【完結】空に溺れる月〜孤独なセンチネルは安寧を願う〜

てんてこ米

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第三章 絆

7 救いの手

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 避難訓練の警報が鳴り響いた時、羅深思ルオシェンスーは手に持った大きなクマのぬいぐるみをもみくちゃにしているところだった。
 これは、エリアニの廊下でばったり会った王永雄ワンヨンシオンの置き土産だ。彼は「あなたもセンチネルなのだからハグの相手が必要でしょう?」と嫌味なのかお節介なのか分からない言葉と共に、ぬいぐるみを押し付けていった。
 一旦部屋に置きに戻ろうかとも思ったが、パトカーのサイレンのような警報に嫌な予感がして、羅深思ルオシェンスーはエリア一を目指すことにした。

「この警報、コードイエローで使ってたのと一緒じゃないか?」

 頭に浮かんだのは、楊福安ヤンフーアンの怯えた顔だ。彼は初めて会った時、この警報にパニックを起こしていた。
 あいにく王永雄ワンヨンシオンは電話に出ず、警報を止めようもない。彼にメールを送った後、羅深思ルオシェンスーはエリアを隔てる厳重な扉から飛び出した。

「あっ、ルオ先生!」

 何故か入り口に立っていた訓練生と危うく正面衝突しかける。顔を見ると宋堅ソンジェンだった。

「こんな所で何やってるんだ? 訓練生は訓練場へ避難するんだろ?」

「それが、福安フーアンがまだ来てないんですよ。あいつ、前に警報でパニック起こしてたから心配で……」

 友人思いの宋堅ソンジェンは、羅深思ルオシェンスーか来ると踏んでエリア二の扉の前で待っていたようだ。楊福安ヤンフーアンが暴走状態だった時のことを考えて、あえて中に入らないのは賢い選択だ。

「よし、後のことは俺に任せときな。宋堅ソンジェンはみんなの所に行って。もし施設長を見かけたら、このクソみてぇな警報を止めるように言ってくれる?」

 せっかくコードイエローの警報を廃止したのに、これでは全く意味がない。荒ぶるあまり少々口が悪くなった羅深思ルオシェンスーに、宋堅ソンジェンはぷっと吹き出した。

「了解です! 福安フーアンのこと、頼みますね!」

 真剣な顔で念を押すと、宋堅ソンジェンは訓練場へ向かう他の訓練生に混じって駆けて行った。



 羅深思ルオシェンスーがセンチネル訓練生の居住区へ足を踏み入れた時、辺りにはすでに人気がなくなっていた。
 相変わらず警報だけがうるさく鳴り響く廊下を、彼は急ぎ足で奥へと向かう。しかし、三◯八と書かれたシンプルな白い扉の前まで来た時、羅深思ルオシェンスーは見落としていた重大な事実に気付いた。
 部屋には鍵がかかっており、専用のカードキーでしか開かない。彼は大きく息を吸い込むと、扉を力強く叩いた。

福安フーアン! 中に居るのか⁉︎」

 警報に負けないくらい大きな声で叫んだものの、耳を押し当てた扉の向こうからは何の音もしない。何度も扉を叩いたが、結果は同じだった。

「まいったなぁ……施設長は相変わらず電話に出ねぇし」

 楊福安ヤンフーアンが中に居ないことも考えたが、確認するまでは探しに行くわけにもいかない。
 その時、羅深思ルオシェンスーはふと思い立った。彼はポケットから自分のカードキーを取り出し、おもむろにカードスロットに通してみた。
 カードが通過した途端、カチリと音がする。ノブを回すと、扉はゆっくりと開いた。

「開くのかよ!」

 羅深思ルオシェンスーのカードキーにはエリア三までのアクセス権があるので、もしかしてと思ったのだ。だが、こうも上手くいくと驚いてしまう。
 物が無いだだっ広い部屋の中を見渡すと、ベッドの影にちらりと頭が見えた。

福安フーアン!」

 慌てて駆け寄ると、楊福安ヤンフーアンは両手で耳を押さえた格好のまま、まるで何かから隠れるように縮こまっていた。目を閉じているせいで、彼が暴走状態かは分からない。
 具合が悪いのか顔色は死人のように白く、羅深思ルオシェンスーはぎょっとした。しかし、よく見ると呼吸はしているようだ。

福安フーアン、聞こえるか? クソッ……この警報いつになったら止まるんだ?」

 耳障りな警報は止まる気配がなく、呼びかける声を掻き消してしまう。
 触れられることに恐怖を覚える彼に迂闊に触るわけにはいかない。どうすれば気付いてもらえるだろうか。
 頭を悩ませていた羅深思ルオシェンスーは、ふと持ったままのぬいぐるみに視線を落とした。クマの手は、人の手と違ってふわふわで柔らかい。
 羅深思ルオシェンスーは彼の名前を何度も呼びながら、クマの両手を持って体を揺さぶった。

福安フーアン、しっかりしろ!」

 何度目かの呼びかけの後、今までの騒々しさが嘘のように警報がぴたりと止まる。ようやく訪れた静寂に、羅深思ルオシェンスーは再び彼に呼びかけた。
 その途端、まるで思いが通じたかのように楊福安ヤンフーアンがゆっくりと目を開く。
 彼の瞳はやはり、淡い金色に輝いていた。ところが、涙が滲むその目が羅深思ルオシェンスーを捉えると、輝きは瞳の奥に吸い込まれるように消え失せた。

「……ルオ、先生?」

 掠れた声は僅かに震え、怯えが見て取れる。それでも彼の意識ははっきりしており、羅深思ルオシェンスーはほっと胸を撫で下ろした。

「大丈夫か? 警報はもう切れたから、安心していいよ」

 よほど怖い思いをしたのだろう。楊福安ヤンフーアンの指先はまだ震えが止まっていない。
 羅深思ルオシェンスーはぬいぐるみの手で彼の頬を包み込み、穏やかな笑みを浮かべた。

「よく頑張ったな、偉いぞ」

 するとどうしたことか、楊福安ヤンフーアンの潤んだ瞳から大粒の涙が溢れ出してくる。それは止めどなく頬を伝い、ぬいぐるみの柔らかな毛並みを濡らした。
 まるで途方に暮れる幼子のように泣く彼に、羅深思ルオシェンスーの胸もぎゅっと締め付けられる。嗚咽を漏らしながらも彼が自分を呼んでいることに気付き、羅深思ルオシェンスーは咄嗟にその体を抱きしめていた。
 腕の中で震える体が、ほんの一瞬驚いたように固まる。しかし、楊福安ヤンフーアンはそのまま胸に顔を埋め、堰を切ったように泣き出した。
 それはまるで、恐ろしい悪夢を見た幼子が親に助けを求めているようだ。今までどれだけ辛い思いをしてきたのか、頼りなげなその姿を見ていればよく分かる。
 彼の心が落ち着くまで、羅深思ルオシェンスーは震える背中を優しく撫で続けた。



 どれくらいそうしていただろうか。くずくずと鼻を啜っていた楊福安ヤンフーアンの体から、少しずつ力が抜けていく。
 羅深思ルオシェンスーは背中を撫でる手はそのままに、静かに話しかけた。

「少しは落ち着いた?」

 腕の中でもぞりと身動ぎ、楊福安ヤンフーアンが顔を上げる。ぱっちりとした彼の瞼は、見事に赤く晴れてしまっていた。

「男前が台無しだな」

 笑みを漏らしてそう言うと、楊福安ヤンフーアンはほんのり頬を染めて俯く。羅深思ルオシェンスーは彼の目尻に残った涙を指先でそっと拭ってあげた。
 呼吸も鼓動も安定している。腫れてしまってよく見えないが、目にも暴走の兆候は無さそうだ。

「ベッドに座ろう。床に座りっぱなしでお尻痛いだろ?」

 冗談めかした言葉に、楊福安ヤンフーアンの顔にもようやく笑みが浮かぶ。羅深思ルオシェンスーは彼に手を貸して立たせると、そのまま手を引いてベッドへ導いた。
 白いシーツに腰を下ろし、羅深思ルオシェンスーは持っていたクマのぬいぐるみを楊福安ヤンフーアンの膝にちょこんと乗せる。

「お守り代わりに持ってなよ。ほら、ハグはぬいぐるみとでも良いって教えただろ?」

 王永雄ワンヨンシオンに貰った怪しい代物だが、触って調べた結果、盗聴器の類いは入っていなかった。
 ぬいぐるみに視線を落とした楊福安ヤンフーアンは、大事な宝物を抱くように腕に抱き、嬉しそうな笑みを浮かべる。

「ありがとうございます。どうしたんですか? これ……」

「施設長が俺のガイド代わりにって寄越したんだ。でも、君の方が必要そうだから」

 そうは言ったものの、楊福安ヤンフーアンはもう人に触れられても大丈夫そうだった。先ほど羅深思ルオシェンスーが触れた時も、前のような抵抗の力は一切感じなかったのだ。
 それっきり会話が途切れ、二人の間に沈黙が降りる。ただ、楊福安ヤンフーアンは何か言いたそうに、横目で羅深思ルオシェンスーをチラチラと盗み見ていた。

「話聞こうか?」

 優しく促すと、たくさん泣いてスッキリしたからだろうか。楊福安ヤンフーアンはどこか吹っ切れた顔をして小さく頷いた。

「……俺、能力に目覚めたのは五年前なんです」

 そんなに前からか、と羅深思ルオシェンスーは意外に思う。センチネルが世に出始めたばかりの頃だ。彼の年齢を思うと、どれほどの苦労があったかは計り知れない。

「誘拐犯たちが銃を向けてきて、俺……」

 当時を思い出してか、声が震え出す。先の展開が読めた羅深思ルオシェンスーは彼の手をぎゅっと握り、慰めるように言った。

「犯人たちは自業自得だ。君は悪くない」

 能力に目覚める切っ掛けの一つに、命の危険が迫った時というのがある。突然の目覚めに力の加減ができず、周囲に膨大な被害が及ぶことはセンチネル出現当初からまま見られたことだ。
 しかし、子どもだった彼の目には、途方もなく恐ろしいものに映ったに違いない。
 楊福安ヤンフーアンは大きく息を吐き、言葉を続けた。

「今でもたまに、その時のことを夢に見るんです」

 彼は悪夢のせいで無意識に力を使ってしまうため、部屋に物が置けないのだという。目の下に薄っすらと浮かぶクマも、悪夢のせいでよく眠れないからだ。
 話を全て聞き終えた羅深思ルオシェンスーは、思い切って尋ねた。

「俺と寝てみる?」

 その言葉を聞いた途端、楊福安ヤンフーアンは目を見開いたまま硬直して、顔がみるみるうちに真っ赤になる。
 彼は何かとんでもない勘違いをしているようだ。羅深思ルオシェンスーはハッとして、慌てて弁明した。

「変な意味じゃなくて! ほら、俺に触れてたら力は使えないだろ? だから……」

「お願いします!」

 「嫌じゃなければ……」と続けるはずが、楊福安ヤンフーアンは食い気味に返事をする。その勢いに、今度は羅深思ルオシェンスーの方がびっくりする番だった。
 真っ直ぐに自分を見つめる眼差しには妙に熱が入っていて、羅深思ルオシェンスーは彼の勢いにたじろぎながら、改めて言った。

「よし、じゃあ試してみよう。いつでも良いから、荷物を持ってうちにおいで」

 すると、楊福安ヤンフーアンは突然ベッドから立ち上がり、なんとその場で荷造りを始めてしまった。気の早い彼に苦笑を漏らしながら、羅深思ルオシェンスーも手伝うために腰を上げる。
 きっとそれだけ悩まされていたのだろう。楊福安ヤンフーアンの表情はまるで春の訪れを告げるように華やいでいて、羅深思ルオシェンスーも釣られて笑みを漏らす。
 ここまで喜んでもらえるなら、提案した甲斐があったというものだ。羅深思ルオシェンスーは彼が再び安らかに眠れるまで、側にいてあげようと心に誓った。
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