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第3話
* * *
葦原ルカ。彼は八ヶ月前、朝ドラのヒロインの相手役青年――その少年時代役に抜擢され、一躍脚光を浴びた。
ドラマの舞台は明治革新後の時代。当時、とても珍しい異人とのあいだに生まれた爵位持ちの青年と、元武家の娘として生まれ維新後の時代をめげずに生きるヒロインの、身分を越えた純愛を描いた、これまでの朝ドラと違う異色の内容だ。瑞々しい演技が魅力のヒロイン役と、端整な容姿を持つ若手俳優の演技が幅広い層に受け、朝ドラとしてはかなりの高視聴率を記録した。
その中でスペイン人の祖父を持つルカの顔立ちは、青年の少年時代を容易に連想させる要素として役にぴったりだったらしい。オーディションのとき、同じように外国人の血が流れる子役の中からでも、ほぼ満場一致で選ばれたと聞く。彼の持つ外見という魅力が役を勝ち取るきっかけになった。
さらに、エキストラも含めて演技経験が十歳という年齢ながら豊富であったルカ。そのおかげか、朝ドラの現場でも臆することなく演技できたことも、ルカの今後の芸能活動に大きな意味を持ったようだ。
そんな彼は、この役をきっかけに次のステップへと駆け上がっていく。知名度が広がり、彼の芸能活動の幅は以前よりだいぶ大きくなった。
先日、決まった柔軟剤のコマーシャルもそうだし、今後は新たに演技の場も予定されている。
そんな中、今日は雑誌の撮影が入っていた。それも、子ども向け雑誌ではなく女性誌である。
女性誌が成人男性を取り上げる記事は過去にも幾度かあった。しかしまだ十歳の、子どもを特集する記事はかつて一度もない。それだけでもルカの注目度がわかるものだ。
そんな撮影現場に、本来なら社長が付き添いとして臨むはずだった。だというのに現れたのは別の人間で――
社長が来られない理由は聞いていても、彼の心中の不満が見え隠れしていた。
まだ十歳。その反応は千穂でも素直に納得できる。
(まあ、しょうがないよね)
内心、苦笑を滲ませつつ、スタジオの隅に用意された椅子にちょこんと座るルカのもとへ近づいた。
「おはようルカくん。今日は社長の代わりにわたしが付き添います。よろしくね」
声をかけられ、初めて千穂が近寄ってきたことに気づいたらしい。わずかに肩を弾ませたルカが、こちらへ顔を向けてきた。
「……おはようございます」
むすっとしながらも、挨拶だけは返したところは及第点だ。
ルカの背後で、彼の母親が息子の態度におろおろしている。
(ああ、面白くないって顔してる)
子どもらしい、正直な反応に口元が緩んでしまった。
「……なんだ。事務員かよ」
ぼそっとつぶやいたつもりだろうが、甘い。こちらまでばっちり届いている。
(むしろ、わざと聞かせるつもりだったかな? でもそんな嫌み、わたしにはなんの威力もないんだよ、ルカくん)
「うん。力不足に思えるかもしれないけど、わたししか動ける大人がいなくて。ごめんね」
軽く首を傾けながら謝れば、癇(かん)に障(さわ)ったのか、ルカは両眉をひそめそっぽを向いた。とてもわかりやすい幼稚な行動だ。
(これで少しは緊張もほぐれたかな)
気のせいでなければ、スタジオに入って最初にルカの姿を目にしてから、彼がこの状況に緊張しているのがなんとなく伝わってきていた。
なるべく表に出さないようにあえて平静に装っているふうに映ったが、まだ子どもだ。
慣れない初めての現場。いつもなら社長という頼れる大人がそばにいてくれるはずなのに、それがない状態。しかも今朝の事故の影響でしばらく社長と連絡がつかなかったことも、ルカの心にいらぬ不安を植えつけたのだと思う。
(連絡がつかないだけならまだしも、その原因が交通事故に巻き込まれたせいだと知って、きっと動揺したはず)
大人の自分たちも事実を知ったとき、ずいぶん心が乱されたのだ。子ども……それもこのスタジオへ向かう途中で巻き込まれたと知ったルカの心境は、幾ばくかのものか。
(……ルカくんのお母さんは、息子から見ても頼りにならなさそうだし)
千穂はそっとルカの母親を視界で認めた。
社長がルカに付き添うと決めた理由のひとつに、ルカの母親の性格もある。彼女は事務所との連絡事項は欠かさないし、現場への送迎などでは遅刻もせずきちんと時間を守る人物だ。けれど、性格がどちらかというと引っ込み思案な面がある。
それがどうして息子を華やかな芸能界の世界へと送り込んだのか。不思議に思うものだが、これに関してはルカ本人の意向が強かったと聞いたことがあった。
ルカには父親がいない。スペイン人の血が流れる父親だ。彼が生まれてすぐに両親が離婚したそうだが、ルカは自分たち母子を捨てた父親を憎んでいる。そのため、芸能界という世界で有名になって父親を見返したい気持ちと、母親にとって少しでも自慢の息子となりたい。そんな両極端の想いを持って芸能活動をしていると耳にした。
(これを聞いたとき、どんなドラマの設定かと思ったっけ)
そんな回想を頭の片隅へ追いやっていると、おずおずとした態度のルカの母親に尋ねられた。
「……あの、門倉さん。社長さんの容体は……」
「幸い、大きな怪我はないようですが、頭を打っているので念のため精密検査を受けるそうです。その結果次第で、すぐに帰れると聞いています」
「……っ、そうですか」
検査結果はわかり次第、千穂のもとへと知らせる手配はお願いしてある。
それも併せて伝えれば、見るからにほっとしたルカの母親。彼女も、このスタジオに着いてから社長の事故のことを知らされ、大いに不安だった様子がうかがえる。
ふと視界に捉えたのは、同じように息を吐いていたルカの横顔だ。彼も子どもながら心配していたのだろう。
「事実確認がとれず、連絡が遅くなってしまい申し訳ありませんでした」
「い、いえっ、とんでもないです」
ぶんぶんと頭を振られ、千穂もようやく小さな吐息を吐いた。
(……よし。まずは第一段階クリアかな)
葦原親子の現場でのフォロー。その最初の問題をクリアできたことを、胸のうちで安堵した。
(さて、本番はこれからだ)
すると、スタジオの入り口がざわつき始めた。
「カメラマンさん入られました!」
スタジオ中に届くほどの声量で、スタッフの声が届いた。
と同時に、そちらから四十代に差しかかったばかりの女性が近寄ってくる。そばにまだ若いスタッフを伴ってだ。
彼女こそ今回、自身が編集長を任されている雑誌にルカの特集記事を載せたい、とオファーしてくれた編集長である。この撮影現場の責任者だ。
ちなみに、このスタジオへ着いてすぐに、千穂は彼女へ挨拶しに向かっている。姫菱社長の代わりに自分がルカに付き添う旨を伝えたのだ。さらに彼女から今朝、事務所へ届けられた撮影の変更点の再確認も済ませている。
それは急遽、カメラマンが変更になったことだ。
「ルカくん、いま代わりのカメラマンの方がスタジオ入りしました」
「わかりました。挨拶に向かってもいいですか」
ルカの代わりに千穂が尋ねたが、編集長は少し困ったように眉を下げた。
「それが挨拶もいらずに、用意ができ次第、撮影に入りたいそうです」
「……え?」
(普通、そういうものだっけ……?)
と千穂の脳裏に疑問が浮かんだが、ここはあえて相手の望む流れを受け入れよう。
「そうですか。わかりました」
そしてルカへ顔を近づけ、編集長に悟られないよう小声で確認する。
「ルカくん、大丈夫そう?」
「ふんっ。ぼくを小さな子ども扱いするな」
勝気な眼差しが千穂に向けられる。
(さすがだね、ルカくん)
千穂はルカに笑顔を返した。
「じゃあルカくん、メイクと衣装を着替えに、このスタッフさんのあとについてきてもらえますか。ゲトストルームに案内しますから」
「はい。わかりました」
ころっと大人受けしそうな態度でそう答えるなり、ルカは編集長が伴ってきた若いスタッフの案内のもとスタジオから出ていった。千穂も同行すべきかと一瞬迷ったが、すぐに母親がついていったのでその場にとどまる。
なぜなら編集長の雰囲気に引き留めようとする気配を感じたからだ。
彼らが背を向けその場を離れると、千穂は編集長と向かい合うかたちになった。
「改めまして、カメラマン変更の連絡が撮影当日となってしまい、すみませんでした」
「いいえ。その件は大丈夫です。でも、カメラマンさん盲腸でしたっけ?」
「ええ」
当初、撮影を担当してくれる予定だったカメラマンは、いまでこそ女性誌のカメラマンをしているが、以前にフェアリーキッズプロダクションの在籍タレントを撮影した経験もある男性だった。つまり子どもの扱いにも慣れているひとという意味だ。そういう側面もあって、今日の撮影はその彼がカメラマンに起用されたという。
しかし彼が強い腹痛を訴え病院に駆け込んだのは撮影前々日の深夜。つまり一昨日から昨日にかけてのことだ。すぐにくだされた診断結果は急性虫垂炎――いわゆる盲腸。しかも腹膜炎まで伴っていたようで、開腹手術が必要だと判断された。
さすがにその状態で仕事をこなすのは無理だ。そこで急遽、代打として彼は自分の知り合いに撮影を頼んだらしい。それがいま、スタジオで自身が連れてきたアシスタントたちに細かな指示を出している男性だ。
「どんなひと、なんですか? 代わりの方は」
視界の端にそのカメラマンの姿を捉えながら尋ねる。名前は先ほど、編集長の彼女から聞かされたばかりだ。
市ヶ瀬錦。いちがせにしき、と読むそうだ。同時に、ほかのスタッフに呼ばれ離れた彼女から簡単な経歴を教えてもらった。
詳しくはこうだ。
普段、市ヶ瀬というカメラマンは海外のコレクションで活躍するようなスーパーモデルを撮影している。デザイナーズブランドやアパレルメーカー各社の撮影でも、常にトップモデルばかりを相手にする一流のカメラマンだそうだ。
だから間違ってもかたや女性誌の、それもまだまだ人気に火が点いたばかりのキッズモデルを撮影するようなひとではないという。
ゆえに変更後のカメラマンの名前を聞かされたとき、一番驚いたのは編集長自身だったらしい。ファッション雑誌の編集長をしている彼女は、もちろん市ヶ瀬の名前を知っていたからだ。
前もって依頼しても絶対に受けてはもらえず、断られる。それほどの相手が代理を頼まれうなずくとは、はたしてもともと予定していたカメラマンは何者なのか。彼の交友関係が否応にも気になるところだ。
いずれにしても撮影に穴を開けることなく、スケジュールどおりに撮影が開始できる状況に、編集部一同胸を撫で下ろしていたという。
それは、こちらとしても助かった点だった。
ルカを含めた在籍タレントたちは、キッズモデルという顔以外に、オフの生活がある。仕事中心の生活よりも、きちんと学校生活も送った上で仕事に力を注いでほしい。その考えが姫菱社長の基本方針であった。
それに当初の予定がずれるということは、そこに付き添う保護者にも負担を強いることになる。いくら家族の協力なくしてこの仕事が続けられないと理解していても、予定がずれるたびかかる保護者の負担は、決して軽くはない。
だから代理のカメラマンがどんな経歴を持っていようと、仕事をまっとうしてくれるのならば、オファーを受けたこちら側としてはなんの問題もないのだ。
(……とは言ったものの……)
業界で名前も知られ、それほどの腕前を持ち、期待されている人物の実際の仕事ぶりは、はたしてどんなものなのか。気にはなるところだ。
それはスタジオ内にいるだれもが感じているのだろう。アシスタントたちに指示を出し着々と撮影準備を進めていく彼に、周囲の意識が集中しているのがわかる。彼の一挙手一投足を、スタジオ内の人間が気にしている。
めったにかかわることのできない相手の手腕を、生で拝見できる絶好の機会。これは千穂でなくとも、興味と関心が尽きないだろう。
(……いや、それだけじゃない、かな……?)
ぴりぴりと肌をなぞるこの感覚は、緊張以外に観察する色合いもありそうだ。
(出る杭は打たれる……じゃないけれど、全員が全員プラスの感情を持ってるわけじゃないのか)
芸能界という、特殊な世界。モデルやカメラマン、といった才能がものを言う世界。努力だけでは成功の保証がない世界。
そこには、輝かしいばかりの空気があるとは限らないのだ。
千穂は一歩下がった位置で、慌ただしくスタッフが動く光景を眺めていた。
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