鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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一章 天命

十三.密約

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  《瞬間移動》は、二度目であった。

〝父〟――――だと思う男をよく見れば、彼は狐の面を被っていた。
翔隆は、ハッとして辺りを見回し、羽隆うりゅうを見上げる。
「ここ、は……」
場所を尋ねると、羽隆はしゃがみこんで小枝で地面に文字を書く。

  美濃明智城下

〈? 口がきけない…? まさか〉
「あのっ」
話し掛けると、羽隆は首を横に振る。
そして、仮面の穴から悲しげな藍色の瞳を覗かせ、翔隆の頭を撫でた。
〈……おっきな…手………〉
優しい温もり…。
羽隆は、微笑んで風のように去ってしまった。
〈―――父さん……〉
翔隆は放心して、羽隆の立っていた位置を見つめ続けた。
〈…あれが…俺の本当の父さん…?〉
 雨は、降っていない。
前方に農家が見える。
翔隆はスックと立ち上がって、ぼーっと城下の方を見つめた。
〈俺の、父親…?〉
実感が湧かない。
突然そんな事を言われたって、すぐに〝そうか〟と納得する事なんて出来ない。
〈俺の父さんは…志木しぎだっ!〉
何となくむきになってそう、心で叫んだ。
「いてえ…」
今頃になって、全身が痛み始めた。
ズキズキとして、うずくまってしまう。

  …救えなかった…。

 救うどころか逆に捕まり、〝長〟であった人に助けられるなんて…。
しかし、何故〝羽隆〟が助けに来たのか?
今の翔隆には、そこまで考え至る余裕はなかった。
唇を噛み締めて涙を流していると、ふいに後ろから女子おなごの声がした。
「これ、童」
聞き覚えのある、懐かしい声!
バッと顔を上げて後ろを見ると、そこには桃色の打掛姿の〝姫〟と侍女が二人程居た。
  間違いない!
化粧をして髪も垂髪たれがみにしているが、間違いなく〝姉〟の楓だ!!
「童、傷が痛むのかえ?」
優しく懐かしいその顔に、翔隆は痛みも忘れてその〝姫〟にすがり付く。
「姉さんっ!」
「?」
「楓姉さんだろっ!? 俺だよ! 翔隆だよっ」
必死の翔隆の言葉に、〝姫〟は不思議そうな顔をするばかりだ。
「とびたか……と、申すのか?」
「俺が…分からない……?!」
翔隆は動揺を隠せずに、蒼白してその〝姫〟を見つめた。
「わらわはいつと申す。斎藤道三が養女じゃ」
本当に、何も知らない口調…初めて会った様な顔付き…だ。
〈もしや…記憶を失くしている…?〉
 あの時、義成と離れて逃げる途中で記憶を失くしてしまったのではないか?!
そうだとすれば、この言動に納得がいくではないか!
「童や、大丈夫か?」
話し掛けられて翔隆は苦笑し、藺姫から離れて頭を下げる。
「あの…申し訳ありません。姫様が、余りにも俺の姉さんに似ていたもので…ご無礼を、お許し下さいませ……」
「良いのですよ。それよりも誰か明智の者へ知らせ、この童を介抱する様、伝えなさい」
「はい」
侍女が一人、城へと駆けていった。
藺姫は、翔隆の頬をそっと拭ってやる。
「可哀想に…。まだ幼いというのに、髪が白む程の恐ろしい目に遭うたのであろう…目の色まで変わってしまって…」
 …ああ、優しい所は全く変わっていない…。
翔隆は、幾重にも重なった衝撃的な出来事に、鳴咽を漏らして泣いた。

 泣き止んだ頃に、先程の侍女を前に乗せ馬を駆ける男がやってきた。
「どう、どうっ!」
男は藺姫の前で馬を止め、侍女を降ろしてから自分も降り、跪く。
いつ姫様、その童は拙者に任せてお城へお戻り下さりませ」
その言葉に、藺姫はゆっくりと頷く。
「しかと、介抱して差し上げなされ」
「はっ」
にっこりと微笑むと、藺姫一行は去ってしまった。
〈楓姉さん…どうか幸せに…!〉
そう願い見送っていると、その男がじろじろと見つめてくる。
「〝翔隆〟とは、そなたの事か」
「え? あ、はい」
突然言われて、翔隆はきょとんとして男を見た。
「…成る程、確かに〝異形〟だ」
「……はあ」
としか、言葉が出なかった。
「ははは、気を悪くするな。拙者は明智城城主、明智十兵衛光秀と申す。そなたは〝織田三郎君〟の家臣、篠蔦翔隆であろう?」
「! …どうして…」
警戒して言うと、光秀(二十一歳)はニタリとする。
「案ずるな。我が主君・道三公のご息女、帰蝶さまは拙者の〝従兄弟〟でな。よく文を戴いて、そなたの事を知っておるのだ」
「従兄弟…あの、濃姫が」
「うむ。ともかく馬に乗られよ。城へ、案内しよう」
光秀は、爽やかな笑顔で手を差し伸べた。
翔隆は頷いて、その手を取って馬に乗る。



 明智城に着くと、明智光秀はためらいもなしに客間に案内してくれた。

〝しばし待て〟と言われて、素直に座って待っていると、一刻もしない内に光秀が少年を連れて来た。
薄茶色の髪の少年。
珍しいな、などと思って見ていると、その子が薬箱を手にして近付いてきた。
「お着物、脱いで下さい」
少年は、何故か真っ赤になって言った。
翔隆はクスッと笑って脱ぐ。
手当が済むと、翔隆は少年の頭を撫でてやる。
「ありがとう」
「い、いえっっ」
少年は、恥ずかしそうに俯いた。
「光秀殿、ありがとう存じまする」
「いや…あっ! いかんいかん!」
突然言って、翔隆が着ようとした着物を奪い取る。
「こんなボロボロの上、濡れた着物を着ては風邪を引く。これで良ければ」
そう言って、光秀は藍染めの小袖をくれる。
「あ…すみません…」
翔隆は、一礼してそれを着て、義成の紐を腰に巻く。
「そなたは〝不思議な力〟を持つそうだな。帰蝶さまの知らせでは、信長どのがいたくお気に召していらっしゃるとか」
「はあ、いえ、まあ…」
思わず、曖昧に返事をしてしまった。
「プッ。どちらなのだ」
「あの…俺には良く、分からないもので…」
苦笑して言うと、光秀も微笑む。
「ふふ」
その時、ついと少年が光秀の袖を引っ張った。
「父上…」
「おお、済まん」
光秀は笑って少年を前に押し出して、正座させる。
「この子は桜に弥生の弥と書いて〝桜弥おうや〟といってな…拙者の子で」
「おうや…」
これまた、武家にしては珍しい名前だ。
「初めまして、桜弥」
「はっはいっ! 年は五つですっっ」
笑いが漏れる。
「それで…この子は…」
何やら、話しづらそうだ。
「何ですか?」
「恥ずかしい話、この桜弥は乱破との間に出来た子でな。珍しい白茶の髪の乱破であった」
「白茶の!?」
翔隆は蒼白する。
「うむ…。…その乱破の女子は、この子を残し死んでしまってな。放るのは余りに無情。…それで…」
光秀はコホンと咳払いをして、話を続ける。
「帰蝶の方の文を話してやっている内に、この子がその…そなたに興味を抱く様になってな」
そう言うと、桜弥はもじもじしておじぎする。
「あの、それで…?」
だんだんと冷や汗が出てきた。
「そなたの役に立ちたいと申してのぉ…。是非とも、そなたの〝家臣〟に加えてはくれまいか?」
「―――――はあ?!」
一瞬、明智光秀が何を言ったのか理解出来なかった。
「だから、そなたの〝小姓〟にでも…」
「まっまままま、待って下さいっっ!」
翔隆は、両手の平を前に出して叫んだ。
「俺の家臣だなんて、そんな…。俺、自分が仕えるので精一杯で…とても〝家臣〟を雇うなんて考えられないし…それに〝養って〟やれる程、偉くもないし………」
弁解すると、桜弥が目を潤ませてにじり寄って来た。
「駄目なんですかっ?!」
「い、いや…その…」
翔隆は返答に詰まって、俯いた。
〈…この子が〔狭霧〕…! っだが、…俺にはこんなに幼い、慕ってくる子を殺すなんて…!!〉
グッと拳を握り締め眉を寄せていると、何か察知したのか光秀がそっと尋ねてきた。
「そなた、重い〝任〟を背負うておる様だな」
「!」
「三郎ぎみの任ではあるまい。…もしや〔狭霧〕とかいう一族と何か関わりがあるものか?」
…当たりだ。翔隆は、困惑した表情で光秀を見た。
「十兵衛殿…」
「〝光秀〟で良い」
光秀は真顔で翔隆を見つめて言った。
翔隆が武家の者では無いので、諱を知らない…と帰蝶の文で知っていたから許すのだ。
「……光秀、その女子は…」
「うむ。その女子がその一族だったのだ。色々と教えてくれた……一族がどの様なものか、何をしているのか。…愛して、いたのだ。互いに、夫婦の契りまで交わしたのだがな。死んだ、というよりも殺されたのだ」
「…殺され…た?」
「うむ。同胞にな…。狭霧の〝掟〟には、〝主君を持っても良いが、裏切りは一度しか許さぬ〟というのがあるらしくてな」
 …狭霧は…主君を自由に持てる…。
(いい、な…)
知らぬ間に、声に出ていた。
「翔隆?」
「えっ? あ…その……」
余計な事をと思っていると、光秀が真剣な顔をして言う。
「その一族は、〔狭霧〕と〔不知火〕という二派に別れていると聞いた。そなたは、狭霧の〝敵〟である不知火か…?」
「………はい。不知火の、〔嫡男〕…です」
「! …嫡子か……そう、か…」
光秀は残念そうに言った。
「…不知火には、〝主君を持つは大罪〟という〝掟〟があります。だからつい羨ましいな、と…は、ははは」
はあ、と最後に溜め息を吐いてしまった。
「そうか、そなた主君を持ってしまっていたのであったな。うう、む」
光秀は考え込む。
…沈黙が訪れる。

生温かい風が、吹いてきた。
〈ああ…でも嫡子だからこそ、しっかりせねばならんのだな。別に、狭霧の家臣を持ってはならないという〝掟〟は無いし……俺さえ、しっかりとすれば……いいのではないのか?〉
そう、自分で納得すると微笑して言う。
「俺、頑張ってみます」
「ん?」
「主君の事も一族の事も、こなせる様に頑張ってみます。だから…その、旨く両立させられる様になれば、家臣も必要になると思いますし」
「…そうか」
「だから……俺が元服した十五の歳…十年後に、桜弥を迎えに来ます。だから…それまで、待って頂けますか?」
「待つも何も…拙者としてはこの子を押し付ける様なものなのだから…むしろ、有り難く思う」
「いえ。その子もとても賢そうですし…貴方もとてもいい人だし。それに〝介抱〟の礼でもありますから」
にっこり笑って言うと、光秀もにこりとして盃を差し出した。
「〝密約〟、叶ったな」
「密約だなんて…」
「いやいや、拙者には密約にござる。……何しろ、〝不義の証し〟なのだから……」
悲しげな瞳で言う。
…光秀にとって大切な子でも、周りはそうは見ない。
乱破との間に出来た、不義の子供でしかないのだ。
きっと、隠して育てているのだろう……。
それを察して、翔隆はくすっと笑い盃を戴いた。
 そうだ…師匠達を救うのも、羽隆が見捨てた一族も、総て引き受けてやろうじゃないかっ!
  狭霧に立ち向かい、白分を信じて!!
そして、あの三人に認めて貰えばいい――――!
 そう…―――――決めた。
「〝盟友〟の契りの盃だな」
「そんな…」
「いいや、〝友〟だ!」
光秀がそう断言する。
翔隆は笑って酒を呑み干した。

  夕日が美しい日の、密約であった…。
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