【完結】空に溺れる月〜孤独なセンチネルは安寧を願う〜

てんてこ米

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第一章 異端

6 施設内格差

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 事情を確認し終えると、タイミングを見計らったかのように王永雄ワンヨンシオンが現れる。彼の手にあった見覚えのある鞄に、羅深思ルオシェンスーは思わず「あっ!」と叫び、大きな音をさせて椅子から立ち上がった。

「俺の鞄! 持ってきてくださったんですね。ありがとうございます」

 何か変だとは思っていたが、緊急事態に慌てて鞄の存在をすっかり忘れていた。
 羅深思ルオシェンスーはずっしりと重い鞄をありがたく受け取り、中に分厚いマニュアル書をしまい込んだ。全体で見ると大した量ではないはずなのに、心なしか重さが増したような気がする。

「そろそろ行きましょう。時間も押していることですし」

 王永雄ワンヨンシオンの提案に、羅深思ルオシェンスーは真剣な眼差しを向けて頷いた。
 暴走事件で有耶無耶になっていたが、来て早々センチネル訓練生たちに特別授業をする予定だったのだ。重い鞄の中には授業で使うための資料が山ほど入っている。

「先にあなたの部屋に案内しますね。宋堅ソンジェン、君はここを出たら講義室へ」

 来た時と同じように王永雄ワンヨンシオンに先導されて廊下を歩いていくと、すれ違う人は白衣の研究員ばかりだった。
 医務室もあったので、ここでは研究を中心に行われているのだろう。
 注意深く周りを見渡してみると、乳白色のガラス壁の向こうで精密機械を扱っている人たちが見える。その光景は、どこか上海の研究施設と雰囲気が似ている気がした。
 羅深思ルオシェンスーは道中、宋堅ソンジェンと他愛のない雑談を交わしていたが、ふと区画を仕切る厳重な扉に数字が書かれていることに気付く。

「レベル三?」

 疑問が口をついて出る。すると、王永雄ワンヨンシオンが思い出したように振り返った。

「説明していませんでしたね。この研究エリアのことですよ。あなたはガイドなので、居住スペースがあるのはレベル二の区画になります」

 そう言って話を一旦区切ると、彼は宋堅ソンジェンへ視線を向けた。

「センチネルの彼はレベル一の区画なので、お疲れでしょうが先に彼を送っていきますね」

 『お疲れ』と言われ、羅深思ルオシェンスーは曖昧に微笑んだ。
 先ほど楊福安ヤンフーアンの凄まじい力を吸収したので、長旅の疲れは全て吹き飛んでいた。体の方は未だかつてないほど絶好調だ。
 だが、神経がすり減るような王永雄ワンヨンシオンとの会話のせいで、確かにある意味『お疲れ』ではあった。
 しかし、こんなところでもガイドとセンチネルの間に差があるとは。
 些細な情報だが不快感を抱くには充分だ。果たして、そうまでして居住スペースを分ける意味はあるのだろうか。
 僅かに眉をひそめると、王永雄ワンヨンシオンは苦笑を漏らした。

「あなたも見れば分かりますよ。ガイドとセンチネル訓練生は、顔を合わせるとすぐ喧嘩を始めるので」

 その口調こそ深刻そうではなかったものの、厄介なことには変わりない。
 彼は「それに……」と言葉を続ける。

「レベル二区画には外に通じる出入り口があるんです」

「えっ? あの迷路みたいな道以外に出入り口があるんですか?」

 長いこと迷宮のような地下道を歩かされた羅深思ルオシェンスーは、そんな馬鹿なと大きく目を見開いた。
 他に出入り口があるなら、あの苦労はなんだったのだ。

ルオさん、あの迷路から来たの!? すっげぇ……あそこ、迷子になった職員が白骨化して見つかったって噂があるんだよ!」

 娯楽のない施設での生活にはいい刺激なのだろう。訓練生たちの間ではいわく付きの場所と認識されているようで、宋堅ソンジェンがキラキラと憧れの眼差しを向けてくる。

「それは間違いですね。あの坑道には全ての場所にセンサーとカメラがありますから」

 案内をしてくれた青年士官の足取りがやけに迷いがなかったのは、どうやら監視カメラから誰かが指示を飛ばしていたかららしい。
 王永雄ワンヨンシオンは言葉を続けた。

「まあ、たまに迷い込んだ小動物が白骨化してることはありますが……君たちも、抜け出してすぐ捕まったでしょう?」

 あの息が詰まる迷宮は、脱走防止のためでもあるようだ。センチネルが世間から危険視されている以上、致し方ない。

「許可なく外へ出てはいけませんよ」

 好奇心旺盛な若者にじろりと視線を向け、王永雄ワンヨンシオンが釘を刺す。いかにも施設長らしい言葉なのにまるで似合っていなくて、羅深思ルオシェンスーは小さく吹き出した。



 レベル一区画の扉までの道はほぼ一直線で、三人は難なく目的の場所へ辿り着いた。
 扉を開けた途端、向こう側にいた人がびくりとしてこちらを向く。訓練場から避難させた楊福安ヤンフーアンだ。
 彼と宋堅ソンジェンは互いに相手を認識し、揃って「あっ……」と声を漏らす。

「さっきはごめんなさい!」

 真っ先に声を上げたのは、意外なことに楊福安ヤンフーアンだった。やはり、彼は誰が後ろから自分を掴んだのか気付いていたらしい。
 遅れを取った宋堅ソンジェンが「いいよ、いいよ」と手を振って笑顔を作る。そして両手を合わせて、拝むようなポーズを取った。

「俺の方こそごめん! 訓練の邪魔しちゃって……みんなには、俺がやらかしたってちゃんと話しておくからな!」

 まさか謝られる側になるとは思っていなかったのだろう。楊福安ヤンフーアンは困惑した様子で眉をハの字にすると、羅深思ルオシェンスーを窺い見た。
 きっと事故の後にどうなったか知りたいのだ。あれだけの騒ぎになったのだから、気にならないわけがない。

「これでおあいこだな。大丈夫だよ、誰も怪我してなかったって」

 深刻に受け止めないように明るい声で言うと、楊福安ヤンフーアンの表情もいくらか和らぐ。彼は改めて羅深思ルオシェンスーに向き直ると、丁寧に頭を下げた。

「あの……助けてくださって、ありがとうございました!」

 まだ表情は硬いが、礼を言う彼の雰囲気は出会った頃よりもずいぶん落ち着いて見える。すぐにでもカウンセリングが必要になるかと危惧していたが、今のところは大丈夫そうだ。

「気にしないで、これが俺の仕事だから。そうだ、宋堅ソンジェン

 名前を呼ぶと、調子のいい宋堅ソンジェンは背筋をピンと伸ばし、びしっと敬礼した。

「はい隊長!」

「もし今日のことで騒ぎが大きくなりそうだったら、新人のガイドが授業をしに来るって言いな。そっちに興味が逸れると思うから」

 ガイドとセンチネルの間にある確執を考えると、これ以上ない釣り餌になるだろう。すっかり従順な手下になった宋堅ソンジェンは、「はい!」と元気よく返事をした。

「じゃあ、二人とも仲良くするんだぞ? 宋堅ソンジェン、デリカシーのない発言はダメだからな!」

 調子のいい宋堅ソンジェンに釘を刺すと、彼は茶目っ気たっぷりにウインクを返す。その場で別れを告げると、訓練生二人は微妙な距離感を保ちながら廊下を歩いていった。
 ぎこちなくやり取りを始めた二人を見ていると、高校の入学式を思い出す。どこか初々しい彼らの背中を見送った羅深思ルオシェンスーは、王永雄ワンヨンシオンと共に廊下を引き返した。

「若いっていいですね」

 思わずそう呟くと、王永雄ワンヨンシオンが小さく笑みを漏らす。

「おや、あなたも充分若いじゃないですか」

「まあ、そうですけど。一応二十歳は超えているんで」

 訓練生たちの年齢は十代半ばから二十代前半が多い。そしてガイドと不和を抱えているのは、ちょうど二十歳に満たない若い世代だった。

「それにしても、楊福安ヤンフーアンの力は凄いですね。疲れが吹き飛ぶどころか、十歳くらい若返った気分ですよ」

 今まで何人ものセンチネルを調律してきたが、彼ほど力のある者には一度も会ったことがない。
 王永雄ワンヨンシオンはハハッと乾いた笑いを漏らし、羅深思ルオシェンスーの肩を軽く叩いた。

「脳味噌まで若返らないでくださいね」

「……はい」

 一瞬、彼の狐のような目がギラリとした気がして、羅深思ルオシェンスーは顔を引き攣らせながら半笑いする。彼の前では、あまり冗談は言わない方が良さそうだ。
 広い廊下から細道へ曲がり、しばらく進んで行くと、居住区と書かれた看板が見えてくる。羅深思ルオシェンスーが住む部屋の扉には、水墨画風の鮮やかなタッチで美しい山々描かれていた。

「あなたにもカードキーを渡しておきますね。レベル二と書かれていますが、あなたは特例ガイドなので三までの扉を開けられるようにしてあります」

 羅深思ルオシェンスーが受け取ろうと手を出すと、王永雄ワンヨンシオンはなぜかパッとカードを上げた。

「くれぐれも、落としたり無くしたりしないように。迎えをやるので、授業は十分後でお願いします」

 施設の厳重な扉はこのカードキーでしか開かないらしく、強く念を押される。羅深思ルオシェンスーが真面目な顔で頷くと、王永雄ワンヨンシオンはやっとカードを渡してくれた。

「あっ、ちょっといいですか?」

 早急に伝えたいことがあったと思い出した羅深思ルオシェンスーは、帰ろうとする王永雄ワンヨンシオンの袖を引き、慌てて引き止める。

「コードイエローの警報は廃止して、代わりにガイドへ連絡が行くようにしてください。初期段階の暴走は自分の意思で止められます」

 それは上海の研究所で実験を重ねた、揺るぎのない事実だった。施設長は彼の話を興味深げに聞き、深く頷いた。

「分かりました。すぐに対処します」

 やはり異議を唱える気はないようだ。施設の穴に気付いていなかっただけなのだろうか。
 王永雄ワンヨンシオンが去り、羅深思ルオシェンスーは今度こそ本当に一人になる。
 部屋に入ると、白一色の空間にベッドと必要最低限の家具だけが置かれていた。家具まで白いせいで、部屋全体が輝いて見えて少し眩しい。
 唯一脚の色だけ黒い机に鞄を下ろすと、羅深思ルオシェンスーは新品の匂いがするベッドに倒れ込んだ。考えることは山ほどあるが、まずは今日を乗り切らなければ。
 不満を溜めた若きセンチネル訓練生の新任ガイドへの歓迎は、恐らく手厚いものになるだろう。
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