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囚われの騎士
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「アビゴール・カイン……この、悪魔め」
レオンが苦々しく呟くと、相手は唇を歪ませて微笑した。
「……お前は毎回律儀にそう呼んでくれるよな。普通にカインと呼べよ」
怪異な容貌の青年はいかにも親しげにそう言うと、そっとレオンに近付いてきた。
「久しぶりだな?」
レオンが剣を抜き放ち、身を守るように構える。
だが相手はそれを全く意に介さない。
「神に誓いを立てていて、女とは出来ない……って?」
艶めいた赤い唇からくすりと酷薄な笑い声が漏れる。
「俺は今でも……神に忠誠を誓っている……っ」
言い返すにはどこか弱さのある声で言い、レオンがカインを睨み上げた。
「身も心もか?……どれ、俺の敬虔な聖騎士様のお身体を確かめてみるとするか」
銀の髪が煌めき、気付けば悪魔がレオンの背後に回っていた。
力強い両腕が、まるで恋人を抱くように優しく肩を抱きしめる。
同時に黒いローブの間から先の尖った尾がしゅるりと飛び出し、レオンの太腿に巻き付いた。
「……!」
腿の内側に小さな痛みが幾つも走る。
震える両手から剣が滑り落ち、足元でゴトッと低い音が響いた。
「……血の匂いがする。お前、また殺したな?」
うなじに唇を埋め、チュ、と音を立てて口付ける音が狭い部屋に響く。
「……っ、殺したくて、殺した訳じゃない……お前のような悪魔に取り憑かれていなければ、あの憐れな兵士は、エルカーズ王国の普通の人間だった……!」
「悪魔、か。俺たちはエルカーズ人の『神』だって言ってんだろ。自分達の崇める神とは違うからと言って、差別は感心しねえな」
レオンが激昂しても、相手はどこ吹く風という調子でうそぶいた。
「お前達の唯一神は雲の上から降りてこねえが、俺たちは地上にいて人間に力を貸すことが出来る。その力をどう使うかは人間次第だが……俺がお前にしてやったように、百年以上の生をくれてやるなんてご利益は、お前たちの神には到底、不可能だろうが?」
「それは俺が望んだ訳では……っ」
悪魔の青ざめた両手がゆっくりとレオンのシャツを脱がせていく。
既に血管を甘い毒が回り始めているのか、下肢が熱っぽく疼き始めていた。
これ以上抵抗すれば、なぶられる時間が長くなるだけだ――。
経験から来る諦めが自制心を蕩かしてゆく。
「俺がお前に掛けている『呪い』がどんなものなのか、下にいる奴らにばらしてやろうか……。高潔な騎士様が隣国の王に宿る『悪魔』の息子に取り憑かれていると知ったら、この村の連中はどう思うかな」
「やめてくれ……」
首を振り、レオンは振り向いて悪魔の赤く蠱惑的な瞳を見つめ、震える唇を開いた。
「お前の、望む通りに……っ」
――この世界における一時代前に、一人の勇猛な剣士が歴史の表舞台から忽然と姿を消した。
名はレオン・アーベル。
長身と均整の取れた体格に恵まれ、短く切り揃えた黒髪とあどけない美貌を持つ青年。
彼はその潔癖で朴訥とした性格に反し、若くして大陸一の剣士と謳われ、戦場では鬼神の如き強さを発揮した。
デンメルング聖騎士団に所属し、敵襲となれば民を守る為、縦横無尽に馬を駆り大剣を振るう。最大の脅威は、勝利のためには邪神崇拝や悪魔との契約も辞さないと言われる大国エルカーズ。
ところが、その隣国との最大にして最後の決戦の最中、剣士レオンの消息は突然に途切れた。
殺されたのか、それとも怖気づいて逃げてしまったのか――。
時は百年程前の新月の夜にさかのぼる。
南の小王国タルダンとエルカーズ王国の国境近く、岩と砂に覆われ、生きて動くものなどどこにも見えない荒涼とした大地。
その岩肌にへばりつくように三百余りの野営の天幕が並んでいた。
騎士と従士たちは近日襲来するであろう敵の大軍勢に備え、皆幕屋の中で寝静まっていた。
外では幾つもの松明の火がパチパチと音を立て、風に揺れている。
ひと際明るいのは野営地の中央に立つ、聖騎士団総長の大きな天幕の前だ。
その入り口に、ひっそりと近づくものがあった。
「失礼。見廻りを終了したのですが、総長にご報告申し上げたいことがございます」
外に立ったまま小声で呼び掛けるのは、歩哨の従士である。
中で反応したのは、総長の簡易ベッドの前で軍装のまま座って休んでいた副官の騎士だった。
「総長はお休みになられている。俺が聞こう」
彼は天幕の布を揚げ、冷たい夜風の吹く外へと出た。
まだうら若い彼の白い肌を炎が照らし、濃い陰影を作る。
「ヘル・アーベル……」
従士が少し動揺した様子で彼の端正な顔をみつめた。
「何があった?」
名を呼ばれた騎士、レオン・アーベルが問いただすと、相手はいかにも言いにくそうに口を開いた。
「実は……その……女を……天幕に連れ込んでいるものが」
「女?」
眉を顰め、レオンは聞き返した。
聖騎士団は誓いを立てた騎士とその下で働く従士、それに後方を担う修道士達で成り立っている。
男性のみで構成され、入団後は結婚はおろか女と交わることなく、貞節を保つ。
レオンのように幼くして団に入ったものは特に、シミひとつない純潔を保ち続けている者ばかりである。
団規に違反するものは罰し、罪の重いものは処刑せねばならない。
「総長を起こすまでもない。俺が行く」
レオンは少し憂鬱な気分で総長のテントを離れ、歩哨と共にテントの間を歩き始めた。
禁欲は若い男には酷なことだ。自分が内々に処分すれば、肉体的には酷い罰を受けずに済むだろう。
それにしてもこんな砂漠のような場所で、一体どうやって女が紛れ込んだのか。
娼館のある町中での掟破りならまだ分かるが。
少し奇妙に思いながらも、天幕の間を従士について歩く内に、怪しい息遣いと声が、風にのって微かに耳に届いた。
――ッ、ア……っァ……もっと……ぉ
裏返った甲高い喘ぎ声。
レオンの頬が無意識にかっと赤く染まる。
思わず足が止まってしまい、従士が困惑したような顔でこちらを振り返った。
「だ、……大丈夫だ」
頷き、ふーっと大きく息をついて心を落ち着ける。
――何を見ても動揺しない。
心の中で自分に言い聞かせて、レオンは更に歩みを進める。
だが、怪しげなその声の出所は、レオンをもっと仰天させることになった。
「ここ、は――」
行き着いた場所は――自身と同じく、少年の頃から騎士団に所属している幼馴染の親友の騎士、アレクスの天幕だったのだ。
レオンが苦々しく呟くと、相手は唇を歪ませて微笑した。
「……お前は毎回律儀にそう呼んでくれるよな。普通にカインと呼べよ」
怪異な容貌の青年はいかにも親しげにそう言うと、そっとレオンに近付いてきた。
「久しぶりだな?」
レオンが剣を抜き放ち、身を守るように構える。
だが相手はそれを全く意に介さない。
「神に誓いを立てていて、女とは出来ない……って?」
艶めいた赤い唇からくすりと酷薄な笑い声が漏れる。
「俺は今でも……神に忠誠を誓っている……っ」
言い返すにはどこか弱さのある声で言い、レオンがカインを睨み上げた。
「身も心もか?……どれ、俺の敬虔な聖騎士様のお身体を確かめてみるとするか」
銀の髪が煌めき、気付けば悪魔がレオンの背後に回っていた。
力強い両腕が、まるで恋人を抱くように優しく肩を抱きしめる。
同時に黒いローブの間から先の尖った尾がしゅるりと飛び出し、レオンの太腿に巻き付いた。
「……!」
腿の内側に小さな痛みが幾つも走る。
震える両手から剣が滑り落ち、足元でゴトッと低い音が響いた。
「……血の匂いがする。お前、また殺したな?」
うなじに唇を埋め、チュ、と音を立てて口付ける音が狭い部屋に響く。
「……っ、殺したくて、殺した訳じゃない……お前のような悪魔に取り憑かれていなければ、あの憐れな兵士は、エルカーズ王国の普通の人間だった……!」
「悪魔、か。俺たちはエルカーズ人の『神』だって言ってんだろ。自分達の崇める神とは違うからと言って、差別は感心しねえな」
レオンが激昂しても、相手はどこ吹く風という調子でうそぶいた。
「お前達の唯一神は雲の上から降りてこねえが、俺たちは地上にいて人間に力を貸すことが出来る。その力をどう使うかは人間次第だが……俺がお前にしてやったように、百年以上の生をくれてやるなんてご利益は、お前たちの神には到底、不可能だろうが?」
「それは俺が望んだ訳では……っ」
悪魔の青ざめた両手がゆっくりとレオンのシャツを脱がせていく。
既に血管を甘い毒が回り始めているのか、下肢が熱っぽく疼き始めていた。
これ以上抵抗すれば、なぶられる時間が長くなるだけだ――。
経験から来る諦めが自制心を蕩かしてゆく。
「俺がお前に掛けている『呪い』がどんなものなのか、下にいる奴らにばらしてやろうか……。高潔な騎士様が隣国の王に宿る『悪魔』の息子に取り憑かれていると知ったら、この村の連中はどう思うかな」
「やめてくれ……」
首を振り、レオンは振り向いて悪魔の赤く蠱惑的な瞳を見つめ、震える唇を開いた。
「お前の、望む通りに……っ」
――この世界における一時代前に、一人の勇猛な剣士が歴史の表舞台から忽然と姿を消した。
名はレオン・アーベル。
長身と均整の取れた体格に恵まれ、短く切り揃えた黒髪とあどけない美貌を持つ青年。
彼はその潔癖で朴訥とした性格に反し、若くして大陸一の剣士と謳われ、戦場では鬼神の如き強さを発揮した。
デンメルング聖騎士団に所属し、敵襲となれば民を守る為、縦横無尽に馬を駆り大剣を振るう。最大の脅威は、勝利のためには邪神崇拝や悪魔との契約も辞さないと言われる大国エルカーズ。
ところが、その隣国との最大にして最後の決戦の最中、剣士レオンの消息は突然に途切れた。
殺されたのか、それとも怖気づいて逃げてしまったのか――。
時は百年程前の新月の夜にさかのぼる。
南の小王国タルダンとエルカーズ王国の国境近く、岩と砂に覆われ、生きて動くものなどどこにも見えない荒涼とした大地。
その岩肌にへばりつくように三百余りの野営の天幕が並んでいた。
騎士と従士たちは近日襲来するであろう敵の大軍勢に備え、皆幕屋の中で寝静まっていた。
外では幾つもの松明の火がパチパチと音を立て、風に揺れている。
ひと際明るいのは野営地の中央に立つ、聖騎士団総長の大きな天幕の前だ。
その入り口に、ひっそりと近づくものがあった。
「失礼。見廻りを終了したのですが、総長にご報告申し上げたいことがございます」
外に立ったまま小声で呼び掛けるのは、歩哨の従士である。
中で反応したのは、総長の簡易ベッドの前で軍装のまま座って休んでいた副官の騎士だった。
「総長はお休みになられている。俺が聞こう」
彼は天幕の布を揚げ、冷たい夜風の吹く外へと出た。
まだうら若い彼の白い肌を炎が照らし、濃い陰影を作る。
「ヘル・アーベル……」
従士が少し動揺した様子で彼の端正な顔をみつめた。
「何があった?」
名を呼ばれた騎士、レオン・アーベルが問いただすと、相手はいかにも言いにくそうに口を開いた。
「実は……その……女を……天幕に連れ込んでいるものが」
「女?」
眉を顰め、レオンは聞き返した。
聖騎士団は誓いを立てた騎士とその下で働く従士、それに後方を担う修道士達で成り立っている。
男性のみで構成され、入団後は結婚はおろか女と交わることなく、貞節を保つ。
レオンのように幼くして団に入ったものは特に、シミひとつない純潔を保ち続けている者ばかりである。
団規に違反するものは罰し、罪の重いものは処刑せねばならない。
「総長を起こすまでもない。俺が行く」
レオンは少し憂鬱な気分で総長のテントを離れ、歩哨と共にテントの間を歩き始めた。
禁欲は若い男には酷なことだ。自分が内々に処分すれば、肉体的には酷い罰を受けずに済むだろう。
それにしてもこんな砂漠のような場所で、一体どうやって女が紛れ込んだのか。
娼館のある町中での掟破りならまだ分かるが。
少し奇妙に思いながらも、天幕の間を従士について歩く内に、怪しい息遣いと声が、風にのって微かに耳に届いた。
――ッ、ア……っァ……もっと……ぉ
裏返った甲高い喘ぎ声。
レオンの頬が無意識にかっと赤く染まる。
思わず足が止まってしまい、従士が困惑したような顔でこちらを振り返った。
「だ、……大丈夫だ」
頷き、ふーっと大きく息をついて心を落ち着ける。
――何を見ても動揺しない。
心の中で自分に言い聞かせて、レオンは更に歩みを進める。
だが、怪しげなその声の出所は、レオンをもっと仰天させることになった。
「ここ、は――」
行き着いた場所は――自身と同じく、少年の頃から騎士団に所属している幼馴染の親友の騎士、アレクスの天幕だったのだ。
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