夕闇に紅をひく

青森ほたる

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おもしろくない男

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 シャワーを浴び、寝室に戻ると自分で布団を敷くのも面倒でバスタオルにくるまったまま眠りについた。

「憐さん。そろそろ準備に向かいましょう。憐さん」

 軽く肩を揺すられて目を覚ますと、身体には薄い掛け布団がかけられていて、傍に隆文が座っていた。

スーツからお店の世話役が着る灰︎色の着物と袴に着替えている。

「いま何時」
「五時です。もう他の方々は皆、店の方へ向かわれましたが…」

「みんなは厚化粧だから、時間がかかるんでしょ」

 僕が鼻で笑って言うと隆文は、反応に困る様子もみせず、特別照れもせずに「憐さんは、お化粧なしでもお綺麗ですからね」と、さらりと言った。

「そんな言葉聞き飽きてるし、言われても別に嬉しくないから」

「私は思ったことを言っただけです」

 面白くない反応。僕が起き上がりながら跳ね飛ばした布団を隆文が拾って綺麗に角を合わせて畳む。

「着物の着付けのお手伝いをするのは初めてなので、少し早めに準備をしに行きましょう」

「着付けくらい一人で出来る」

「お手伝いしたほうが、早く準備できるようになれます。店長から、憐さんを遅刻させないようにと申し付けられておりますので」

 にこりともせずに言う隆文を、もう一度蹴り飛ばしたくなったけど、相手にするのはやめて無視を決め込むことにする。

口を結んだまま部屋を出る僕のうしろに、隆文はぴたりとついてきた。

渡り廊下をわたると早々に準備を終えた他の男娼や、その世話役とすれ違う。


「お姫ちゃん、昨日の晩は大変でしたね。オーナー、随分とご立腹の様子でしたが…」

 廊下にいた名前は知らない世話役の男が、僕が来るのを待っていたかのように、通り過ぎざま早口で話しかけてくる。

「あんなに怒んなくてもいいのにね」
 僕が足をとめて、眉をさげたまま微笑みかけると、男は頬が赤くしてはにかむ。

その反応に、少しだけ気持ちが満たされた。

 男娼にそれぞれ与えられる専用の化粧部屋は四畳の小さな部屋で、引き出しに化粧道具の仕舞われた小机と大きな鏡が置かれている。

ただ僕の場合は着物の仕舞われた和箪笥は二段の押入れの中に置いているので、それほど狭くは感じない。

箪笥の中から、桜模様の入った真っ赤な着物を選ぶ。

一人で着替えようとする僕を隆文は着物の袖を引っ張ったり、襟を正すのに手をかしてくる。うっとおしくてたまらない。

着付けを終えると、今度は化粧をする僕を鏡越しに見つめてきた。その目線があまりにも気まずくて思わず「なに」と尋ねてしまう。

「憐さんは、どなたに化粧の方法を習ったのですか」
「椿」

 僕は、アイラインを引きながらこたえる。

「椿さんって……」
「まだ会ってない?黒い着物で首と足に鈴つけた、秋彦の飼い犬。話しかけても返事をしないけど、声が出せないだけで通じてないわけじゃない。全部、秋彦に筒抜けだから、気をつけたほうがいいよ。すぐ言いつけられて、怒られるから」

「憐さんは、そんなに頻繁に秋彦さまに怒られているのですか」

 さらりと尋ねられ、昼間の醜態を思い出して白粉の下の頬が熱くなる。

「そんなことない、けど」

 鏡から目をそらし、引き出しの中をさぐってヘアオイルのボトルを手に取る。

「秋彦は他にも管理してる店があるから、ここに長居はしない……。あんたはなんでこんな店に来たの」

 話題を変えながら、オイルを髪に塗りたくる。鏡越しに様子をうかがい、隆文の表情を読み取ろうとしたが、隆文は眉ひとつ動かさない。

「前はここよりもっと田舎の料理屋で料理人として働いていました」
「それで?それでなんで、こんな店に来たのって聞いたんだけど。秋彦に借金でもつくった?命でも預かられてるの?」

「私はただ前の店の店長に、この店を紹介されたので、お受けしただけです。秋彦さまとは、今日初めてお会いしました」

「料理人からいきなり男娼の世話役を紹介されたわけ?前の店長もろくな人じゃないね」

「その方からは…同じく料理屋のお仕事としか伺っていませんでした。人手が足りないから行って欲しいと頼まれて。おそらく、その方自身も牡丹茶寮がどんなお店なのかご存知なかったのではと思います。ただどちらにせよ、私は与えられたお仕事を全うするだけです」

 堅苦しい話し方。隆文は視線も泳がず静かな口調も揺るがず、僕の問いかけに正直に答えているようにみえて、その全てが嘘にも聞こえてくる。

「料理屋で働く前はなにしてたの?」

「お話しするようなことはなにも。さて、そろそろお時間ですね。私は玄関の方で、お客様をお待ちするのでこれで。ご指名があればすぐに呼びに参ります」

 今度は完全にかわされた。絶対に、なにか隠し事がある。

「ちょっと、隆文」

 隆文は襖を開けたまま振り返り「憐さん」と、初めて硬い表情をやわらげた。

「おしゃべりはまたゆっくり、お仕事のあとにいたしましょう」

 まるで僕と打ち解けられたかのような態度に、一気に気分を害する。

質問ぜめにしたことで、興味があるとでも思われたのなら不快だ。

「別にあんたとゆっくりお喋りなんてしたくない」

 そう。こんな男、どうでもいい。どうせまた辞めるか、辞めさせられて、新しい人が来るまでの付き合いだから。



 牡丹茶寮ではお金さえ積めば誰でも自由に指名ができ、何時間でも囲える仕組みになっている。

大抵の男娼は一晩で五人ほどのお客を数時間ごとに代わる代わる相手にし、もし指名がかぶった場合は、同時に複数人のお客をとって寝床を回る男娼もいる。

僕はそんな面倒なことはしない。毎日必ず指名がかぶるので、単純に値段を釣り上げたほうのお客をとる。そして大抵、桁違いのお相手代を支払ってくれる馴染みの客が、そのまま一晩まるごと買うことがほとんどだ。

今日の客は、数ヶ月ぶりに会った縄好きのお客でいつものように男の自慢話を聞きながら、のんびりと時間をかけてお酌した。

いい感じに酔ってきたので頃合かと着物を脱いだら、

「お尻の傷、どうしたの?昨日の客?」

 と、すかさず鞭の跡に目をつけられた。そうだよと答えて、嫉妬させてやろうかと思ったが、このお客の場合逆上して鬱血するほど強く縛られる可能性がある。

「お客さんじゃないよ。秋彦」
「オーナーに叱られたの?まだ痛い?」

 同情するそぶりを見せながらも、尻を撫でられて刺すような痛みがはしる。

傷に触れられると、頭の中が秋彦のことでいっぱいになってしまう。昼間は怒って自分の寝室に戻ってしまったが、もっと可愛く駄々をこねて一緒にいればよかった。秋彦は今夜もここに泊まっていくだろうか。……接客中なのに、こんなんじゃいけない。

笑顔で首をふり「痛くないよ、平気」と嘘をつき、「ねえ。それより早く縛って」と、ねだる。

「今日はまた新しい縄を買ったんだ。きっと憐くんも気にいるよ」
 
胸から股にかけて滑らかでつるつるとした赤い縄を模様のように編み込まれ、左右の腕は足の脛にそれぞれ縛り付けられる。

そのまま前に押し倒されて、両肩と頬で体重を支える。後ろから、首に巻かれた縄を締められて僕は軽く咳きこんだ。

「く、苦しいのは、嫌…っ」
「そうだね。憐くんが気持ちよくなることをしよう」

 身動きのとれない体勢で後ろから一方的に突かれる。

顔を見られなくて済むのは、気が楽だ。表情まで演技する必要がない。僕は奥を突かれるたびに、ひときわ高い声をあげた。


 滑らかな縄のおかげか、縛られたところは全く跡にならなかったが、行為の間じゅう負担がかかっていた両肩が痛む。

「秋彦は?まだここにいる?」

 お客が帰ると部屋の襖を少し開け、玄関までの見送りを終えた隆文を待ち構えて尋ねる。

隆文はあっさりと首をふり、
「秋彦さまは、0時頃にご自宅の方へお帰りになりました」
 と、答えた。

顔がこわばり、胃のあたりがきゅっと痛む。

廊下の板張りに視線をおとし、襖の縁を掴む指に力をこめる。

「次、いつ来るって」
「とくには仰っていませんでした」

「なんで。なんで聞かなかったの?」

 身勝手だと分かっていても怒りをぶつけずにはいられない。

次いつ会えるかも分からず、ちゃんとお別れもできなかった。

隆文は廊下に膝をつき「申し訳ございません」と、目を伏せた僕と視線をあわせようとする。

「龍也さんならご存知かもしれません。お聞きしてきましょうか?」
「もういい。シャワー浴びる」

 慇懃な態度を取られても、なんの発散にもならない。客室奥の浴室に向かう僕の後ろを、隆文が自然とついてくる。

「ちょっと、ついてこないで」

 振り向き眉を寄せると、隆文は「お手伝いさせていただきます」と、にこりともせずに言った。

頭にカッと血がのぼり「本当に、いらないッ」と、部屋の外にも聞こえるくらいの大声をはりあげた。

隆文の反応は見ずそのまま浴室に駆け込んで力任せに扉を閉める。

鍵がないので強引に入ってくるのではないかと思ったが、意外にも静かだった。鏡の前でため息をつくと、一気に怒りが冷め、秋彦のことを思い出してさらに沈む。

 シャワーを終えて浴室をでると隆文は黙って僕にタオルを差し出した。

こちらも口をきかずにタオルだけ受け取って身体を拭く。

頼んでおかなかったが隆文は僕の寝間着用の浴衣を用意していて肩にかけた。腕を通すと僕がタオルで大雑把に頭を拭いている間に、襟を重ね腰紐を結ぶ。

 シャワーで身体が温まったあと、素足で冷たい板張りの廊下を歩くのは気持ちがいい。

店として使われている屋敷の正門側の棟から、住み込みの雇い人たちの居住スペースになっている棟へは渡り廊下を通っていく。

一階には食堂や浴場など共有の部屋が並び、二階には大勢が布団を並べて寝るだだっぴろい寝室が、男娼用、下働き用の部屋とわかれて二つ、そして僕のように売れている男娼専用の浴室付きの寝室がいくつか並ぶ。

寝室に戻ると部屋の真ん中にきちんと布団が用意してあった。

「憐さん。手当てをしましょう」

 それまでの沈黙を破って、隆文に後ろから声をかけられて不意をつかれる。隆文はどこから持ってきたのか、蓋に十字の赤いマークのついた木の箱を手にしていた。

「手当てって、どこの」
「お尻の傷を……」

 隆文が敷き布団の横に膝をつき木箱をあけると、白い包帯や消毒液が目に入る。

「なんで、手当てとかやらなくていいよ」

 そんなことしたことないし、やらせたこともない。隆文は箱の中から丸い缶とガーゼの袋を取り出す。

「薬を塗っておけば、早くよくなりますよ。まだ痛むでしょう?」
「痛いにきまってるじゃん」

「では手当てしておきましょう」
 僕を見上げ、促すように頷く。

いつまでも突っ立って意地を張っているのも面倒で、布団の上に飛び込むようにうつ伏せになる。隆文が躊躇なく浴衣を捲り上げて、お尻が空気に触れた。

「塗ったら、しみる……?」

 目の前の枕を掴み引き寄せながら小さな声で尋ねる。「大丈夫ですよ」と返ってきた声がそれまでの平坦さから一変して優しく感じてしまったのは、きっと気のせいだ。

「しみることは無いですが、傷に触れるので少し痛むかもしれません」

 缶の蓋をひらく音に身がこわばる。

「あんまり触んないようにして」
 つ、と冷たい軟膏の感触が肌にあたる。

傷をなぞられていくのが分かったが、軟膏の冷たさと柔らかさで身構えるほど痛くはなかった。満遍なく塗られたあと、ガーゼを被せて上からテープで固定される。

「なんか、落ち着かないんだけど」
「寝ている間だけですから、我慢してください」

 浴衣は元に戻され、足元に畳んであった掛け布団を肩までかぶせられる。

「隆文は全然、僕の言うことを聞かないよね」

 枕に頬をのせて隆文の方へと身体を横向きにする。隆文は救急箱の蓋を閉じながら「いいえ」と、首をかしげる。

「憐さんの頼みごとなら、なんでもお受けしますよ。憐さんのお世話をするのが仕事ですから、私がお手伝いすべきと思う事をやっているだけです」

 それが問題なんだって、と心の中でつぶやく。言われたことだけやっていればいいのに。

世話役なんて、ただの雑用係なんだから。

「別に、感謝なんてしないからね」
「はい、必要ありませんよ。お仕事ですから」

 本当に面白くない男。ため息をついて目を閉じると「おやすみなさい」という声が聞こえたが、返事はしなかった。
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