【完結】空に溺れる月〜孤独なセンチネルは安寧を願う〜

てんてこ米

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第四章 変化

1 引っ越し効果

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 隣に人がいる方が安心するからと押し切られ、一人用のベッドにぎゅうぎゅうになりながら楊福安ヤンフーアンと寝るようになって一週間が経つ。始めの頃こそ悪夢にうなされていた彼は、言葉の通り最近は熟睡できているようで、目の下のクマもずいぶん薄くなった。
 そしてそれは、二人きりの訓練にも大きな影響をもたらした。
 人気のない訓練場のガラス部屋の中、楊福安ヤンフーアンは真剣な眼差しでクマのぬいぐるみを浮かせている。少し前に、羅深思ルオシェンスーが彼にあげた物だ。

「いいぞ、その調子!」

 部屋の外から様子を見ていた羅深思ルオシェンスーは、クマが安定して浮き続けていることを確認して無線越しに声を届ける。訓練は順調で、もう他の訓練生たちとほとんど変わらない。
 ただ、順調に見えて一つ懸念があった。

「おっ、やってるな。少しはマシになったか?」

 不意に聞こえてきた声に羅深思ルオシェンスーが振り返ると、ガイドで師匠の柳浩明リゥハオミンが歩いてくる。楊福安ヤンフーアンが力の使い方に慣れてきてからというもの、彼は暇を見つけては訓練の進み具合を野次馬しに来るようになったのだ。
 その時、ふわふわと漂うロープが柳浩明リゥハオミンの行手を阻んだ。それはまるで、ここから先は立ち入り禁止と言わんばかりに通行の邪魔をしていた。

福安フーアン、気が散ってるぞ! こっちまできてる!」

 無線で呼びかけるも、ロープは依然として通行止めを続けて微動だにしない。
 最近では柳浩明リゥハオミンが見学に来た途端、なぜか楊福安ヤンフーアンの力は外へ漏れ出し、二人の間に障害物を作るようになったのだ。

楊福安ヤンフーアン、聞こえてるんだろ?」

 羅深思ルオシェンスーは再度呼びかけたが、教え子を叱る彼を柳浩明リゥハオミンがまあまあと宥める。そして口の端を吊り上げ、意味ありげに言った。

「ヒョロっ子もやるようになったじゃねぇか。この俺様に喧嘩を売るなんてよ」

「そんなことないって。人が来たから気が散ってるんだよ」

 おとなしい楊福安ヤンフーアンがそんなことをするはずがない。そう思った羅深思ルオシェンスーはすぐに柳浩明リゥハオミンの言葉を否定した。
 しかし、柳浩明リゥハオミンは呆れたように眉をひそめ、やれやれとため息を吐く。

「まあいい。それより、お前たち忘れてないか? 今日はベッドが届く日だろ?」

 彼の言葉に羅深思ルオシェンスーはハッとする。一人用ベッドに二人で寝るのはさすがに狭すぎるからと、施設長にダブルベッドを取り寄せるように申請していた。
 楊福安ヤンフーアンはセミダブルがいいと主張していたが、寝返りを打てた方が良いからと羅深思ルオシェンスーが押し切ったのだ。
 ベッドは今日の午後に届く予定だったが、訓練に集中しすぎてすっかり忘れていた。

「もうそんな時間? 福安フーアン、ベッド来るって! 部屋に戻ろう」

 呼びかけると、近くで浮いていたロープが音を立てて床に落ちる。そして、ガラス部屋の中から楊福安ヤンフーアンが目を輝かせて飛び出してきた。
 セミダブルが良いと最後まで粘っていたが、彼も新しいベッドが楽しみだったのだろう。急ぎ足で自室へ戻ると、部屋の前には手伝いに来た李光リーグァン勇偉ヨンウェイが待ち構えていた。



 元々あったシングルベッドの解体組とダブルベッドの組み立て組に分かれて作業すると、一時間ほどで新しいベッドが完成した。
 新しいダブルベッドの移動は、訓練も兼ねて楊福安ヤンフーアンに任せる。彼は羅深思ルオシェンスーの期待通り、訓練の成果を遺憾なく発揮して見事に設置作業を終わらせた。

「凄い凄い、上手にできるようになったね!」

 僅かな音も立てず床に降ろされたベッドを見て、李光リーグァンは自分のことのように喜んで拍手を送る。教え子の素晴らしい成長ぶりに、羅深思ルオシェンスーも鼻高々だ。
 手伝ってくれた三人に何かお礼をしなければと考えていると、携帯を見ていた柳浩明リゥハオミンが不意に口を開いた。

「俺からの引っ越し祝いが届いたぞ」

 その言葉と共に、部屋の扉がコンコンと叩かれる。羅深思ルオシェンスーが出迎えると、扉の入り口を塞ぐように大きなグレーのソファが浮いていた。

「あっ、ルオ先生そこ退いて! 先生が触ったら落っこちちゃう」

 ソファの影から宋堅ソンジェンの声がする。姿が見えないと思ったら、柳浩明リゥハオミンに頼まれてソファを運んでいたのだ。

リゥ師匠ってば、人使いが荒すぎるよ。夕飯も持ってきたよ!」

 今日一番の功労者は宋堅ソンジェンで決まりだろう。彼はソファだけでなく、全員分の夕飯まで持ってきてくれていた。
 羅深思ルオシェンスーは慌てて横に避けると、人一倍働いてお疲れな彼を通してあげた。
 ベッドの向かいの壁にくっつくように、三人が優に座れるソファが置かれる。宋堅ソンジェン楊福安ヤンフーアンほど力が強くないので、下ろした途端ドスンと僅かに地面が揺れた。

「ふう……これでよし!」

 ダブルベッドとソファが来たことで、殺風景だった部屋に生活感が出る。送り主の柳浩明リゥハオミンは部屋の中を見渡すと、満足げに頷いた。

「これで少しはマシになったろ。お前ら、少しは人間らしい生活をしろよ!」

 羅深思ルオシェンスー楊福安ヤンフーアンも元から持ち物が少なかったので、二人で暮らし始めてからも物が増えることがなかった。柳浩明リゥハオミンはそれがずっと気になっていたらしい。

「ありがと、ミン兄。宋堅ソンジェンもよく頑張ったな」

「大丈夫ですよ! 師匠からご褒美が貰えるんで」

 こき使われたのに、宋堅ソンジェンはニヤニヤと嬉しそうだ。その理由はすぐに判明した。
 部屋の隅から、勇偉ヨンウェイが六本パックの缶ビールを持ってきたのだ。

浩明ハオミン兄、施設は酒禁止じゃなかったのか?」

 酔っ払い同士で喧嘩が始まっては困るからと、酒の提供は禁止されていたはずだ。しかし、柳浩明リゥハオミンは上機嫌でビールのパックを剥がしながら平然と返した。

「ガイドは別だぞ。本数制限はあるけどな」

 センチネルほどの危険はないため、ガイドは酔わない程度の飲酒が認められているらしい。前々から疑っていたのか、勇偉ヨンウェイはムッとして言った。

「やっぱりそうか! そんなことだと思ってた!」

「そう怒んなよ。今日は特別にお前らにも飲ませてやる」

 憤る勇偉ヨンウェイの肩に手を回し、柳浩明リゥハオミンは悪い顔をする。彼は普段規則にうるさいが、息抜きをさせることも忘れない人物だ。
 楊福安ヤンフーアン李光リーグァンが人知れずテーブルを出して夕飯の準備をしてくれていたので、悪い顔をした師弟たちは悠々と新品のソファに腰を下ろした。



 悪の親玉のように舎弟を両側に座らせた柳浩明リゥハオミンに笑みを堪えつつ、羅深思ルオシェンスーは真新しい匂いのするベッドに腰を下ろす。隣にはすぐに楊福安ヤンフーアンが来て、ニコニコと嬉しそうに口を開いた。

ルオ先生、今日はどれから食べますか?」

「そうだな……まず水餃子からもらおうかな」

 やり取りの後、楊福安ヤンフーアンは力を巧みに使って水餃子を一つ呼び寄せると、そのまま羅深思ルオシェンスーの口元に持っていった。
 これは細かい作業の練習に編み出したものだ。彼はこの練習をいたく気に入ったようで、最近は毎日のように食べさせてもらっている。
 楊福安ヤンフーアンと同じ念能力持ちの宋堅ソンジェンは、それを見てぱあっと顔を明るくさせた。

「そんな使い方もあるのか! よし、勇偉ヨンウェイ! 俺の愛を受け取ってぇん」

「おい馬鹿やめろ! あっつ!」

 ふわふわと浮いた春巻きが勇偉ヨンウェイの頬に直撃する。口まで上手く運ぶにはまだまだ練習が必要そうだ。

宋堅ソンジェン! てめぇわざとだろ!」

「ごめんごめん、もう一回!」

 宙に浮いた春巻きは綺麗な弧を描いてUターンすると、今度は勇偉ヨンウェイの鼻にぶつかった。二度も春巻きの襲撃を受けた彼は、怒り心頭にソファから飛び起きる。

「表へ出ろ! このヘタクソ!」

 『ヘタクソ』は流石に聞き捨てならなかったようで、宋堅ソンジェンも勢いよく立ち上がり、ムキになって言い返した。

「下手じゃねぇし! 意外と難しいんだって!」

 二人がギャンギャン言い合いを始めると、頭上を飛び交う罵声に柳浩明リゥハオミンが顔をしかめる。

「お前ら、俺を挟んで喧嘩すんじゃねぇ」

 迷惑さを滲ませながらも、彼は静かに言った。師匠の一声は効果抜群で、二人はぴたりと喧嘩をやめて大人しくソファに腰を下ろす。
 この一週間、彼らは柳浩明リゥハオミンの元で修行を重ねてきたので、すっかり躾けられたらしい。
 賑やかなやり取りを眺めながら考え事をしていた羅深思ルオシェンスーは、楊福安ヤンフーアンに小声で話しかけた。

「飲酒中に喧嘩した奴に断酒の罰則与えれば、センチネルの飲酒も認めてもらえるかな?」

 他の子達が我慢しているのに自分だけ飲むのは気が引けて、ずっと許可が下りる良い案を考えていたのだ。
 提案を聞いた楊福安ヤンフーアンは柔らかく微笑んだ。

「良い落とし所だと思いますよ」

 ここ最近、彼は羅深思ルオシェンスーの良き相談相手として活躍している。訓練生目線の意見を教えてくれるので、組織の改革案に困った時などに参考になるのだ。
 二人で施設長に提出する具体案を詰めていると、一人だけ部屋の机に座って料理を独占していた李光リーグァンが、ビールを片手に羅深思ルオシェンスーを指差した。

ルオ先輩がまた仕事の話してる!」

 突然の告発に、ソファの三人組は揃って険しい顔で羅深思ルオシェンスーへ顔を向ける。

ルオ先生の仕事人間!」

 罵倒なのか何なのかよく分からない宋堅ソンジェンの言葉に続き、柳浩明リゥハオミンも文句を言う。

「飯の時に仕事の話すんじゃねぇ!」

 何を隠そう、羅深思ルオシェンスーはオフの時はしっかり休めと彼らに何度か叱られていたのだ。だからこそ小声で話していたのだが、李光リーグァンの地獄耳で台無しになった。

「そ、そうだ! 前に地下迷宮で白骨死体が見つかったって噂あっただろ? ああいうのって、他にもあるのか?」

 露骨な話題逸らしに、羅深思ルオシェンスーにお仕置きをしようとしていた李光リーグァン宋堅ソンジェンは「どうする?」と顔を見合わせた。彼らの代わりに、勇偉ヨンウェイが口を開く。

「色々あるぞ。天井から血が滲んでくるとか、見回りの時に助けてって声がしたとか」

 そのどれもが、見回りの職員から聞いた話らしい。訓練生たちはその事実を確かめるため、何度か迷宮に足を踏み入れては見回りの職員に捕まって連れ戻されていたという。

「俺も聞いたことある! 観音像が涙を流すとか」

 李光リーグァン宋堅ソンジェンの興味も噂話へ移り、ギリギリで罰を回避した羅深思ルオシェンスーはほっと胸を撫で下ろす。
 この手の怖い話は定番なようで、聞けば聞くほど色々話が出てきた。

「で、どうしてそんなこと聞くんだ?」

 あらかた話し終えた勇偉ヨンウェイが、不思議そうに眉をひそめる。羅深思ルオシェンスーはよくぞ聞いてくれましたとニヤリと笑った。

「ちょっとしたレクリエーションやろうと思ってね」

 懲りない彼の言葉に、文句を言っていた三人は再び目を吊り上げた。
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