聖騎士の盾

かすがみずほ@3/25理想の結婚単行本

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番外

船乗りと友人

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 翌日――レオンは、日課の剣の稽古と鍛錬、読書、持ち込んだ食料でのパン焼きなどの調理、馬の世話、掃除――で、日中を過ごした。
 何故なら、カインが溜まった仕事で忙殺されていて、少しもこちらを構ってくれそうな様子が無かったからだ。
 昨夜もあの後カインは早々に仕事に戻り、結局何も無かったし……。
 これではまるきり王都にいる時と変わらないではないか。
 いや。
 ヴィクトルとそのお騒がせの友人たち、よく話し相手になってくれるティモや、馴染みの商人たちがいた分、王都にいた時の方がだいぶ気が紛れていたかもしれない。
 本当に久しぶりに二人きりで過ごしているのに、こんなことになるなんて。
 我慢強いレオンだが、流石にこの絶海孤島の一歩手前のような環境では、何のためにここに来たのかという疑念が湧いてくる。
 ――そうか、余暇ではなく仕事だったな。
 そして俺はその、護衛兼世話係の騎士だった。
 ……などと、自嘲しながら壁際に置かれたソファの上で本を読んでいたその時だった。
「出かけてくるぞ」
 唐突に、部屋の隅にある焦げ茶色の扉が開き、オスカーが中に入ってきた。
 その彼のいでたちを一目見てーーレオンは思わず叫んだ。 
「!? な、なんだそのだらしない姿は……!!」
 ーー発達した胸筋がほとんど見えてしまうほど胸の大きく開いた、だらしないシャツ。
 耳朶には下品なほどに光る金の丸い耳飾りを付け、美しい双眸の左側を黒い眼帯で隠し、いつも完璧に梳かして艶を出している髪の毛は、寝起きのままよりも酷いボサボサの状態で、黒布が帽子のように適当に巻かれている。
 いくつもの細いベルトを通したエキゾチックな緩いパンツの下は素足で、サンダルだ。
「だらしない格好ではないぞ。庶民風の変装だ」
「庶民……!? そんな庶民、どこにいる」
「いるさ。どこにでもいる船乗りに見えるだろう?」
 レオンは呆れて言葉に詰まった。
 百年以上生きているが、こんな派手な外見の船乗りは見たことがない。
 だいたい、「オスカー」は王都に居る時でも、旅に出ている時でも、貴公子らしい織り目正しい服装でいるのが常だ。
 ーーその法則を崩されてしまうと、ひどく胸がざわついてしまう。
「……それではな。明日の朝に戻ってくる」
 あっさりと扉を閉めようとしたオスカーを、レオンは慌てて止めた。
「おい、どこに行くつもりだ!?」
「港町まで、情報収集だ」
 言われて、レオンは慌ててソファを離れると、壁に立てかけておいた剣をソードベルトに差し、ソファの背もたれにかけていたマントを羽織った。
「……ん? 着いてくるのか?」
 オスカーが眼帯の付いていない右目を細める。
 レオンは淡々と言葉を返した。
「俺はお前の護衛だ。お前に何かあっては王都の皆に申し訳が立たない」
「真面目だな。……後悔するなよ」
「……?」
 ――そのオスカーの言葉の意味を、数刻後にはレオンも知ることになった。


 港町アスクは、都城の門を潜ると、思ったよりも栄えているように見えた。
 古くからあるという、石造りのアーケードのついた立派な大通りや、街中の時計塔のある大広場など、中心部の街並みは王都にも引けを取らない。
 港には大小の船が並んでいたが、比較的大きなものは皆、外国船だ。
 聳え立つ高い灯台が、かつてエルカーズ屈指の商業港であった時代を偲ばせる。
 そんな港の繁華街で、オスカーが自ら足を踏み入れた店は、酒場――の体をした、実質的にはほとんど娼館に近い、場末の店だった。
 ほとんど窓のない半地下の店の扉を開けた時、強い酒精の匂いが漂い、レオンは眉を顰めた。
 中は昼間からすでに飲んだくれていたと思しき漁師や荷運び人達の酒枯れた声が飛び交っている。
 二階が売春宿になっているにも関わらず、酒の席でも大っぴらに娼婦のスカートの中に手を入れていたり、上半身を脱がせて胸を揉んだりしている輩もいた。
 レオンは動揺で足が止まりかけたが、オスカーは気にすることもなく奥へ入っていく。
「お、おい……入る店を間違えたのじゃないか」
 思わず声をかけると、オスカーは真顔で首を振った。
「いや? ここに来るつもりだった」
 何故。 
 と聞く暇もないまま、艶やかな若い女達がオスカーの周囲に群がって来た。
「お兄さん、素敵な金髪ねえ!」
「この辺りじゃ見かけないハンサムじゃなあい? どう、今夜は私と」
「お兄さんなら、二人くらい同時に行けるでしょ? 私もご一緒したいわあ。名前は何で言うの?」
 オスカーは、腕にすがってくる娼婦たちを遠ざけないばかりか、にこやかな笑顔で会話し始めた。
「……俺の名はカルロスだ。あんた達みたいな美人が相手してくれるなら、何人でも歓迎だぜ」
 レオンの頭に、硬い岩が上からぶつかってきたような衝撃が走った。
 喋り方がーー見た目はオスカーなのに、カインそのままじゃないか!
 いや、荒くれ者の船乗り(?)に変装しているから、それに合わせて変えているのだろうが。
 それにしても複雑な心境になる。
 せめて、いつもの真面目なオスカーらしくしてくれればこんなにおかしな気分にならないのに……。
 緊張と嫉妬で固まっているレオンの両隣にも、いつの間にか商売女が二人いて、腕を引っ張った。
「ほら、お兄さんもこっち。いい席用意してあげるから」
 引きずられながらもどうにかオスカーに近付き、耳打ちする。
「なんでこんな場所にきた!?」
「私は後悔するなと言ったぞ」
 いい含められて閉口する。
 自分に対してはいつものオスカーの口調で話してくるのか、頭が混乱して仕方がない。
 オスカーが奥の粗末な長椅子の席に座ると、あっという間に両隣と後ろを女が固めた。
 レオンも仕方なく、その向かい側に腰を下ろす。
 オスカーの右隣を陣取っていた金髪の女が、まじまじとレオンの様子を眺め、真っ赤な唇を開いた。
「どういう関係なの? お友達? それとも、カルロスのお兄さんなの?」
 その言葉に、レオンの心に少なからず衝撃が走る。
 ――やはり他人の目からすると、自分の方が年上に見えるらしい。
「決まってるだろ。俺の最愛の旦那だよ」
 オスカーの言った言葉に、女達は黄色い声を弾けさせ、笑いさざめいた。
 冗談としか思われていない……。
 レオンが黙り込んでいる間も、両隣から商売女が身体を寄せてきて、気の休まる暇がない。
「――あらっ。何か硬いと思ったら、お兄さん、立派な剣を持っているのね」
 隣からマント越しに剣を触られて、レオンはやんわりとその手を押し返した。
 よくよく隣の相手の顔を見ると、かなり年齢の若い、まだ十代前半にも見えるような華奢な黒髪の少女だ。
 この店ではこんな年端も行かない少女までが体を売っているのかと、暗澹たる気分になった。
 ――エルカーズでは、若すぎる男女の身売りをオスカーが禁じたはずなのに。
「……悪いが、触らないでくれ」
 小声で不器用に注意するが、周りの喧騒のせいか、彼女の耳には届かない。
 少女はレオンの腕にすがりつきながら、じっとこちらを見上げてきた。
「腕も凄い筋肉だものね。お兄さん、本当に強そう。――もしかして、岬のお城の化け物を退治しにきてくれたの?」
「……岬の城の化け物?」
「港から何リーグか行った先に、古いお城の建っている岬があるのよ。そこの地下に、化け物が出るんですって」
 驚いて、レオンは一瞬息を詰まらせた。
 出ると言うのは、幽霊ではなかったのか――。
「へぇ、そりゃ知らなかったな。どんな化け物だ」
 オスカーが楽しそうに続きを促すと、少女は少し顔をこわばらせながら答えた。
「三角の耳と角が生えて、羽根があって毛むくじゃらで、裂けた口から、何かを訴えるような恨めしい声で鳴くんですって。みんなは、前の王様が作り出した、化け物にされた人なんじゃないかって噂してる。王都のオスカー伯爵様が来て、化け物を倒してくれたらいいのにって……」
 少女がそこまで言いかけた時、燃えるような赤毛をした体格のいい娼婦が会話の輪の中に割って入ってきた。
「新入り。あんた、お客様にいい加減なことを喋るんじゃないよ!」
 太い声で吠えながら酒がテーブルにドンと置かれ、一瞬店が静かになる。
 赤毛の女は豊満な身体つきをして、娼婦達の中でも一際背が高く、肩幅も広い。
 落ち窪んだ目の光が鋭いが、若くて痩せていた頃は、恐らく派手な美女だったのだろうと思わせる顔立ちだ。
「ローデリカさん。申し訳ありません」
 黒髪の少女が恐縮して、レオンの隣を離れてゆく。
 ローデリカがフンと鼻を慣らし、エールの入った大量の木製ジョッキを両手に去っていく。
 その巨大な尻を振り返って見送りながら、オスカーがおかしそうに笑った。
「凄ぇ迫力だな」
「ここの女主人なの。怖いけど、あたし達みんな母親がわりに慕ってるわ。ガラの悪い客は叩きのめしてくれるし。あなた達みたいなハンサムでも、容赦ないわよ」
 明るい笑いが再び女達の間に戻る。
 オスカーはローデリカの置いていった杯を持ち上げ、乾杯の言葉を口にした。
「――エルカーズに、この街に。平和と安寧を」
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