囚われの狼は白兎の牙に溺れる

てんてこ米

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第三章

1 薔薇の中の会合

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 発情期で暴走気味だったのに、エルシオンの抱き方は子作りのための交尾と言うよりも、体の隅々まで味わい尽くすかのようだった。ベッドの中で情けなくも甘い声を出して乱れに乱れたリュカオンは、解放された途端に強烈な睡魔に襲われて意識を手放した。
 彼が目を覚ましたのは、会合が始まる三十分前だった。優しく肩を揺する手にゆっくりと目を開けると、白い燕尾服を着たエルシオンの姿が目に入る。

「リュカ、準備をするから起きて」

 どこを切り取っても完璧なその姿は、寝起きの目には少し眩しい。リュカオンは目をしぱしぱさせると、助け起こそうとする手をやんわりと押し返した。

「……なんの準備だ?」

 散々喘がされたせいか、声が掠れてしまっている。このままでは会合に響いてしまいそうだ。
 温かく心地のいい寝床に後ろ髪を引かれながら、リュカオンは怠さの残る身体を起こした。

「この声、お前の魔法でなんとかなんねぇの?」

「これを少しずつ飲んで。すぐに良くなるから」

 用意のいいエルシオンが差し出してきたのは、とろりとした琥珀色の液体が入ったグラスだった。受け取ると温かく、蜂蜜と林檎の香りがする。
 リュカオンは仄かに甘いその液体をゆっくりと飲み干し、声を出してみた。

「ああー……すげぇな、元通りだ。お前の魔法って便利だな」

 僅かな掠れもなく、喉が潤っている感じがする。
 大したものだと感心していると、エルシオンがくすりと笑みを漏らした。

「それはただの民間療法だ。蜂蜜をお湯に溶かして飲むと、喉の痛みが和らぐから覚えておいて」

 彼は魔法を使えるだけでなく、知識も豊富なようだ。リュカオンは彼の博識なところには一目置いている。

「具合がよくなったなら、着替えを済ませてしまおう」

 優美な笑みを浮かべ、エルシオンは真新しい白いシャツを広げた。どれだけ予備があるのか、またもや高級そうな生地だ。
 最近ずっと彼に着替えの手伝いをされてきたせいだろうか。リュカオンは、いつの間にか当たり前のように身を委ねてしまっていた。
 何から何まで世話になっていたら、ダメ人間まっしぐらだ。

「いちいち手伝わなくていいって」

 自分で着ようとシャツに手を伸ばすも、エルシオンはさっと身を引いた。

「私が好きでしているだけだから」

 どうしてもお世話係がしたいらしい。リュカオンは何度も彼の手から着替えを奪い取ろうと飛び掛かったが、すばしっこいうさぎ族の動きは厄介で、全て軽々とかわされてしまう。

「分かった分かった、もう好きにしろよ」

 時間が押していることもあり、リュカオンは渋々折れた。こんなことで遅刻していては、それこそお笑い種だ。
 許しを得たエルシオンは嬉しそうに耳をピンとさせ、手際よくリュカオンに服を着せ始めた。
 されるがままになりながら、リュカオンは何か大事なことを忘れているような気がして考え込む。しかし、何が引っ掛かっているのか見当もつかない。
 結局着替えが終わっても思い当たらず、それなら大したことではなかったのだろうと思考を放棄した。
 肌触りのいい白シャツに、蔦模様が施された上品な焦茶色のベスト。用意された一式を身につけると、まるでどこかの領主様のようだった。
 自分の用意した服を着たリュカオンをまじまじと見て、エルシオンは満足げに微笑んだ。

「うん、よく似合っている」

 それぞれの種族の代表が集まる会合なので、見劣りしないように見繕ってくれたのだろう。彼の勝手に振り回されてばかりではあるが、自前の服ではこうはいかなかった。その点だけは、彼に感謝せざるを得ない。

「まあ、センスは悪くねぇな」

 いい服を着ていると、自ずと背筋が伸びる。軽く腕を回して服の着心地を確かめたリュカオンは、側で期待に目を輝かせて『褒められ待ち』をしているエルシオンの頭をくしゃくしゃと撫でてやった。



 身支度を済ませて薔薇園に足を踏み入れると、拓けた庭の中に純白のクロスが掛けられた大きな円卓が設置されていた。
 久しぶりに大地を踏みしめたリュカオンは、それだけで上機嫌になる。ずっと部屋に籠り切りだったので、今すぐ駆け出したい気分だ。
 秋だというのに、周囲の茂みには赤々とした薔薇が咲き乱れていた。きっと魔法の力が働いているのだろう。香りは控えめだが、澄んだ空気に混じるその匂いは華やかだ。
 円卓の上には美しい花のブーケが飾られていて、豪華な燭台にある赤い蝋燭が暖かな光を放っている。なんともロマンチックな雰囲気で、真面目な会合の場というよりも恋人たちの秘めやかな密会の場のようだった。

「今日の、本当に会合なんだろうな? 俺を口説こうとしてねぇか?」

 彼ならやりかねないと、リュカオンは訝しむように横目でじろりと睨んだ。だが、エルシオンは楽しそうに笑って返した。

「集まりがあるのは本当だ。でも、あなたが望むなら今度は二人きりで食事をしよう」

 魅惑的な微笑みに、リュカオンはかっと頬が熱くなった。隙あらば口説いてこようとする彼からさっと視線を逸らし、綺麗に整えられた円卓に目を向けた。
 華やかに彩られた円卓の上には、汚れ一つない真っ白な皿とワイングラスが均等に並べられている。料理が運ばれてきさえすれば、すぐにでも食事を始められそうだ。

「夕飯もここで食うのか?」

「会食も兼ねている。そろそろ代表たちが来るはずだ」

 噂をすれば、枯れ葉を踏む落ち着きのない足音が近づいてきた。澄んだ空気に懐かしい匂いを嗅ぎ取り、リュカオンはピンと耳を立てる。

「あっ、ボス! お久しぶりです!!」

 子犬みたいにブンブンと尻尾を振りながら現れたのは、弟分のハンスだ。彼は喜び勇んでリュカオンに飛びつこうとしたが、急にハッと青ざめて動きを止めた。
 尻尾を巻いて怯えた様子を見せる弟分を見て、リュカオンはやれやれと肩を竦める。

「エル、家族相手に威嚇してんじゃねぇ」

 やきもち焼きの白うさぎが、隣で射殺さんばかりに睨みを利かせていたのだ。リュカオンが止めろと肘でどつくと、まっすぐに伸びた長い耳がへにゃりと垂れる。

「俺のつがいになりてぇなら、もっと堂々としてろ。弱ぇやつと番う気はねぇぞ」

 するとエルシオンはたちまち気力を取り戻し、真っ直ぐに耳を立てて真剣な顔で頷いた。

「分かった!」

 元気のいい返事が返ってきて、リュカオンもうんうんと頷く。ベッドの中では惨敗だったが、だんだん彼の扱いが分かってきた。

「分かればよし! おら、もう一人客が来てるぞ。もてなすのはお前の役目だろ?」

 ハンスの後ろから、ゆったりとした足取りで人影が現れる。赤茶色をしたふわふわの三角耳にほっそりとした吊り目、見るからに狐族の代表だ。
 狐族とは懇意にしているため、彼とは当然顔馴染みだ。名をクーレルといい、リュカオン含む狼族の仲間たちは、小さい頃によく怪我の手当てをしてもらっていた。
 狼族は箱庭の近くまで行かないので、道を知らないハンスを案内してくれたのだろう。
 ニヤニヤしながら何か言いたそうにしているクーレルの応対をエルシオンに任せ、リュカオンはハンスを中庭の隅に引っ張り込んだ。目的はもちろん、自分のいない間の群れの様子を聞くためだ。

「おい、今向こうはどんな感じだ?」

 手紙で色々と教えてもらってはいたが、やはり対面で詳しく聞き出す方がいい。
 ハンスはちらりとエルシオンを窺い見た後、目を輝かせて口を開いた。

「ボスが珍しい酒を送ってくれたおかげで、みんな上機嫌で平和ですよ」

 酒好きの多い狼族の面々は、美味い酒に目がない。そのため、いつものように喧嘩が起きることもなく、和気藹々と酒を飲み交わしているという。
 エルシオンを群れの一員に迎えたことは、リュカオンが率いる群れにだけは浸透しているようだ。よそから来た狼たちは真実よりも面白おかしい噂話の方が酒が進むのか、ハンスは『リュカオン死亡説』が根強く残っていると付け加えた。

「あいつら、好き勝手言ってやがるな」

「ボスが顔を出せばすぐ収まりますよ。それより……」

 ハンスはニヤニヤとからかうような笑みを浮かべ、声を潜めてリュカオンに耳打ちした。

「うまいことやりましたね、ボス。あのめちゃ強うさぎを番にするなんて」

「この馬鹿! まだ番にするって決まったわけじゃねぇぞ」

 訳あって一線を超えてしまったものの、リュカオンの中では未だ考え中だ。それなのに、ハンスはもう二人が番になっていると思い込んでいる。

「そんなにうさぎの匂いプンプンさせておきながら、なに言ってんですか! さっきまでお楽しみだったんでしょ?」

 笑いながら放たれた彼の言葉に、リュカオンはようやく自分が何に引っ掛かっていたのかに思い当たった。風呂に入るのを忘れていたのだ。
 その事実に気付くなり、リュカオンの顔は真っ赤に染まった。今、自分はエルシオンの匂いが体の隅々まで染み込んだ状態だ。
 あれだけ頭を悩ませたのに、鼻が慣れてしまっていたのでそのことに気付けなかった。どうりでクーレルがニヤニヤしながらこちらを見ていたわけだ。
 今すぐにでも湯を張った風呂に飛び込みたい気分だが、時間は待ってくれない。会合場所に続々と人が集まってくるのを見て、リュカオンはただただ呆然とするしかなかった。
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