鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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六章 決別

三十三.勘気

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  それから二日後の昼下がり。

 尾張の小牧山城に、一人の来客があった。
黒い馬に跨がった、凜々しい直垂ひたたれ姿の少年が門番の前に降り立つ。
「樟美が、大殿様に拝謁を求めに参った、とお伝え頂けまいか?」
「…くすみ、ね。はいはい」
誰か家臣の子だろうと思い、門番は中へ入っていく。

  暫くすると、一人の少年がやってきて樟美の側に寄る。
「拙者、堀久太郎と申す近侍にござる。…そなた、くすみと申したが、もしや…」
「篠蔦翔隆が一子、樟美と申しまする。大殿様に謁見させて頂きたい」
「…翔隆どのの御子として、ですかな?」
「はい」
一瞬、二人は見つめ合ったまま止まる。
小姓の間でも、〝翔隆〟の名は禁句な程なのだ。
その子供が会いに来たともなれば、どれ程怒るか……。
だが目の前の童は、堂々と拝謁に来た。
その眼に、決意の光を宿して…。
堀久太郎(十四歳)は、こくりと頷く。
「分かり申した。しばし待たれよ」
そう言い、中に入っていく。
 そして一刻程待つと、別の少年がやってきた。
「それがし、信長が小姓の森傅兵衛ふのひょうえ可隆よしたかと申す。大殿さまは本丸にてお会いになると仰せ。こちらに…」
森可成の長男である可隆(十三歳)の案内で、樟美は馬の轡を取って歩く。
 歩きながらふと、樟美は義母の篠姫との別れを思い出す。
〈そういえば、義妹いもうとの冬音はどうしているのか…。確か、大殿様が育てると言っていた……。今は四つになる筈…〉
浅葱のように快活に育っているのか、それとも大人しい女童になっているだろうか?

  そんな事を考えていると、本丸の玄関に着いた。
樟美は何か言われる前に、馬に乗せてある籠の中から一尺余りの木箱を取り出すと、愛馬〝影疾かげとき〟を兵士に預けた。
「参りましょう」
「う、うむ…」
幼い割にしっかりした樟美に少々気圧されながらも、可隆は戸惑いながらも中に入っていく。

 本丸の広間には、信長と先程の堀久太郎、それに奇妙丸(十歳)と冬音(四歳)、丁度出仕していた丹羽五郎左衛門長秀(三十四歳)と疾風がいた。
樟美は堂々と座り、木箱を横に置くと深々と一礼する。
「お久しゅうございます」
「おう」
「この度は、一生一度のお願いに参りました」
そう言って樟美は直垂を脱ぐ。
中には白い小袖を着ていた。
白い袴の為、それはそのまま死に装束へと変わる。
「………」
長秀と疾風、小姓達が目を見張る中、信長は表情一つ変えずにいた。
樟美は動揺する事無く、冷静に一歩前に出て、木箱を差し出した。
「まずは、これを…」
それを見て、信長は顎をしゃくる。
すると、森可隆が一礼して進み、木箱を開けた。
 中には、今まで樟美が書いてきた各国の細かい絵図が百枚以上入っていた。
「これは…」
さすがに興味をそそられたか、信長は立ち上がってそれを手にしてまじまじと見つめる。
「旅をした折に、私が書きました。…この他に、別の木箱に各地の大名とそれに属する部将の名、気性…そして合戦をしていた所では、陣形や戦の取り方などを出来る限り詳しく記しておいてあります」
「…これは、の命か?」
信長が目を光らせて問うと、樟美は首を横に振る。
「いいえ、独断です。こんな事を知れば、父は激怒するでしょう。ですが、私はどうしても大殿様にお許し頂きたいのです!!」
「………」
信長は目を細めて底光りする眼で、樟美を睨み付けた。
対して樟美は怯えもせずたじろぎもせずに、信長の瞳をじっと見つめる。
誰もが、凍り付いたように動けなかった。
 信長は突然、樟美のもとどりを掴み、顔を上げさせる。
「……!!」
「分かっているのか、がどういう意味か」
「…はい……」
「奴は…――――奴は、一番信頼して手元に置いた家臣だ。それなのに、何も真を申さず、ずっと謀っておったのだ!!」
そう怒鳴る信長の手に、力が込められる。
「嘘や偽りは、大嫌いじゃ!! そうであろうがッ!?」
その言葉に怖じ気付くも、樟美は必死に取り繕って喋る。
「私、がお話しします、知り得る限り! 嘘は申しませぬ!」
「―――真だな?」
「はい」
「庇い立てせぬなッ!?」
「はい!」
涙目で答える樟美を見ると、信長は手を離して元の位置に戻って座る。
そして、闘気すら纏って言う。
「では申せ」
「はっ…」
樟美は震えながら平伏し、話し始める。
「…武田には月三度、出仕しておりました。信玄公は、織田に仕えているのを承知で仕えさせているようです。…上杉は…五年前に、家臣の矢月一成の命と引き替えに仕えた、と…」
その言葉に、信長はピクリと反応する。
「命、とな?」
「はい。その頃、離反していて…上杉に捕らえられていた所を…」
「そうか」
それを聞いて、信長の表情が少し和らぐ。
「それから…」
「まだあるかッ!?」
「はい…」
樟美は気まずそうに言う。
「九州の…薩摩の島津にも。〝それだけ仕えているなら、仕えられるだろう〟と…。それから北条氏政公にも。知り合いが居たようで、会いに行ったのですが怪しまれて一月程、牢に入れられていました。その間、酷い拷問を受けていたようで…」
「…あの時の傷はそれか」
信長が呟くように言う。
「それから、家康公と共に今川家に人質となっていた氏規公の客分として扱われていましたが…そこでも、同じように…。でもっ! これだけは!」
「なんじゃッ!」
「全ては父上の馬鹿正直な行いが原因ですが、大殿だけです!! 何処と戦になっても! 最後に従うのは大殿なんです!! それにっ」
「良い」
「え……」
「おみゃあの言い分は分かった。そこまで裏切られて、許す奴はいみゃあよ」
「大殿…!」
「代わりに、おみゃあが仕えるか?」
信長は冷酷な笑みを浮かべて言った。
それを見た長秀には、信長が更に激怒したと悟る。
「クク……そうだな…。奴が稲葉山城でも一人で落とせば、許してやってもいい」
「………」
その言葉でさすがに樟美もそれを感じ取り、俯いてしまう。
すると信長は、パラパラと絵図に目を通す。
「これは役に立つな。…大儀であった、褒美は何が良い?」
ころっと表情を変えて言う。
もはや翔隆の話は微塵も聞きたくないという態度だ。
〈…父上の馬鹿………島津と北条に仕えなかったら収まったかもしれないのに!!〉
樟美は泣きたいのを堪えて顔を上げ、強笑する。
「そう、ですね……何がいいか、考えていませんでした」
「では、今考えろ」
信長は微笑して言った。そんな樟美を見て、長秀は愁いを覚える。
〈こんな幼子が、死を覚悟してまで来たというのに……〉
 今までも、怒りを買うのを承知で自分も含めて柴田勝家・森可成・前田利家・佐々成政・池田恒興達と共に、翔隆の件に関して勘気を解いて貰えないかと話をしてきた。
しかし、一向に聞き入れては貰えなかったのだ…。
童の言う事など聞きはしないだろう。
このままでは本当に、一生追放かもしれない。
〈翔隆がもし敵に回りでもしたら?〉
折角信長に忠誠を誓い、他家を敵に回してもいいと言っているというのに…逆に見限られでもしたら…?
〈あ奴は〝鬼〟だ……これまでも色々と活躍してきた。あ奴一人で千や二千…いや、万の兵士を倒せるやもしれん。…考えたくは無いが…〉
考えるとぞっとした。



  その後、やっと話も終えて冬音ふゆねがやってきて樟美に近寄る。
「……兄上…?」
「うむ」
「兄って、冬音の兄?」
「ん…久しいな、冬音。初めて見た時はしわくちゃの顔だったのに、いつの間にか可愛くなって…」
「むうっ! しわくちゃじゃない!」
途端に冬音は怒り出す。
「冬音は大きくなったらりっぱなになるんだ! しわくちゃじゃない!!」
「冬音、その言葉遣い…。それに、それを言うならもののふ、だろう?」
樟美が吹き出して言うと、冬音が飛び掛かってきた。
「バカ!!」
「うわっ!?」
二人はそのまま倒れて、ゴロゴロと転がった。それを見ていた信長が楽しげに笑う。
「冬音…大殿の前で…」
「だって!」
冬音は機嫌を損ねて、ぷうっと頬を膨らませた。
それを見兼ねて奇妙丸が立ち上がって冬音に近付き、手を差し伸べる。
「冬音、剣術でもしよう」
「うん!」
喜んで冬音は奇妙丸の手を引っ張って駆けていった。
その後を疾風が一礼してから、慌てて追い掛けた。
それを見送り正座すると、樟美は一礼する。
「では私も失礼します」
「ん。五郎、送ってやれ」
「はっ」
答えて長秀は樟美と共に広間を後にする。


  外に出た樟美は俯いていた。
それを見て、長秀は悲哀に思い呟くように言う。
「…必ず、許して下さいますよ」
「丹羽様…」
樟美は眉をひそめながらも顔を上げて、見つめる。長秀はにこりと笑った。
「大丈夫。翔隆は――――どうしてます?」
「あ…元気です。よく落ち込んだり悔やんだりしてますが…大殿様に許されようとしているのは、よく分かります」
「そう、か…」
幼いながらによく父を観察しているものだ、と感心しながらも苦笑した。
「あ奴は、考え込むと自害まで行きそうだからな。こんなにしっかりとした嫡男・・がおれば、力強いであろう」
褒めたつもりなのだが、それは樟美にとってグサリと胸に刺さる言葉であった。
 正室の子ではなくとも、樟美が跡取り…普通ならばそうなるだろう。
しかし、〔不知火〕の嫡子の証は、髪と目の色……。
そんな事を長秀が知る筈も無い。
樟美は出来るだけ笑み顔を作った。
「そう、ですかね」
「謙遜だな」
長秀は微笑して樟美の肩を叩いた。
子供なりの配慮には気付いたものの、何がいけなかったのかが分からない。
そして、謝るのも失礼な気がしたのだ。


 本丸を出て馬番が〝影疾〟を持ってくると、長秀は樟美の両脇を抱えて乗せてやった。
「丹羽様っ…一人でも……」
「知っておる。しかし戻るのなら早い方が良かろう。翔隆は心配性だ」
「……」
長秀は〝影疾〟の轡を取って、歩く。
「あの…」
戸惑って言うが、長秀は前を向いたまま。
「翔隆は、本当にあちらこちらに旅をしているのだな」
「あ、はい」
「北は、山ばかりであったろう」
「はい。故に、雪が深くなるので断念し、南へ…」
「そうか…」
話している内に、城の外に出た。
「では、翔隆に一つ。近い内に会おう、とお伝えあれ」
「…はい、承知しました。では、お達者で…」
樟美は馬上で深々と頭を下げてから、馬を走らせた。
それを見送りながら、長秀は物寂しさを感じた。
〈……翔隆…お主が居なくなって三年も経つ……姿くらい見せぬか…っ〉
それは、愚痴にも似た思い。
だが、誰もがそう思っていた……。
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