聖騎士の盾

かすがみずほ@3/25理想の結婚単行本

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貴公子と騎士

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 事態が把握できないままレオンは左手で剣を取って立ち上がり、声の通り、焚火の炎の揺れる方向へ向かって全速力で走った。
 唸りが追って来る気配はあったが、木々の間の闇を抜けている内に少しずつそれが消えていく。
 足を止める頃には、シーンとした静寂だけが最後に残った。
「……」
 ハッハッという自分の激しい呼吸だけが空気を震わせている。
 ――あの声は、一体。
 馬を置いてきてしまった事に気付き、レオンは慎重に今来た道を再び戻り始めた。
 遠くに自分の焚いた炎が微かに見える。
 そこへ近づいていくと、足元に自分を追いかけていた人狼と思しき死体を見つけた。
 既に人間の男性に戻っているが、やはり背中に矢が刺さっている。
 レオンはその矢を掴み、力を込めて引き抜いた。
 目を凝らして見てみると、末端の矢羽の装飾が独特で、エルカーズの軍隊が使っているものだと分かった。
「エルカーズ人……?」
 警戒し、周囲を見回す。
 その場に留まり、背の高い茂みを見つけて抜き身の剣を持ったまま身を隠した。
 そのまま隠れていると、やがて自分の馬のものではない蹄の音が、少しずつ近づいてくるのが聞こえた。
 腕の傷はもう癒えている。戦おう思えば戦うことが出来るだろう。
 緊張感に心臓を高鳴らせていると、やがて目の前に、夜目にも目立つ葦毛の馬に乗った、一人の長身の男が現れた。
 星明かりに輝く、肩で切り揃えた色の濃い金髪。
 若く凛々しい顔立ちは非常に整っているものの、眉がしっかりと濃く健康的で、男性的な魅力に満ちていた。
 洋弓と矢筒を背に負い、その服装はエルカーズの襟の詰まった衣装で、旅装束と思われる地味な色合だったが、所どころに金糸で入った刺繍が高貴な印象を与えている。
 青年は馬上で唇を開き、張りのある美しい声で呼びかけてきた。
「隠れているのなら、出てくるが良い。私は人間だ」
 今まで聞いたことも無いほど高貴なエルカーズ語の発音。
 恐らく、身分の高いエルカーズ人だろう。
 出ていけば捕まるかもしれない。だが、相手は命の恩人だ。
 意を決し、レオンは剣をソードベルトに収めて立ち上がった。
 茂みの外へ足を踏み出し、相手の前へと姿を現す。
 レオンの姿を見た男は、どこか固い表情でこちらを一瞥すると、ひらりと馬を降りて目の前に近付いてきた。
「大丈夫だったか」
 至近距離になると、男の瞳が明るい緑であることに気付く。
 レオンは拙いエルカーズ語で応えた。
「助けてくれたのは貴公か? 礼を言う」
 目を逸らさずにそう答えると、相手は外国人であることを悟ったのか、流暢な大陸の共通語に言葉を変えて話しかけてきた。
「申し遅れたな。私の名はオスカー・フォン・タールベルク。エルカーズ人の亡命貴族だ。お前の名は」
 レオンが普段使い慣れている言葉で聞く発音も非常に美しく、生粋のエルカーズ人とは思えない。貴族という出自も嘘ではないだろうと思えた。
「俺は、レオン・アーベル……傭兵だ」
 正直に本名を名乗ると、途端に男の表情が曇った。
「傭兵だと。――傭兵風情がなぜこんな危険な場所にいる」
 青年の態度が急に尊大になり、威圧するように声が低くなった。
 返事に窮する内に目の前に立ちふさがるように相手が身体を近づけて来る。
 整った顔立ちに似合わず彼の体格はがっしりとしていて、背がレオンよりも高い。
 ――カインと同じくらいあるかもしれない、と密かに胸の内で思った。
「一体何が目的だ。どうせつまらぬことなら無駄に死体を増やすだけだ、早く帰れ」
 オスカーが片眉を上げて更に詰問する。
 その酷く高圧的な物言いに反発心を煽られ、レオンは腹を立てた。
 見た目は同じくらいの年齢かもしれないが、こちらの方が大分年上だという自負もある。
「俺は理由があってここにいる。余計な心配は無用だ!」
 憤りのまま噛みつくように言い返した。
 急に敵対心を露わにしてきた『傭兵風情』に、オスカーという名の男がムッと片眉を上げる。
 命の恩人ということも忘れ、レオンは更に相手を詰った。
「大体、亡命貴族だと? 国を逃げた貴族のお前こそ、何故まだこのエルカーズにいる」
 オスカーが呆れたような顔をして一歩下がり、苛立つような溜息をつく。
「何故私がそんなことをお前に話す必要がある。分からん奴だな」
「お前が先に俺に聞いてきたんだろう!」
 どうしてか感情が収まらず、乱暴に言葉を返す。
 その態度に若者も次第に怒気をあらわにし、形の良い太い眉を吊り上げた。
「――無礼な口を聞く輩め。帰らぬというなら、無理矢理にでも帰る気にさせてやろうか」
 オスカーは長い蜜色の前髪を払い、金属の擦れる音と共に腰の剣を抜いた。
 その立ち居振る舞いの美しさに一瞬目を奪われかけながらも、レオンもまた剣を引き抜いて応戦する。
「それはこちらのセリフだ!」
 挑発する言葉も終わらぬ内に、相手が剣の切っ先を素早く間合いに打ち込んで来た。
「おっと」
 ひらりと右に身軽にかわし、瞬時に反撃に移る。
 レオンはオスカーの脇腹を狙い剣を払ったが、それは相手の素早い剣さばきで跳ね返された。
 続いて振り下ろすような剣戟がレオンを襲う。
 刃で受け止めたその攻撃の余りの重さに、ビリビリと両腕が痺れた。
(強い! この男……!)
 一瞬で悟り、レオンは震撼した。――決して認めたくはないが、百年実戦で鍛えてきた自分と同じくらいの腕を、この育ちの良さそうな若者は持っている。
 殆ど超人的とも言える才能。
 正常な人間相手に剣で切り結ぶのは久々で、しかも自分と互角の腕となるとこの百年で全く経験がない。
 剣の当たる高い金属音を響かせながら火花を散らし、何度も相手の隙を突こうとする。
 が、互いに一歩も譲らず、幾度も剣を重ねるだけで時間が過ぎてゆく。
 体力を消耗し激しく息を上げながら、レオンは自分が高揚と深い喜悦を感じていることに気付き始めた。
 カインとのセックス以外ではほとんど感じることが無かった、血の沸くような生の実感が体の隅々にまで溢れる。
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