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第一章 異端
4 不信
しおりを挟む後ろめたいことがあるのだろう。先ほどまで食って掛からんばかりの勢いを見せていた宋堅は途端に大人しくなり、「それは……」と口ごもる。そしてサッと目を逸らすと、まるで喉を詰まらせたかのように顔を歪め、俯いてしまった。
周りではまだ暴走事故の後始末が続いていて、忙しない足音や話し声が聞こえてくる。しかし、ガラスの壁には防音の効果もあるのか、会話をするのに問題はなさそうだ。
羅深思は肩を掴む彼の手をそっと払い、なるべく責める口調にならないように気を付けながら尋ねた。
「何があったか話してくれるか?」
彼の予想が当たっていれば、この事故は故意に起こされたものではない。
すると、優しい声に勇気をもらったのか、宋堅は焦りを滲ませながら口を開いた。
「俺……あ、あいつがいつまでも動かないから! それでっ」
しかし、話している途中で彼はハッとする。ガラスの壁越しに、たくさんの好奇の目が自分に注がれていることに気が付いたのだ。
白衣や軍服を着た彼らは施設の職員たちで、大勢に見つめられた宋堅はすっかり萎縮してしまう。青ざめた顔で口をパクパクさせるも、上手く言葉が出てこないようだ。
「よし、少し場所を変えようか。頭を打っているかもしれないし、ひとまず医務室へ行こう」
冷静に話をしたいなら、人目を避けた方がいい。そう判断した羅深思は、緊張して落ち着きをなくした彼を気遣い、今すぐには事件の詳細に触れないことにした。
「施設長、案内をお願いできますか? それから、事故当時の映像を見られると助かるのですが」
訓練や研究のため、こういった施設には監視カメラが付きものだ。思った通り、王永雄は頷いた。
「再生できるパソコンを医務室まで持ってこさせましょう」
彼の先導で、三人は列になって歩き出した。職員たちは部屋から出てきた彼らをじろじろ見て、事情を聞きたくて堪らない様子だったが、施設長が一緒ということもあり引き止める者はいない。
最後尾を歩いていた羅深思は、廊下に出て辺りに人がいなくなったのを見計らい、足を速めて宋堅の隣に並んだ。
「新任ガイドの羅深思だ。宜しく!」
朗らかな笑みを向けると、宋堅はまだ緊張しているのか、ぎこちなく挨拶を返した。好奇の視線がなくなったからか、その表情は僅かに和らいでいる。
しかし、羅深思が声をかけたのはもちろん、ただ挨拶をするためではない。
これは施設でのセンチネルたちの様子を知るまたとない機会だ。特に事件の発端となった楊福安という青年については、妙に引っかかる点があった。
「君さ、楊福安について何か知ってる? 彼、普段はどんな感じ?」
尋ねると、宋堅は事件のことで叱られるのではと表情を曇らせながらも、戸惑いがちに口を開いた。
「楊福安? ええと……あいつ、誰とも話さないから。いつも一人だし……」
彼から楊福安は人との関わり自体を避けていると聞き、羅深思はやはりな、と思う。
初めて話した時の怯えた様子も、腕を掴んだ途端に増した激しい嵐のような力も、どれも彼が人との関わりを強く拒絶している何よりの証拠だ。もし彼の腕を掴んだのが本物のガイドだったら、恐らく無事では済まなかっただろう。
「それじゃあ、彼が力を使っているところを見たことは?」
続く質問に、緊張で顔を強張らせていた宋堅は考え込むように押し黙った。
「……そういえば、初めて見たかも。あんなに強い力を持ってるなんて、なんで黙ってたんだ?」
「あれだけ強い力を持っていたら、コントロールは難しいだろ? 彼自身も扱いきれてないんじゃないかな」
強すぎる力は得てして制御が難しいものだ。特に楊福安は、未だ類を見ないほど強力な力を持っている。彼だけ個別指導にしてもいいほどだ。
事情を理解した宋堅は、申し訳なさそうに眉をハの字に下げてしゅんとする。そこにはもう、先ほどまでの激しい怒りは見て取れなかった。
「俺、あいつに悪いことしちゃったな。やる気がないなら変われって怒鳴ったんだ。だからあんな……」
「後で謝っておいで。ただ、暴走の原因はそれだけとも限らないから、後で詳しく事情を聞いてもいい?」
分かった!と素直に頷いた彼に、羅深思は微笑んだ。ひとまず、当事者二人の間にあった遺恨は解消されそうだ。
しかし、話を聞くとますます不思議に思う。なぜ王永雄は問題がここまで膨れ上がる前に、なんの対策も取らなかったのだろう。
羅深思は話をしながら何度か彼の様子を窺っていたが、二人の話にはまるで興味がないのか、白衣の背中は一度も振り返りはしなかった。
厳重にロックされた扉を二回くぐり、三人はようやく医務室へと辿り着く。宋堅が検査を受けている間に、羅深思は職員に借りたパソコンで事故当初の映像を調べることにした。
センチネルたちの様子をよく観察できるように、カメラはいくつかに分かれていた。真上から訓練所全体を映したもの、入口側から奥へ向けられたもの。そして、ガラスの部屋の中を映したものだ。
中でも、部屋の様子を見られるカメラは正面から顔を見ることができ、画質も他よりかなり良い。はっきりと映し出された楊福安の顔を見て、羅深思は「やっぱり……」と呟いた。
「何がやっぱりなんですか?」
「わぁっ⁉︎」
急に耳元で聞こえた声に飛び上がると、王永雄がニコニコしながら隣に立っていた。映像に集中しすぎて、彼が真横に来ていたことに全く気付かなかった。
「脅かさないでくださいよ!」
ドキドキする胸をギュッと押さえながら、羅深思は音もなく忍び寄ってきた施設長に文句を言う。ただでさえ彼は怪しげな雰囲気なのに、まるで妖狐の化身みたいだ。
王永雄はドッキリが成功したとでも言うようにふふふ、と笑みを漏らし、改めて尋ねた。
「それで、どうしたんです?」
単に茶目っ気のある人なのか、それとも何か企んでいるのか。羅深思は疑うように彼を見つめたものの、柔和な笑みからは何も読み取れない。
やれやれと肩を竦め、真意を確かめることは諦めて本題に入った。
「……この動画を見てください」
僅かな間に不満が現れてしまっていたのか、王永雄はおや?とわざとらしく片眉を跳ね上げる。
「私の態度に不満ですか? 何か意見があるなら聞きますよ?」
矢継ぎ早にそう畳み掛けられ、羅深思もさすがに取り繕うことはせず、嫌そうに顔を顰めた。何を考えているかさっぱり分からないが、彼が面倒くさい性格なことだけはよく分かる。
「いいから見てください!」
しつこい王永雄にパソコンの画面を向け、再生ボタンを押す。そして羅深思は、映っている人物の顔がよく見えるように拡大した。
「彼、訓練が始まってからずっと緊張してるみたいなんです。宋堅が声を掛けるより前から兆候が見られるのが分かりますか?」
画面には、緊張に顔を強張らせた楊福安が映っている。彼の瞳は淡い金色に輝いていて、すでに暴走の一歩手前なことは誰の目にも明らかだ。
王永雄は動画を一時停止すると、深く考え込んだ。
「これは……確かに妙ですね」
妙なんてものではない。これは明らかに施設側の見落としだ。
楊福安は恐らく、能力を使うこと自体に忌避感を抱いている。今回の宋堅との一件がなくとも、遅かれ早かれ同じ事態が発生しただろう。
あまりにも杜撰な体制に、羅深思はきつく拳を握りしめた。
上海で起きた死亡事故は、センチネルに無理解な政府がろくに調律をせず、使い捨ての駒のような扱いをしたせいだ。そして今回の件もまた、センチネルへのケアを怠ったせいで悲劇が起きるところだった。
「王施設長、彼にカウンセリングを受けさせたことはありますか?」
楊福安に必要なのは訓練よりもメンタルケアだ。それに、他にも問題を抱えたセンチネルがいるかもしれない。
しかし、王永雄は困ったように羅深思を見ると、淡々とした口調で言った。
「いえ、彼も他のセンチネルもカウンセリングを受けさせたことはありません」
上海の研究施設では、センチネルの暴走は精神的な負荷が原因だと結論付けられていて、新しく入ってきたセンチネルは必ずメンタルチェックを受ける決まりだ。羅深思は当然、北京にあるこの施設でも情報が共有されているものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
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