼の前に出る。
鬼の方は着物を上半身だけ脱ぎ、落ちている刀二本を拾って、這い上がってきた塙直政と毛利十郎に投げ渡す。
二人はそれを受け取り互いに顔を見合わせてから、びしょ濡れの着物を脱いで絞った。
そんな二人を見て、信長は更に目を見張る。
なんと二人の右手と背、脇腹などに痣が三・四ヶ所程くっきりと出ていたからだ。
〈あ奴、あの間に打ったのか!〉
感心しながらも信長は土俵の前に立って手の平を軍配代わりに二人の間に入れるようにする。
「見合うて~」
鬼と佐々内蔵助は、睨み合いながらも地に片手の拳を付く。
「はっけよぉーい!」
瞬間、両者はドシンと肩をぶつけて互いの腰紐を取る。
〈白い鬼なんぞに負けてたまるか!〉
そう佐々内蔵助が決意して足を踏ん張る。が、
「やあっ!」
という掛け声と共に、宙に舞い倒れたのは佐々内蔵助だった。
「鬼の勝ちじゃッ!」
信長は手を叩いて大笑する。
それに対して鬼はムッとして眉をしかめる。
「俺は〝鬼〟なんて名じゃない! 翔隆って名がある!」
「とびたか? ふむ…次! 勝三郎、行け!」
「はっ…」
名を呼ばれた池田勝三郎は甲高い返事をして前に出るものの、手の震えをごまかしながら周りを見る。
「若殿から頂いた折角の機だが…万千代に譲ろう!」
「えっ?! …はあ」
丹羽万千代は驚いて信長を見る。
すると信長は微苦笑を浮かべて頷いた。
どう見ても池田勝三郎が怖がっているのは分かるので、そこは見て見ぬ振りをしてやり、丹羽万千代が翔隆の前に出る。
丹羽万千代はしこを踏みながら翔隆を見る。
よく見れば、自分よりも細い身体だ。
腰紐を掴んでしまえば投げられる…筈。
〈こんな鬼に負けてたまるか!〉
そう思いながら、拳を地に付ける。
「はっけよぉい!!」
信長の声と共に互いに肩からぶつかり、腰紐の取り合いをする。
〈取った…!〉
そう思った刹那、丹羽万千代は宙に舞って川に落ちた。
「強いなぁ、お主…」
見ていた信長が言うと、翔隆は笑って答える。
「修行してるから。…名、教えてよ吉法師様」
「苗字は織田、字は三郎、諱は信長じゃ。吉法師は幼名だから、もう呼ぶな。お前の苗字と字は?」
「…みょうじ、と、あざな…?」
「にゃあのか? 〝とびたか〟は諱だろう? お前が諱を名乗ったから、諱を教えたのだが…」
「え…」
混乱する翔隆を、信長は不思議そうに見る。
村の悪童達でさえも、知っている事だ。
知らぬ筈は無い。
民草には字はある。
なので、〇〇村の太郎、などと名乗るのだ。
しかし翔隆はどう考えても諱…。
諱を名乗る者はいない。
〈角や牙は無さそうだが…〉
思いながら近寄ろうとすると、翔隆は着物を直して、刀を手にする。
翔隆の視線の先には、警戒している村の子供達が居た。
「なんじゃ…村の餓鬼共とは遊んでいかぬのか?」
「……」
翔隆は黙って目を反らす。
どうやら、自分が〝鬼〟だという自覚はあるらしい。
信長は笑って言う。
「…また参れ、とみたか」
「 とびたか! …それじゃあ…」
微笑して、少年は風の如く走り去った。
それを見送る信長の側に、乾いた着物を着た塙直政が近寄る。
「あの〝とびたか〟という鬼、強うござりまするな」
塙直政の言葉に、信長はフフッと片笑む。
〈とびたか、か……面白い〉
〈信長かぁ…面白い人だなぁ…〉
森の中を歩きながら、翔隆は一人で顔を綻ばせていた。
〈やっぱり思った通りだ……俺、あの人が好きだな…〉
そう思いながら、名乗りの事が気になって走っていく。
「義成! 睦月! 居る?!」
バン!と睦月の小屋の戸を勢いよく開けて言うと、二人は驚いて戸を見て眉をしかめる。
「翔隆、戸が壊れるような開け方をするなと、いつも言っているだろう!」
そう睦月が叱ると、翔隆がすぐに謝る。
「ご、ごめんなさい…でもどうしてもみょうじとあざなといみなって言葉が知りたくて!」
「苗字と……」
義成が呟くように言い、織田三郎の事だと気付く。
「何が、気になるんだ?」
「俺には、その中の二つが無いみたいで…今まで名だと思ってたのは〝いみな〟っていうみたいで…何かおかしいの?!」
「…あ、いや。おかしくは無いのだが…」
一族であれば、普通の事だ。
だが、翔隆はまだ一族の事すら知らない。
〈…教えるのならば、今だろう〉
睦月が思い、外を見る。
そこには、翔隆の声が聞こえてやってきたのであろう志木と千太が立っていて頷いて歩いていく。
それを見て、睦月は義成と頷き合って立ち上がる。
「では行こうか」
義成が言い翔隆の肩を叩いて外に出る。
続いて睦月が翔隆を見て微笑んで言う。
「翔隆」
「な、何? 皆で叱ろうって話?」
「違う。大事な話があるんだよ」
「大事な…?」
翔隆は訝しがりながらも、義成と睦月についていく。
鬱蒼と生い茂る森の奥の開けた場所に〝集落〟がある。
幾つか小屋がまばらに建てられており、人が行き交う。
小屋は質素な作りの割には頑丈で、台風が来ても壊れた事が無く、地震でも崩れない程だ。
小屋の周りには槍や斧、刀まである。
通り過ぎる者は皆、屈強な男ばかり…。
女子供は、翔隆の家族しか居ない。
そして、普段は翔隆や睦月達が外に出るだけで、この〝集落〟の者は誰一人として森から出ようとしないのだ。
〈…やっぱり俺のせいで、皆が狭苦しい暮らしをしているのかな……〉
自分のせいで、野伏せりのような生活を送っているのだとしたら…申し訳無くて仕方がない。
〈よし! 今日こそ聞こう〉
そう決意して口を開くと、先頭の志木が一つの大きな小屋の前で立ち止まる。
「入りなさい」
そこは、いつも男達が夜集まって何やら議論をしている小屋で、翔隆は入るのを許された事が無い。
「えっ…でもここは子供が入っちゃいけないって…」
「いいから」
言われておずおずと中に入ると、中の炉辺に人が居た。
自分の師匠の拓須、そして最長老の爺様といつも志木と難しい話をしている男達四人だ。
〈な、何だ…⁈〉
異様な雰囲気に気圧されて、翔隆はビックリして立ち尽くした。
「そこに、座りなさい」
と、志木に背中を押されて中に入り、翔隆は炉辺に正座した。
続いて志木、千太、義成、睦月も中に入って戸を閉め、爺様の隣りに座る。
すると拓須と志木以外、真剣な眼差しで翔隆を見つめる。
翔隆はドキッとして背を正す。
「あの…俺、今日は…」
「…よう、ここまで大きゅう育った…」
爺様が、目頭に涙を浮かべてしみじみと言った。
「うむ。何事もなく、無事に…」
髭の男も、微笑しながら翔隆を見て言う。
…違う。
自分の容姿がどうのというような事では無い。
本当に、何か重要な話だ!
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