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貴公子と騎士
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暫くは無視していたが、そのうちにレオンもついに根負けしていた。
声を掛けるでもなく馬を並べて進み始めると、森の夜が明け始め、東側から白い光が差し込んでくる。
眩しく明るい太陽の下で見たオスカーの姿に、レオンは目を見張った。
均整のとれた肢体に、光を放つように輝く蜜色の髪。豊かな草原を思わせる暖かい緑色の瞳は、一度視線を合わせれば意識が吸い込まれてしまいそうになる。
彼の纏う空気の清らかな煌めきは、神や天使というのはもしかしたらこんな姿をしているのではないか――と一瞬思ってしまう程だった。
「さあ、王都へ向かおう」
明るく迷いのない口調でオスカーが森の奥深くを指差す。
レオンはこれ以上、同行は嫌だと言い続けることは出来なくなっていた。
――その日一日中馬を進め、始まったばかりの二人旅に再び夜が訪れた。
焚き火が、暗く寂しい森の中を暖かなオレンジ色に照らし出している。
炎の周囲には金属の三脚が立てられ、その真ん中に銅鍋が吊るされていた。
中には良い匂いのする赤色の液体がグツグツと煮えていて、その前に陣取った金髪の青年が、時折腕を伸ばして長い匙でその中をかき混ぜている。
レオンは不思議な気持ちでそれをじっと眺めていた。
(……この男、本当に貴族なのか)
レオンは料理をした事が殆どない。ロキで修道士をやっていた頃に少し手伝った程度だ。
聖騎士の時代はそういったことは従士と修道士達の役目だった。
貴族となれば、そんな些末なことは勿論する必要がないはずだ。
オスカーがこちらの怪訝な視線に気付き、優雅に微笑みながら眼差しを返してきた。
「どうした。お前の分もあるぞ」
レオンは顔を真っ赤にしてブルブルと首を振った。
「いっ、いらん。俺は自分の分の食料はある」
そんなに物欲しそうな顔に見えたのだろうか。
気恥ずかしくなり、視線を合わせづらくなる。
「まあ、そう言うな。……私が料理をするのはおかしいか?」
黙って頷くと、彼は可笑しそうに声を上げて笑った。
「はは。亡命貴族の生活というのも大変なんだぞ。頼るアテにたどり着くまでは、農夫のフリをして軍隊の目をやり過ごしたり、狩りで食料を調達したり、まあ色々あったのさ。――ほら」
薄い木の器にスープが入れられ、火の脇から手渡される。
鼻先に近付けるととても良い匂いがして、レオンは素直にそれに唇を付けた。
「……!! ……っ!?」
予想外にも、舌と喉をビリビリ刺激する辛みのある液体に焼かれ、一瞬で酷くむせてしまう。
「どうした」
心配そうな顔で見つめられ、眉をハの字に寄せて訴えた。
「辛かったっ……う、美味いけれど」
「はっはっは。エルカーズの郷土料理だ。この辺りは冷えるだろう? 体が温まっていいぞ。慣れろ」
そう言われ、再び少しずつスープを口にする。
ちゃんと覚悟して飲めば、飲めない程でもない。
一口ずつ胃に流し込んでいくと、確かに体がポカポカと温まってきた。
町で宿に泊まっている時などはともかく、一人旅の時にこんな風に温かいものを口にしたのは初めてだ。
意外と器用で準備のいいオスカーに、レオンは思わず尊敬の眼差しを送った。
「育ちのいい貴族様かと思ったが、意外と苦労しているんだな」
「私などまだ苦労している内には入らん」
フッとオスカーが真面目な表情になる。
「さあ、もう寝るぞ。私が火の番をしているから、先に眠るがいい」
その申し出に一瞬驚き、レオンはすまさそうに聞き返した。
「……いいのか?」
「ああ、後で交代して貰うがな。昨夜は色々あってろくに眠っていないのだろう?」
「それはお前も同じだろう」
「私はまだ眠くはならないから大丈夫だ」
青年がにっこりと人の良い笑顔を浮かべる。
正直昼間から頭痛がするほどの眠気に襲われていたので、気遣いは有り難かった。
「悪いな……礼を言う」
枯葉の上に敷いた毛布に身を横たえ、目を閉じる。
体がとても温かく、そして心も同じくらいに温かで、安らいでいた。
誰かにこんな風にいたわって貰うことが、ここまで嬉しく落ち着くものだったとは――。
レオンは目を閉じてすぐに、深い眠りに落ちていった。
――そして、夢を見た。
何故かはわからないが、カインが横たわっている自分のすぐ傍にいて、髪を優しく撫でてくれている。
(お前……口ではあんなことを言って、来てくれたのか?)
嬉しくなって思わず話しかけようとするが、眠気が酷くて起き上がることが出来ない。
(カイン……)
心の中で切なく呼びかけると、それだけは相手に届いたのか、額に口づけされた。
カインが静かに立ち上がり、背中を見せて木々の向こうに立ち去っていく。
(待ってくれ……)
叫びたい気持でその後ろ姿に念じる。
「カイン……!」
起きると、もう夜がすっかり明けていた。
カインの姿は勿論なく、その代わりに、輝くような金髪の貴公子が自分の顔を覗き込んでいる。
「どうかしたか? うなされていたぞ」
聞かれて、レオンは驚いてがばりと飛び起きた。
「……! 俺は朝まで寝てしまったのか! 悪い……っ」
細切れに起きる習慣がついていると思っていたので油断していた。まさか一晩中ぐっすり寝てしまうとは――。
だが、オスカーは怒った様子もなく、座ったまま両腕を上げて伸びをしている。
「よく眠れたのなら、良かったではないか。私は片目を閉じて半分寝ていたから、全く問題ない。気にするな」
悪戯っぽくパチンとウィンクをされ、レオンはますます恐縮し言い募った。
「今度からはちゃんと起こしてくれ……! 起きるから」
「そうだな、今度からは。……実を言うと、お前の寝顔が余りに可愛すぎて、起こすことが出来なかったのだ」
不意打ちでそんなことを言われて、レオンは一瞬で首まで真っ赤になった。
「おまっ……、何を言いだす! 女でも口説いているつもりか……っ!?」
「なんだ。正直なところを言ったまでだぞ。何をそんなに動揺しているんだ」
相手は全くもって平然としている。
どうやら天然で言っているらしい。
(こいつは、根っからの女たらしに違いない……!)
レオンの心の中に一抹の警戒心が生まれたが、オスカーは屈託のない笑顔を浮かべている。
「さあ、出発しよう。今日も予定どおり進むぞ」
声を掛けるでもなく馬を並べて進み始めると、森の夜が明け始め、東側から白い光が差し込んでくる。
眩しく明るい太陽の下で見たオスカーの姿に、レオンは目を見張った。
均整のとれた肢体に、光を放つように輝く蜜色の髪。豊かな草原を思わせる暖かい緑色の瞳は、一度視線を合わせれば意識が吸い込まれてしまいそうになる。
彼の纏う空気の清らかな煌めきは、神や天使というのはもしかしたらこんな姿をしているのではないか――と一瞬思ってしまう程だった。
「さあ、王都へ向かおう」
明るく迷いのない口調でオスカーが森の奥深くを指差す。
レオンはこれ以上、同行は嫌だと言い続けることは出来なくなっていた。
――その日一日中馬を進め、始まったばかりの二人旅に再び夜が訪れた。
焚き火が、暗く寂しい森の中を暖かなオレンジ色に照らし出している。
炎の周囲には金属の三脚が立てられ、その真ん中に銅鍋が吊るされていた。
中には良い匂いのする赤色の液体がグツグツと煮えていて、その前に陣取った金髪の青年が、時折腕を伸ばして長い匙でその中をかき混ぜている。
レオンは不思議な気持ちでそれをじっと眺めていた。
(……この男、本当に貴族なのか)
レオンは料理をした事が殆どない。ロキで修道士をやっていた頃に少し手伝った程度だ。
聖騎士の時代はそういったことは従士と修道士達の役目だった。
貴族となれば、そんな些末なことは勿論する必要がないはずだ。
オスカーがこちらの怪訝な視線に気付き、優雅に微笑みながら眼差しを返してきた。
「どうした。お前の分もあるぞ」
レオンは顔を真っ赤にしてブルブルと首を振った。
「いっ、いらん。俺は自分の分の食料はある」
そんなに物欲しそうな顔に見えたのだろうか。
気恥ずかしくなり、視線を合わせづらくなる。
「まあ、そう言うな。……私が料理をするのはおかしいか?」
黙って頷くと、彼は可笑しそうに声を上げて笑った。
「はは。亡命貴族の生活というのも大変なんだぞ。頼るアテにたどり着くまでは、農夫のフリをして軍隊の目をやり過ごしたり、狩りで食料を調達したり、まあ色々あったのさ。――ほら」
薄い木の器にスープが入れられ、火の脇から手渡される。
鼻先に近付けるととても良い匂いがして、レオンは素直にそれに唇を付けた。
「……!! ……っ!?」
予想外にも、舌と喉をビリビリ刺激する辛みのある液体に焼かれ、一瞬で酷くむせてしまう。
「どうした」
心配そうな顔で見つめられ、眉をハの字に寄せて訴えた。
「辛かったっ……う、美味いけれど」
「はっはっは。エルカーズの郷土料理だ。この辺りは冷えるだろう? 体が温まっていいぞ。慣れろ」
そう言われ、再び少しずつスープを口にする。
ちゃんと覚悟して飲めば、飲めない程でもない。
一口ずつ胃に流し込んでいくと、確かに体がポカポカと温まってきた。
町で宿に泊まっている時などはともかく、一人旅の時にこんな風に温かいものを口にしたのは初めてだ。
意外と器用で準備のいいオスカーに、レオンは思わず尊敬の眼差しを送った。
「育ちのいい貴族様かと思ったが、意外と苦労しているんだな」
「私などまだ苦労している内には入らん」
フッとオスカーが真面目な表情になる。
「さあ、もう寝るぞ。私が火の番をしているから、先に眠るがいい」
その申し出に一瞬驚き、レオンはすまさそうに聞き返した。
「……いいのか?」
「ああ、後で交代して貰うがな。昨夜は色々あってろくに眠っていないのだろう?」
「それはお前も同じだろう」
「私はまだ眠くはならないから大丈夫だ」
青年がにっこりと人の良い笑顔を浮かべる。
正直昼間から頭痛がするほどの眠気に襲われていたので、気遣いは有り難かった。
「悪いな……礼を言う」
枯葉の上に敷いた毛布に身を横たえ、目を閉じる。
体がとても温かく、そして心も同じくらいに温かで、安らいでいた。
誰かにこんな風にいたわって貰うことが、ここまで嬉しく落ち着くものだったとは――。
レオンは目を閉じてすぐに、深い眠りに落ちていった。
――そして、夢を見た。
何故かはわからないが、カインが横たわっている自分のすぐ傍にいて、髪を優しく撫でてくれている。
(お前……口ではあんなことを言って、来てくれたのか?)
嬉しくなって思わず話しかけようとするが、眠気が酷くて起き上がることが出来ない。
(カイン……)
心の中で切なく呼びかけると、それだけは相手に届いたのか、額に口づけされた。
カインが静かに立ち上がり、背中を見せて木々の向こうに立ち去っていく。
(待ってくれ……)
叫びたい気持でその後ろ姿に念じる。
「カイン……!」
起きると、もう夜がすっかり明けていた。
カインの姿は勿論なく、その代わりに、輝くような金髪の貴公子が自分の顔を覗き込んでいる。
「どうかしたか? うなされていたぞ」
聞かれて、レオンは驚いてがばりと飛び起きた。
「……! 俺は朝まで寝てしまったのか! 悪い……っ」
細切れに起きる習慣がついていると思っていたので油断していた。まさか一晩中ぐっすり寝てしまうとは――。
だが、オスカーは怒った様子もなく、座ったまま両腕を上げて伸びをしている。
「よく眠れたのなら、良かったではないか。私は片目を閉じて半分寝ていたから、全く問題ない。気にするな」
悪戯っぽくパチンとウィンクをされ、レオンはますます恐縮し言い募った。
「今度からはちゃんと起こしてくれ……! 起きるから」
「そうだな、今度からは。……実を言うと、お前の寝顔が余りに可愛すぎて、起こすことが出来なかったのだ」
不意打ちでそんなことを言われて、レオンは一瞬で首まで真っ赤になった。
「おまっ……、何を言いだす! 女でも口説いているつもりか……っ!?」
「なんだ。正直なところを言ったまでだぞ。何をそんなに動揺しているんだ」
相手は全くもって平然としている。
どうやら天然で言っているらしい。
(こいつは、根っからの女たらしに違いない……!)
レオンの心の中に一抹の警戒心が生まれたが、オスカーは屈託のない笑顔を浮かべている。
「さあ、出発しよう。今日も予定どおり進むぞ」
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