聖騎士の盾

かすがみずほ@理想の結婚二巻発売中

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番外

美貌の伯爵と年上騎士

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 ……北の王都から大河に沿い、東南へ10日余りの馬旅の果て。
 レオン・アーベルはその朝、百と十年余りの人生の中で初めて、海原から昇る太陽を見た。
 隣には、蜜色に輝く髪を肩まで垂らした長身の貴公子が寄り添う。
 白馬を操る高貴で凛々しい彼の姿は、初めて馬を並べた時と何一つ変わらない。
 レオンはヘイゼルの瞳を細め、彼と歩んだ今までの旅路を思い出した。

 エルカーズが王を失ってから既に十年以上が経つ。
 幾度かの内戦の危機を乗り越えて、今は代替わりしたティモ神官長の元、各地の代表が貴族や豪商から選出されて、王都に集まり政治を行うようになっている。
 オスカー・タールベルク伯爵は身分の序列を超えてその議長となり、今なおエルカーズの実質的な王としての辣腕を振るっていた。
 彼を排除しようとする勢力は常にあるが、それが成功したことはいまだにない。
 何より、若く美しく清廉で、指導力にも富むオスカーの人気は、エルカーズの民の間ですっかり不動のものとなっている。
 内政が安定し始めたことで、エルカーズの街道の再整備が進み、人々の往来は以前よりもずっと容易くなった。
 王都の治安を守る軍の長であるレオンが、任地を遠く離れたこの海辺で休暇を過ごせるほどに――。
「レオン。エルカーズの寒さは厳しいが、あの海は南からの海流のお陰で、一年中凍ることがない」
 穏やかな口調で話すオスカーは、王都で纏っていた白い正装ではなく、今はタールベルクの一門を象徴する高貴な深緑のマントと、仕立ての良い旅装束を纏っている。
「盛夏を迎えた今は、浜に出て泳ぐこともできる」
「……泳ぐつもりなのか?」
 レオンが呆れ気味に言うと、伯爵は明るい草原色の瞳を悪戯っぽく輝かせた。
「もちろん。お前も泳ぐだろう?」
「俺も!?」
 戯言を交わしながら共に馬を進めるうちに、砂浜が尽き、海に沿って大地が盛り上がり、奇岩の寄せ集まった岬の突端に、古城が姿を現した。
「滞在中はあの城で過ごす」
「……いかにも年代物の城だな。不便そうだし、今にも崖から落ちてしまいそうじゃないか。何故、普通の宿を取らなかったんだ?」
 全く腑に落ちなかった。
 城はまるで廃墟だ。蔦が城壁全体に蔓延っている上、全体的に海風に削られて、だいぶ風化しているように見える。
「それは勿論、誰にも邪魔されることなくお前と二人きりで過ごすためだ」
 当然のように言われて、自分でも分かるほど頬が熱くなった。
 幾度も過ごした甘い夜が脳裏に甦り、こんなところでと、慌てて妄想を打ち消す。
「そ、それにしても。……よかったのか? お前が王都をこんなに長いこと離れてしまって。ここに来るまでにも、かなり時間がかかってしまったが」
「心配はいらない。私の身代わりは置いてきたからな」
「置いてきたって……あの危なっかしいタコだろう」
「父上をタコなどと言うな」
 抗議しながらも、オスカーは可笑しそうに笑っている。
 彼の真の姿――この国の神、アビゴール・カインは、エルカーズを立て直す為、様々な能力を持つ自らの兄弟神達を呼び出した。
 カインの父親バアルまでもがこの地に降臨したことは計算外であったが、彼はレオンの部下であるヴィクトル・シェンクの良き相棒となり、影に日向に王都の治安を守り、時には戦争の危機から人知れずこの国を守ってくれている。
 バアルはいま、姿をオスカーそっくりに変え、ヴィクトルと共に留守を守っているはずだ。
 苦労性の部下の顔を思い浮かべ、レオンは肩を竦めた。
「お前の代わりなど、想像するだけで気の毒だ……ヴィクトルも気が気でないだろうに」
「心配するな。父上も人間の世界に馴染み、少しは世慣れただろう」
「そうか……?」
 恋人の希望的観測に呆れつつ、レオンはふとあることを思い出した。
「ところで、マルファスとハルファスに頼んで、随分と大きな荷物を先に旅先に運ばせていたな。あれは何だったんだ?」
「あれは、私が王都にやり残した仕事だ。さあ、城に行く前に一度馬を降りるぞ。浜に出て、波と戯れよう」
 オスカーが馬の上から突然飛び降り、レオンは二重の意味で酷く驚いた。
「仕事!? ここには休暇に来たんじゃないのか!?」
 呼びかけた恋人の金色の後ろ髪が、腰まで伸びた銀髪になって潮風に靡く。
 彼は瞬く間に、左側だけ先端の折れた巻き角を持つ人ならざる存在に変わっていた。
「そーだけどよ。予定通り終わんなかったんだから、仕方ねぇだろ」
 こちらを振り向いたその顔は、瞳が血のように赤く、女性的で妖艶な美貌だ。
 しかも、体には何も纏っていない。
「お前、こんな場所でそんな姿になってーーしかも服はどこへやった」
 正体を現したアビゴール・カインに、レオンは狼狽して馬を飛び降りる。
「誰もいねぇよ。ところで――お前だって、やたら小難しそうな本を荷物に随分入れていたじゃねぇか。こんなとこまで来て勉強かよ?」
「ああ。誰かさんが俺を、剣の腕ばかりが取り柄の馬鹿のように扱うからな……!」
 答えながら、草地を滑り落ち、白い砂の広がる浜へとカインの背中を追い掛ける。
 相手は一糸纏わぬ裸体を露わにして、堂々と海へ入っていく。
 透き通るように青白い肌はともかく、左側の先端の折れた角、先に向かって細くなる長く白い蛇のような尾は、この世の人間のものではない。
 人目がないかとハラハラしていると、恋人は海面から能天気に手と、それから白い尻尾を出し、左右に振ってきた。
「お前も来いよ! すげぇ気持ちいいぜ」
「待て、誰かに見られたらどうするんだ!」
「朝早いし、誰も見てやしねぇよ。さっさとお前も脱げって」
 レオンは首を左右に回し、周囲を確かめた。
 確かに、砂浜にも、海に向かって突き出した岬の方にも、はたまた、草地となっている陸側にも――人の姿は見えない。
 波打ち際でしぶしぶマントを脱ぎ落とし、リンネルのシャツの前紐を緩めていたら、突然波間から姿を現したカインの白い尾にさらわれ、服を着たまま思い切り海の中に転ばされた。
「わぷっ! ああ、もう……!!」
 文句を言う暇すらなく、腕を引かれ、腰ほどの高さのまだ冷たい水の中に連れ込まれる。
 早朝の弱い太陽の光の中、虹を放つように美しく輝く恋人の本来の姿に見惚れた。
 彫像のように美しく分厚い筋肉を纏った長身、銀髪は神々しく煌めき、その肌は青白いが若々しくなめらかで、シミひとつない。
 レオンの胸に小さな痛みが走り、その足が止まる。
 ぐいと腕を引っ張られる格好になったカインはこちらを振り向き、無言でレオンの体をしっかりと抱きしめてきた。
 初めて抱かれた時と同じ温かな体温が、密着した部分から流れ込む。
 反射的に顔を上げると、口付けが降ってきた。
「……外ではやめろ……」
 顔を逸らしてそれを避け、服を脱がそうとしてくる強引な手を止めた。
「脱ぎたくない。日に焼けたら痛いんだ……」
「心配しすぎだろ。この辺の日差しはバルドルなんかの南国と比べたら、優しいもんだぜ」
 制止に構うことなく、カインの手がレオンの上半身からシャツを剥ぎ取った。
 肌は白いが、全身を鍛え抜かれた戦士の肉体があらわになる。
 そこには、この十年の間にいつの間にか増えた傷跡がいくつかあった。
 ならずものを取り押さえたり、部下同士の喧嘩の仲裁に入ったり、盗賊を捕縛しようとした時に斬りつけられたり、そういった日常の中で付いた傷だ。
 レオンは見られることを恥じるように、顔を俯けた。
 生来白い肌に、わずかに浮かぶ雀斑(そばかす)。
 傷もそれもーーどちらもカインの守りを受けていた頃には無かったものだ。
 再び年を取るようになってから十年以上。
 カインはあの頃と何一つ変わっていないが、レオンは違っていた。
 年を重ね、若者でなくなったことは、むしろ好ましいことだ。
 かつては、それが出来ないことを心から呪っていたのだから。
 ただ……自分だけが、カインが初めて恋をしてくれた頃の十代後半の自分から、どんどん変わっていってしまっていることは事実だ。
 レオンは元々は童顔で、記憶の中では、カインもオスカーも、明らかに自分と同年代か、それよりも年上に見えていたと思う。
 けれど今や、レオンの肉体的な年齢は三十路を超えている。
 一方でカインは、定命の存在となったとはいえ、その肉体は神のもの。
 年を重ねる速度は、やはり人であるレオンとは全く違うーーそのことが、気にならないといえば嘘になる。
 潮騒の中ーー何度か口付けをしようとして拒否されたカインは、美しい眉を下げてため息をついた。
「なんだよ。いきなり引っ張って悪かったって。ほら、機嫌直せ……」
 爪の形の美しい、長く繊細な指がレオンの顎を捉える。
 無理やり上を向かされて、額にキスされた。
「カイン……」
 裸体の逞しい背中に腕を回し、やっと自分からも唇を求めようとして、レオンはハッとした。
 神の美しい巻き角の向こうに見えていた、海を丸く取り囲む浜辺ーーその端に、人影があったのだ。
「……っ!!」
 レオンは両腕に力をこめ、カインを海の中に押し倒した。
 手元でぶくぶくと泡が立つが構わず、じっとの方を凝視する。
 それは漁師のようにも見える、粗末な服を着た人相の悪い中年男で、どうやらこちらには気づいていないようだ。
 そのうち、男の姿は砂浜の切れ目にあった、ゴツゴツとした岩場の陰に消えた。
 ほっとして腕から力を抜くと、恨めしそうな顔をした裸身のオスカーが海の中から立ち上がる。
 どうやら本人も気づいて、水の中で姿を変えたようだ。
「いきなり酷いことをするな、お前は……」
 ずぶ濡れの髪を顔に貼り付け、恨みがましげにオスカーが呻く。
「人に見られたら危ないと言っただろう。城に行くぞ」
 宥めるようにそう言って、レオンは蜜色の髪の流れる相手の肩を叩いた。
「ああ……仕方がない」
 頷きながら、オスカーは背後に鋭い視線を走らせた。
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