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第一章 異端
1 地下迷宮
しおりを挟む入り口にある朽ち欠けた赤い門は、まるで冥界への入り口のようだった。
送られてきた地図を頼りに地下階段を降りた羅深思は、懐中電灯の明かりを向けた先にあったものを見て思わず声を上げそうになる。
広い空間にひしめくように並べられた大小様々な仏像の数々。それらは一様に入り口へと向けられていて、予期せぬ来訪者を見据えているかのようだった。
元は土産屋だったのか。それとも、かつてここに住んでいた人たちが縁にしていたものだろうか。拝む人に巡り会えなかった仏像たちの群れはどこか寂しげだ。
地図を改めて見ながら、羅深思は愚痴っぽく呟いた。
「本当にここで合ってんのか? 迎えの一つくらい寄越してもいいだろうに……」
闇に包まれた静かな空間に、自分へと向けられるいくつもの視線。仏像たちはただの置物で、見られているわけではないと分かっていても居心地は悪い。
気味の悪い光景に身震いしていると、不意に目が眩むほど強い光が彼を照らした。
「あなたが羅深思ですか?」
声の主は軍服を着た若い青年士官だった。
「そうです。良かった、やっと生きてる人に会えた」
場を和ませるための冗談にも、青年はくすりともしない。彼の態度はどこかよそよそしく、事務的な口調で話し始めた。
「こちらの事情で送迎ができず、申し訳ありません」
「いえ、大変ですよね。こんな場所にセンチネルの訓練所があるんですから」
淡々とした様子の青年に、羅深思は人懐っこい笑みを返した。
突如として現れた超能力に目覚めた人々──センチネルと呼ばれる者たちの力は、念能力から炎を操るものまで多種多様で、一般人から危険視されている。施設の秘匿は当然だ。
青年の案内に従い、羅深思は奥の階段から更に下へと降りることになった。
薄闇に包まれた細く長い道に、二人分の足音がこだまする。懐中電灯の細い光はどこまでも真っ直ぐに伸び、くすんだ白い壁と埃臭い空気を照らしていた。
馬の尾のように結んだ長い髪を揺らしながら、羅深思は前を行く迷彩服の若い青年士官に聞こえないようにため息を吐く。
もう十分は歩いているだろうか。肩にかけた鞄の中身は決して多くはないが、狭い通路を長い間歩き続けているせいで水を吸ったようにずっしりと重く感じる。道中これといった会話もなかったため、退屈すぎて頭がぼんやりしてきた。
北京地下城──旧ソ連との関係悪化により作られたこの巨大な地下防空壕は、地元の人間すらその存在をよく知らない。もう何十年も人の立ち入りすらない場所だ。
そんないかにも秘密結社が根城を構えていそうな心踊る場所にも拘わらず、どこを見ても荒れた壁と細い通路ばかり。無菌室のような上海の研究施設からやっと解放されたと思ったのに、これでは元の場所の方がマシだった。
「この先に、本当に施設があるんですか?」
壁と壁の距離が極めて近い閉塞的な空間で息が詰まりそうになりながら、羅深思は若い士官に尋ねる。
彼の足取りには迷いがない。しかし、羅深思の方はあまりにもあちこち曲がったため、少し前にどこを通ったかすら分からない有様だ。こんな所で迷子になったら、一生地上に出られないのではとゾッとする。
「後もう少しの辛抱ですよ」
よそよそしく答えた若い士官は、慣れているのか淀みない足取りで進んで行く。どこかからポタポタと水音のする小さな坑道のような道はしかし、彼の言葉に反して永遠に終わりがなく思えた。
どうやら、この士官はお喋りが嫌いらしい。季節が夏なせいか、じっとりと湿った空気の漂う空間には、ただ足音だけが響く。
早くも帰りたくなってきていた羅深思の耳に、あの……と控え目な声が聞こえてくる。薄汚れた壁を見ていた視線を前に戻すと、若い士官がどこか不安そうに眉を下げてこちらを見ていた。
「どうしました?」
「本当に……あなたは、その……」
口ごもる士官の表情には僅かに緊張の色が滲んでいた。彼の言わんとすることを察して、羅深思は苦笑いを浮かべながら片手をそっと差し出す。
「能力の無効化ですか? 触れると発動しますよ。試してみます?」
「あ、いえ。私は異能持ちではないので……」
長い沈黙の理由はこれか、と羅深思はやっと合点がいった。
センチネルが初めてこの中国で発見されてからはもう五年になるが、普通とは異なる彼らは未だに忌避の目で見られている。一般人の士官が緊張のあまり口数が少なくなるのは当然だろう。
「心配ありませんよ。俺は他の連中みたいな力は一切使えないし、暴走しない体質なんで」
彼の無効化能力は、相手の力を自分のものとして取り込むのだ。センチネルの暴走は外へ向かうはずのエネルギーが逆流することで起きる。真逆の能力は逆流のしようがないので、暴走の心配もない。
安心させようと笑みを向けるも、返ってきたのはぎこちない愛想笑いだった。
センチネルの持つ力は千差万別だが、羅深思はその中でも異端な存在で、攻撃手段を持たない『センチネルの力を無効化できるセンチネル』だ。
それっきり、二人の間には再び気まずい沈黙が降りる。
どれくらい歩いただろうか。若い士官がふと足を止める。そこには、なんの変哲もない赤煉瓦の壁が行く手を阻むように立ち塞がっていた。
「管理室、例の方を連れて来ました」
青年士官がまるで誰かに聞かれまいとするように無線で呼びかけると、グラグラと地響きが起こり、土埃を上げながら目の前の壁がゆっくりと下がり始める。
壁の向こうに何があるのか見ようとした羅深思は、隙間から漏れ出た光のあまりの眩しさに目が眩み、顔の前で手をかざした。しばらく揺れる地面に耐えていると、頭上から機械を通した男の声が響く。
「羅深思、センチネル対策チームへようこそ」
なんの抑揚もない無機質なその声の主は、果たして本当に歓迎しているのだろうか。
まだ慣れない目で前を見ると、そこには真新しい白い壁に囲まれた広い空間が現れていた。
老朽化により閉鎖と言われていたが、表向きの理由だったのだろう。この地下施設は急速に増加した異能持ちによる事件に対抗する、若き能力者たちを育てる訓練施設だと聞かされていた。
しかし、センチネルと呼ばれる者たちが世間を騒がせるようになってからはまだ五年しか経っていない。そんな短期間でここまで設備を整えられるだろうか。
妙なきな臭さを感じて考え込む羅深思に、士官が控え目に声をかけた。
「私の案内はここまでです。あとは施設長に引き継がせていただきますね」
「えっ? 施設長直々にですか?」
てっきり彼が案内をしてくれると思っていた羅深思は、驚きに目を見開いた。
いくら希少な能力を持つとはいえ、施設長がわざわざ出向いてくるとは。
「私は持ち場に戻らなければなりませんので……あっ、施設長が来られましたよ」
彼の持ち場はどこなのだろうと考える暇もなく、コツコツとゆったりした靴音が響く。
純白の壁に囲まれた広い通路に現れたのは、眼鏡をかけた細面の男性だった。
白衣を身にまとったその男は、センチネルの訓練施設の責任者にしては若く、軍人の匂いのしない男だった。彼はどこか狐を思わせる目を細め、柔和に微笑んだ。
「お待ちしていました。私が施設長の王永雄です。長旅でお疲れでしょうが、すぐに仕事に取りかかっていただいてもよろしいですか?」
今日はセンチネル訓練生にガイドの大切さを学ぶ授業をする予定だったが、調律も一緒にしてほしいと依頼されていた。
「大丈夫です。むしろ、俺としてはそっちの方が楽ですから」
腰の低い施設長に、羅深思は笑って返す。だが、内心ではそんなに深刻なのか?と不安がよぎる。
彼のセンチネルの力を吸収する能力は一見何の役にも立たないように見えるが、心身共に不安定になりがちなセンチネルの調子を整えるガイドの『調律』と同じ役割を果たせるという特性を持っていた。
それも、ただ吸収するだけではない。吸収した力は自身やガイドの疲労回復に使えるのだ。そのため、ある意味『ガイドのためのガイド』にもなり得る。
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