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四章 礎
十二.武田への出仕
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一五五九年(永禄二年)、一月。
翔隆(二十四歳)は、甲斐に来ていた。
…四年振りの風が、とても懐かしい。
躑躅ヶ崎館に着くと、小姓に案内されて中に入る。
途中、工藤源左衛門尉昌豊(三十六歳)に会う。
工藤昌豊は驚いたように目を丸くした後、穏やかに笑い掛ける。
「久しく見ぬ間に、頼もしゅうなったな」
言われて翔隆は、深く一礼する。
「お元気そうで何よりです、工藤源左衛門尉様。お変わり、ござりませぬか?」
「うむ。さ、早うしろ? お屋形さまも、さぞ喜ばれよう」
そう言い、小姓に代わって案内してくれた。
火焼間に着くと、そこには既に武田晴信(三十九歳)、嫡男の武田太郎義信(二十一歳)、諏訪四郎(十四歳)そして、飯富兵部少輔虎昌(五十六歳)・飯富源四郎昌景(三十一歳)が揃っていた。
翔隆は真面目な顔で座ると、平伏する。
「お久しゅうございまする。この度は、三度目の川中島での合戦があったと聞き、参陣出来なかった事を詫びに参った所存にござりまする」
まずは、理由を述べた。
信長とは違い、晴信はまず理由を聞くからだ。
すると、晴信は頷いて微笑む。
更に訳を聞きたがっていると見て、翔隆は喋り続けた。
「八月に戦があった、と知ったのは翌年でありました。決して忠誠心が緩んだ訳ではございませんが、その折は女子を娶り、家臣を迎えてそれに追われてしまいました。…次は必ずや参陣至します故、どうぞお許し下さいませ!」
「良い。義深の報告で知っておる。嘘を言わなかったのが、忠誠の証。顔を上げよ」
「はっ。ありがとう存じまする」
そう言って、翔隆は顔を上げてやっと笑った。
「皆様方、ご立派になられましたね」
「そなたこそ、とても頼もしゅうなったな」
義信が言う。
「いえ、まだまだです」
苦笑して義信に答えてから、翔隆は晴信を見た。
「今日は、詫びといっては何ですが…お手伝いに上がりました」
「フフ…。それより、〝透破〟となったそうじゃな」
「はあ…」
ドキッとする。
「ここで、そちを〝奉行〟としたら、どうなるやら…」
本気半分、冗談半分…の言葉である。
「…晴信様……」
翔隆は、困惑した表情をする。
「ふっ…戯言よ。安心せい」
そう言い晴信は明るく笑う。だが、目が真剣なだけに恐い。
〈…心なしか怒っておられるような……〉
翔隆は冷や汗を掻いて、俯いた。
すると、晴信はやたらニコニコして、扇子で翔隆を招く。
「雪は深い…寒かろう。もそっとこちらへ来るがいい」
「はっ……」
おずおずと前へ出る。その時、義信が四郎と目を合わせて、頷き合った。
そして、義信が苦笑して言う。
「翔隆、いずれ戦の折にでもゆるりと話をしようぞ。のう、四郎」
「はい」
何の示し合わせか、二人は立ち上がると虎昌・昌景兄弟と昌豊まで連れて、下がって行ってしまう…。
「? ? ?」
翔隆は、何故皆が去ってしまうのか分からずに不思議がる。
…確か、以前にもこんな事があった…。
あれは、初めて信長の寵を受けた時であったが…。
「さて…」
晴信は、ニヤリとして立ち上がる。そして、
「参れ。ゆるりと話をするか」
と、言って歩き出す。
来た所は、晴信の寝所でもある看経間。
中には床と火鉢、経机に書物がズラリとある…。
晴信は何気もなく床に腰を下ろして、こちらへ手を向ける。
途端に、翔隆はぐっと息を詰まらせた。
そして蒼白し、閉じた障子にへばりつく。
〈………まさか……まさかとは思うが…もしや、ある筈もあるまいが……万が一………〉
心中でおたついていると、晴信がニヤリとして言う。
「…罰じゃ。参れ?」
言われて翔隆は動揺する。
「は、晴信様っ! お戯れも程々になさって下さいませっ」
「戯れなどではない。本気じゃ」
「……お、俺はもう二十四ですぞ?!」
「ふむ。ちょうど出世していく年頃よの」
「そうではなく……俺は小姓では…」
「うむ。小姓ではなく、〝近習〟じゃな」
そうだった……すっかり忘れていた。
ここ、〝武田家〟での地位は、奉行ではなく近習なのだ!
〈まずい!〉
〝近習〟の身で主君の寵愛を拒む事など、有り得ない…いや、断っては不忠というもの!
翔隆は恐る恐る床に近付き、ちょこっと座った。それを見て、晴信は微笑する。
「伽は、初めてではあるまい?」
「は、あ…はあ…」
「そう畏まる事ではあるまい。寵愛なのだ……参れ?」
晴信は、限りなく優しい眼差しで言った。
翔隆も特に嫌がる必要はないと思い、着物を脱ぎ始める。
気が付くと、翔隆は晴信の腕にしっかりと抱かれて眠っていた。
―――あれからどのくらい刻が経ったのか、いつの間に眠ったのか、覚えていなかった…。
〈…まずいな…今、何時なのだろうか…?〉
障子からは、月明かりが差し込んでくる。
翔隆は、取り敢えず晴信からそっと離れて着物を着る。
そして、失礼のないように一筆したためてから、深く一礼して立ち去った…。
翔隆(二十四歳)は、甲斐に来ていた。
…四年振りの風が、とても懐かしい。
躑躅ヶ崎館に着くと、小姓に案内されて中に入る。
途中、工藤源左衛門尉昌豊(三十六歳)に会う。
工藤昌豊は驚いたように目を丸くした後、穏やかに笑い掛ける。
「久しく見ぬ間に、頼もしゅうなったな」
言われて翔隆は、深く一礼する。
「お元気そうで何よりです、工藤源左衛門尉様。お変わり、ござりませぬか?」
「うむ。さ、早うしろ? お屋形さまも、さぞ喜ばれよう」
そう言い、小姓に代わって案内してくれた。
火焼間に着くと、そこには既に武田晴信(三十九歳)、嫡男の武田太郎義信(二十一歳)、諏訪四郎(十四歳)そして、飯富兵部少輔虎昌(五十六歳)・飯富源四郎昌景(三十一歳)が揃っていた。
翔隆は真面目な顔で座ると、平伏する。
「お久しゅうございまする。この度は、三度目の川中島での合戦があったと聞き、参陣出来なかった事を詫びに参った所存にござりまする」
まずは、理由を述べた。
信長とは違い、晴信はまず理由を聞くからだ。
すると、晴信は頷いて微笑む。
更に訳を聞きたがっていると見て、翔隆は喋り続けた。
「八月に戦があった、と知ったのは翌年でありました。決して忠誠心が緩んだ訳ではございませんが、その折は女子を娶り、家臣を迎えてそれに追われてしまいました。…次は必ずや参陣至します故、どうぞお許し下さいませ!」
「良い。義深の報告で知っておる。嘘を言わなかったのが、忠誠の証。顔を上げよ」
「はっ。ありがとう存じまする」
そう言って、翔隆は顔を上げてやっと笑った。
「皆様方、ご立派になられましたね」
「そなたこそ、とても頼もしゅうなったな」
義信が言う。
「いえ、まだまだです」
苦笑して義信に答えてから、翔隆は晴信を見た。
「今日は、詫びといっては何ですが…お手伝いに上がりました」
「フフ…。それより、〝透破〟となったそうじゃな」
「はあ…」
ドキッとする。
「ここで、そちを〝奉行〟としたら、どうなるやら…」
本気半分、冗談半分…の言葉である。
「…晴信様……」
翔隆は、困惑した表情をする。
「ふっ…戯言よ。安心せい」
そう言い晴信は明るく笑う。だが、目が真剣なだけに恐い。
〈…心なしか怒っておられるような……〉
翔隆は冷や汗を掻いて、俯いた。
すると、晴信はやたらニコニコして、扇子で翔隆を招く。
「雪は深い…寒かろう。もそっとこちらへ来るがいい」
「はっ……」
おずおずと前へ出る。その時、義信が四郎と目を合わせて、頷き合った。
そして、義信が苦笑して言う。
「翔隆、いずれ戦の折にでもゆるりと話をしようぞ。のう、四郎」
「はい」
何の示し合わせか、二人は立ち上がると虎昌・昌景兄弟と昌豊まで連れて、下がって行ってしまう…。
「? ? ?」
翔隆は、何故皆が去ってしまうのか分からずに不思議がる。
…確か、以前にもこんな事があった…。
あれは、初めて信長の寵を受けた時であったが…。
「さて…」
晴信は、ニヤリとして立ち上がる。そして、
「参れ。ゆるりと話をするか」
と、言って歩き出す。
来た所は、晴信の寝所でもある看経間。
中には床と火鉢、経机に書物がズラリとある…。
晴信は何気もなく床に腰を下ろして、こちらへ手を向ける。
途端に、翔隆はぐっと息を詰まらせた。
そして蒼白し、閉じた障子にへばりつく。
〈………まさか……まさかとは思うが…もしや、ある筈もあるまいが……万が一………〉
心中でおたついていると、晴信がニヤリとして言う。
「…罰じゃ。参れ?」
言われて翔隆は動揺する。
「は、晴信様っ! お戯れも程々になさって下さいませっ」
「戯れなどではない。本気じゃ」
「……お、俺はもう二十四ですぞ?!」
「ふむ。ちょうど出世していく年頃よの」
「そうではなく……俺は小姓では…」
「うむ。小姓ではなく、〝近習〟じゃな」
そうだった……すっかり忘れていた。
ここ、〝武田家〟での地位は、奉行ではなく近習なのだ!
〈まずい!〉
〝近習〟の身で主君の寵愛を拒む事など、有り得ない…いや、断っては不忠というもの!
翔隆は恐る恐る床に近付き、ちょこっと座った。それを見て、晴信は微笑する。
「伽は、初めてではあるまい?」
「は、あ…はあ…」
「そう畏まる事ではあるまい。寵愛なのだ……参れ?」
晴信は、限りなく優しい眼差しで言った。
翔隆も特に嫌がる必要はないと思い、着物を脱ぎ始める。
気が付くと、翔隆は晴信の腕にしっかりと抱かれて眠っていた。
―――あれからどのくらい刻が経ったのか、いつの間に眠ったのか、覚えていなかった…。
〈…まずいな…今、何時なのだろうか…?〉
障子からは、月明かりが差し込んでくる。
翔隆は、取り敢えず晴信からそっと離れて着物を着る。
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