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エピローグ
希望の光
しおりを挟む目に眩しい昼の陽光が差し込むホテルの一室。滑らかなシーツの感触を肌に感じながら、羅深思はベッドの中で大きなあくびをする。
体は心地よい疲労感に満ちていて、起き上がる気になれない。
ふと、腹の辺りに手のひらが這う感触があった。危うい場所を目掛けるその手を掴むと、彼は迷惑そうに眉を顰める。
「福安、今何時だと思ってる?」
咎める声に返事をするように、まんまるとしたシーツの膨らみがもぞもぞと動く。ややあって顔を出した可愛い婚約者に、羅深思は笑みを向けた。
「今日は大事な式典の日だろ? そろそろ出る準備をしよう」
抑制剤の開発が始まってから三年。彼の目論見通り、センチネルたちは新たな仙人として受け入れられ始めていた。その功績が認められ、羅深思は政府から一つだけ要望を聞いてもらえることになったのだ。
「まだ早いんじゃないですか? もう少しだけ……」
熱い素肌を押し付けながら、楊福安が腕にまとわりついてくる。首筋に何度も口づけられ、羅深思はほんの少し心が揺れるも、心を鬼にして彼をベッドから押し出した。
「ダメだよ。ほら、もうお義父さん向こうに着いたってさ」
携帯には楊福安の父から「どこにいるんだ?」とメールが来ていた。しかし、当の息子は早入りするどころかベッドに舞い戻ってくる。
「父さんはいつも早いんですよ」
「そんな風に言っちゃダメだって。可愛い息子のために法律捻じ曲げてくれたのに、これじゃあ浮かばれないよ」
一年ほど前、楊志偉はセンチネルに対する新たな政策を成立させた。それは『センチネルに限り同性婚を推奨する』というものだ。
センチネルの力が遺伝すると証明されたので、これ以上数を増やさないようにするための政策らしい。
センチネルに批判的な楊書記の発言は物議を醸し、一時はセンチネルへの差別だと荒れたこともあった。しかし、あくまで推奨に留めたため、今は沈静化している。
「俺たち、お義父さんのお陰で結婚できるんだぞ」
「分かってますけど……せっかくのお休みなのに」
いつものおねだりが通じないと分かると、楊福安はいじけたように唇を尖らせる。
センチネルが仙人に名前を変えて活動を始めてから、二人の生活は大きく変わっていた。
羅深思は教鞭をとって、訓練施設で未来の仙人に授業を行い、楊福安は犯罪現場や災害現場へ救援に行く日々だ。こうして二人でゆっくり過ごせるのは久しぶりだった。
「そんなこと言って、昨日からホテルに篭りっきりだったろ? せっかく上海に来たってのに」
元々上海の研究施設にいた羅深思は、二人で観光できると楽しみにしていた。それなのに、楊福安はホテルに着いてからというもの、彼をベッドから出してはくれなかった。
「後でたっぷり可愛がってあげるから、準備しよう」
機嫌を取るようにいじけた唇にキスをすると、羅深思は再び彼の誘惑に負けないよう、逃げるようにベッドから抜け出した。
着替えを済ませた二人はタクシーに乗り、かつてセンチネルによる暴走事故が起きた大型ショッピングモールへ向かう。
一つだけ要望を聞くと言われて羅深思が望んだのは、上海で起きた暴走事故の詳細を公表することだった。
事故で亡くなった張力飛の家族は、息子を失った悲しみに暮れる時間もなく、世間から酷いバッシングを受けた。彼らにはなんの非もなかったにも拘らずだ。
「思兄は本当にお人好しですよね」
羅深思の肩にもたれ掛かり、楊福安はふっと笑みを漏らす。
「せっかくの権利を人のために使うなんて」
勿体ないと言われては反論もできないが、羅深思は唯一の心残りがやっと解消されて満足だった。
こうでもしなければ、政府は絶対に非を認めず、遺族は非難の的のままだっただろう。張力飛を助けることはできなかったが、これで彼の大切な人を守ることができる。
「幻滅した?」
冗談混じりに尋ねると、楊福安は笑みを深めて彼の頬に口づけた。
「惚れ直しました」
甘い囁きに、羅深思も顔を綻ばせる。愛しい婚約者を抱きしめたい気持ちでいっぱいだったものの、タクシーの中なのでさすがに自重した。
二人で午後の予定を話し合っているうちに、彼らの乗ったタクシーは真新しいショッピングモールへ辿り着く。すでに駐車場は人でいっぱいで、式典が始まるのを今か今かと待っている。
「すごい人ですね」
圧巻の光景に楊福安は息を呑んだ。
人が集まる場所には屋台が出るもので、風に乗って食べ物のいい香りが流れてくる。
始まるまでまだ時間があるので、羅深思は何か買って食べようかと店の方に目を凝らした。すると、空から見回り中の仙人がふわりと降ってきた。
「羅先生、福安、久しぶり!」
白い漢服を着て現れたのは、楊福安の昔の同窓、宋堅だ。懐かしい教え子との再会に、羅深思は嬉しくなって駆け寄った。
「宋堅、元気にしてたか? 立派になったな」
不器用な彼が飛行訓練を始めた頃、かなり苦戦して上手く飛べずにいたのを覚えている。それが今では巧みに力を操って、自由に飛び回る姿は立派な仙人だ。
「あの頃の俺とは違うぜ! 今日はここの警備を任されたんだ。俺は仕事だけど、他の奴らも来てるみたいだよ」
誇らしげに胸を張り、宋堅は駐車場の方を見渡した。とはいえ、いかんせん人が多すぎて見つけられない。
羅深思も彼に倣って辺りを見渡し、見通しの悪さに苦笑を漏らす。
「この人だかりじゃ、探すのは無理そうだな。そうだ、久しぶりに調律してやろうか?」
仕事前に調子を整えてあげようと手を差し出すと、宋堅は嬉しそうに目を輝かせた。
「やった! 俺、先生の調律好きなんだよね。早いから」
彼がポンと手を乗せた途端、楊福安はムッとした。
「思兄は俺の道侶なのに……」
浮気者、と責めるように文句を言う。仙人のパートナーということで、ガイドは現在、共に修行をする『道侶』と呼ばれていた。
しかし、道侶には別の特別な意味もある。楊福安は軽率に他の人の調律をする羅深思に怒り、やきもちを妬いたのだ。
「ごめんごめん。二人って本当に仲良しだよな。結婚式には呼んでくれよ!」
痴話喧嘩の空気を察知して、宋堅は逃げるように去っていった。
彼のように飛んで逃げることができない羅深思は、ヘソを曲げた楊福安に困った顔を向ける。
「俺の可愛い旦那さま。たった五秒だろ? そんなに怒んないでくれよ」
両手で彼の顔を包み込み、誠心誠意ごめんね、と謝った。それでも彼はムスッとして、無言の抗議を続けている。
ちっとも機嫌が直らないので、羅深思は仕方なく奥の手を使うことにした。
「まとまった休みが三日取れそうなんだけど、何かしたいことある?」
一考の余地ありと思ったのか、楊福安の表情が僅かに和らぐ。彼は考え抜いた末、怒るのをやめることに決めたようだ。
「……なんでもいい?」
おねだりをする時の上目遣いに、羅深思は内心チョロいなとほくそ笑みつつ、「いいよ」と安請け合いする。そして続く言葉に顔を引き攣らせた。
「じゃあ、三日間たくさん楽しみましょうね!」
「ちょっ……と一つ聞いていい? 楽しむって、何を?」
まんまと罠に嵌められたのは自分の方だったかもしれない。
恐る恐る尋ねるも、楊福安は意味深な含み笑いを浮かべるだけで答えてくれなかった。それどころか、彼は話を逸らすように式典の会場を指差した。
「ほら、始まるみたいですよ」
壇上には楊福安の父も上がっていて、長い追悼のスピーチをしている。
不幸な事故で亡くなった人たちと共に張力飛の名前も読み上げられ、辺りはしんみりとした空気に包まれた。追悼の慰霊碑が披露されると、会場から拍手が起こる。
長らく彼の名誉を回復するために苦心してきた羅深思は、感慨深い気持ちでいつまでもその光景を眺めていた。
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