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第二章 不和
1 特別授業
しおりを挟む講義で使う資料を小さな鞄に移し終え、羅深思は白と黒ツートーンのジャンパーに袖を通す。この施設ではセンチネルが白、ガイドが白黒のジャンパーを着用して見分けがつきやすいようにしているという。
そろそろ迎えがくる頃かと時計を見たその瞬間、部屋の扉をノックする軽やかな音が聞こえてきた。
「羅さん? お迎えに上がりました」
若く溌剌とした声が聞こえて扉を開けると、出迎えてくれたのはまたしても若い青年士官だった。やや幼い顔立ちで、迷彩服に着られている感が満載だ。
にっこりと笑顔を向けてくる非常に愛想の良い彼は、驚いたことに羅深思に握手を求めてきた。
「こんばんは。羅さんの手助けをすることになった李光です」
春のそよ風のように爽やかな笑顔を向けられ、羅深思の方がたじろいでしまう。
センチネルに対する施設職員の態度は、正直言ってあまりいいとは思えなかった。それなのに、彼はどうしてこんなに友好的なのだろうか。
ここに来て初めての歓迎に不信感を募らせながらも握手をすると、李光はなぜかその手を両手でガシッと掴み、目をキラキラと輝かせた。
一体何に感激しているのか、怪しくて思わず警戒の色を強める。
「よろしくお願いします。あの……」
「上海の研究所では姉がお世話になりました!」
羅深思が質問する前に、彼は大きな声でそう言った。
彼の無邪気な笑みを見て、脳裏に嫌な記憶が蘇る。李姓で上海の研究施設にいる女性、そして羅深思と関わりの深い人物──該当者は一人しかいない。
「お姉さんって……李耀室長?」
異能研究室の室長李耀女史は、ガイドとの相性の良し悪しや、ストレスがセンチネルに与える影響など、たくさんの発見をした優秀な研究員だ。
しかし、彼女は才女であると同時にかなりのマッドサイエンティストでもあった。安全性を無視した危険な実験の数々を、羅深思が何度阻止したことか……。
王永雄がセンチネルを消耗品と思っているとしたら、李耀は彼らをモルモット同然に思っている。要望が通るだけ王永雄の方がいくらかマシだが、はっきり言って甲乙付け難い。
「ガイドの救世主なんですよね! 羅先輩、これからよろしくお願いします!」
目を輝かせ、いかにも純真無垢な青年のように見えるが、李光の可愛らしい顔立ちは確かに李耀室長とどこか似ていた。
上海の研究施設では、暴走の心配がないガイドの方がより過酷な実験を強いられていたのだ。替えのきかない特殊能力持ちの羅深思だけが唯一彼女の暴走を止められたため、彼が出て行く時はガイド全員が涙を飲んで見送りに来たほどだった。
「その話、絶対誰にも言わないでくれよ!」
ただでさえセンチネル訓練生とガイドの関係が悪いというのに、その仲を取り持つ人間が『ガイドの救世主』などと呼ばれていると知ったら、計画に支障が出てしまう。
強く念を押すと、李光は暴走列車のような破天荒な姉とは真逆の、いかにも誠実そうな笑顔でぐっと親指を立てた。
授業用の荷物を持って部屋を出た羅深思は、エリア一とニの堺にある厳つい扉をくぐり、李光の案内に従って入り組んだ道を進んでいく。自室はオートロックになっているので、閉め忘れの心配もない。
殺風景な白い廊下で先陣を切って歩いていた李光が、不意に持っていた携帯端末を覗き込みながら首を傾げた。
「あれぇ……どっちだったかなぁ?」
「おいおい、大丈夫かよ……俺に見せてみな」
暴れ馬のような姉とは違い、この青年は少々おっとりした性格らしい。迷子になりかけているというのに呑気なものだ。
彼の手から端末を借りると、羅深思は小さな画面にサッと目を走らせた。
「ああ、合ってるよ。部屋はすぐそこだな」
無菌室のような真っ白な廊下は入り組んでいて、方向感覚が狂いそうになる。しかし、羅深思は施設長に自室まで送られた時に、方角の見方を教えてもらっていた。
実は北側と西側の壁の下にだけ、うっすらとラインが引かれているのだ。それ以外に目立った目印がないのはどうかとも思うが、生活していくうちに慣れるだろう。
「さすがは羅先輩! うちの姉の暴走を止められるだけありますね! 王施設長が熱望していたのも納得です」
どうも彼は大袈裟に言うのが好きなのか、うんうんと力強く頷く。羅深思は嬉しくない褒め言葉に引き攣った笑みを浮かべ、彼に端末を返した。
第一講義室と書かれたプレートはすぐに見つかった。羅深思は先に部屋へ入ろうとしていた李光を後ろへ下がらせ、コンコンと二回ノックする。しかし、いざ扉を開けて中に入ろうとすると、突然目の前に炎が吹き出した。
センチネルの生み出す炎だ。当てる気まではないらしく、チリチリとした火の粉が前髪を掠める。
背後では、驚いた李光が「うわぁ!」と叫び声を上げて尻餅をついていた。彼に被害が及んでいないことを確認すると、羅深思は炎に向かい、ゆっくりとした足取りで歩き出した。
「あっ、勇偉まずいって!」
炎に包まれた羅深思を見て、誰かが緊迫した声を上げる。
だが、上海で地獄の訓練を受けた彼にとって、熱すら感じない炎など怖くはない。そのまま進み続け、悪戯の犯人の手を素早く掴んだ。
その瞬間、あれだけ赤々と燃えていた炎は名残すらなく消え失せた。後に残ったのは、唖然とした表情を浮かべる体格のいい青年の顔だけだ。
「歓迎どうもありがとう」
にこやかにそう言うと、勇偉と呼ばれた青年は苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。そして、固唾を飲んで見守っていた訓練生たちが一斉に騒ぎ出す。
「すっげぇ!」
「今の、どうやったんだ?」
机の上で身を乗り出した青年たちが興奮冷めやらぬ声を出す。彼らは男女で席を左右に分けていたようで、女子たちの塊は左に寄っていた。
炎を出した青年の後ろから、眼鏡の男子がひょっこり顔を出す。
「マジかよ、焦げてすらないってあり得ないだろ!」
李耀女史の悪魔のような実験を経験してきたせいか、思春期特有の彼らの反抗はなんとも可愛らしく思える。羅深思は腕を掴んでいた手を離し、訓練生たちに呼びかけた。
「はいはい、静かにしようね。みんな席に着いて!」
第一講義室は、その名前に反して小さな会議室のようだった。前には大きなホワイトボードと教壇があり、向かい合うように長テーブルが並ぶ。
訓練生の半分はすでに座っていたが、悪戯を仕掛けてきた四人のグループはダラダラと怠そうに席へ戻っていく。彼らが座るまでの間にざっと全員の顔を見渡してみると、リストに載っていた訓練生は二十七人全員が揃っていた。
その後を心配していた楊福安は講義室の一番端に座っていて、驚いたように目を見開いてこちらを見ている。しかし、羅深思と目が合うと慌てて俯いてしまった。彼の隣には宋堅が守るように座り、人懐っこい笑みを浮かべながら手を振って「ここにいるよ!」とアピールしている。
「俺は新任ガイドの羅深思。今日からしばらく、君たち全員の面倒を見るからよろしくな!」
彼の自己紹介に、女の子たちが嬉しそうに色めき立つ。閉鎖空間に閉じ込められた思春期の彼女たちには、『ちょっと年上の優しそうなお兄さん』は大層魅力的なのだろう。
悪戯男子たちのグループは、浮かれる彼女たちを横目に面白くなさそうに眉を顰め、机に肘をついて不貞腐れてしまった。
三者三様の態度を見渡し、羅深思はあえて退屈な話から始めることにした。
「みんなも知ってる通り、センチネルはガイドの助けがないと命の危険があります。研究の結果、センチネルが能力を使う時、戦場にいる兵士と同等のストレスがかかると判明している。これは──」
まるで眠たくなる講義をする教授の気分になりながら、彼は訓練生たちの姿をつぶさに観察する。
早くも飽きて爪を弄っている女子、あくびをして眠そうにする男子。何人かは、あの体格のいい勇偉と呼ばれた青年の方を窺うように見ている。
しかし、意外にも背筋をピンと伸ばして真面目に聞いている子たちが半数もいた。大体の性格や人間関係を観察し終えた羅深思は、退屈そうな彼らのために話題を変えることにした。
「前置きはこのくらいにして……君たち、ガイドに頼らないで済む方法を知りたくない?」
そう言った瞬間、講義室の中がしんと静まり返る。バラバラだった彼らの視線は、一斉に羅深思へと集まった。
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