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第一部・一章
焔鎮まる
しおりを挟む「ねえ、あれ、見て……」
教会員達はライヤの指示で先に列を作って、神木の元から撤退をしていた。重苦しい沈黙をやぶったのは、後ろから迫りくる炎への恐怖から振り返った少年だった。
一人、また一人と足が止まり、列の動きが止まる。
全員が山に振り返っていた。
本国で<大きな目、小さな目>で観測をしていた太った男が雄たけびをあげた。それは歓声となり、<門>にいる技術者達にも広がってゆく。
いつもライヤからすぐに精密な位置への転送などという、あまりに無茶な注文をされている<門>の技術者も、今この時はその恨みを忘れて、同様に声を張り上げていた。
そして、白鉄騎士団もまた。
白い火災旋風が生まれ、目の前に迫る炎に、もはや捨て身となっていた。
だが、今、そんな騎士達はしばし唖然とした。
やがて目の前の現実を受け入れると、隣の仲間とお互いの手と手を取り合い、または抱き合い、大声をあげてその光景を喜んだ。
『後で何が起きたのか、説明してもらうからな』
ライヤの声が静かに響く。
今、彼らが見ているのは、一瞬で山からあの白い炎が消えたその奇跡の光景だった。
~ ↑ ↑ ↓ ↓ ← → ← → B A ~
あの白い炎は全て鎮まった。
アレクセイは舞い上がる巨鳥の上で横になった。もうほとんど体は動かない。
山風が人形の体に当たると、さっきまではあれほどに熱に苦しめられたというのに、少し肌寒く感じた。
サーシャは自分の手の中でぐったりしている人型――神様のポイ捨ての頭を撫でていた。あの炎の化身が嘘のように、すっかりおとなしくなっている。むしろマナを使い過ぎて休みたがっているようだ。
「なんで、知っていた、の? <支配者>のこ、と」
「んと、俺の父親代わりの人から聞いてた」
「そうなん、だ。これは、誰にも言っちゃダメって言われて、た」
サーシャのその言葉を聞いて、アレクセイはまた自分と同じだと思った。
かつて神父ディミアンは語った。
“歴史家が残した<支配者>という言葉はキズビトのもつ特異な力を示しているのだ。だが、その正体は歴史の闇に葬られてしまった――”と。
キズビトはたった七人で人類を圧倒できた理由は、その能力であらゆる生物を支配し、自らの配下に変えられたからだ。
それは人類側にとっては、かつてない次元の脅威だった。圧倒的な暴力で攻め込まれ、立ちふさがった者は全て支配され、次の戦いの先兵とされる。
英雄譚では脅威に対する力をもつ誰かが生まれてくるものだが、このキズビトを止める勇者が人類に誕生することもなかった。
その進軍の過程で各国の王侯貴族、また教会でも当時の主教や大主教などの教会の中枢だけでなく、聖人や神の代弁者ともいうべき預言者までもが、配下となって人類の敵となった。
後に龍の介入によって止まったこの戦争を、人類は記録として残すことになるのだが、国と教会の権力者達は自分たちが支配された事実を隠し、戦争の犠牲者としてだけ記したのだ。
歴史家はキズビトを征服者や侵略者などではなく、<支配者>という古い言葉で表した。それが国や教会に対して、彼らのできる数少ない抵抗だったのだろう。
だが、それも教会の権威主義が強まってきて、語られなくなったのだ。
……と、そんな根も葉もない陰謀論をあの神父は語ったのである。
当時のアレクセイは純朴にも信じてしまっていたが、あまりに妄想じみた話だ。神父の性格を考えれば、騙されていたような気さえする。
でも、サーシャの力を見る限り、それが真実だったのだろう。
あんな神父のうさんくさい陰謀論のおかげで、こうして解決してしまったのだから、何が人生を左右してしまうのか分からないものだ。
とはいえ、サーシャの能力を知り、歴史の真実に辿り着いてしまった、という実感は特にない。そこはアレクセイにとっては、なかなかどうしてどうでもいい部分だ。
「<結ぶ>。ありがと、う。これからも使いたいけど、い、い?」
「お、もちろん!」
サーシャは微笑んだ後、つい先ほど<結んだ>ばかりのポイ捨てを撫でた。慈しみのある優しい目をしている。
やっぱりサーシャは<支配者>と呼ぶような力を持っていたとしても、内面までその力が示すようなものではなかった。アレクセイはサーシャの力に気づいた時に、だからと言ってサーシャと巨鳥が支配関係にあるとは思えなかった。もっとずっと近いものに見えた。
だから、<結ぶ>という言葉を選んでマナを託したのだった。
人同士のマナのやり取りなんて、よほど訓練をしなければできないのに、サーシャは何も疑わずに、ぶっつけ本番でこの賭けにのり、受け取ってくれた。成功したからよかったものの、サーシャにとっては何の説明もなしの相当な無茶ぶりだったはずだ。
まさか、<結び>方が拳で殴るとは思わなかったけど。
本当にうまくいってよかった。あの場での一連の流れ、何か一つでも失敗していたら、今頃はアレクセイの魂が霧散しているか、浮遊霊にでもなっていたはずだ。
こうして危機は去った。
自分達は生きている。あの理の外の炎のど真ん中にいたというのに。
「それに俺、初めて連携……」
これまで誰ともできなかったのにサーシャとマナによる連携ができた。
嬉しくて泣きそうな気持ちの乗った小さなつぶやきが、風に溶けてゆく。
燃え尽きて、剥き出しになった山肌を眼下にして、巨鳥は騎士団の元へ向かって飛ぶ。
その背でサーシャがポイ捨てに宝石を見せながら、「こっち? これ?」と、なにかやっている。
と、おもむろに、
<夢の中へおちて>
ポイ捨てにマナを使った。大きな目のまぶたをゆっくりと上下させ、小さく寝息を立てはじめる。
その次の瞬間、宝石の中にポイ捨ては吸い込まれた。
しばらくアレクセイは声もなく驚いていると、サーシャが「ん?」と首をかしげる。
「そ、それ、どういう原理?」
「ん? んー?」
「いや、どうして宝石の中に入れるの?」
「そういうものだか、ら?」
説明になっていないのだが、これ以上の説明はなさそうだ。
「アレクセイ、すごか、った」
サーシャが突然にそう言うものだから、アレクセイは「え?」と聞き返してしまった。が、すぐについさっき自分がしたこと、自分にできたことを思い出した。
聖山を燃やす理の外の炎を消した。
サーシャと巨鳥の協力や、ライヤの人形があったからとはいえ、アレクセイはこれまで誰もなしえなかったことをしたのだ。
「でも、サーシャがいてくれたから助かったんだよ」
「ううん、助けられたのは、ボ、ク」
「じゃあ、お互いってことでいいかな」
アレクセイはそう言って空を仰いだ。
今この瞬間が“龍へと至る道”を役立たずだと追い出されたのと同じ日のできごとだとは、本当に不思議な気分だ。
「なんか夢みたいなことだなぁ……」
「ん、夢、か確認す、る?」
サーシャが自分の左の掌に、拳をぱーんと音を立てて打ち付けた。
「いえ、けっこうです、マジで」
そして二人は笑った。
~ ↑ ↑ ↓ ↓ ← → ← → B A ~
巨鳥を白鉄騎士団全員が出迎えてくれた。
もうほとんど動かすことのできない人形の体を、サーシャが抱きかかえて降ろしてくれた後、ライヤが生身の体をそっと人形の隣に置いた。
自分の体がすごく久しぶりな気がする。
元に戻って目を開くと、騎士達全員から大きな歓声が上がった。
「なによりも生きていてくれてありがとう。二人ともよく無事で戻ってきてくれた。そしてアレクセイ、本当にすまなかった」
ライヤが深々と頭を下げる。
今日だけでアレクセイはこの女性のポンコツな側面にだいぶ振り回されたわけだが、こうして騎士団を率い、命がけの現場を統率し、その上で平民の自分に堂々と頭を下げられるこの人は、やっぱりすばらしい人だと思った。
「あ、文句がないわけじゃないですけど、今はただ喜びましょう。本当に無事に終わってよかったです」
そう言って笑ったアレクセイに、騎士達が最敬礼をした。
雲の上の人達だと思った相手に、こんなことをされたら、もうどう反応していいか分からない。
でも、今程に禁忌の能力をもっていてよかったと思ったことはなかった。
サーシャが照れるアレクセイに向かって微笑み、小さくうなずいた。
アレクセイも応えるようにうなずいて見せた。
そんな二人の間に騎士達が割り込み、大騒ぎの胴上げがはじまった。
もちろん上げられたのは、アレクセイとサーシャ。
生まれてくるべきでないとされた禁忌の二人だ。
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