21 / 41
第四章 変化
1 引っ越し効果
しおりを挟む隣に人がいる方が安心するからと押し切られ、一人用のベッドにぎゅうぎゅうになりながら楊福安と寝るようになって一週間が経つ。始めの頃こそ悪夢にうなされていた彼は、言葉の通り最近は熟睡できているようで、目の下のクマもずいぶん薄くなった。
そしてそれは、二人きりの訓練にも大きな影響をもたらした。
人気のない訓練場のガラス部屋の中、楊福安は真剣な眼差しでクマのぬいぐるみを浮かせている。少し前に、羅深思が彼にあげた物だ。
「いいぞ、その調子!」
部屋の外から様子を見ていた羅深思は、クマが安定して浮き続けていることを確認して無線越しに声を届ける。訓練は順調で、もう他の訓練生たちとほとんど変わらない。
ただ、順調に見えて一つ懸念があった。
「おっ、やってるな。少しはマシになったか?」
不意に聞こえてきた声に羅深思が振り返ると、ガイドで師匠の柳浩明が歩いてくる。楊福安が力の使い方に慣れてきてからというもの、彼は暇を見つけては訓練の進み具合を野次馬しに来るようになったのだ。
その時、ふわふわと漂うロープが柳浩明の行手を阻んだ。それはまるで、ここから先は立ち入り禁止と言わんばかりに通行の邪魔をしていた。
「福安、気が散ってるぞ! こっちまできてる!」
無線で呼びかけるも、ロープは依然として通行止めを続けて微動だにしない。
最近では柳浩明が見学に来た途端、なぜか楊福安の力は外へ漏れ出し、二人の間に障害物を作るようになったのだ。
「楊福安、聞こえてるんだろ?」
羅深思は再度呼びかけたが、教え子を叱る彼を柳浩明がまあまあと宥める。そして口の端を吊り上げ、意味ありげに言った。
「ヒョロっ子もやるようになったじゃねぇか。この俺様に喧嘩を売るなんてよ」
「そんなことないって。人が来たから気が散ってるんだよ」
おとなしい楊福安がそんなことをするはずがない。そう思った羅深思はすぐに柳浩明の言葉を否定した。
しかし、柳浩明は呆れたように眉を顰め、やれやれとため息を吐く。
「まあいい。それより、お前たち忘れてないか? 今日はベッドが届く日だろ?」
彼の言葉に羅深思はハッとする。一人用ベッドに二人で寝るのはさすがに狭すぎるからと、施設長にダブルベッドを取り寄せるように申請していた。
楊福安はセミダブルがいいと主張していたが、寝返りを打てた方が良いからと羅深思が押し切ったのだ。
ベッドは今日の午後に届く予定だったが、訓練に集中しすぎてすっかり忘れていた。
「もうそんな時間? 福安、ベッド来るって! 部屋に戻ろう」
呼びかけると、近くで浮いていたロープが音を立てて床に落ちる。そして、ガラス部屋の中から楊福安が目を輝かせて飛び出してきた。
セミダブルが良いと最後まで粘っていたが、彼も新しいベッドが楽しみだったのだろう。急ぎ足で自室へ戻ると、部屋の前には手伝いに来た李光と勇偉が待ち構えていた。
元々あったシングルベッドの解体組とダブルベッドの組み立て組に分かれて作業すると、一時間ほどで新しいベッドが完成した。
新しいダブルベッドの移動は、訓練も兼ねて楊福安に任せる。彼は羅深思の期待通り、訓練の成果を遺憾なく発揮して見事に設置作業を終わらせた。
「凄い凄い、上手にできるようになったね!」
僅かな音も立てず床に降ろされたベッドを見て、李光は自分のことのように喜んで拍手を送る。教え子の素晴らしい成長ぶりに、羅深思も鼻高々だ。
手伝ってくれた三人に何かお礼をしなければと考えていると、携帯を見ていた柳浩明が不意に口を開いた。
「俺からの引っ越し祝いが届いたぞ」
その言葉と共に、部屋の扉がコンコンと叩かれる。羅深思が出迎えると、扉の入り口を塞ぐように大きなグレーのソファが浮いていた。
「あっ、羅先生そこ退いて! 先生が触ったら落っこちちゃう」
ソファの影から宋堅の声がする。姿が見えないと思ったら、柳浩明に頼まれてソファを運んでいたのだ。
「柳師匠ってば、人使いが荒すぎるよ。夕飯も持ってきたよ!」
今日一番の功労者は宋堅で決まりだろう。彼はソファだけでなく、全員分の夕飯まで持ってきてくれていた。
羅深思は慌てて横に避けると、人一倍働いてお疲れな彼を通してあげた。
ベッドの向かいの壁にくっつくように、三人が優に座れるソファが置かれる。宋堅は楊福安ほど力が強くないので、下ろした途端ドスンと僅かに地面が揺れた。
「ふう……これでよし!」
ダブルベッドとソファが来たことで、殺風景だった部屋に生活感が出る。送り主の柳浩明は部屋の中を見渡すと、満足げに頷いた。
「これで少しはマシになったろ。お前ら、少しは人間らしい生活をしろよ!」
羅深思も楊福安も元から持ち物が少なかったので、二人で暮らし始めてからも物が増えることがなかった。柳浩明はそれがずっと気になっていたらしい。
「ありがと、明兄。宋堅もよく頑張ったな」
「大丈夫ですよ! 師匠からご褒美が貰えるんで」
こき使われたのに、宋堅はニヤニヤと嬉しそうだ。その理由はすぐに判明した。
部屋の隅から、勇偉が六本パックの缶ビールを持ってきたのだ。
「浩明兄、施設は酒禁止じゃなかったのか?」
酔っ払い同士で喧嘩が始まっては困るからと、酒の提供は禁止されていたはずだ。しかし、柳浩明は上機嫌でビールのパックを剥がしながら平然と返した。
「ガイドは別だぞ。本数制限はあるけどな」
センチネルほどの危険はないため、ガイドは酔わない程度の飲酒が認められているらしい。前々から疑っていたのか、勇偉はムッとして言った。
「やっぱりそうか! そんなことだと思ってた!」
「そう怒んなよ。今日は特別にお前らにも飲ませてやる」
憤る勇偉の肩に手を回し、柳浩明は悪い顔をする。彼は普段規則にうるさいが、息抜きをさせることも忘れない人物だ。
楊福安と李光が人知れずテーブルを出して夕飯の準備をしてくれていたので、悪い顔をした師弟たちは悠々と新品のソファに腰を下ろした。
悪の親玉のように舎弟を両側に座らせた柳浩明に笑みを堪えつつ、羅深思は真新しい匂いのするベッドに腰を下ろす。隣にはすぐに楊福安が来て、ニコニコと嬉しそうに口を開いた。
「羅先生、今日はどれから食べますか?」
「そうだな……まず水餃子からもらおうかな」
やり取りの後、楊福安は力を巧みに使って水餃子を一つ呼び寄せると、そのまま羅深思の口元に持っていった。
これは細かい作業の練習に編み出したものだ。彼はこの練習をいたく気に入ったようで、最近は毎日のように食べさせてもらっている。
楊福安と同じ念能力持ちの宋堅は、それを見てぱあっと顔を明るくさせた。
「そんな使い方もあるのか! よし、勇偉! 俺の愛を受け取ってぇん」
「おい馬鹿やめろ! あっつ!」
ふわふわと浮いた春巻きが勇偉の頬に直撃する。口まで上手く運ぶにはまだまだ練習が必要そうだ。
「宋堅! てめぇわざとだろ!」
「ごめんごめん、もう一回!」
宙に浮いた春巻きは綺麗な弧を描いてUターンすると、今度は勇偉の鼻にぶつかった。二度も春巻きの襲撃を受けた彼は、怒り心頭にソファから飛び起きる。
「表へ出ろ! このヘタクソ!」
『ヘタクソ』は流石に聞き捨てならなかったようで、宋堅も勢いよく立ち上がり、ムキになって言い返した。
「下手じゃねぇし! 意外と難しいんだって!」
二人がギャンギャン言い合いを始めると、頭上を飛び交う罵声に柳浩明が顔を顰める。
「お前ら、俺を挟んで喧嘩すんじゃねぇ」
迷惑さを滲ませながらも、彼は静かに言った。師匠の一声は効果抜群で、二人はぴたりと喧嘩をやめて大人しくソファに腰を下ろす。
この一週間、彼らは柳浩明の元で修行を重ねてきたので、すっかり躾けられたらしい。
賑やかなやり取りを眺めながら考え事をしていた羅深思は、楊福安に小声で話しかけた。
「飲酒中に喧嘩した奴に断酒の罰則与えれば、センチネルの飲酒も認めてもらえるかな?」
他の子達が我慢しているのに自分だけ飲むのは気が引けて、ずっと許可が下りる良い案を考えていたのだ。
提案を聞いた楊福安は柔らかく微笑んだ。
「良い落とし所だと思いますよ」
ここ最近、彼は羅深思の良き相談相手として活躍している。訓練生目線の意見を教えてくれるので、組織の改革案に困った時などに参考になるのだ。
二人で施設長に提出する具体案を詰めていると、一人だけ部屋の机に座って料理を独占していた李光が、ビールを片手に羅深思を指差した。
「羅先輩がまた仕事の話してる!」
突然の告発に、ソファの三人組は揃って険しい顔で羅深思へ顔を向ける。
「羅先生の仕事人間!」
罵倒なのか何なのかよく分からない宋堅の言葉に続き、柳浩明も文句を言う。
「飯の時に仕事の話すんじゃねぇ!」
何を隠そう、羅深思はオフの時はしっかり休めと彼らに何度か叱られていたのだ。だからこそ小声で話していたのだが、李光の地獄耳で台無しになった。
「そ、そうだ! 前に地下迷宮で白骨死体が見つかったって噂あっただろ? ああいうのって、他にもあるのか?」
露骨な話題逸らしに、羅深思にお仕置きをしようとしていた李光と宋堅は「どうする?」と顔を見合わせた。彼らの代わりに、勇偉が口を開く。
「色々あるぞ。天井から血が滲んでくるとか、見回りの時に助けてって声がしたとか」
そのどれもが、見回りの職員から聞いた話らしい。訓練生たちはその事実を確かめるため、何度か迷宮に足を踏み入れては見回りの職員に捕まって連れ戻されていたという。
「俺も聞いたことある! 観音像が涙を流すとか」
李光と宋堅の興味も噂話へ移り、ギリギリで罰を回避した羅深思はほっと胸を撫で下ろす。
この手の怖い話は定番なようで、聞けば聞くほど色々話が出てきた。
「で、どうしてそんなこと聞くんだ?」
あらかた話し終えた勇偉が、不思議そうに眉を顰める。羅深思はよくぞ聞いてくれましたとニヤリと笑った。
「ちょっとしたレクリエーションやろうと思ってね」
懲りない彼の言葉に、文句を言っていた三人は再び目を吊り上げた。
3
あなたにおすすめの小説
【16+4話完結】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜
キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」
平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。
そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。
彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。
「お前だけが、俺の世界に色をくれた」
蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。
甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
転生して王子になったボクは、王様になるまでノラリクラリと生きるはずだった
angel
BL
つまらないことで死んでしまったボクを不憫に思った神様が1つのゲームを持ちかけてきた。
『転生先で王様になれたら元の体に戻してあげる』と。
生まれ変わったボクは美貌の第一王子で兄弟もなく、将来王様になることが約束されていた。
「イージーゲームすぎね?」とは思ったが、この好条件をありがたく受け止め
現世に戻れるまでノラリクラリと王子様生活を楽しむはずだった…。
完結しました。
【完結済】王子を嵌めて国中に醜聞晒してやったので殺されると思ってたら溺愛された。
うらひと
BL
学園内で依頼をこなしていた魔術師のクリスは大物の公爵の娘からの依頼が入る……依頼内容は婚約者である王子からの婚約破棄!!
高い報酬に目が眩んで依頼を受けてしまうが……18Rには※がついています。
ムーン様にも投稿してます。
好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない
豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。
とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ!
神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。
そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。
□チャラ王子攻め
□天然おとぼけ受け
□ほのぼのスクールBL
タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。
◆…葛西視点
◇…てっちゃん視点
pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。
所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
有能副会長はポンコツを隠したい。
さんから
BL
2.6タイトル変更しました。
この高校の生徒会副会長を務める僕・東山 優真は、普段の仕事ぶりから次期生徒会長の最有力候補と言われている。……んだけど、実際は詰めの甘さやうっかりミスを根性論でカバーしてきたポンコツだ。
こんなに頑張れているのは、密かに思いを寄せている安西生徒会長のため。
ある日、なんの奇跡か会長に告白され晴れて恋人同士となった僕は、大好きな人に幻滅されないためにポンコツを隠し通すと決めたけど……!?(内容は他サイト版と同じですが、こちらの方がちょっと読みやすいはずです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる