お仕置きと、恋と、涙と

青森ほたる

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なんでもします

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 道が分からず不安だったが、案外早くに線路を見つけ、私は無事に駅へとたどり着いた。

白く光る運賃表を見上げて、頭に染み付いている駅名を探す。
切符を買い改札を通って、ホームの時刻表を確認すると、終電まであと一時間も余裕があった。

これなら、たどり着けるだろう。

電車に揺られている間は、なんの感情も湧いてこなかった。
膝の上にカバンを乗せ、向かいの窓の外、一瞬で通り過ぎていく街の光を眺めていた。


最寄り駅から歩いて10分。
煉瓦と鉄格子の高い柵に囲まれたお屋敷にたどり着く。

暗い庭を抜け豪勢な玄関扉の前に立つだけで、心臓が縛り付けられるような緊張に襲われる。

こんな時間に訪ねるなんて、非常識にも程がある。けれど今更、逃げ帰る場所などない。
思いきってインターホンを押す。

数秒も経たないうちに、がちゃり、と受話器が取られる音がした。

「はい……」

 一言目で、誰の声だか判断がつく。
私より10歳年上の個人秘書の、桜井さんだ。

「桜井さん……っ。夜分遅くに申し訳ありません。小川、章人です」
「今、開けに行きます」

 桜井さんが早口でそれだけ言って、ぷつりとマイクが途切れる。

すぐに玄関の明かりがついて、それから鍵をまわす音がした。

黒いスーツを身にまとった桜井さんが顔をだして、戸惑った表情で私を見つめる。

「小川さん……お久しぶり、ですね」
 短く息を吸って、私は右手に握ったカバンの取手を握りしめる。

「義隆さまに、お会いするために来ました。義隆さまは、いらっしゃいますか」

 桜井さんは言葉がでてこない様子で、黙ったまま頷いた。



 桜井さんは私に何の質問もしなかった。「こちらへ、どうぞ」と、慌てることなく、玄関ホールから応接室に通される。

「少し待っていてください。義隆さまをお呼びしてきます」

 数ヶ月前まで、毎日掃除をしていた応接室の、硬いソファに腰掛ける。

壁にかかった時計で、12時を過ぎていることが確認できた。

心臓がはち切れそうなくらい煩い。

両手にはじっとり汗が滲んでいた。

待つ時間が、永遠にも感じられた。

「章人」
 反射的に、立ち上がる。
応接室の扉を開けて立っていた義隆さまは、こんな時間にも関わらず、皺ひとつないスーツを着て、タバコの匂いを纏っている。

「義隆さま……」
 声が上手く出ない。

覚悟を決めて来たはずなのに、いざ義隆さまを前にすると、頭が真っ白になる。

義隆さまは言葉を詰まらせる私を見て、不快そうに眉をよせた。

「まずはこんな夜中に訪ねた非礼を詫びるべきだろ。突っ立ってないで、さっさと頭をさげろ」
「や、ぶん遅くに、申し訳ございません」

 頭をさげる私に扉を閉める音がして、義隆さまがローテーブルを挟んだソファに腰掛けた。
ライターの音と、タバコの煙が漂ってくる。

「それで? わざわざ訪ねてきた理由を簡潔に話せ。長々しい説明も言い訳も必要ない」

 そう問われて、唾を飲み込んでから頭をあげる。

「本日は……山城優太さまの個人秘書を、辞めさせていただくために来ました」
「辞めさせていただく? 山城さまから契約を解除されたわけではなく、お前自身の希望か?」

「はぃ」

 義隆さまがソファ背もたれに寄りかかる。
私は両足に力を入れて、崩れ落ちないよう必死に直立を保つ。

「……そんな我儘が通ると思ってんのか」
 息がつまる。

「出来損ないの個人秘書の分際で、いつ自分で主人を選べるほど偉くなったんだ」
「申し訳……」

「いつから、自分で主人を選べるほどに偉くなったんだって聞いてんだよ、さっさと答えろ」

 義隆さまが右手でいじっていた四角いライターを私に向かって投げつける。

ライターは私の左腕にあたって跳ね返り、テーブルの上に落ちて大きな音をたてる。
この程度で、怯むわけにはいかない。
もう後戻りはできないのだから。

「ご主人さまを選んでいる、わけではなく……ただどうしても山城さまの個人秘書をこれ以上、続けられなくなったので、お願いに来ました。山城さまには別の個人秘書を派遣してください……私が辞めても代わりの個人秘書はいくらでもいるのではありませんか。……お願いします」

 義隆さまは片眉をあげて、私を見つめる。

「五ヶ月会わなかっただけで、ずいぶん生意気な口をきくようになったな。……それで? 辞めて、お前はどうするんだ」

 この質問は予想していた。返す言葉も決めていた。

「なんでも、します」
「なんでも? ずいぶんと簡単に言うじゃないか」

 義隆さまがタバコをつまんだ人差し指と親指で、床を指す。

「ここに、這いつくばってお願いしてみろ」

 言われてすぐに、義隆さまの目の前に向かい、両膝をおり床の上に両手をそろえて頭をつける。

「お願いします……っ」

 左耳に衝撃と痛みが走り、身体が右側に傾く。

思いきり蹴られて、頭の中がぐらぐらした。
それでも頭をさげたままじっと耐えていると、今度は右耳の方からの衝撃。

義隆さまは私が泣くのを嫌う。
だから、痛みに自然と浮き上がった涙を必死でこらえた。

「義隆さま…お願い、します……っ」
「そうだな……」

 後頭部を踏みつけられて、顔が床に押し付けられた。

「今回限り、お前の我儘を特別に許してやってもいい」
「あ、ありがとう…ございます……っ」

 突然踏みつけられていた足が退かされて、私は顔をあげて義隆さまを見上げた。
義隆さまは私を見つめ返し、口元だけ微笑む。

「そもそも、五ヶ月も経っているのに本契約が取れていないんじゃ、山城さまの方から契約を解除されるのも、時間の問題だったかもしれないしな」

 義隆さまはいつも正しい。

義隆さまの仰るとおりだ。
こんな不安定な状態で、優太さまの側に居続けたなら、遅からずこういう結果になっていたはずだ。

「明日、事務局のほうから、山城さまに連絡をさせておこう。そう、それと一つ聞き忘れていたが、お前ここに来るのに山城さまにはなんと説明してきたんだ」

 答えにつまる。
とにかく義隆さまにお会いするために必死で、他のことは何も考えずに来てしまった。

ほんの一瞬、嘘をつくことが頭をよぎったが、バレたときのことを考えて思いとどまる。

「山城さまには……黙って出てきました……」

 また酷く蹴られるかと覚悟したが、義隆さまは怒るよりも呆れたように表情を歪めた。

「まったく、どこまでも世話の焼けるやつだ。お前は、どれだけうちの会社の信用を貶めれば気がすむんだ。毎度毎度、短期間で契約を解除され、初めて少し長く続いたかと思えば、黙って逃げ出してくる」

 蹴られたばかりで痛みの残る耳を、強く掴んで持ち上げられる。

「申し訳、ございません」
 私が口にできる言葉は、これだけだ。

「本来なら、お前から謝罪させるべきだが……まぁいい、明日新しい個人秘書の連絡と一緒に謝らせておこう。明日のお前は、人と喋れる状態じゃないだろうしな」

 引きちぎられそうな耳で聞いた言葉に指の先が冷たくなる。

「さて、話はまとまったな。あとはお前への罰だ。ついて来い」
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