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第5話
向かった先は、ルカ用に用意されたゲストルーム。そこは、メイクと打ち合わせができるよう設計されていた。
その部屋の扉の前に、ひとりの女性スタッフが中の様子を気にしながら立っている。彼女は千穂が近づいてくるのに気づき、親切に教えてくれた。
「ルカくんは中にいます。お母さんも一緒です」
「わかりました。ありがとうございます」
礼を伝えてから、ゲストルームの扉をノックした。
返事は期待していない。だから返事を待たずに扉を開け、中へと入る。
「ルカくん、門倉です。入るよ」
そう告げた千穂の声に呼応するかのように、ルカの怒鳴り声が飛んできた。
「入ってくるな、事務員!」
「ごめん。それは許容できない相談だよ」
ぬらりくらりと訴えを無視し、室内へと足を踏み入れた。
部屋に入った千穂の両目に真っ先に飛び込んできたのは、室内に置いてある白い椅子の上で膝を抱えた態勢で、こちらを睨むルカの姿である。
「……っくそ、入ってくるなって言ったのに」
うなるような声音だった。しかしどこかかすれていたように聞こえる。
(泣いた……のだろうか)
涙声ともとれる声色だ。
「……くそ……」
諦めたようにもう一度、ルカは悪態をついた。そして、そのまま抱えた膝に顔をうずめてしまう。
そのそばで、彼の母親が両膝をついていた。彼女の手は、そっとルカの肩に添えられている。懸命になだめるような触れ方であった。
「ルカ……」
彼女は、ただただ膝を抱え顔を隠す息子の姿に、ひどく心を痛めているようだった。
(無理もない)
自分の息子が頭から否定されたのだ。心中穏やかでいられない気持ちを押し隠して、不安で揺れる息子を支えようとする。そんな親の愛情を、彼女からはひしひしと感じられた。
「ルカ、大丈夫よ。お母さん、見ててちゃんとできてるって思ったわ」
「……でも、あの男はだめだって……」
「そう、ね」
「……ぼく、なにがだめだったのか、いまでもわからないよ、母さん」
「……お母さんもよ」
「母さんもわからなかった……?」
「……ええ。ごめんねルカ」
(……このままじゃだめだ)
親子の傷の舐め合い場面を終わらせようと、千穂は切り出した。
「ルカくんのお母さん。少しのあいだ、わたしとルカくんを二人きりにさせてもらえませんか」
「え……?」
千穂の提案は、葦原親子を戸惑わせた模様だ。
それもそうだろう。突然、ルカと二人きりになりたいと口に出したのだから。
普段から千穂がマネージャーとしてルカについているならまだしも、今日はただの代理である。
「でも……」
「ほんの十分……いいえ、五分で構いません」
「……っ事務員になにができるんだよ……!」
なんのために二人きりになる必要があるのか。見当がつかないルカから妨害が入るのも当然だった。
だが、千穂の目はルカの母親へのみ注がれている。
「あ、の……」
「いいよ母さん、こんな事務員の言うこと聞かなくて!」
「でもルカ……」
「いいって!」
息子の強い拒絶に迷いながらも、彼女は千穂の瞳を見つめ返す。そこにある、真意を探ろうとするかのように。
千穂もまた、彼女から目を逸らさずにいた。こちらの希望を汲んでもらえることを願って。
ほんの数秒のことだったが、彼女の中で判断は下されたらしい。
「……わかりました」
「母さん!?」
母親が申し出を受けるなんて想像していなかったのだと思う。ルカの悲鳴にも似た声が響いた。
「ルカ。お母さん、少し外に出てるわね」
「なんで……」
「門倉さん。ルカのこと、よろしくお願いします」
「はい。お任せください」
頭を下げた千穂にルカの母親は首を振る。そして、ルカの肩から手を離し、ゲストルームを出ていった。
ぱたん、と閉じられた扉。いまこの場にいるのは千穂とルカのみだ。
扉の前に立っていた千穂は、一歩一歩、椅子に座るルカへ近寄る。ところが、ルカは自分の膝に頭を埋め顔を隠してしまった。彼なりの些細な抵抗なのだろう。
「ルカくん」
「…………」
呼んでも返事がない。反応することすらいやがられている雰囲気だ。
(怒ってる、か)
母親を追い出したことが、彼にとって納得のできない行動だったのだろう。それでも彼女がいると、ルカは無意識に甘えてしまう。それはなんの解決にもならない。
しかしこのままでは埒が明かなかった。
「ルカくん」
再び呼びかけたが、またも無視される。
(しょうがない)
ふう、と肩をすくめた千穂は、すうと息を吸い込む。そして――
「葦原ルカ!」
「……っ」
強い口調でルカの名を呼んだ。その声量に、顔をうずめていたルカの肩が面白いくらい跳ねた。
「ああ、やーっと反応したねルカくん」
わずかに顔を上げ、視線だけで睨まれたがなんのその。言葉もない抗議なんて、千穂には痛くもかゆくもない。
「時間がないからこのまま話を進めるよ」
使っていないほかの白い椅子を引っ張ってきて、ルカの正面へと置く。そこへ千穂は腰かけた。
じろりとねめつけられる視線を受けるも、これまた無視だ。
「さっきの撮影は、散々な言われようだったね、ルカくん」
そこでいきなり予備動作もなくパンチを放った。がた、とルカの座る椅子から小さな音が鳴る。
「どうしてあんなこと言われたか、ルカくん自身は自覚ないよね」
相手は子どもであり、さらには傷ついている。けれどもその様子からあえて目を逸らし、事実だけを挙げていく。
「自覚がないから、いくら休憩を挟んでこのあと撮影が再開されても、またあのカメラマンさんはルカくんを撮るのをやめるだろうね」
「……、……んで」
「そしてまた散々言われっぱなしになるんだ」
「……っなん、っで事務員なんかに、そんなこと、言われなきゃならないんだよ……!」
「理由がわかるからだよ」
静かに現実だけを告げる。
反論のため膝から顔を上げたルカは、なにを言われたのか理解していないような表情だった。
そしてこの距離で気づいたのは、彼の目元の赤さである。
(あ、目が赤い。やっぱりルカくん泣いてたか)
生意気でしっかりしているように見えても、まだ十歳の子どもだ。大人の男からの明確な駄目出しは、ルカの心に大きな傷を残したのだろう。
仕方ないこと――そうはわかっていても、在籍タレントが哀しんでいる状況は、正直、眉をひそめたくなるものだった。
(いい気がしないというのは、当然だよね)
「……ただの事務員が理由をわかったって……? そんなのでたらめだ」
千穂がもたらした返しを、ルカは一蹴する。
「ただの事務員でも、わかったことは本当だよ。ただ、カメラマンさんに直接尋ねたわけじゃないから憶測だけどね。それでも、間違ってない自信はあるよ」
「……じゃあその理由ってなに」
「聞く気はある?」
意地悪な返しだと自覚はある。案の定、ルカは不愉快な思いを抱いたようだ。しばらく膨れっ面を見せていたが、どうにか自分の中で折り合いがついたらしい。
「……、……聞く」
そっぽを向いたまま、ぼそっと小さくつぶやかれた。
(……このあたりが妥協点かな)
千穂はかすかに微苦笑を浮かべてから、撮影中断に至っただろう原因を明かした。
「撮影中、ルカくんはどんな気持ちでいた?」
「……なにそれ。そんなの、考えたことない……けど」
「けど?」
言い淀む気配を感じたが、追及するとルカはぼそぼそと続けた。
「ちゃん、と……できたらいい、って」
「うん。それだね」
「……え……?」
ルカは困惑顔だ。
「ちゃんとしたい、ミスなくやり遂げたい。そういう気持ちで撮影に臨んだルカくんはなにも悪くないよ。でも、その気持ちが強すぎたんだろうね。ルカくん、きみは撮影中、ずっと演技してた」
「演技……?」
「そう。葦原ルカ本人じゃなくて、役を演じる葦原ルカになってた」
「役……」
そう言っても、ルカ自身に自覚はなかったようだ。
「気づいてなかった? ルカくん、きみは撮影中、朝ドラで演じた役に成りきっているようにわたしには見えたよ」
千穂が指摘したら、思ってもいなかったことを言われたといった顔をされた。
これだけでわかる。本当にルカは、無自覚で芝居をしていたのだ。
「そしてそれがカメラマンさんが撮影をやめた理由でもあると、わたしは思ってる。彼は言ってたよね? 面白くないって」
市ヶ瀬に言われたのを思い出したのか、ルカの顔が曇った。
「……うん」
「あのひとが言った気持ち、わたしはなんとなくわかるんだ」
「え……」
裏切られた。
ルカの顔は、そんな悲愴感に塗りつぶされているみたいだった。
「ああ違うよ。そういうことじゃなくて」
すぐに否定すれば、ほっと息をつくルカ。そしてそんな自分に気づき、目に見えて動揺している。
(ふふ、かわいらしいなあ)
やはり子どもらしさが抜けない様子に笑みがこぼれそうになるが、ここはもちろん耐えた。さすがに笑ったらへそを曲げるどころでは済まないだろうからだ。
「カメラマンさんとしては、ルカくん本人を撮影するつもりでいたのに、カメラの前に立つルカくんは演じるのをやめない。いろいろと指示を出しても、演技となって返ってくるから、指示に意味がなくなってしまう。……ここまで言えばわかるかな? それはもう、ルカくん本人を撮ってるとは言えないよね」
「……そんなつもりは、なかったけど」
「でも、カメラに映るルカくんは、やっぱり別人に見えたよ。ドラマの撮影中だと言われたら、そっちのほうが納得できるくらいだった」
無自覚だったからこそ、自分の間違いに気づけないのだと思う。いや、間違いと決めつけるのも早合点かもしれない。
編集長をはじめ、周囲の人間はあの撮影でもなんの違和感も持たず、オーケーを出しそうなものだったからだ。
ただひとり、市ヶ瀬錦というカメラマンだけが、素の葦原ルカを撮影することに重点を置き、あの場で仕事をしていたのだ。彼のプロとしての目が、偽ることを許さなかった。
それははたして幸か不幸か。
いまでさえルカは傷ついている。しかし、市ヶ瀬の要求に応えたルカを見てみたい、見られるのはこのときしか機会がない。そう思ってしまう千穂は、ルカにとって敵かもしれない。
だが休憩前のルカと変わらなければ、この撮影は終了しないだろう。
「理由はいま教えたとおりだけど、ルカくん。いくら演技してたとしても、言い方ってものがあると思わない?」
突然の話題転換に、ルカの目が点になる。
「大人の男のひとが、あそこまで言うのはひどいなあって思わなかった?」
千穂は人差し指を持ち上げる。そしてとんとん、と自分の目元を指差し、ルカをじっと見つめた。
ルカ自身に、思い出させるように。彼の目元にある赤みは、ルカの悔しさのあらわれだ。
はっとしたルカの口がわずかに歪む。
「ルカくんだって、理由もわからずに言われっぱなしで、悔しくなかった?」
「……っ、……た……て……」
「ん?」
「……く、やしかったに……決まってる!」
「じゃあやり返しちゃおうか」
「……え?」
ぽかんとするルカ。なにを言われたのか、すぐには理解できなかったのだろう。
そんなあどけない表情に、千穂はふっと微笑んだ。
「悔しかったなら、次はもうあんなひどいこと言われないようにするのが、一番手っ取り早い解決法だと思わない?」
あっけらかんと千穂がのたまう。
いまだルカは口を開け、放心したままだ。
「悔しさを跳ね返すくらいルカくんがルカくんらしさを見せたなら、カメラマンさんだってなんの文句もつけないよ」
「で、でも」
やっと我に返ったルカが自信なさげに繋ぐ。
「ぼくらしさってなに? 急に言われてもわからないよ」
生意気な面はどこへいったのか。ルカは迷い子のように弱々しかった。
しかしそんなルカを千穂は笑い飛ばす。
「なにも考えなくていいんだよ。うまくやろうとか、ミスをしないようにしようとか、そういうのも綺麗さっぱり忘れちゃえばいい」
「忘れるって……」
アドバイスしたつもりが、さらなる混乱を招いてしまったようだ。
(うーん、どう言えば伝わるかなあ)
軽く思案していた千穂は、あっと思いついたことを口にする。
「じゃあなにも考えないのはやめて、負けたくない、さっきは好き勝手に言ってきてこのやろー! って思う気持ちでカメラの前に立ったらどうかな」
思いもよらない提案だったのか、言われたルカがまたもぽかんとしてしまった。
「ルカくん、悔しいって言ったよね。わたしもね、カメラマンさんの言うことは正しいと理解していても、ルカくんが責められてるのは面白くなかった」
ぴくっとルカが動く。
「うちのかわいいタレントにひどいこと言わないでって、ずっと思ってたよ。口には出せないけどね」
これは紛れもなく千穂の本心だ。というのに、ルカからしたら意外に思われたらしい。ぱちぱちとまばたきを繰り返したのち、「……うそだ」と否定されてしまった。
「うそじゃないよ」
「……でも、ぼく、……ひどいこと、言った」
「ルカくんの言葉は、どちらかというとつんつんしていて、小さな子猫が威嚇しているみたいだけど」
「こねこ……」
褒めたつもりだったのに、複雑な顔をされてしまった。どうやら男の子に子猫はよくなったようだ。
(でも、わたしからすると、ルカくんはそう見えちゃうんだよねえ)
「それはともかく。ルカくん」
「……なに」
「覚悟はできた?」
ルカの瞳が不安げに揺れた。それから顔を伏せ、じっと自分の膝小僧を見つめている。
(ここが正念場だよ、ルカくん)
変わるためには、覚悟が必要だ。無自覚でしていた演技をしないように意識しながら、自分らしさを出す。子どもには無茶な要求かもしれない。だが、ルカが今日の撮影をやりきるためには、この方法しか解決の道がなかった。
(覚悟を見せて)
なにかを決心するかのように、ぎゅっと強く両の拳を握ったルカ。そして次に顔を上げた彼の双眸に迷いはなかった。
「ぼく、やるよ」
「うん」
「あのカメラマンに、やり返してみせる」
「心強い。その意気だよ、ルカくん」
「もうぼくのことを坊主なんて言わせない!」
ふんす、と鼻息荒くルカは宣言する。
(坊主呼ばわりされるの、屈辱だったんだね)
思わず口が緩みそうになるが、千穂は力を入れてこらえた。
「んんっ、じゃあそろそろ出ようか。外でルカくんのお母さんも心配してるだろうしね」
「わかった。……あの」
立ち上がり、自分が座っていた椅子を片づけた千穂の背後に、ルカが寄ってくる。
「ルカくん?」
「……め……、……とう」
「ん? ごめん、よく聞こえなかった。なんて言った?」
腰をかがめて顔を寄せた千穂に、ルカは口をへの字に曲げながらも答えた。
「……っごめん、それとありがとうって言った!」
「おおっ?」
「……っ、もう行く!」
叫ぶように言い放ったのち、ルカは千穂を押しのけ扉へ向かった。その背を眺めていると、ここからでもルカの耳が少しだけ赤みを帯びているのが見て取れた。
小生意気な少年が告げた謝罪と感謝の言葉。本人にとってとても恥ずかしかったのだろう。照れ隠しでついつっけんどんな態度をとってしまうところも、千穂からしたら小憎らしい反面、笑みを誘われるだけだ。
「ちゃんと見てるから、安心してカメラマンさんに向かっていけばいいよ」
「……っ、ふん! 当然!」
刹那、ドアノブを掴む手が止まったかのように見えたが、ルカはそのまま引いて扉を開けた。すぐに彼の母親が息子に話しかけている声がかすかに届く。
(ルカくんのお母さんにも説明しないとだな)
そう思いながら、千穂もゲストルームを出るために扉へと向かった。
その部屋の扉の前に、ひとりの女性スタッフが中の様子を気にしながら立っている。彼女は千穂が近づいてくるのに気づき、親切に教えてくれた。
「ルカくんは中にいます。お母さんも一緒です」
「わかりました。ありがとうございます」
礼を伝えてから、ゲストルームの扉をノックした。
返事は期待していない。だから返事を待たずに扉を開け、中へと入る。
「ルカくん、門倉です。入るよ」
そう告げた千穂の声に呼応するかのように、ルカの怒鳴り声が飛んできた。
「入ってくるな、事務員!」
「ごめん。それは許容できない相談だよ」
ぬらりくらりと訴えを無視し、室内へと足を踏み入れた。
部屋に入った千穂の両目に真っ先に飛び込んできたのは、室内に置いてある白い椅子の上で膝を抱えた態勢で、こちらを睨むルカの姿である。
「……っくそ、入ってくるなって言ったのに」
うなるような声音だった。しかしどこかかすれていたように聞こえる。
(泣いた……のだろうか)
涙声ともとれる声色だ。
「……くそ……」
諦めたようにもう一度、ルカは悪態をついた。そして、そのまま抱えた膝に顔をうずめてしまう。
そのそばで、彼の母親が両膝をついていた。彼女の手は、そっとルカの肩に添えられている。懸命になだめるような触れ方であった。
「ルカ……」
彼女は、ただただ膝を抱え顔を隠す息子の姿に、ひどく心を痛めているようだった。
(無理もない)
自分の息子が頭から否定されたのだ。心中穏やかでいられない気持ちを押し隠して、不安で揺れる息子を支えようとする。そんな親の愛情を、彼女からはひしひしと感じられた。
「ルカ、大丈夫よ。お母さん、見ててちゃんとできてるって思ったわ」
「……でも、あの男はだめだって……」
「そう、ね」
「……ぼく、なにがだめだったのか、いまでもわからないよ、母さん」
「……お母さんもよ」
「母さんもわからなかった……?」
「……ええ。ごめんねルカ」
(……このままじゃだめだ)
親子の傷の舐め合い場面を終わらせようと、千穂は切り出した。
「ルカくんのお母さん。少しのあいだ、わたしとルカくんを二人きりにさせてもらえませんか」
「え……?」
千穂の提案は、葦原親子を戸惑わせた模様だ。
それもそうだろう。突然、ルカと二人きりになりたいと口に出したのだから。
普段から千穂がマネージャーとしてルカについているならまだしも、今日はただの代理である。
「でも……」
「ほんの十分……いいえ、五分で構いません」
「……っ事務員になにができるんだよ……!」
なんのために二人きりになる必要があるのか。見当がつかないルカから妨害が入るのも当然だった。
だが、千穂の目はルカの母親へのみ注がれている。
「あ、の……」
「いいよ母さん、こんな事務員の言うこと聞かなくて!」
「でもルカ……」
「いいって!」
息子の強い拒絶に迷いながらも、彼女は千穂の瞳を見つめ返す。そこにある、真意を探ろうとするかのように。
千穂もまた、彼女から目を逸らさずにいた。こちらの希望を汲んでもらえることを願って。
ほんの数秒のことだったが、彼女の中で判断は下されたらしい。
「……わかりました」
「母さん!?」
母親が申し出を受けるなんて想像していなかったのだと思う。ルカの悲鳴にも似た声が響いた。
「ルカ。お母さん、少し外に出てるわね」
「なんで……」
「門倉さん。ルカのこと、よろしくお願いします」
「はい。お任せください」
頭を下げた千穂にルカの母親は首を振る。そして、ルカの肩から手を離し、ゲストルームを出ていった。
ぱたん、と閉じられた扉。いまこの場にいるのは千穂とルカのみだ。
扉の前に立っていた千穂は、一歩一歩、椅子に座るルカへ近寄る。ところが、ルカは自分の膝に頭を埋め顔を隠してしまった。彼なりの些細な抵抗なのだろう。
「ルカくん」
「…………」
呼んでも返事がない。反応することすらいやがられている雰囲気だ。
(怒ってる、か)
母親を追い出したことが、彼にとって納得のできない行動だったのだろう。それでも彼女がいると、ルカは無意識に甘えてしまう。それはなんの解決にもならない。
しかしこのままでは埒が明かなかった。
「ルカくん」
再び呼びかけたが、またも無視される。
(しょうがない)
ふう、と肩をすくめた千穂は、すうと息を吸い込む。そして――
「葦原ルカ!」
「……っ」
強い口調でルカの名を呼んだ。その声量に、顔をうずめていたルカの肩が面白いくらい跳ねた。
「ああ、やーっと反応したねルカくん」
わずかに顔を上げ、視線だけで睨まれたがなんのその。言葉もない抗議なんて、千穂には痛くもかゆくもない。
「時間がないからこのまま話を進めるよ」
使っていないほかの白い椅子を引っ張ってきて、ルカの正面へと置く。そこへ千穂は腰かけた。
じろりとねめつけられる視線を受けるも、これまた無視だ。
「さっきの撮影は、散々な言われようだったね、ルカくん」
そこでいきなり予備動作もなくパンチを放った。がた、とルカの座る椅子から小さな音が鳴る。
「どうしてあんなこと言われたか、ルカくん自身は自覚ないよね」
相手は子どもであり、さらには傷ついている。けれどもその様子からあえて目を逸らし、事実だけを挙げていく。
「自覚がないから、いくら休憩を挟んでこのあと撮影が再開されても、またあのカメラマンさんはルカくんを撮るのをやめるだろうね」
「……、……んで」
「そしてまた散々言われっぱなしになるんだ」
「……っなん、っで事務員なんかに、そんなこと、言われなきゃならないんだよ……!」
「理由がわかるからだよ」
静かに現実だけを告げる。
反論のため膝から顔を上げたルカは、なにを言われたのか理解していないような表情だった。
そしてこの距離で気づいたのは、彼の目元の赤さである。
(あ、目が赤い。やっぱりルカくん泣いてたか)
生意気でしっかりしているように見えても、まだ十歳の子どもだ。大人の男からの明確な駄目出しは、ルカの心に大きな傷を残したのだろう。
仕方ないこと――そうはわかっていても、在籍タレントが哀しんでいる状況は、正直、眉をひそめたくなるものだった。
(いい気がしないというのは、当然だよね)
「……ただの事務員が理由をわかったって……? そんなのでたらめだ」
千穂がもたらした返しを、ルカは一蹴する。
「ただの事務員でも、わかったことは本当だよ。ただ、カメラマンさんに直接尋ねたわけじゃないから憶測だけどね。それでも、間違ってない自信はあるよ」
「……じゃあその理由ってなに」
「聞く気はある?」
意地悪な返しだと自覚はある。案の定、ルカは不愉快な思いを抱いたようだ。しばらく膨れっ面を見せていたが、どうにか自分の中で折り合いがついたらしい。
「……、……聞く」
そっぽを向いたまま、ぼそっと小さくつぶやかれた。
(……このあたりが妥協点かな)
千穂はかすかに微苦笑を浮かべてから、撮影中断に至っただろう原因を明かした。
「撮影中、ルカくんはどんな気持ちでいた?」
「……なにそれ。そんなの、考えたことない……けど」
「けど?」
言い淀む気配を感じたが、追及するとルカはぼそぼそと続けた。
「ちゃん、と……できたらいい、って」
「うん。それだね」
「……え……?」
ルカは困惑顔だ。
「ちゃんとしたい、ミスなくやり遂げたい。そういう気持ちで撮影に臨んだルカくんはなにも悪くないよ。でも、その気持ちが強すぎたんだろうね。ルカくん、きみは撮影中、ずっと演技してた」
「演技……?」
「そう。葦原ルカ本人じゃなくて、役を演じる葦原ルカになってた」
「役……」
そう言っても、ルカ自身に自覚はなかったようだ。
「気づいてなかった? ルカくん、きみは撮影中、朝ドラで演じた役に成りきっているようにわたしには見えたよ」
千穂が指摘したら、思ってもいなかったことを言われたといった顔をされた。
これだけでわかる。本当にルカは、無自覚で芝居をしていたのだ。
「そしてそれがカメラマンさんが撮影をやめた理由でもあると、わたしは思ってる。彼は言ってたよね? 面白くないって」
市ヶ瀬に言われたのを思い出したのか、ルカの顔が曇った。
「……うん」
「あのひとが言った気持ち、わたしはなんとなくわかるんだ」
「え……」
裏切られた。
ルカの顔は、そんな悲愴感に塗りつぶされているみたいだった。
「ああ違うよ。そういうことじゃなくて」
すぐに否定すれば、ほっと息をつくルカ。そしてそんな自分に気づき、目に見えて動揺している。
(ふふ、かわいらしいなあ)
やはり子どもらしさが抜けない様子に笑みがこぼれそうになるが、ここはもちろん耐えた。さすがに笑ったらへそを曲げるどころでは済まないだろうからだ。
「カメラマンさんとしては、ルカくん本人を撮影するつもりでいたのに、カメラの前に立つルカくんは演じるのをやめない。いろいろと指示を出しても、演技となって返ってくるから、指示に意味がなくなってしまう。……ここまで言えばわかるかな? それはもう、ルカくん本人を撮ってるとは言えないよね」
「……そんなつもりは、なかったけど」
「でも、カメラに映るルカくんは、やっぱり別人に見えたよ。ドラマの撮影中だと言われたら、そっちのほうが納得できるくらいだった」
無自覚だったからこそ、自分の間違いに気づけないのだと思う。いや、間違いと決めつけるのも早合点かもしれない。
編集長をはじめ、周囲の人間はあの撮影でもなんの違和感も持たず、オーケーを出しそうなものだったからだ。
ただひとり、市ヶ瀬錦というカメラマンだけが、素の葦原ルカを撮影することに重点を置き、あの場で仕事をしていたのだ。彼のプロとしての目が、偽ることを許さなかった。
それははたして幸か不幸か。
いまでさえルカは傷ついている。しかし、市ヶ瀬の要求に応えたルカを見てみたい、見られるのはこのときしか機会がない。そう思ってしまう千穂は、ルカにとって敵かもしれない。
だが休憩前のルカと変わらなければ、この撮影は終了しないだろう。
「理由はいま教えたとおりだけど、ルカくん。いくら演技してたとしても、言い方ってものがあると思わない?」
突然の話題転換に、ルカの目が点になる。
「大人の男のひとが、あそこまで言うのはひどいなあって思わなかった?」
千穂は人差し指を持ち上げる。そしてとんとん、と自分の目元を指差し、ルカをじっと見つめた。
ルカ自身に、思い出させるように。彼の目元にある赤みは、ルカの悔しさのあらわれだ。
はっとしたルカの口がわずかに歪む。
「ルカくんだって、理由もわからずに言われっぱなしで、悔しくなかった?」
「……っ、……た……て……」
「ん?」
「……く、やしかったに……決まってる!」
「じゃあやり返しちゃおうか」
「……え?」
ぽかんとするルカ。なにを言われたのか、すぐには理解できなかったのだろう。
そんなあどけない表情に、千穂はふっと微笑んだ。
「悔しかったなら、次はもうあんなひどいこと言われないようにするのが、一番手っ取り早い解決法だと思わない?」
あっけらかんと千穂がのたまう。
いまだルカは口を開け、放心したままだ。
「悔しさを跳ね返すくらいルカくんがルカくんらしさを見せたなら、カメラマンさんだってなんの文句もつけないよ」
「で、でも」
やっと我に返ったルカが自信なさげに繋ぐ。
「ぼくらしさってなに? 急に言われてもわからないよ」
生意気な面はどこへいったのか。ルカは迷い子のように弱々しかった。
しかしそんなルカを千穂は笑い飛ばす。
「なにも考えなくていいんだよ。うまくやろうとか、ミスをしないようにしようとか、そういうのも綺麗さっぱり忘れちゃえばいい」
「忘れるって……」
アドバイスしたつもりが、さらなる混乱を招いてしまったようだ。
(うーん、どう言えば伝わるかなあ)
軽く思案していた千穂は、あっと思いついたことを口にする。
「じゃあなにも考えないのはやめて、負けたくない、さっきは好き勝手に言ってきてこのやろー! って思う気持ちでカメラの前に立ったらどうかな」
思いもよらない提案だったのか、言われたルカがまたもぽかんとしてしまった。
「ルカくん、悔しいって言ったよね。わたしもね、カメラマンさんの言うことは正しいと理解していても、ルカくんが責められてるのは面白くなかった」
ぴくっとルカが動く。
「うちのかわいいタレントにひどいこと言わないでって、ずっと思ってたよ。口には出せないけどね」
これは紛れもなく千穂の本心だ。というのに、ルカからしたら意外に思われたらしい。ぱちぱちとまばたきを繰り返したのち、「……うそだ」と否定されてしまった。
「うそじゃないよ」
「……でも、ぼく、……ひどいこと、言った」
「ルカくんの言葉は、どちらかというとつんつんしていて、小さな子猫が威嚇しているみたいだけど」
「こねこ……」
褒めたつもりだったのに、複雑な顔をされてしまった。どうやら男の子に子猫はよくなったようだ。
(でも、わたしからすると、ルカくんはそう見えちゃうんだよねえ)
「それはともかく。ルカくん」
「……なに」
「覚悟はできた?」
ルカの瞳が不安げに揺れた。それから顔を伏せ、じっと自分の膝小僧を見つめている。
(ここが正念場だよ、ルカくん)
変わるためには、覚悟が必要だ。無自覚でしていた演技をしないように意識しながら、自分らしさを出す。子どもには無茶な要求かもしれない。だが、ルカが今日の撮影をやりきるためには、この方法しか解決の道がなかった。
(覚悟を見せて)
なにかを決心するかのように、ぎゅっと強く両の拳を握ったルカ。そして次に顔を上げた彼の双眸に迷いはなかった。
「ぼく、やるよ」
「うん」
「あのカメラマンに、やり返してみせる」
「心強い。その意気だよ、ルカくん」
「もうぼくのことを坊主なんて言わせない!」
ふんす、と鼻息荒くルカは宣言する。
(坊主呼ばわりされるの、屈辱だったんだね)
思わず口が緩みそうになるが、千穂は力を入れてこらえた。
「んんっ、じゃあそろそろ出ようか。外でルカくんのお母さんも心配してるだろうしね」
「わかった。……あの」
立ち上がり、自分が座っていた椅子を片づけた千穂の背後に、ルカが寄ってくる。
「ルカくん?」
「……め……、……とう」
「ん? ごめん、よく聞こえなかった。なんて言った?」
腰をかがめて顔を寄せた千穂に、ルカは口をへの字に曲げながらも答えた。
「……っごめん、それとありがとうって言った!」
「おおっ?」
「……っ、もう行く!」
叫ぶように言い放ったのち、ルカは千穂を押しのけ扉へ向かった。その背を眺めていると、ここからでもルカの耳が少しだけ赤みを帯びているのが見て取れた。
小生意気な少年が告げた謝罪と感謝の言葉。本人にとってとても恥ずかしかったのだろう。照れ隠しでついつっけんどんな態度をとってしまうところも、千穂からしたら小憎らしい反面、笑みを誘われるだけだ。
「ちゃんと見てるから、安心してカメラマンさんに向かっていけばいいよ」
「……っ、ふん! 当然!」
刹那、ドアノブを掴む手が止まったかのように見えたが、ルカはそのまま引いて扉を開けた。すぐに彼の母親が息子に話しかけている声がかすかに届く。
(ルカくんのお母さんにも説明しないとだな)
そう思いながら、千穂もゲストルームを出るために扉へと向かった。
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