31 / 147
第三章 交点に降るは紅の雨
26 風切鳥
しおりを挟む
「昔から物語には、三種族、人魚・ドワーフ・妖精とひとくくりに出てくる。だが百年ほど前には姿があった人魚、今や人間と共生するドワーフに比べ、妖精はその存在すらあやふやだ。確かに記録では『見た』という記載がいくつも残り、物語に語られ、遺跡からは絵も発見されている。だが人間は今や、その実在を信じていない」
再び先の応接室に戻った一行の前には、見ただけで高価だと分かる茶器に、琥珀色の紅茶が注がれている。しかし誰もそれに手を伸ばすことはない。
自分に注目が集まっていることを自覚しているベレン卿は、しかしそれを意に介さず、一人悠々と茶を口に運ぶ。
「……卿は違うようですね」
アイビスが話を進めさせるために、合いの手を入れる。この人物は生まれながらに、人に傅かれ人の上に立ってきたから、自分の思うようにしか動かない。
無駄なことには時間を使わないが、興味が惹かれることに関しては、こちらが苛立つほどに、雄弁に語り反応を楽しむところがある。
自身も貴族の出で、こういう人物の扱いを心得ているアイビスが、卿の相手を引き受ける。
「ああ、私はもちろん、妖精は実在すると思っている」
「……確証がおありで?」
「いた方がおもしろいだろう?」
思わず脱力するアイビス。こういうところがカイトと似ている。自分の興味でしか動かないのだ。
「妖精は人の手の平に乗るほどの大きさで、羽があって、優雅に空を舞うらしい。風を起こし、花と戯れ、光を受けて輝く──それは美しいと思わないか?」
卿の力説に、アイビスは曖昧に頷く。
「それだけではない。不思議な力を持ち、世界を見通すことができるとか。過去も未来もその全てを知っている、と」
あまり反応がよくない一行を笑って、もう少し現実的な話に切り替える。
「──と言っても確かに、伝説のような存在であることを、私も否定はしない。だからこそ、遺跡や遺物や歴史を調べている。しかし調べれば調べるほど、その存在は明らかだと、私は確信しているがね」
唯一話が分かるカイトに向けて、視線を放つ。
「……実在していたことは、疑いようがない」
カイトの断定に、それまでおとぎ話を聞いていた気分の一行にも、ようやく現実味が増してきた。
「様々な文献や遺跡、それらには当たり前にいたことが、はっきりと示されている。──例えば、ある紀行家の記録には『妖精に風を起こしてもらい船を進めた』出来事が詳しく書かれている。ある一定の時代の遺跡に描かれた妖精の絵は、ほとんど特徴が一致している。場所が散らばっているにも関わらず、だ」
「つまり、真似して描いた訳ではないと?」
「西の山奥と、東の島だ。当時とても交流があったとは考えられない」
「『当時』って、いつくらいの話なんだ?」
「ざっと……千年ほどは前、か……」
その数字に、驚愕と呆れの声が上がる。本当に神話のような話になってきた。
「つまりその時代には、妖精は当たり前に存在していた、ということだ」
ベレン卿が話を攫う。
「しかし今現在、妖精がいるかどうか、という話になると、それは誰にも分からないな」
「千年前には普通にいたが、今は生きていないと?」
「その可能性が高い。何せ今は、人間が足跡を残していない土地はないと言われるほどだ。だが誰も見たことがない。それどころか、見たという噂さえないのだから、皆死んでしまったのだろうな」
沈痛な顔で絶滅した種を悼む。
これは見せかけや演技ではない。ベレン卿はこういう数を減らしたものを、とても慈しんでいる。生き物にしても、植物にしても、鉱物や作品であっても。
これらを集めていることが、ベレン卿が『コレクター』と呼ばれる所以である。
しかし彼はそういう希少なものたちを、自分の手に入れたいと思うだけでなく、数を増やしたいと考えるところが、他とは違った。
その他の者たちが、他が持っていないものを所有して自慢するため、権力を誇るため、独り占めするために集めるのとは違って、卿はそれらを保護するために集めるのだ。
そして可能なら数を増やすことも手伝う。
卿は『希少物保護・増加』活動家だと嘯く。
曰く、「美しいものを守り増やすことが私の使命だ」と。
これまでも絶滅寸前だった鳥を救ったり、病気に侵された花を立ち直らせたり、奴隷にされた奇形の生物や、そして亜種を助けている。
卿がラークとクレインを気に入っているのも、二人が亜種であることと、見目がいいことに起因する。
卿は二人を保護したい欲求と、そして増やしたい欲求に駆られるのだ。できれば二人には、自分の庇護下で、美しい女性と子を成してほしいと思っているほどだ。
かと言って本人の意思を無視するような、狭量なことはしないが。
しかしそれは隠された顔で、一般的には珍品・名品を金と権力に任せて集める『コレクター』として名を馳せている。そのため裏のオークションや違法な取引の情報も自然と集まるから、本人はその悪名をそのままにしている。
本当のベレン卿の姿を知っているのは、ごくわずかな側近と、彼に助けられた者たちだけだった。
******
「しかしそれでは、『妖精の谷』の探索とは、何を目的に?もう妖精は生きていないとお考えなのでしょう?」
アイビスの言葉に、過去の失ったものに対する愛惜から、卿は引き戻される。
「そうだな。だが生きているかもしれないだろう?」
舌の根も乾かないうちに自分の言を覆すようなことを言う卿に、一行も「はあ……」と反応に困る。
「いることを証明するは容易いが、いないものを証明することは難しい。だからこそ人は伝説を追い求めるのだろう?」
大げさに手を広げて同意を求めるが、やはり曖昧な頷きしか、一行は返せなかった。だがこれ見よがしのご機嫌取りが日常の卿は、一行の素直な反応をむしろ楽しんでいた。
「ははっ、まあそれは置いておくとして──『妖精の谷』とは、妖精の国があったとされる場所だ。しかしその場所が地図上のどこに当たるのかははっきりしない。研究家の間でも意見が割れていて、『どこか島にあるのではないか』、『いや大山脈の麓だ』、『いやいや海の中にあるのでは』──と長年議論されてきた。それは何を基準にするかによって変わるからだ。しかし私とカイトの意見は一致している。それが先ほど見せた──」
「風切鳥の像……!」
「そうだ」
察しのいい聴衆に、卿は満足げだ。
「あれは妖精の守り神だ。槍を持っているから、軍神だと主張する愚か者もいるが、実際は全くの逆。平和の象徴だというのが真実だ。『風を裂き、風を鎮める』、嵐から国を守る存在──」
「『国を守る』……だから像がもともと安置されていた場所こそが、妖精の国……」
もしかして本当に歴史的な大発見なのでは……っ!?
カイト以外の七人にも、あの像の価値がひしひしと感じられてきた。
「今回発見された像は、おそらく最古のものだ。なおかつ最大で、『三面』という他にない特徴を持つ。もしかしたらこの姿こそが風切鳥の原型なのかもしれん。この発見は、妖精研究を一気に進めることになる」
どうだ?と言わんばかりに椅子の背もたれに体を預け、一行の顔を見回して、最後にカイトを見据える。
十六の瞳に見つめられ、その熱量を受け止めたカイトは────
「いや、これは無理だ」
あっさり却下する。
「俺たちはこれから行くところがある。あまり時間をかけられない。他に何か、サクッと終わる仕事をくれ」
「ははっ!お前は相変わらず勝手だな」
そんな不遜なカイトに、ベレン卿は気分を害した様子もなく、懐の深さを見せて笑う。
「そうだな……だが今はそれほど心惹かれるものがなくてな──ああ、そうだ。マックス!!」
最初に一行を案内した老人を呼び、何かを言いつける。
「依頼はマックスから聞け」
そのまま退出しようとする卿を、カイトが呼び止める。
「卿、あの像の情報をもう少し集めておいてくれ」
「……何だ、やはり興味はあるのだな」
「ああ。だがまだ場所を絞り込めるほどの情報がない。木や玉を調べて、ある程度の範囲を絞ってくれ」
「ふむ、やっておこう。それで?お前が探してくれるのか?」
「ああ、先の仕事を終わらせたら、こっちを引き受ける」
******
「カイト、本気か?」
アイビスが珍しく強い口調で、カイトに異議を唱える。
卿が退出し、一行が泊まる部屋の準備のために待たされる少しの時間。
「『妖精の谷』なんて、これまでに増して胡散臭いぞ。それに……」
「この符号、おもしろいと思わないか?」
だがカイトはアイビスの話を聞いているのかいないのか。
「見計らったように妖精の情報がもたらされる。乗らない手はない」
「だけど!西へ行くってことだろう?まだほとぼりも冷めないうちに……危険過ぎる!」
ユエを奪ったオークションがあった国も、ちょうどベレン卿に示された探索範囲に被っていた。
あれほどのことをしでかしたのだ。当分、それこそ年単位で、周辺には近づかない予定であったのに──。
「大丈夫だ。俺の予想では、南西ではない。もっと北……海沿いでもない」
カイトのその自信に、返ってアイビスは危惧が深まる。
アイビスはカイトを信じていない訳ではない。むしろ信じ過ぎている。だが、人魚に始まる今回の旅の異様さと、そしてカイトの執着を見るに連れ、背筋に這い上がる理由の見えない恐怖──。
──自分が信じている常識が覆される恐怖。
──自分が生きている世界が壊れていく恐怖。
──自分が進む方角が見えない恐怖。
アイビスがカイトに惹かれたのは、そういうところだった。普通に生きていては見ることができない景色を、彼といれば見ることができる。
しかし今はそれが怖い。
だがそれは決してカイトに伝えられることではなかった。
安寧な生活を捨てて、自分で選んだのだ。カイトが無理やり誘った訳ではない。ここまで来たのは自分の意思に他ならない。
己の行動の責任をカイトに取ってもらうなんて、身勝手過ぎるだろうと、アイビスはよく分かっている。
それにアイビスにはその掴み所がない恐怖よりも、よほど怖れていることがある。
「来なくていい」
その言葉がカイトから放たれること──。
クウェイルの館でユエに対して、『来るのか?お前はここに残るのかと』とカイトが言い放った時、おそらく他の者も、自分と同様に恐れを感じたはずだと、アイビスは感じ取っていた。
あれは自分に向けられてもおかしくない言葉なのだと。
カイトは来る者を拒まない。だがカイトにとって、自分たちは、絶対に必要という存在ではないのかもしれない。
もしカイトと敵対するような立場になったら、迷わず切り捨てられるのではないか。いや、切り捨てるのではなく、カイトは一人で行ってしまうのかもしれない。
カイトのそういう、よく言えばあっさりした、悪く言えば情の薄いところを、一行はよく分かっていた。
しかしそこが、彼の魅力でもあった。
何にも縛られず、何にも執着せず、捉えどころがない。
そんな彼にとって、自分たちは一番近くにいる──その特別感は何にも変えられなかった。
まだ反論の糸口を探していたアイビスだが、心の底では(俺は結局カイトに従うんだろうな)と、口調とは裏腹に冷めていった。
「……俺も、反対、なんだけど」
言葉を探しているのかいないのか、自分でもよく分からなくなっていたアイビスの代わりに、クレインが彼らしい温度の見えない口調で異を唱える。
「……でも俺のは個人的な感情だから、全体の方針には従うよ」
クレインの言葉にジェイも追随する。
「俺も……あまり西には近づきたくはない、な……」
ジェイが意見することは珍しい。だがこの二人にとって、妖精の谷があるとされる周辺は、忌まわしい記憶の土地だったから、それもしょうがないことだった。
反対を表明した三人。しかしその他も、はっきりと口にはしないが、諸手を挙げて賛成とはいかない雰囲気だ。
一行が反応を伺うのを一瞥して、カイトは感情を読み取らせない顔で話をまとめる。
「……どの道、先のことだ。これから依頼をこなして、ドワーフの国へ行って──その間に状況は変わるかもしれん。今ここでの議論は意味を成さない。だが……俺は行くつもりだということは、はっきりさせておく」
判決を先延ばしにされたような、すわりの悪さが残ったが、それでこの話は切り上げられた。
再び先の応接室に戻った一行の前には、見ただけで高価だと分かる茶器に、琥珀色の紅茶が注がれている。しかし誰もそれに手を伸ばすことはない。
自分に注目が集まっていることを自覚しているベレン卿は、しかしそれを意に介さず、一人悠々と茶を口に運ぶ。
「……卿は違うようですね」
アイビスが話を進めさせるために、合いの手を入れる。この人物は生まれながらに、人に傅かれ人の上に立ってきたから、自分の思うようにしか動かない。
無駄なことには時間を使わないが、興味が惹かれることに関しては、こちらが苛立つほどに、雄弁に語り反応を楽しむところがある。
自身も貴族の出で、こういう人物の扱いを心得ているアイビスが、卿の相手を引き受ける。
「ああ、私はもちろん、妖精は実在すると思っている」
「……確証がおありで?」
「いた方がおもしろいだろう?」
思わず脱力するアイビス。こういうところがカイトと似ている。自分の興味でしか動かないのだ。
「妖精は人の手の平に乗るほどの大きさで、羽があって、優雅に空を舞うらしい。風を起こし、花と戯れ、光を受けて輝く──それは美しいと思わないか?」
卿の力説に、アイビスは曖昧に頷く。
「それだけではない。不思議な力を持ち、世界を見通すことができるとか。過去も未来もその全てを知っている、と」
あまり反応がよくない一行を笑って、もう少し現実的な話に切り替える。
「──と言っても確かに、伝説のような存在であることを、私も否定はしない。だからこそ、遺跡や遺物や歴史を調べている。しかし調べれば調べるほど、その存在は明らかだと、私は確信しているがね」
唯一話が分かるカイトに向けて、視線を放つ。
「……実在していたことは、疑いようがない」
カイトの断定に、それまでおとぎ話を聞いていた気分の一行にも、ようやく現実味が増してきた。
「様々な文献や遺跡、それらには当たり前にいたことが、はっきりと示されている。──例えば、ある紀行家の記録には『妖精に風を起こしてもらい船を進めた』出来事が詳しく書かれている。ある一定の時代の遺跡に描かれた妖精の絵は、ほとんど特徴が一致している。場所が散らばっているにも関わらず、だ」
「つまり、真似して描いた訳ではないと?」
「西の山奥と、東の島だ。当時とても交流があったとは考えられない」
「『当時』って、いつくらいの話なんだ?」
「ざっと……千年ほどは前、か……」
その数字に、驚愕と呆れの声が上がる。本当に神話のような話になってきた。
「つまりその時代には、妖精は当たり前に存在していた、ということだ」
ベレン卿が話を攫う。
「しかし今現在、妖精がいるかどうか、という話になると、それは誰にも分からないな」
「千年前には普通にいたが、今は生きていないと?」
「その可能性が高い。何せ今は、人間が足跡を残していない土地はないと言われるほどだ。だが誰も見たことがない。それどころか、見たという噂さえないのだから、皆死んでしまったのだろうな」
沈痛な顔で絶滅した種を悼む。
これは見せかけや演技ではない。ベレン卿はこういう数を減らしたものを、とても慈しんでいる。生き物にしても、植物にしても、鉱物や作品であっても。
これらを集めていることが、ベレン卿が『コレクター』と呼ばれる所以である。
しかし彼はそういう希少なものたちを、自分の手に入れたいと思うだけでなく、数を増やしたいと考えるところが、他とは違った。
その他の者たちが、他が持っていないものを所有して自慢するため、権力を誇るため、独り占めするために集めるのとは違って、卿はそれらを保護するために集めるのだ。
そして可能なら数を増やすことも手伝う。
卿は『希少物保護・増加』活動家だと嘯く。
曰く、「美しいものを守り増やすことが私の使命だ」と。
これまでも絶滅寸前だった鳥を救ったり、病気に侵された花を立ち直らせたり、奴隷にされた奇形の生物や、そして亜種を助けている。
卿がラークとクレインを気に入っているのも、二人が亜種であることと、見目がいいことに起因する。
卿は二人を保護したい欲求と、そして増やしたい欲求に駆られるのだ。できれば二人には、自分の庇護下で、美しい女性と子を成してほしいと思っているほどだ。
かと言って本人の意思を無視するような、狭量なことはしないが。
しかしそれは隠された顔で、一般的には珍品・名品を金と権力に任せて集める『コレクター』として名を馳せている。そのため裏のオークションや違法な取引の情報も自然と集まるから、本人はその悪名をそのままにしている。
本当のベレン卿の姿を知っているのは、ごくわずかな側近と、彼に助けられた者たちだけだった。
******
「しかしそれでは、『妖精の谷』の探索とは、何を目的に?もう妖精は生きていないとお考えなのでしょう?」
アイビスの言葉に、過去の失ったものに対する愛惜から、卿は引き戻される。
「そうだな。だが生きているかもしれないだろう?」
舌の根も乾かないうちに自分の言を覆すようなことを言う卿に、一行も「はあ……」と反応に困る。
「いることを証明するは容易いが、いないものを証明することは難しい。だからこそ人は伝説を追い求めるのだろう?」
大げさに手を広げて同意を求めるが、やはり曖昧な頷きしか、一行は返せなかった。だがこれ見よがしのご機嫌取りが日常の卿は、一行の素直な反応をむしろ楽しんでいた。
「ははっ、まあそれは置いておくとして──『妖精の谷』とは、妖精の国があったとされる場所だ。しかしその場所が地図上のどこに当たるのかははっきりしない。研究家の間でも意見が割れていて、『どこか島にあるのではないか』、『いや大山脈の麓だ』、『いやいや海の中にあるのでは』──と長年議論されてきた。それは何を基準にするかによって変わるからだ。しかし私とカイトの意見は一致している。それが先ほど見せた──」
「風切鳥の像……!」
「そうだ」
察しのいい聴衆に、卿は満足げだ。
「あれは妖精の守り神だ。槍を持っているから、軍神だと主張する愚か者もいるが、実際は全くの逆。平和の象徴だというのが真実だ。『風を裂き、風を鎮める』、嵐から国を守る存在──」
「『国を守る』……だから像がもともと安置されていた場所こそが、妖精の国……」
もしかして本当に歴史的な大発見なのでは……っ!?
カイト以外の七人にも、あの像の価値がひしひしと感じられてきた。
「今回発見された像は、おそらく最古のものだ。なおかつ最大で、『三面』という他にない特徴を持つ。もしかしたらこの姿こそが風切鳥の原型なのかもしれん。この発見は、妖精研究を一気に進めることになる」
どうだ?と言わんばかりに椅子の背もたれに体を預け、一行の顔を見回して、最後にカイトを見据える。
十六の瞳に見つめられ、その熱量を受け止めたカイトは────
「いや、これは無理だ」
あっさり却下する。
「俺たちはこれから行くところがある。あまり時間をかけられない。他に何か、サクッと終わる仕事をくれ」
「ははっ!お前は相変わらず勝手だな」
そんな不遜なカイトに、ベレン卿は気分を害した様子もなく、懐の深さを見せて笑う。
「そうだな……だが今はそれほど心惹かれるものがなくてな──ああ、そうだ。マックス!!」
最初に一行を案内した老人を呼び、何かを言いつける。
「依頼はマックスから聞け」
そのまま退出しようとする卿を、カイトが呼び止める。
「卿、あの像の情報をもう少し集めておいてくれ」
「……何だ、やはり興味はあるのだな」
「ああ。だがまだ場所を絞り込めるほどの情報がない。木や玉を調べて、ある程度の範囲を絞ってくれ」
「ふむ、やっておこう。それで?お前が探してくれるのか?」
「ああ、先の仕事を終わらせたら、こっちを引き受ける」
******
「カイト、本気か?」
アイビスが珍しく強い口調で、カイトに異議を唱える。
卿が退出し、一行が泊まる部屋の準備のために待たされる少しの時間。
「『妖精の谷』なんて、これまでに増して胡散臭いぞ。それに……」
「この符号、おもしろいと思わないか?」
だがカイトはアイビスの話を聞いているのかいないのか。
「見計らったように妖精の情報がもたらされる。乗らない手はない」
「だけど!西へ行くってことだろう?まだほとぼりも冷めないうちに……危険過ぎる!」
ユエを奪ったオークションがあった国も、ちょうどベレン卿に示された探索範囲に被っていた。
あれほどのことをしでかしたのだ。当分、それこそ年単位で、周辺には近づかない予定であったのに──。
「大丈夫だ。俺の予想では、南西ではない。もっと北……海沿いでもない」
カイトのその自信に、返ってアイビスは危惧が深まる。
アイビスはカイトを信じていない訳ではない。むしろ信じ過ぎている。だが、人魚に始まる今回の旅の異様さと、そしてカイトの執着を見るに連れ、背筋に這い上がる理由の見えない恐怖──。
──自分が信じている常識が覆される恐怖。
──自分が生きている世界が壊れていく恐怖。
──自分が進む方角が見えない恐怖。
アイビスがカイトに惹かれたのは、そういうところだった。普通に生きていては見ることができない景色を、彼といれば見ることができる。
しかし今はそれが怖い。
だがそれは決してカイトに伝えられることではなかった。
安寧な生活を捨てて、自分で選んだのだ。カイトが無理やり誘った訳ではない。ここまで来たのは自分の意思に他ならない。
己の行動の責任をカイトに取ってもらうなんて、身勝手過ぎるだろうと、アイビスはよく分かっている。
それにアイビスにはその掴み所がない恐怖よりも、よほど怖れていることがある。
「来なくていい」
その言葉がカイトから放たれること──。
クウェイルの館でユエに対して、『来るのか?お前はここに残るのかと』とカイトが言い放った時、おそらく他の者も、自分と同様に恐れを感じたはずだと、アイビスは感じ取っていた。
あれは自分に向けられてもおかしくない言葉なのだと。
カイトは来る者を拒まない。だがカイトにとって、自分たちは、絶対に必要という存在ではないのかもしれない。
もしカイトと敵対するような立場になったら、迷わず切り捨てられるのではないか。いや、切り捨てるのではなく、カイトは一人で行ってしまうのかもしれない。
カイトのそういう、よく言えばあっさりした、悪く言えば情の薄いところを、一行はよく分かっていた。
しかしそこが、彼の魅力でもあった。
何にも縛られず、何にも執着せず、捉えどころがない。
そんな彼にとって、自分たちは一番近くにいる──その特別感は何にも変えられなかった。
まだ反論の糸口を探していたアイビスだが、心の底では(俺は結局カイトに従うんだろうな)と、口調とは裏腹に冷めていった。
「……俺も、反対、なんだけど」
言葉を探しているのかいないのか、自分でもよく分からなくなっていたアイビスの代わりに、クレインが彼らしい温度の見えない口調で異を唱える。
「……でも俺のは個人的な感情だから、全体の方針には従うよ」
クレインの言葉にジェイも追随する。
「俺も……あまり西には近づきたくはない、な……」
ジェイが意見することは珍しい。だがこの二人にとって、妖精の谷があるとされる周辺は、忌まわしい記憶の土地だったから、それもしょうがないことだった。
反対を表明した三人。しかしその他も、はっきりと口にはしないが、諸手を挙げて賛成とはいかない雰囲気だ。
一行が反応を伺うのを一瞥して、カイトは感情を読み取らせない顔で話をまとめる。
「……どの道、先のことだ。これから依頼をこなして、ドワーフの国へ行って──その間に状況は変わるかもしれん。今ここでの議論は意味を成さない。だが……俺は行くつもりだということは、はっきりさせておく」
判決を先延ばしにされたような、すわりの悪さが残ったが、それでこの話は切り上げられた。
0
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
過保護な父の歪んだ愛着。旅立ちを控えた俺の身体は、夜ごとに父の形で塗り潰される
中山(ほ)
BL
「パックの中、僕の形になっちゃったね」
夢か現か。耳元で囁かれる甘い声と、内側を執拗に掻き回す熱。翌朝、自室で目覚めたパックに、昨夜の記憶はない。ただ、疼くような下腹部の熱だけが残っていた。
相談しようと向かった相手こそが、自分を侵食している張本人だとも知らずに、パックは父の部屋の扉を開く。
このお話はムーンライトでも投稿してます〜
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる