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第8話
第二章
(つい調べてしまったけれど……うん、出てくるのはこのくらいか)
市ヶ瀬錦。三十三歳。
写真専攻学科を卒業後、在学中からアルバイトとして勤めていた事務所へ就職。八年後に独立――。
パソコン画面には簡単な経歴が表示されている。もう会うことはないと思っていても、調べることは容易だ。相手はプロとして活躍するカメラマン。インターネット環境があれば大まかなことは知れた。
市ヶ瀬と出会ったルカの撮影日から、時間はもうすでに二ヶ月近く経過していた。
姫菱社長と秘書の小野の怪我もすっかり完治し、仕事復帰を果たしている。もちろん業務に支障はない。事故前と変わらずに姫菱は精力的に活動している。事故直後はばたばたしていたが、現在は本人も事務所も通常どおりだ。
この二ヶ月でなにか変化はあったか?
その答えとして変わったことはない――と言いたいところだが、ひとつだけ。
それは、姫菱の代わりにルカの撮影現場に随行した日から一ヶ月半を過ぎたころのこと。千穂も当事者となる大きな変化が訪れた。
『……わたしがルカくんのマネージャーに……ですか?』
珍しく社長室へ呼ばれた千穂は、彼女からルカ専属のマネージャーを打診されたのだ。
突然すぎる話で、千穂は困惑を隠せなかった。
『そうよ』
『わたし、事務員ですよ? それなのになぜ、わたしにそんな大役が?』
そう問うたものの、理由などひとつしかないのは知っていた。ルカが受けた女性誌の仕事の反響が大きく、評判が上々なのだ。
雑誌自体の売り上げはもちろん、被写体としてのルカの評価が高い。たった十歳の子どもとは思えぬ表情や仕草はもちろん、被写体の本質を切り取る写真の数々は、ただの女性誌の枠を飛び越えたと話題になっていた。
無論、その写真を撮ったフォトグラファーにも注目は集まるはずだが、こちらは不自然なくらい話題に上がることはなかった。なにか特別な力が働いているのかと勘ぐってしまいたくなるほどである。
話は戻るが、ルカのマネージャーの件について、千穂は答えをすぐに出すことが難しかった。
『もともと、売れてきたルカくんにはだれか専属をつけるべきだと話は出ていたのよ。けれどこの事務所の人数的に、それはなかなか難しくてね』
フェアリーキッズプロダクションの在籍タレントたちは、正直なところ、仕事はあまり多くはなかった。いや、ここは心を鬼にしよう。売れていない、とはっきり言っていい。
大手のキッズ事務所と違い、業界の伝手はもちろん、在籍タレントたちにかけられるだけの資金もなにもかもが少なかった。
しかし、いまは葦原ルカという、伸び盛りのタレントが存在している。それに子役というのは活躍できる期間が短い。子どもから大人へと、一定数の仕事を受けながらこの仕事を続けていけるキッズモデルなど、芸能界の中でも本当に少数だ。
それこそ、大手所属で知名度も高い子役が、数年で芸能界から消えた話などざらである。だからこそ人気が出始めたいま、事務所総出でバックアップするのはおかしな話ではなかった。
ただ、どうしてそこでマネージャーという、タレントにとってなによりも近しい位置に、千穂のような素人を据えようというのか。
その理由が当の千穂にはまったくわからなかった。
『どうしようかと矢吹さんやほかのマネージャーたちと話していたときに、私たちが巻き込まれたあの事故があったでしょ』
『はい』
千穂が姫菱の代理として、ルカの撮影現場へ赴くに至った要因だ。
『正直ね、矢吹さんから千穂ちゃん、あなたがルカくんの撮影現場に付き添ったと事後報告で聞いたときは、とても驚いたの。それも自分から言いだしたと耳にしたから』
『……はい』
姫菱の懸念は理解できる。事務員だからという理由ではなく、『撮影現場』に千穂自身が自ら向かうなど、考えてもいなかったのだろう。
『「あの件」があったから、この世界に二度と近寄らせたくないと思っていた。それは本当よ。なのに、またかかわるきっかけを作ったのは私自身なのに、矛盾してるわね』
『……そんなことありません! 声をかけてもらって、わたしはとても嬉しかったですよ』
『千穂ちゃん……』
千穂の言葉に、困ったような、けれどどこか安心したような顔で姫菱は微笑んだ。千穂も同じように頬を緩める。
姫菱がここまで気にかけたその根底にある、過去の『ある事件』。
姫菱はその件に深くかかわっているからこそ、千穂を心配し気遣ってくれる。と同時に、『あの件』を思い出すかもしれない撮影現場への付き添いに自ら手を挙げた千穂の成長を、内心嬉しく感じているのが伝わってきた。
(社長には『あのこと』でずっと心配をかけてしまっている。それが心苦しい)
もうずいぶん過去の話だ。それでも、きっかけを作ったのも自分自身だという負い目が、姫菱にはある。だから彼女は、大人になった千穂の就職先まで世話してくれたのだ。
きっと姫菱にとっては贖罪のつもりだったのだろう。だが間違いなく千穂の助けとなったし、選んだのも千穂自身だ。たとえその就職先が芸能事務所だと知っても、自分で選択した責任は千穂自身が負うものである。
『……話を戻しましょうか。……ふふ、だめねえ……。年を重ねると子どもたちの成長が嬉しくてたまらないわ』
『子どもですか? わたしも?』
『ええ。私がこの仕事を始めてからかかわってきた在籍タレントたちは、子どものいない私にとって我が子のようなものよ』
『へえ』
『もちろん、千穂ちゃん、あなたもね』
ウインクをいただいてしまった。
『ははっ』
少し照れくさくて、千穂は頬を掻いて笑った。
『さて、脱線してしまったけれど、今度こそ話を戻しましょう!』
『はい』
すっと背筋を伸ばす。
『ルカくんの専属マネージャーの件だけれど、だれがつくべきかという話ね。どうして事務員のあなたに白羽の矢が立ったのか、これから話すわ』
言わなくても、これまでどおり姫菱がつく方向がベストだ。しかし、この先いまよりルカの仕事量が増えれば、彼女の事務所代表としての業務に支障をきたすだろうことは、だれの目にも明白であった。
『千穂ちゃんに頼む理由は、やっぱりこの前の撮影のルカくんの評判がもちろんだけど、一番はルカくん側の希望なのよ』
『ルカくん、ですか?』
意外な答えだったので、千穂の目が丸くなる。
『ええ、そう。あの撮影からしばらくして、葦原親子から直接連絡があってね。「前々から打診されていたマネージャーの件だけれど、事務員の門倉さんならいい」と言われたのよ』
そのときの様子を思い出しているのか、姫菱はくすくすと笑い声をこぼす。
『よっぽど気に入られたのね、千穂ちゃん。ルカくんはどちらかと言うと、少し扱いが難しい子どもだったから、私やほかのマネージャーたちじゃ、あの子になかなか信用されなかったのよね』
『そんなことはないと思いますけど……』
(信用? されていたのかどうか、わからないな)
思い出しても、該当する箇所が見当たらない。だから思わず首をひねってしまった。
『表面上はいい子でにこにこしているけど、心の中では壁を作っているのがわかっていたのよ。あの子はもともと簡単に大人を信用できないみたい。おそらく父親が原因ね』
ルカの父親のことは多少知らされているから、大人を容易に信じられないという点は理解できた。
それでも姫菱に対してはそこまで壁を作っているようには見えなかったが、実際は違ったのだろうか。しかし多くのキッズモデルを見てきた姫菱本人が言うのだから、間違いないと思う。
たしかに現場でも気を張っていた気がする。あれは、事務員の千穂がきたことへの落胆や仕事への緊張が原因かと思っていた。だがもしかしたら……多くの大人に囲まれて警戒していたのかもしれない。
それなのになぜ千穂ならいい、と意見が変わったのだろうか。
(たしかにほんの少しアドバイスのようなものはしたけれど、結局、撮影が無事に成功したのはルカくんの実力だ)
深く考えてもわからないものはわからない。
(ルカくんに訊いてみるしか方法はない、か)
正直に教えてくれる可能性は低そうだが。
(特に意味なんてない、とか言われそうだけどね)
なんとなく表情まで想像できて、千穂は姫菱に気づかれないように苦笑した。
しかし、ただの事務員にいきなり現場でのマネージャーができるかといえば、答えに窮する。そもそも経験がない。たった一回の代理であったから気が楽だったのに、専属になればそんな悠長な考えは捨てなければいけないだろう。
生半可な覚悟では受けられない。ゆえに千穂は返事をこの場では出さず、少しだけ保留にしてもらった。
返事の期限は今月末だ。それまで自分で考えるなり、矢吹ら同僚に相談するのもよしとされていた。
(……でも本当、どうしようか……)
期限まで一ヶ月を切っている。だが、千穂はまだ決めかねていた。
(経験がない。その一点が、どうしても引っかかっている)
決めかねている、と言っても正直なところ、心の中では断るほうへ矢印が傾いていた。
これから売り出すタレントならまだしも、すでに人気に火がつき事務所設立以来の売れっ子になるだろうタレント。そんな彼のマネージメントを素人の自分が一身に引き受けるだけの力量がないことは、千穂自身が一番わかっていた。
(……事務員として働ければそれでよかったんだけどな)
いつのまにか責任ある立場に押し上げられようとしている、いまの現状。決して自分から望んだ流れではないため、少ししんどい。
事務所内にいるほかの同僚に気づかれぬよう、千穂は小さく息を吐いた。
その後、仕事を終えた千穂は同僚らに挨拶をして事務所を出た。
自宅アパートまでは電車通勤だ。だから千穂はいつものように、事務所の入ったビルを出て駅へ向かう道を歩き出そうとした。
しかしそのビルの前の横断防止柵、そこへ腰かけている人物が視界に入り、千穂は気づけば歩みを緩めていた。
どこかで見たことがあるフィールドジャケット。その下に白いシャツとハイゲージニットセーターを着込み、ブラックジーンズとチェルシーブーツを合わせたスタイルは、その人物を薄暗い景色の中でも際立たせていた。
どこか気怠(けだる)げにたばこを吸う仕草も、男の雰囲気によく合っている。
まるでどこかのモデルのようなたたずまいだ。だが彼がふとこちらへ視線を向けたときに、そんなふわふわとした考えは一気に消し飛んだ。
「……なんで」
夢でも見ているのだろうか。
信じられない気持ちが、千穂の唇から消え入りそうなつぶやきとしてもれた。
(どうしてこのひとがここに?)
男は千穂に気づくなり、吸いかけのたばこを携帯灰皿で潰す。さらに腰かけていた横断防止柵から身体を起こした。
そして呆然と立ち尽くす千穂へ向かい、口を開いたのだ。
「KAHO(カホ)」
千穂を「KAHO」と呼ぶ男。見間違いではない。彼は二ヶ月近く前に一度だけ会ったことのあるカメラマン、市ヶ瀬錦そのひとであった。
(……また、呼ばれた……『KAHO』と)
ぐっと息を詰める。だがすかさず否定した。
「……人違いです」
「いや、あんたはKAHOだ」
「……失礼します」
なぜこの場に市ヶ瀬がいるのか。追及するのは簡単だ。しかしその選択をすると、暴かれたくない秘密まで知られてしまう可能性がある。
(一番有効な回避法は、かかわらないこと)
一礼をして通り過ぎようとするが、やはり簡単にことは進まない。市ヶ瀬に進路を塞がれるようなかたちで立たれたせいだ。
「あの、どいてもらえますか」
「KAHOだっつうのは認めないんだな」
「……人違いですよ」
頑なに認めない千穂。
(これで諦めてもらえないだろうか……)
けれど、そんな甘い考えは次の市ヶ瀬の行動で四散した。
「……っ、市ヶ瀬さん!?」
「もう今日の仕事は終わったんだろ? じゃあこのあと時間あるよな。よし、俺に付き合え」
「なっ!? 待ってください! そんな勝手な……っ」
「腹が減ってんだよなあ、俺。なにか食いにいくか。KAHOはなにが食いてえ?」
「市ヶ瀬さん……!」
二の腕を掴まれ振り払うことができない。ずるずる引きずられる。そして、そのまま近くのコインパーキングに停めてあった、市ヶ瀬のものと思しき車の助手席へ押し込まれた。
ありえない。
「ちょっと、……めちゃくちゃですよこんなの!」
「さあて、行くか」
運転席に乗り込んだ市ヶ瀬は、文句を言う千穂の声などまったく意に介さず車を発進させる。
「え、本当に!?」
慌てて降りようとするも、ロックがかかっていてドアは開かない。
「危ねえからシートベルトしろよ」
「……信じられない……」
あまりに現実離れした行為に、千穂の口は開いたまま塞がらなかった。だが宣言どおり車は動き出す。
呆けていても問題はなにも解決しない。それにとりあえず、市ヶ瀬はまったく知らない相手ではない。
そのため仕方なく千穂はシートベルトを締めた。
「……拉致ですよこれ」
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