三鍵の奏者

春澄蒼

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第三章 交点に降るは紅の雨

25 ベレン卿

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 十字行路の南北の道と東西の道が交わる地点、ここを治める領主こそが、クリスティアン・ファン・デア・ベレン卿、その人だ。

 ベレン卿はおそらく大陸一の金持ちで、国よりこの領地の収入の方が多いほどだ。ベレン領に来れば、手に入らないものはないと言われている、交易の中心地である。

 もともと十字行路は、北の大山脈から南の海へ通じる南北路は、昔から存在していた。まだ人魚とドワーフの交流が盛んだったころ、二種の国を繋げた水路が通っていて、それが涸れて陸路になったと伝えられている。

 その南北路を整備し、さらに東西路を繋げ、交点を自分の領地に持ってきたのが、何代か前のベレン領主だった。だから十字行路は、ベレン家が作ったと言ってもいい。
 今でもその影響力は甚大で、行路を持つ国や領地に、整備費や警備費を支援する代わり、行路上での一種の治外法権をも有している。

 ベレン領に足を踏み入れるには、少しばかり時間と手間がかかる。

 商人には領地での取引の証書を提出させ、荷を検める。旅人には入領証を発行し、それがなければ宿泊も出領もできない。

 だがその面倒を差し引いても、この領地を訪れるだけの利点はあるのだ。

 そして一行は、その面倒を回避できる、特別な通行証を持っていた。ベレン卿の私的な友人であることを示す小さな銀板だ。ベレン家の紋である正四角形の塔が、その小さな板に精緻に彫刻されている。

 それを一瞥した衛兵にそのまま門を通され、一行はベレン領へ足を踏み入れた。

 冷たい風が白い季節の到来を告げて、最後の葉を落とす日のことだ。


******
「…………!」
 感嘆の息も出ないユエを笑って、カイトは先を促した。
 十字行路に初めて足を踏み入れた時でさえ、これほど人間がいるのかと驚いたが、ここはその比ではなかった。

 道の石畳が見えないほどに、人の足で溢れている。道の両側にはぎっしりと店が立ち並び、一本内に入った路地にも人波は続く。

 派手な帽子を被った一団から、熊をそのまま背負ったような毛皮の男たち、その隣を、視線に困るほど肌を晒した女が行き交う。

 人数も多いのだが、その雑多で様々な文化の入り混じった様子が、余計に視界を色づかせるのだ。

 大通りでの騎乗は原則禁じられているため、馬を引いて中心部へ向かう。

 ただでさえ人混みに慣れていないユエは、歩くことさえままならないのに、キョロキョロと周囲を見回して前を見ないから、危なっかしくてしょうがない。

 見かねたカイトが自分の腕に掴まるように手を取ると、口を開けたまま大人しく従った。

 目深に被ったフードの下から、店を一軒一軒覗き込むようにして進む。すると店先から「どうだい、寄っていかないか?」「これはウチでしか買えないよ」「ひと休みしていかないかい?」次々と声がかかり、びくっと、巣穴に逃げ帰るウサギのように首を引っ込める。

「だいじょうぶ、だーいじょうぶ!!」
 いつの間に買ったのか、大きな蒸しまんじゅうを頬張ったヘロンが、そんなユエを笑う。

「ここは人がたーっくさん集まるからさ、ユエとかクレインでもあんまり目立たねえよ!前来た時だって、亜種はいっぱいいたし、美人もたくさんいるし!!」

 なっ?!と同意を求めるヘロンにカイトは、「そうだな。だがその分、悪意ある者も集まる。用心するに越したことはないさ」と窘めた。


******
 十字行路のちょうど交点に鎮座する荘厳な建物は、存在感を放ちながらも、妙に場に馴染んでいる。

 カイトが衛兵に見せた銀板に彫刻された、正四角形の塔だ。
 石造りなのだが、無骨ではなくむしろ優美で繊細な、それこそ芸術作品のような佇まいを見せる。

 道から見えるのは、ベレン卿が普段執務を行う、いわば仕事のための館で、その他の建物は木々に囲まれて、一般には目にすることもできない。

 ベレン卿の館がこれほど目立つ場所にあるのは、なにも権勢を誇るためだけではない。
 行き交う人々に『いつでも監視している』という圧力を与えるためと、領民に『すぐ傍に在る』と安心感を与えるためでもある。実際ベレン卿は大貴族にも関わらず、他の貴族と比べてもかなり腰が軽く、自ら領地を見回る姿を人々はよく見ている。

 ベレン卿の館の門でも、カイトが門番に出した通行証によって簡単に通される。しかし門をくぐってからも、延々と道は続く。

 無表情の兵に先導されて、さらに門をくぐり、さらにもう一つくぐったところでやっと目的の建物の前に辿り着いた。

 その前で槍を構える兵に引き渡され、武器を取り上げられる。
 ここではクウェイルの館とは違って、歓迎よりも警戒心が強い。ほとんど検問のようだ。

 身体検査を終えたちょうどその時、扉から、白髪だがシャキッとした老人が姿を現わす。
「お待ち申し上げておりました。カイト様。そして、アイビス様、ラーク様、ヘロン様、クレイン様、ジェイ様、フェザント様──そちらは初めてでございますね。お名前を」

「……ユエ、です」
 カイトの陰からおずおずと名乗ったユエの顔を確認して、「ユエ様、ようこそ、ベレン卿がお待ちでございます」一行を待ち受けていたかのようだ。

 いや、実際に待ち構えていたのだ。

 ベレン領地に足を踏み入れた時点ですでに、一行の来訪の報は館まで届けられていた。

 一行が招き入れられた建物は、古い石造りの平屋だった。壁にはツタが縦横無尽に這い、木々に埋もれるように緑に紛れている。

 ここは仕事をするための建物でもなく、領主の館でもなく、ベレン卿個人の私的な館だ。
 ここの存在を知っているものは、数えるほどしかいない。

 ここに住まうのは、いわゆる『訳あり』ばかりなのだ。


******
「失礼いたします」
 案内役が開けた扉の中には、三十前後の金髪碧眼の色男が待っていた。
 己の肩にのしかかる重圧さえ、楽しんでみせるような風格が、若くしてすでに漂っている。

「カイト、お前はいつも突然だな。まあ歓迎するぞ。最近は退屈続きでな。おもしろい土産話でも聞かせてくれ」
「ベレン卿、歓迎いたみいる」

 上座の豪華な椅子に足を組んで座ったベレン卿は、そのまま一行に席を勧め、一人一人に声をかけていく。

「アイビス、相変わらずカイトに振り回されているんじゃないか?フェザント、子どもたちのお守りは大変だろう?ジェイ、あれから腕は上げたか?また我が精鋭に稽古をつけてくれ。そして──ラーク、いくつになった?」

「…………十五……」
 恐れが入り混じった小さな声が答える。

「そうかそうか!ならばそろそろどうだ?旅は苦労も多かろう?」
 ブンッブンッ!!と取れそうなくらい頭を横に振ったラークに、「そう怯えずともよい」卿は苦笑を見せて視線を移した。

「そしてクレイン……ますます美しくなった……!お前はどうだ?そろそろ私の元へ来る気にならんか?」
「……遠慮します」
「ははっ、また振られた!」
 そうは言いながらも、卿は楽しそうだ。
 そして最後に、今気がついたとばかりに大げさに目を見開いて驚いてみせる。

「おお!そして彼が新顔だな……!また美しい者を連れて来たな!お前の審美眼は私に勝るとも劣らない!!」

 大仰に手を広げて顔を覗こうとするベレン卿から逃げるように、ユエはカイトの陰に逃げ込んだ。

「ははは!そして心を掴むことも上手い!この私がこう何度も袖にされるとは!」

 笑い声を上げながらも、卿はユエのことを油断なく観察する。「ふむ」と一人で納得したように頷き、しかしそれ以上の追及は避けた。それはカイトの視線に気づいたからである。

 しかしその視線をむしろ受けて立つように、卿はユエだけを視界に入れる。

「ユエ、お前もここが気に入ったならば、歓迎するぞ。カイトと旅をしているということは、お前も訳ありだろう?ここでは私の名において、完全なる安全を保障する。ここでのんびりと────子作りでもしないか?」

「子づ、く……り……?」

 想像もしていなかった言葉に、ユエはそれまでの初対面の人間に対する恐怖よりも戸惑いが勝った。きょとんと首を傾ける。

「さよう、子作りだ。この館にいるのは、私のお気に入りばかりでね。皆美しく、気高い──彼女たちと、お前のような者の血が交われば、どのような美しい子が産まれるか……!想像するだけで震えが走る」「卿」

 卿の独り舞台を、カイトが短い言葉で鋭く切る。
「何だ?カイト」
「これはまだ子どもだ。口説くのは待ってもらいたい」
「……『子ども』、か。ふん、私がラークを口説いた時お前は、そんな無粋なことは言わなかったぞ。『決めるのは本人だ』とか何とか……いつから意見を変えた?それとも──ユエだけは特別、か?」

 睨み合う二人に、話題の中心のユエだけでなく、全員に緊張が走る。

 カイトとベレン卿の間にこれまで、これほどの軋轢があったことはない。はらはらして見守る一行には、卿が空気を緩めるまでの一瞬が、とてつもなく長く感じられていた。

「ふっ、まあ、いい。お前の口を割るのは、骨が折れるからな。……私とて、世界の全てを知ろうなどと、おこがましいことは言わんさ」

 卿が先に折れたことも驚きだったが、その言葉の真意を測りかねて、一行は顔を見合わせる。しかしカイトには通じているのか、「ふっ」と軽く息を吐いて応えた。

「改めて、皆を歓迎する。我が屋敷でゆるりと休むがよい。それから……他の者も旅に疲れたならば、いつでも私のモノになるとよい。お前たちなら歓迎だ」
 いつもの言葉であいさつを締めくくり、
「それで?」
 ベレン卿が話を進める。
「何用だ?お前のことだ。何か用がなければ来てはくれんだろう?」


******
「何か仕事はないか?少しばかり入用でな」
「そうだな……」
 先ほどの張り詰めた空気などなかったように、二人は通常通りに戻っていた。
 少し考えたベレン卿は「ちょうどいい」と、一行を別の部屋に案内する。

 部屋の中央に、ジェイの背丈より大きな何かに、布がかけられ鎮座している。その周りには大小様々な、遺物のようなガラクタのような物が展示されて、さながら博物館のようだ。

 この部屋の他にも、この館にはこうしたベレン卿が集めた品々が展示・保管されている。物も人も、ベレン卿のお気に入りばかりを詰め込んだ、ここは言わば『宝箱』だった。

「カイトも妖精の情報を集めていたな」
 ベレン卿はもったいぶって、包みを開けさせる前に、それを手に入れた経緯を話し始める。

「西の海に沈んでいたものだ。最初は下半分だけが見つかった。発見者はあまりこれの価値を理解していなくてな、危うくはした金で処分される寸前に、上半身も引き上げられた。それでもしかして珍品じゃないかと、私のところへもたらされた。ずいぶんと痛んでいたものを繋ぎ合わせて、修復したら、なんと──」

 布を取り払って、やっとその中身が露わになる。

風切鳥かざきりどり……珍しい……三面は初めて見た」
 それの価値を正確に理解したのは、カイトだけだった。
「さすがカイトだな」

 それは確かに鳥の形をした像だった。

 大きなくちばしにかぎ爪、そして背中の羽。一見して猛禽類に見えるが、微妙に、たかともわしともはやぶさともふくろうとも違う、いや、それら全てが混じり合ったような姿。
 だが異様なのは、かぎ爪に握られた槍と、頭部。頭が三つもある。

「かなり古いものだ。私のコレクションの中でも、これと肩を並べるものはない」
「……木を彫って作られている。木彫りでこれだけの形を保っているものは、かなり珍しい。目には翡翠、こっちは紅いな……」

「そうだ。目にぎょくを入れるのはそう珍しくないが、三面それぞれが違う宝石だろう。一つ失われているがな」

「三つの顔……三つのぎょく……」
「風切鳥は、妖精の守り神だと言われている」

 全体を眺めると、材となった大木の生命力のようなものが溢れ出ている。
 だが細部に目をやると、造り手のノミ使いが繊細に伝わる。三面それぞれ表情が異なり、広げた翼は一枚一枚が躍動的に表現されている。

 だがベレン卿の言の通り、一面の目からはぎょくが失われ、槍はその穂先が欠けて、柄に施されていたであろう装飾は削れて消えてしまって、完全な姿とはいかなかった。

「……それで?」
 像から目を離さずに、カイトが先を促す。
「俺たちに何を依頼する?」
 カイトの興味を自分の思う通りに引き出して、ベレン卿は上機嫌だ。

「『妖精の谷』の探索だ」
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