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四章 礎
二十二.桶狭間〔一〕
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五月十二日。
ついに今川治部大輔義元(四十二歳)は、尾張を制する為に五千の兵と共に駿府を発った。
二日前には先鋒隊の井伊直盛が出陣している。
駿府・遠江・三河・尾張の一部からの総勢四万程の兵である…。
東海道を通り翌十三日には掛川、十四日には浜松城、十五日には吉田城、十六日には岡崎城と前進し、軍評定を開く。
その場には、ずっと人質となっていた松平竹千代…元服名、松平元康も末席に居た。
〈……信長どのを攻める日が来たか………〉
松平元康(十九歳)は、心の中で苦悩していた。いや、予測は付いていた。
今川と織田は戦う運命にある…そうなれば、自分も必ず戦わざるを得ない、と…。
しかし、幼い頃は兄と慕った信長を…滅ぼさなくてはならないとは…。
そっと溜め息を漏らす。
〈…申し訳無い…〉
だが、是非も無いのだ。松平の…三河武士達の為を思えばこそ、義元には逆らえない。
「元康!」
「はっっ!」
急に声を掛けられ、ビクリとした。
「その方、二千五百で丸根砦を落とせ! 落ちたらすぐに大高城に入り守備に当たるのじゃ。…三河武士の面目に掛けても、遅れを取るでないぞ」
「…ははっ!!」
深く頭を下げながらも、元康は眉をひそめる。
〈これで信長どのも…もはや………〉
「殿は何をしておられるのだっ?!」
清洲の評定で、柴田勝家(四十歳)が叫ぶ。
評定にも関わらず、主君の信長がいないのである。
五月に入ってから信長は丹羽長秀(二十六歳)や佐々成政(二十三歳)、池田恒興(二十三歳)でさえも遠ざけているのだ。
苛々しながら、金森五郎八長近(三十七歳)が言う。
「橋介! 殿はどうなされた!!」
「翔隆どのと、いずこかへ…」
長谷川橋介が答えると、重臣達は歯がみした。次いで林佐渡守が焦心して言う。
「十日には義元の軍勢が出立しているのだぞ! なのに何も下知なさらぬとは何事かっ!!」
「殿には殿のお考えがござろう」
森三左衛門可成(三十八歳)が佐渡守に言った。すると、大声で怒鳴り返してきた。
「三左衛門は事の重要さが分かっておるのかっ?! 今や義元の本隊が岡崎にいるのだぞっ! あと三日と経たずして国境に攻めてくるのだっっ!!」
「籠城と決めるか、討って出る勝機を窺っておられるか…どちらにせよ、それに従うが家臣の忠というものでござろう」
やけに冷静な可成の言葉に、一同は唸っていた。
何の音沙汰も無いまま、ついに義元が十八日、織田領内の沓掛に着陣した…。
信長は、軍評定の間で寝そべって鼻をほじっていた。
「籠城か! 討って出るか! 早うご決断を!」
「ここは籠城に決まっておる!」
「いいや! 討って出るべきだ!」
先程から、キーキーと皆が喚き立てている。
と、その時どこからともなく翔隆が現れて一同はビクリとする。
翔隆は信長の側に行き、小声で何かを話している…。
その何かの報告を聞いて、信長はニヤニヤしていた。それを見て、怒りが頂点に達した勝家が怒鳴るように言う。
「殿っ!!」
「何だ権六…」
「もう…もう、すぐそこまで敵が攻めてきておるのですぞっ!!」
「うむ。丸根と鷲津が危ういな。だから何じゃ」
「だっ……」
言葉を無くす柴田勝家に対してあくびをすると、信長は立ち上がる。
「わしは寝る! 皆も休め。翔隆」
「はっ」
言われて翔隆はさながら小姓の如く、信長と共に行ってしまった…。
一同は、それを見送る事しか出来なかった…。
もはやまな板の鯉だ…。誰かが呟いた。
寝所に入ると、信長は床にうつ伏せになって、翔隆に腰を揉ませた。
翔隆の他には、誰一人として控えていない。
無論、小姓もだ。翔隆は、信長の腰や背を揉みながら喋る。
「先程も申し上げましたが、義元の本隊は精鋭…狭霧の手練れもおりますが、こちらは手を打ってあります。しかし、義元とて東海一の弓取り…もしもお望みとあらば、私が単独で…」
「いらん! もっと力を入れよ!」
言われて翔隆は、微かに苦笑して黙る。
「何故、お前はいつもお節介ばかりする! …道三の時も…又左の折も!!」
「…利家なれば、元気にしておりますよ。戦があるのを、今か今かと……。この度の事も、内々に告げておきましたから、馳せ参じるでしょう」
「何ッ!」
信長は目を吊り上げてガバッと起き上がり、いきなり翔隆の頬を手の甲ではたき、その顎を掴んで顔を寄せた。
「…余計な真似ばかりしおって…」
そう言いつつも、愛しげに翔隆を見つめた。
〈何をしたとて安心出来る…不思議な奴よ…〉
そう思い、信長は激しく口付けた。
そして有無をも言わさずに、貪るかのように抱き始める。
「…っ…!」
何か言おうとしても、言葉にならない…。
翌十九日の丑の一刻(午前二時)、庭から声がした。
「翔隆様」
「! 生島か!」
翔隆は、きちんと着物を着て障子を開ける。
「…治部大輔義元、十九日には中島砦に向かうとの由」
それを聞き、翔隆は信長を返り見る。信長は、不敵に笑って立ち上がった。
「…よし! 藤吉! 五郎! 勝三郎!」
皆寝入っているであろう時刻だというのに、信長は叫んだ。
誰も答えまい…そう思っていた矢先、木下藤吉郎が馬を引いて走ってきた。
次いで法螺貝が鳴り響く。
そして池田勝三郎恒興が兜を、長谷川橋介と毛利新介が鎧を、岩室が具足、丹羽五郎左衛門長秀が脇差と太刀を持ってやってくる。
その中で、侍女頭の帰蝶が明かりを灯していき、正室の吉乃、側室の奈々と小雪がそれぞれに神酒と勝栗、膳を手に駆けてきたのだ。
この、見事というより外ならない戦支度に、信長は舌打ちしてニヤリと笑う。
「さては教えたな?!」
「御意」
翔隆が微笑んで答えると、信長は大声で笑った。
「ハハハハハハ! 知っていて他言せぬか! よしッ! 酒!」
「あい」
答えて吉乃が土器の盃を渡して神酒を注ぐ。それを一気に飲み干し、信長は三方(膳)の角でそれを割り、奈々が捧げる勝栗を食べ、湯漬けを四・五杯掻っ込む。
そして、可成が連れてきていた三人の子も見守る中、信長は〝敦盛〟を舞った。
人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を受け 滅せぬ者のあるべきか
「戦とはこうするものと、よく肝に銘じよ!!」
目を丸くする我が子らに叱り口調で言い、扇子を投げつけ太刀を掴んで居間を出た。
そしてすぐに馬に乗り、駆け出す―――これに従うは小姓五騎と藤吉郎と翔隆。
森可成や丹羽長秀らは、残った者達に行き先を知らせる為に走った。
「熱田神社へ、いざ続けぇい!!」
信長は、風よりも早く駆け抜ける。それに、翔隆がピタリとついて走った。
熱田神社は、父・織田信秀の代から関わっている所だ。
そこには、社家の加藤図書助と祐筆の武井夕菴が指示通りに待機している筈だ。
途中、ちらりと後ろを見るが小姓の長谷川橋介、岩室長門守、佐脇藤八、山口飛騨守、賀藤弥三郎の五騎の他に何騎、何人かが見えた。
〈どれくらいになる!〉
突然、信長が心で翔隆に語り掛けた。
どのくらい…。
⦅着く頃には、二百から三百にはなりましょう⦆
兵士の数だと思って答えると、信長はニヤリとした。
神社に着くと、集まった兵士の数を数えさせる。
「二百五十三人にござりまする」
小姓の佐脇が言うと、信長は頷く。
そこで、兵士達にとっては不思議な光景が映った…。
信長が鏑矢を携えて、右に兜持ちの毛利新介と、左に弓持ちの長谷川橋介、後ろに願文を持った夕菴を従えると加藤の〝お祓い〟を受ける。
そして夕菴から願文を受け取り、それを読み上げると中殿に進み、加藤の出す三方に鏑矢と願文を乗せ、パンパンと柏手を高々と打ち鳴らしたのだ。
これには誰もが驚いて目を丸くする。
何しろ自分の父の葬儀でさえも、手を合わせなかった主君なのだから…。
(困った時の神頼みだぎゃ…)
(殿さまも死ぬ覚悟でねゃあか?)
口々に言った時、中からゴトリと音がして、一羽の白鷺が飛び立っていった。
「おお! 神の御使いだで!」
「我らにお味方して下さったんだも!」
これを見て、後から集まった兵士も含めて士気を高めた。
無論、これも信長の配慮。
兵の不安を掻き消し信心深い者達に希望を与える為に、あらかじめ仕組んだ事だ。
信長はクルリと振り向き、ニヤリとした。
「中から金鎧の音がした! 熱田の武神は、我が勝利を約束して下さったのだ!」
「おーっ!」
「おーっ!」
一気に士気の高まった兵士達と共に、進軍する。
「とんびッ!」
いきなり信長が言う。側について走る翔隆は、驚いて信長を見た。
〈……私の事だろうか……?〉
考えていると、また言われた。
「トンビッ!」
「は、はいっ?!」
返事をすると、信長は前を見据えたまま心で語る。
〈討つべき時には雲を呼べッ!〉
⦅…心得ておりまする⦆
〈天運は我に雨を与える…そう思わせよ!!〉
⦅はっ!⦆
進む中で、佐久間大学が守備する丸根砦と織田玄蕃と飯尾近江守父子の守備する鷲津砦が落ちたという知らせが耳に入る。
信長は、そのまま善照寺砦に入ってから三百余りで義元軍と戦うも、五十名もの死者を出した。
これを見て、信長は中島砦に移る事にする。
「これ以上進んでは危険にござる!」
「どうかお留まりをっ!」
重臣達が口々に言うが、それらを振り切って湿地帯の低地にある中島砦に進撃した。
中島砦に着くと二千に足りぬ人数の中、信長は檄を飛ばす。
「良いか! 奴らは砦への攻撃と大高への兵糧入れによって疲れきっておる。こなたらは、今来たばかりの精鋭じゃ! 恐れず掛かれッ!」
「おーっ!」
士気を高め、馬を休めて腰を据えていたその時!
信長の前に、髪を振り乱した前田利家(二十三歳)が首を手に駆けてきたのだ。
「又左衛門にござりまする!」
利家が言うと信長は溜め息を吐いて利家を見る。
…許しを請うには首を挙げるのが一番ではあるが、この戦はそれどころではない。
「…ここでは、とにかく勝つ事だけに励め」
そう言った所に、毛利長秀、毛利十郎、木下嘉俊なども首を挙げて駆けてきた。
信長は、また溜め息を吐いて同じように言う。
他にも首を挙げてきたので、いちいち言い聞かせた。
戦で首を挙げるのが一番の功だから、どうしてもそうなってしまうのだ。
それから信長は、全軍が集まるのを待って出発。
今川の前衛部隊と戦いながら進む。
「良いかッ! 首など取らずに討ち捨てよ! 討ったら進めえぇいッ!!」
信長は叫びながら先陣を切った。
途中で、梁田政綱が馬を走らせて来て叫ぶ。
「今川義元、桶狭間山にて布陣!」
義元の確実な居場所が判り、そちらに向かう。
中島砦と桶狭間までは、直線の位置にあり、湿地帯が続いている。
不慣れな今川軍を桶狭間まで一気に押し返していった。
その途中に、見知らぬ十一名の者が立ち塞がった。
「ここから先には行かせぬ」
そう言ったのは、陽炎(三十六歳)、他に霧風(二十九歳)もいる。
翔隆はすぐ様、指笛を鳴らす。
すると、ずっと共に来ていた睦月(三十歳)と、明智四郎衛門光征(十五歳)、初陣の禾巳(十歳)、それに高信(二十六歳)率いる一族十名が現れ、横から陽炎達に斬り掛かっていった。
「任せる!」
翔隆は睦月らに言い、既に駆け出した信長の後を追う。
ついに今川治部大輔義元(四十二歳)は、尾張を制する為に五千の兵と共に駿府を発った。
二日前には先鋒隊の井伊直盛が出陣している。
駿府・遠江・三河・尾張の一部からの総勢四万程の兵である…。
東海道を通り翌十三日には掛川、十四日には浜松城、十五日には吉田城、十六日には岡崎城と前進し、軍評定を開く。
その場には、ずっと人質となっていた松平竹千代…元服名、松平元康も末席に居た。
〈……信長どのを攻める日が来たか………〉
松平元康(十九歳)は、心の中で苦悩していた。いや、予測は付いていた。
今川と織田は戦う運命にある…そうなれば、自分も必ず戦わざるを得ない、と…。
しかし、幼い頃は兄と慕った信長を…滅ぼさなくてはならないとは…。
そっと溜め息を漏らす。
〈…申し訳無い…〉
だが、是非も無いのだ。松平の…三河武士達の為を思えばこそ、義元には逆らえない。
「元康!」
「はっっ!」
急に声を掛けられ、ビクリとした。
「その方、二千五百で丸根砦を落とせ! 落ちたらすぐに大高城に入り守備に当たるのじゃ。…三河武士の面目に掛けても、遅れを取るでないぞ」
「…ははっ!!」
深く頭を下げながらも、元康は眉をひそめる。
〈これで信長どのも…もはや………〉
「殿は何をしておられるのだっ?!」
清洲の評定で、柴田勝家(四十歳)が叫ぶ。
評定にも関わらず、主君の信長がいないのである。
五月に入ってから信長は丹羽長秀(二十六歳)や佐々成政(二十三歳)、池田恒興(二十三歳)でさえも遠ざけているのだ。
苛々しながら、金森五郎八長近(三十七歳)が言う。
「橋介! 殿はどうなされた!!」
「翔隆どのと、いずこかへ…」
長谷川橋介が答えると、重臣達は歯がみした。次いで林佐渡守が焦心して言う。
「十日には義元の軍勢が出立しているのだぞ! なのに何も下知なさらぬとは何事かっ!!」
「殿には殿のお考えがござろう」
森三左衛門可成(三十八歳)が佐渡守に言った。すると、大声で怒鳴り返してきた。
「三左衛門は事の重要さが分かっておるのかっ?! 今や義元の本隊が岡崎にいるのだぞっ! あと三日と経たずして国境に攻めてくるのだっっ!!」
「籠城と決めるか、討って出る勝機を窺っておられるか…どちらにせよ、それに従うが家臣の忠というものでござろう」
やけに冷静な可成の言葉に、一同は唸っていた。
何の音沙汰も無いまま、ついに義元が十八日、織田領内の沓掛に着陣した…。
信長は、軍評定の間で寝そべって鼻をほじっていた。
「籠城か! 討って出るか! 早うご決断を!」
「ここは籠城に決まっておる!」
「いいや! 討って出るべきだ!」
先程から、キーキーと皆が喚き立てている。
と、その時どこからともなく翔隆が現れて一同はビクリとする。
翔隆は信長の側に行き、小声で何かを話している…。
その何かの報告を聞いて、信長はニヤニヤしていた。それを見て、怒りが頂点に達した勝家が怒鳴るように言う。
「殿っ!!」
「何だ権六…」
「もう…もう、すぐそこまで敵が攻めてきておるのですぞっ!!」
「うむ。丸根と鷲津が危ういな。だから何じゃ」
「だっ……」
言葉を無くす柴田勝家に対してあくびをすると、信長は立ち上がる。
「わしは寝る! 皆も休め。翔隆」
「はっ」
言われて翔隆はさながら小姓の如く、信長と共に行ってしまった…。
一同は、それを見送る事しか出来なかった…。
もはやまな板の鯉だ…。誰かが呟いた。
寝所に入ると、信長は床にうつ伏せになって、翔隆に腰を揉ませた。
翔隆の他には、誰一人として控えていない。
無論、小姓もだ。翔隆は、信長の腰や背を揉みながら喋る。
「先程も申し上げましたが、義元の本隊は精鋭…狭霧の手練れもおりますが、こちらは手を打ってあります。しかし、義元とて東海一の弓取り…もしもお望みとあらば、私が単独で…」
「いらん! もっと力を入れよ!」
言われて翔隆は、微かに苦笑して黙る。
「何故、お前はいつもお節介ばかりする! …道三の時も…又左の折も!!」
「…利家なれば、元気にしておりますよ。戦があるのを、今か今かと……。この度の事も、内々に告げておきましたから、馳せ参じるでしょう」
「何ッ!」
信長は目を吊り上げてガバッと起き上がり、いきなり翔隆の頬を手の甲ではたき、その顎を掴んで顔を寄せた。
「…余計な真似ばかりしおって…」
そう言いつつも、愛しげに翔隆を見つめた。
〈何をしたとて安心出来る…不思議な奴よ…〉
そう思い、信長は激しく口付けた。
そして有無をも言わさずに、貪るかのように抱き始める。
「…っ…!」
何か言おうとしても、言葉にならない…。
翌十九日の丑の一刻(午前二時)、庭から声がした。
「翔隆様」
「! 生島か!」
翔隆は、きちんと着物を着て障子を開ける。
「…治部大輔義元、十九日には中島砦に向かうとの由」
それを聞き、翔隆は信長を返り見る。信長は、不敵に笑って立ち上がった。
「…よし! 藤吉! 五郎! 勝三郎!」
皆寝入っているであろう時刻だというのに、信長は叫んだ。
誰も答えまい…そう思っていた矢先、木下藤吉郎が馬を引いて走ってきた。
次いで法螺貝が鳴り響く。
そして池田勝三郎恒興が兜を、長谷川橋介と毛利新介が鎧を、岩室が具足、丹羽五郎左衛門長秀が脇差と太刀を持ってやってくる。
その中で、侍女頭の帰蝶が明かりを灯していき、正室の吉乃、側室の奈々と小雪がそれぞれに神酒と勝栗、膳を手に駆けてきたのだ。
この、見事というより外ならない戦支度に、信長は舌打ちしてニヤリと笑う。
「さては教えたな?!」
「御意」
翔隆が微笑んで答えると、信長は大声で笑った。
「ハハハハハハ! 知っていて他言せぬか! よしッ! 酒!」
「あい」
答えて吉乃が土器の盃を渡して神酒を注ぐ。それを一気に飲み干し、信長は三方(膳)の角でそれを割り、奈々が捧げる勝栗を食べ、湯漬けを四・五杯掻っ込む。
そして、可成が連れてきていた三人の子も見守る中、信長は〝敦盛〟を舞った。
人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を受け 滅せぬ者のあるべきか
「戦とはこうするものと、よく肝に銘じよ!!」
目を丸くする我が子らに叱り口調で言い、扇子を投げつけ太刀を掴んで居間を出た。
そしてすぐに馬に乗り、駆け出す―――これに従うは小姓五騎と藤吉郎と翔隆。
森可成や丹羽長秀らは、残った者達に行き先を知らせる為に走った。
「熱田神社へ、いざ続けぇい!!」
信長は、風よりも早く駆け抜ける。それに、翔隆がピタリとついて走った。
熱田神社は、父・織田信秀の代から関わっている所だ。
そこには、社家の加藤図書助と祐筆の武井夕菴が指示通りに待機している筈だ。
途中、ちらりと後ろを見るが小姓の長谷川橋介、岩室長門守、佐脇藤八、山口飛騨守、賀藤弥三郎の五騎の他に何騎、何人かが見えた。
〈どれくらいになる!〉
突然、信長が心で翔隆に語り掛けた。
どのくらい…。
⦅着く頃には、二百から三百にはなりましょう⦆
兵士の数だと思って答えると、信長はニヤリとした。
神社に着くと、集まった兵士の数を数えさせる。
「二百五十三人にござりまする」
小姓の佐脇が言うと、信長は頷く。
そこで、兵士達にとっては不思議な光景が映った…。
信長が鏑矢を携えて、右に兜持ちの毛利新介と、左に弓持ちの長谷川橋介、後ろに願文を持った夕菴を従えると加藤の〝お祓い〟を受ける。
そして夕菴から願文を受け取り、それを読み上げると中殿に進み、加藤の出す三方に鏑矢と願文を乗せ、パンパンと柏手を高々と打ち鳴らしたのだ。
これには誰もが驚いて目を丸くする。
何しろ自分の父の葬儀でさえも、手を合わせなかった主君なのだから…。
(困った時の神頼みだぎゃ…)
(殿さまも死ぬ覚悟でねゃあか?)
口々に言った時、中からゴトリと音がして、一羽の白鷺が飛び立っていった。
「おお! 神の御使いだで!」
「我らにお味方して下さったんだも!」
これを見て、後から集まった兵士も含めて士気を高めた。
無論、これも信長の配慮。
兵の不安を掻き消し信心深い者達に希望を与える為に、あらかじめ仕組んだ事だ。
信長はクルリと振り向き、ニヤリとした。
「中から金鎧の音がした! 熱田の武神は、我が勝利を約束して下さったのだ!」
「おーっ!」
「おーっ!」
一気に士気の高まった兵士達と共に、進軍する。
「とんびッ!」
いきなり信長が言う。側について走る翔隆は、驚いて信長を見た。
〈……私の事だろうか……?〉
考えていると、また言われた。
「トンビッ!」
「は、はいっ?!」
返事をすると、信長は前を見据えたまま心で語る。
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これを見て、信長は中島砦に移る事にする。
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「どうかお留まりをっ!」
重臣達が口々に言うが、それらを振り切って湿地帯の低地にある中島砦に進撃した。
中島砦に着くと二千に足りぬ人数の中、信長は檄を飛ばす。
「良いか! 奴らは砦への攻撃と大高への兵糧入れによって疲れきっておる。こなたらは、今来たばかりの精鋭じゃ! 恐れず掛かれッ!」
「おーっ!」
士気を高め、馬を休めて腰を据えていたその時!
信長の前に、髪を振り乱した前田利家(二十三歳)が首を手に駆けてきたのだ。
「又左衛門にござりまする!」
利家が言うと信長は溜め息を吐いて利家を見る。
…許しを請うには首を挙げるのが一番ではあるが、この戦はそれどころではない。
「…ここでは、とにかく勝つ事だけに励め」
そう言った所に、毛利長秀、毛利十郎、木下嘉俊なども首を挙げて駆けてきた。
信長は、また溜め息を吐いて同じように言う。
他にも首を挙げてきたので、いちいち言い聞かせた。
戦で首を挙げるのが一番の功だから、どうしてもそうなってしまうのだ。
それから信長は、全軍が集まるのを待って出発。
今川の前衛部隊と戦いながら進む。
「良いかッ! 首など取らずに討ち捨てよ! 討ったら進めえぇいッ!!」
信長は叫びながら先陣を切った。
途中で、梁田政綱が馬を走らせて来て叫ぶ。
「今川義元、桶狭間山にて布陣!」
義元の確実な居場所が判り、そちらに向かう。
中島砦と桶狭間までは、直線の位置にあり、湿地帯が続いている。
不慣れな今川軍を桶狭間まで一気に押し返していった。
その途中に、見知らぬ十一名の者が立ち塞がった。
「ここから先には行かせぬ」
そう言ったのは、陽炎(三十六歳)、他に霧風(二十九歳)もいる。
翔隆はすぐ様、指笛を鳴らす。
すると、ずっと共に来ていた睦月(三十歳)と、明智四郎衛門光征(十五歳)、初陣の禾巳(十歳)、それに高信(二十六歳)率いる一族十名が現れ、横から陽炎達に斬り掛かっていった。
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何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
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