【完結】空に溺れる月〜孤独なセンチネルは安寧を願う〜

てんてこ米

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第一章 異端

5 暴走の原因

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「そんな顔をしないでください。ここに何人のセンチネルがいると思っているんですか? 全員に気を配るのは不可能でしょう?」

 彼の言葉はもっともらしく聞こえるが、施設長という立場を鑑みると無責任もいいところだ。穏やかな笑みの下に隠しきれず冷酷さを覗かせる王永雄ワンヨンシオンに、羅深思ルオシェンスーは背筋に薄ら寒いものを感じた。
 握りしめた拳にさらにきつく力が入る。羅深思ルオシェンスーはあまりの惨状に耐えきれず、作り物めいた笑みを浮かべる彼をキッと見据えて口を開いた。

「……彼らは、人間ですよ」

 振り絞った声は僅かに震え、怒りが滲む。発言には気を付けなければと思っていたのに、感情を押し殺すことはできなかった。
 しかし、そんな態度にも王永雄ワンヨンシオンはまるで動じていない。咎める声を気にするでもなく、変わらず柔らかな笑みを浮かべている。

「分かっています。気になる点があれば報告してください。すぐに対処しますので」

 言葉こそ物分りの良い上司そのものだが、彼の口調は淡々としていた。まるで事務処理でもしているかのように、彼の声には何の感情もこもっていない。
 彼との会話で、一つはっきりしたことがある。王永雄ワンヨンシオンはセンチネルを使い捨ての道具か何かだと思っているということだ。それだけでなく、施設の他の職員たちに対しても同じ感情を抱いているかもしれない。
 なぜなら、センチネルの暴走は周囲に膨大な被害を及ぼす。周りの安全を考えるなら、本来は過剰なほど慎重になるべきなのだ。
 しかし、一方で彼にはまだおかしな点があった。今まで羅深思ルオシェンスーが事態を好転させるための指示を出した時、王永雄ワンヨンシオンはその全てを二つ返事で速やかに通していたのだ。
 ケチを付けることも、ましてや理由を尋ねることもなく──。
 だとすると、今彼に怒りをぶつけるのは得策ではない。羅深思ルオシェンスーは深く息を吐き、改めて王永雄ワンヨンシオンに向き直った。

「施設にあるセンチネルへの対処マニュアルを見せていただけませんか? 改善点があれば報告します」

「分かりました。ぜひお願いします」

 案の定、彼は狐を思わせる顔で笑った。
 歓迎されているのかいないのか、王永雄ワンヨンシオンの言動には振り回されるばかりだ。これから彼の下で仕事をすることになると思うと、羅深思ルオシェンスーはため息を吐かずにはいられなかった。



 いかにも約束を守らなそうな怪しげな雰囲気だが、王永雄ワンヨンシオンは有言実行の男だった。すぐに分厚いセンチネルの対処マニュアルを持ってくると、羅深思ルオシェンスーにそっと手渡した。

「ずいぶん分厚いんですね」

「緊急時の施設全体のマニュアルですからね。センチネルに関する記述は後ろの方にありますよ」

 そう言うと、王永雄ワンヨンシオンは真ん中辺りを指差して笑う。まるでやれるものならやってみろと挑発しているようだった。
 マニュアル書は手に持つとずっしりと重く、おまけに読ませる気が無いかのように文字が詰まっている。これは骨が折れる作業になりそうだ。
 強敵を前に顔を引き攣らせた羅深思ルオシェンスーがパラパラとページを捲っていると、検査を終えた宋堅ソンジェンが事情聴取のために戻ってきた。

ルオさん、検査終わりました!」

 元気よく現れた青年は夏の太陽のように活力に満ちていて、それまで漂っていた嫌な空気が吹き飛んでいく。
 時間が経って気分も落ち着いてきたのだろう。重たいマニュアル書で気が滅入っていた羅深思ルオシェンスーも、朗らかな彼の笑顔に釣られて微笑んだ。

「お疲れ様、大丈夫だったか?」

「はい! 特に異常はないそうです」

 ハキハキした彼の言葉に、羅深思ルオシェンスーはほっと胸を撫で下ろした。もし何か異常があったら、彼と楊福安ヤンフーアンの心に消えない傷が残っていたところだ。
 早速事情を聞こうと思い、羅深思ルオシェンスーは彼が座れる椅子を探そうと辺りを見渡す。すると、王永雄ワンヨンシオンが気を利かせて、どこかから余分な椅子を持ってきてくれた。

「これをどうぞ。私は向こうで作業をしていますので、終わったら声をかけてください」

 そう言い残して、彼はそっとこの場を離れた。
 一見すると新任ガイドの羅深思ルオシェンスーに全てを一任したように見えるが、それは違う。施設の至る所には監視カメラがあるので、離れていても何を話したかは把握できるようになっている。つまり、あまり迂闊な発言はできないということだ。
 生活の全てを丸見えにされていた上海の研究所と、どちらがましだろうか。そんな考えが脳裏をよぎり、羅深思ルオシェンスーは思わず苦笑を漏らした。

「じゃあ、改めて見ていこうか。実を言うと、楊福安ヤンフーアンは君が入る前から暴走の初期段階に入ってたんだ」

 顔のアップで停止したままのパソコン画面を見せてそう説明すると、彼は宋堅ソンジェンに改めて尋ねた。

「あの時、彼と話して気付いたことはない?」

 センチネルの瞳が金色に光るのは暴走の第一段階と言われているが、実は精神的に強い負荷がかかっている時に見られる一般的な症状だ。そのため暴走と呼ぶよりも、緊張や恐怖から力を入れ過ぎてしまうと言った方が正しい。
 画面に映る楊福安ヤンフーアンの強張った表情からも、彼が極度の緊張状態にあったことは明白だ。

「そうだったんですか? 後ろから近付いたから分かりませんでした。あいつ、俺の声が全然聞こえてなかったみたいだし……」

 真剣な眼差しで画面を見ていた宋堅ソンジェンは、ハッと顔を上げた。

「ここの施設、三年周期で試験があるんですよ。結果が出せないと追い出されるらしいって、みんな噂してます。楊福安ヤンフーアンのやつ、確か今年で三年目だから焦ってたのかも」

 羅深思ルオシェンスーは新任のため、その噂については初耳だった。しかし、結果が出なければ見切りを付けるというのは、確かにありそうな話だ。
 時間も資金も有限で、いつまでも現場に出せないセンチネルを養うことはできない。又聞きでは真偽は定かではないが、辻褄は合う。
 楊福安ヤンフーアンが自身の能力を恐れながらも使おうとしたのは、そうせざるを得ない事情があったのだろう。

「彼に家族は?」

「多分、いないんじゃないかって女子たちが話してました。あいつ愛想はないけど、女の子たちからモテるから。誰かが聞いたみたいです」

 聞いた話を頭の中で整理しながら、羅深思ルオシェンスーは考え込んだ。頼れる身内がいないなら、より慎重に対話をしなければならない。
 パソコン画面に映る楊福安ヤンフーアンを見て、宋堅ソンジェンが深いため息を吐く。

「俺、酷いことしちゃった……きっと頑張って訓練しようとしてたんだよな」

 彼は真っ直ぐな性格なのだろう。自分を吹き飛ばした相手だというのに、もう同情的だ。
 その様子は、まるで喧嘩の仲直りをしたいと考えている子どものようでなんとも微笑ましい。羅深思ルオシェンスーは穏やかに目を細め、そっと声をかけた。

「彼は優しいから、きっと許してくれるよ」

「どうして優しいって分かるんですか?」

「動画の続きを見てごらん」

 見やすいようにパソコンをずらし、羅深思ルオシェンスーは動画の続きを再生した。
 動き出した画面の中では、険しい顔をした宋堅ソンジェン楊福安ヤンフーアンに文句を言っている。そして楊福安ヤンフーアンの腕を掴んだその瞬間、彼の体は物凄い速さでガラスの壁に衝突したように見えた。

「うわっ、痛そう……」

「確かに。でも、彼が本気だったらガラスの壁突き破ってるよ。ほらここ、君に気付いて慌てて力を抑えてる」

 羅深思ルオシェンスーはそう言うと、動画を少し巻き戻した。ちょうど宋堅ソンジェンが腕を掴む手前だ。
 振り返った楊福安ヤンフーアンは、宋堅ソンジェンの姿が目に入った途端に体がびくりとしていた。ほんの一瞬の間に腕を掴んだ人物を認識して制御するなんて、かなり反射神経が良さそうだ。

「そっか、そうだったんだな……」

 自責の念に駆られてか、宋堅ソンジェンは表情を曇らせる。
 しかし、彼が悪いとも言い切れない。本来なら事故防止のためにも、施設側で勝手な入室を防げるようにすべきだ。

「これからは、訓練中は勝手に入らないようにな」

 茶化すように肘で彼の脇腹をつつくと、宋堅ソンジェンもくすりと笑った。

「肝に銘じておきます。でも、楊福安ヤンフーアンはどうしてその後暴走したんだ? 俺に気付いて止めたんですよね?」

 羅深思ルオシェンスーは、その原因になんとなく予想がついていた。自分が駆けつけた時間から逆算すると、ちょうどコードイエローが発令された時期と一致するのだ。

「多分警報のせいじゃないかな。かなりうるさかったし、パニックになったのかも」

「ああ、あれパトカーのサイレンにちょっと似てますよね。俺、初めて聞いた時、何か事件が起こったのかと思いましたよ」

 不安を煽るようなあの音は宋堅ソンジェンもあまり好きではないらしく、思い出して眉をひそめる。
 危険を知らせるための警報が返って危機を招くとは、本末転倒ではないか。羅深思ルオシェンスーはパソコン画面に映る悲劇の瞬間を見つめながら、コードイエローの警報の廃止を心に強く刻んだ。
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