鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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五章 流浪

十八.恩人

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  翌日。翔隆は目隠しの包帯を忘れて宿を出て歩いていた。
 すると、前方に見覚えのあるかみしも姿の男がいたのだ。
「み………っ!」
やつれてはいるが、間違いなく明智光秀だ!
翔隆は急いで、去っていく光秀を追い掛けた。
「光秀殿!」 
そう叫ぶと、光秀は振り向いて驚愕する。
「……もしや…翔隆、か?!」
「はい! 光秀殿……よく無事で………会えて良かった…!」
涙ぐみながらそう言い、翔隆は光秀の手を握った。
「置いていかないで下さい!」
後から馬を歩かせて、樟美が来た。
「ああ…済まぬ……つい」
「…今は出仕中なので、後で話しても良いか?」
「あ、はい」
光秀は苦笑して、歩き出す。そして、己が住んでいる長屋の一室に案内してくれた。
煕子ひろこ、客だ」
「はい今…」
「私はまだ仕事がある故、もてなしを頼む」
「はい」
その返事に微笑して頷くと、光秀は翔隆達の方に向き直る。
「済まないが…」
「こちらこそ、済まぬ…」
互いに一礼し、光秀は行ってしまう。すると妻木氏の娘であり、光秀の妻である煕子が側に来る。
「どうぞ中にお入り下さい。何もありませんが…」
「…申し訳ない。私は篠蔦三郎兵衛翔隆、この子らはせがれの樟美と娘の浅葱です」
「まあ、お話しは伺っております。さ、どうぞ」
中に入ると、四人の女童めのわらわ達がいて物珍しそうにこちらを見ていた。
 …大変そうな暮らしだというのが窺える…。
そこで、何の手土産も持参していない事に気付く。
煕子ひろこ殿、申し訳ないが、しばしこの子達をお願い至しまする!」
「? はい…」
翔隆はぺこりとおじぎをして、慌てて出て行った。
 暫くして戻ってきた翔隆は、沢山の荷を持っていた。
「翔隆さま…」
「こ、これを、手土産替わりに………」
そう言って酒や野菜、反物などを置いた。
酒は自分達で呑んで無くなるとしても、反物は光秀とその家族の為だ。
煕子ひろこは涙ぐみながら、板間で深く平伏した。
「…お気遣い、ありがとう、存じまする…!」
「いえ。…こんな事しか出来ずに、申し訳ない」
翔隆も、深く一礼する。と、そこに子供達がやってきて反物を見た。
「きれいな朱色!」
「青も黄色もあるわよ」
「これたえねい、失礼ですよ」
「どうか、使って下され」
「……はい」
それに微笑で応え、翔隆は影疾かげときに積んである荷物を土間に置かせて貰った。

 夕刻、陽が暮れなずむ頃になると、浅葱はもう馴染んでお喋りして遊んでいる。
「こうして結ってみたら?」
妙(七歳)が浅葱の髪を梳かして、結っている。
「ありがとう」
「これで遊ぶ?」
ねいが小石を持って来る。
石名いしな取玉とりだま(お手玉)だ。
「こうするの」
そう言い、ねいが上手に三つの石を投げて取っていく。
それを浅葱は不思議そうに見てから、翔隆の方に駆け寄る。
「ととさま! 何あれ! やってみて!」
突然言われて、翔隆は飲んでいた茶を喉に詰まらせた。
「ゲホッゲホッ……」
「まあ、大丈夫ですか?」
夕餉の支度をしていた煕子ひろこが心配そうに言う。
「だ、大丈夫です。……浅葱、私もやった事は無いから…教えてもらいなさい」
「ととさまもやって~」
いきなり駄々をこね始めて困っていると、樟美が佞に近寄っていった。
「それは、どうやるといいのだ?」
「これはね…」
無邪気にねいが教えると、浅葱が慌てて見にいく。
〈…助かった……〉
翔隆は心中で思い、遠い昔を思い出す。
集落の中でも女子おなごは母と姉がいたが、そんな遊びは見た事が無い。
いつも薬草の事や、怪我や病の時の対処法などを教わっている姿しか見た事がないのだ。
〈遊びといえば…木登り……いや、あれも生きていく為の術……〉
考えていると、三歳のそのがやってきた。
「ん?」
翔隆が微笑み掛けても、苑はじいーっと見つめている…。
〈何だろう………困ったな…〉
じっと見つめ合っている所に、光秀が帰ってきた。
「お帰りなさい!」
子供達が一斉に出迎える。
「ただいま。…翔隆、済まなかったな」
「いえ」
微笑んで言うと、光秀は子供達の頭を撫でて翔隆の前に座る。
「…気を遣わせてしまったようだな」
光秀は反物や野菜などを見て、苦笑する。
翔隆は首を横に振って、笑う。
「牢人の折りに、世話になったのに何もしていませんでした。…その些細なお詫びです」
「…義理堅いな」
「いえ……。大変、そうだな…」
翔隆が呟くように言うと、光秀は苦笑した。
「お主こそ…そんななりで、こんな所をうろついているとは…また、大変な事になったようだな」
既に事情を察したようだ。
「ん……色々と………。そうだ、落城の際に行けなくて、済まぬ…」
「それは良いのだ。…桜弥おうやは、息災か?」
「とても元気だ。腕も才覚も申し分なく、良く働いてくれている。…元服させ、信長様に四郎衛門しろうえもん光征みつまさと名を戴いたのだ」
「ほう、それは幸せな事だな」
頷いて、翔隆は真顔になる。
「今……足利にいるのか?」
「いや。細川兵部大輔ひょうぶだいゆうどのの下で、中間ちゅうげんをしておる」
中間とは、足軽と小間使いの中間の仕事の事である。
「中間………光秀が?」
「はは………再建にはまだまだ程遠いな」
そう言って光秀は笑うが、翔隆は悲しげに眉を寄せる。
光秀程才覚のある男が中間などと……信じられない。
しかしお家再興の為には、したくもない奉公でもしなくてはならないのが現実…。
翔隆は、ふいに己のしでかした大罪を思い出して話し始める。
「私も……堺で…仕事をしました……」
「ん? 奉公か?」
「…将軍の……義輝様の名を語って、三好の…」
そこまで聞いて、光秀は蒼冷めて翔隆の口を塞ぐ。
「翔隆…むやみと言う事ではない…」
「しかし…」
「ここは密室ではないのだ」
こんな筒抜けの場所でそんな重大な事を漏らし、万が一にでも誰かの耳に入ったら、それこそ一大事となるからである。
「……お主が気に病む事ではない。奉公とは、そういったものだ。お主のせいではない」
「だが……そのせいで万が一にも………」
「翔隆」
余りに落ち込む翔隆を見て、光秀はその両肩に手を置いて話す。
「そんな噂は聞かぬ。故に、誰も知らぬ事なのであろう……大事ない」
「そうだといいのだが………どうすればいいか………」
「取り越し苦労だ。な?」
宥められて、翔隆はただコクリと頷く。
互いに苦しい立場にあるからこそ、解り合えるのだ。
「余り、長居せぬ方が良いのではないのか?」
「ああ……一族ですか。心配無用ですよ」
「しかし…お主の事が知れれば危ういのでは…」
「大丈夫です。奴らは町中で襲ってくるような事はありません。町を出れば来るやもしれませんが…」
明るくそう言っても、光秀は心配そうに翔隆を見つめている。
そこへ、煕子ひろこが酒と食事を持ってきた。
いつの間にか、夜になっていた…。
「そんなに恐い顔をなさらないで下さいまし。翔隆さまも困ります。この人はすぐに暗くなられるのですから、明るくして下さりませんと」
煕子は笑って言って、子供達にも食事を運ぶ。
…この女性にょしょうは光秀の性質たちを良く把握して、しっかりと支えているように見受けられる。
「しっかりした奥方だな」
「私には、もったいないくらいだ。お主の方は、どうなのだ?」
「……先に、逝ってしまいました…。三人目の子を残して…」
「そうか………済まん」
何やら、互いに話す事は暗い事ばかり…。
二人共、暫く黙って食事を取っていた。
そんな中で、妙と浅葱の会話が耳に入ってくる。
「ほら、このかんざしあげるわ」
「きれい…どうするの?」
「こうして髪に挿すの」
漆塗りの簪を、浅葱の髪に挿してやる。
と、浅葱は戸惑って煕子ひろこを見た。
「あの…高いんでしょ? 妙ちゃんの宝物じゃ…」
「いいのよ、ねえ妙?」
「うん」
妙が笑って答えると、浅葱は笑顔で頷いた。
「ありがとう!」
そんな会話に心が和み、翔隆と光秀は他愛のない話をしながら、酒を酌み交わした。

 翌日、翔隆達は伊賀に向けて出発した。
「…とても良いお方でしたわね」
「うむ」
見送って家に入り、光秀と煕子はギョッとする。
子供達が銀塊や銭を沢山抱えていたからだ。
「た、妙! それはどうした?!」
「お野菜の後ろにあったの。これなぁに?」
それを聞き、二人は顔を見合わせて慌てて外に出るが、もう翔隆の姿はなかった…。
「お前さま…申し訳ありませんわ…」
「……そういう、男だ…」
翔隆がこっそり置いていったのは間違いない。が……せめて礼を言いたかった…。
〈かたじけない。達者でな…〉
光秀は心中で礼を言い、深く頭を下げた……。
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