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第二章 十字行路に風は吹く
24 幕が降りる
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「……わ、た、しの……?」
「そうだ。『団を抜けたい』『旅をしたくない』、それがお前だ」
「ちがう……ちが、!!」
リアーナは受け入れられないというように、耳を塞いで首をブンブンと降る。
「そんな訳……だって私、旅をしなくちゃ……」
「旅を『しないと』?」
「お母さんが……言ったわ。『妖精は旅をする』って。だから私っ」
「お前の母親が本当に『妖精の亜種』だったのかは、俺は知らない。だがな、『妖精の亜種』の中でも、旅をする者もいれば町に住む者もいる。当たり前だ」
カイトの声は、リアーナに対する何の感情も見えない。ただ淡々と事実を並べていく。
「いいか、お前は『妖精の亜種』ではない。それを受け入れろ」
******
「サラ」
声を挟んだのは、カールだ。
「話してくれてありがとう。悪いが先にみんなの所へ戻っていてくれないかい?」
カールの言葉に少しだけ躊躇した後、サラは黙って頷いて、その場を後にした。
そして叱られるのを待つ子どものようなリアーナに向かい合う。
「私はね、リアーナ、今回のことは私にも責任があると思ってる」
「だん、ちょ……」
「私はこれまで、君が妖精の亜種かどうかは、どっちでもいいと思ってたんだ」
「え……」
「亜種なんてのはね、私からしてみれば、髪の色の違いや瞳の色の違い、その程度の『個性』だと思ってる。そもそも『亜種』とひとくくりにしてその人を分かった気になるのは、失礼だと思ってね」
カイトほどとはいかなくても、他よりはたくさんの亜種に出会ってきたカールは、そうやって亜種を受け容れた。
「君が自分のことを『妖精の亜種』だと信じることで、母親との繋がりを感じたり、自分を肯定できるなら、それでもいいと思ってきた」
カールは自分と目も合わせない『子ども』に、親として大人として対峙する。
「でもね、それは間違いだったよ」
カールの声は、苦味とそして、自身に対する反省を含んでいる。
「こんなことになる前に、君とちゃんと話し合うべきだった。君が……『亜種』という言葉を、言い訳に使うようになる前に」
「い、い訳……なんて、そんな……っ」
バッと顔を上げたリアーナは、だがカールの真摯な目に合って、それ以上言葉を繋げない。
「例え君が真実、サラのためになると信じてやったことだとしても、どうして仲間を傷つける方法を選んだんだい?」
「そ、れは……」
「その方法を選び、実行したのは、他ならぬ君自身だ」
そう、カールが最もリアーナを許せないのは、そこだった。どんな高尚な理由があっても、仲間を傷つける理由にはならないはずだ。まして──
「君は『誰かのため』じゃなくて、『誰かのせい』にしているよ。自分自身の責任を、全く負っていない。それが一番問題だと、私は思うよ」
──リアーナはそれに罪悪感すら感じていない。
「それに私はね、君が本当に無自覚だったのか、疑問なんだ」
一回目、道具に細工がされていた時、カールはすぐに『おかしい』と感じ取った訳ではなかった。
けが人が出て、次の公演の構成を考え直そうとした時に初めて、気づいた。
「あの時けがをしたのは、『妖精の願いごと』で裏方の者ばかりだった」
「……っ」
リーリア団がどの公演でどの演目を選ぶかは、基本的にカールが決定権を持っている。
その祭や催しの主旨を、主催者の傾向を考慮して、それに合った脚本を選ぶのだ。
そして脚本ごとに、役者や裏方は入れ替わる。
けが人が出演しない脚本は──そう考えた時に、ふと寒気に襲われたのだ。
「君は、自分の主演の公演には影響が出ないように、傷をつける人を選んだ」
「そんなの、偶然……」
もう、カールの瞳には、子どもに対する甘さは消えている。
「そして二回目──今回、君だけがけがを負って、なおかつ演目の変更を受け容れなかったことで、確信した──道具の細工は、リアーナ、君の仕業だと」
「…………」
「しばしば、けがをおしてなお舞台に立つ者を、人は賞賛するね。困難に打ち勝ったのだと。だがね、君の場合は、それとは違う」
カールは最後通告を突きつける。
「無自覚だったとは、言わせないよ。君は自分の虚栄心を満たすため、サラや他の人への対抗心のため、自分の評価を高めるために──人を傷つけ、舞台を侮辱したんだ……!!」
カールの鋭い言葉は、リアーナの纏った仮面を剥ぎ落とす。
そして最後に残ったのは──己の欲望──。
「な、によ……!なによなによ!団長が悪いんじゃない!!!」
地団駄を踏む。
「団長が……!団長がサラばっかりひいきするから!大きな舞台じゃ、サラの主演ばっかり!私がやりたいって言ってもやらせてくれなかったくせに……!!」
「……きちんと説明しただろう?貴族が関わる時なんかは、必然的に無難な──君が主演をやりたがらない普通の脚本を選ばざるを得ない」
「どうしてっ?!どうしてサラばかりが注目されるの?!」
リアーナの脳裏に浮かぶのは、サラが勧誘される場面──『うちの劇団に来ないか?』『私のものになれ』『君が欲しい』──……。
「あの時も!あの時だって!主役が私だったら、私が褒められたはずよ!!私は……っ!もし、あの時誘われたのが私なら……!」
「『喜んで団を抜けたのに』?」
「……え……?」
「サラへの嫉妬だな。自分が求めているものを、サラがあっさり捨てることが許せなかったんだろう?」
「ち、が……だって私は妖精の……っ」
「はぁ……また話がそこに戻るのか?」
やれやれ、と腰に手を当てるカイトを制して、カールが団長として幕を下ろしにいく。
「……リアーナ、君をこれ以上、団に置いておく訳にはいかない」
「っ!!いやっ!いやよ!!」
「どこか……知り合いの教会にでも……」
「いや!!私を放り出すのっ?!」
「……役者を続けたいのなら、どこかの劇団へ紹介してもいい」
「だめ!!だって私は……っ!旅をしないと……」
「リアーナ、君は『妖精の亜種』じゃないんだ。旅はしなくても、いいんだよ……?」
「わた、し……え?私は、だって……旅を……妖精は旅をしないと……だから、だって……」
目の焦点が合わなくなって、ブツブツと独り言を続けるリアーナを、カールの妻メリッサが、団の馬車へと連れて行く。
その背中を見送って、カールの心には様々な想いが交錯する。
だが最後に残ったのは、まだ団に入ったばかりの無邪気な笑顔──
******
『ねえ団長、今『あーぁ、疲れたなー』って思ったでしょう?』
幼い女の子が得意げに、座り込んだカールの顔を覗き込む。
『……そうだね』
『やっぱり!私には分かるわ!!だって私は──』
******
『メリッサ、今『とっても悲しい』って思ってるわ……』
『リアーナ……』
涙を拭うメリッサに身を寄せて、同じように泣き顔になる。
『メリッサが悲しいと、私もとっても悲しい……』
『……ありがとう、リアーナ。あなたはとっても優しいのね』
******
「……大丈夫か?」
カイトの存在を忘れていたのか、カールはハッと顔を上げる。
「っすまないね……」
「いや」
「……自分から演目の変更を願い出るのなら、まだ変わることはできるかもしれないと思った。だが……まさか『サラのため』と言い出すとは……」
青白い顔面からは苦悩が消えない。
「カール、あんたもしかして、最初から──俺たちに護衛を依頼した時から、この結末を予想していたのか?」
「まさか……!私はそれほど賢人ではないよ……ただ、外の人を入れることで、何かいい影響があれば、と……」
疲れた顔で苦笑いを浮かべる。
「だが、リアーナが妖精の亜種ではないことには、気づいていたんだろう?」
「……確証があった訳ではないよ。でも……これでも何人か亜種を見てきたからね」
『私は妖精の亜種だから』がリアーナの口癖だった。そしてそれは彼女の母親の口癖でもあった。
リアーナは母親とずっと旅をしていて、その母親が亡くなった後、教会に預けられた。その教会を訪れたカールに彼女は、『私も連れて行って!私は旅をしないといけないの。だって私は──
「──『妖精の亜種』なんだから!!』ってね……まるで『呪い』みたいだと思ったよ」
『呪い』という音をカールは、忌まわしいというより、哀しいもののように口にした。
「そこの教会での話、それから自分の目で見てきて、『なんとなく』、ね……でも私には、キッパリと否定できる知識はなかった。だから曖昧に……してきてしまった」
「あまりあんたが責任を感じることはないと思うがな」
静かに首を横に振って、カールは自分のこれまでの責任と、そしてこれからを背負った。
「カイト、ありがとう。『悪役』を君に任せてよかったよ。これでやっとリアーナも、『自分』を受け入れるように変われるだろう……いや、そう、願うよ……あの『妖精の願いごと』は、リアーナへの餞にしよう。今回が最初で最後の上演だ……」
あの妖精は人の願いばかりを叶えて、自分の気持ちが分からなくなってしまった。だが最後には、自分の気持ちに向き合う。
カールはリアーナに、母親の願いに囚われずに、これからは自分のために生きて欲しいと、そう、願った。
******
カールが団員たちに説明するため、光の中へ戻っていくのを、闇からカイトは見送った。
それと入れ替わりに、話し合いの場に人が近づかないように、周囲を見張っていた一行が、カイトを中心に集まってくる。
「一件落着!ってな!!」
ヘロンの明るい声に、先ほどまでの陰鬱が吹き飛ぶ。
「予想外の決着になったがな」
カイトはそんなことを言いながらも、驚いた顔をしてはいない。
「あのさ、あのさ!つまり、ラークが何も感じなかったのは、リアーナに殺意や悪意がなかったってこと?だって自分で自分を殺すつもりはねえもんな?!」
「ま、そうだな」
軽く返したカイトは、その後少し考えて続ける。
「……人の感情は本来、そんなに簡単に分類できない。例えば嫉妬だって憧れとは紙一重だし、憎みながらも愛することもある。複雑な感情の中でラークが感じ取ることができるのは、最も強く、最も単純な、殺意や悪意に集約されるということだ」
「ふーん」
絶対に理解していないだろう返事をするヘロンを、みんなが笑う。
「でもさー、サラとリアーナが一緒にいた時ラークはさ、『変な感じがする』って言ってたじゃん?あれはなんだったの?!」
「推測でしかないが、ラークはリアーナのサラに対する無意識の嫉妬を感じ取ったんじゃないか?」
「うん、そうかも……嫉妬の空気は、悪意に近いし」
ラークも納得したのか、うんうんと一人頷く。
「嫉妬か……一番おっそろしい感情だな……俺は話聞いてて、震えちまったよ……」
思い出したのか、フェザントが巨体を本当に震わせる。
「なんつーか、あの娘は自分でも何したいのか、分かんなくなっちまったんだろうなー……」
「そう?俺には確信犯に思えたけど?」
同情的なフェザントに対して、辛辣なのはクレインだ。
「『妖精の亜種』だからっていうのも、後付けっぽいし。サラに嫉妬して『嫌がらせしたい』とか『自分を上に見せたい』って感情が先にあって──最初からサラに責任を押しつけるつもりだったんじゃない?」
「うっわ、クレイン、厳しーーっ!!」
なぜか楽しそうなヘロンはさておき、最後はやはりカイトに視線が集まる。
「確かにクレインの言う通り、サラへの嫉妬や羨望が先にあったんだろうな。だがその感情は認める訳にはいかない。なぜならその感情を認めることはすなわち、母親が求める『妖精の亜種』像とはかけ離れていくものだからだ。だから『サラの願い』と思い込もうとして、だがどこかで無意識に自分の願望が現れる──」
「ねえ、カイト……」
ラークにしてははっきりとした口調で、
「リアーナはほんとうに妖精の亜種じゃなかったの?」
カイトの意見に異を唱えるようなことを言う。
「はぁ?!ラーク、今さら何言ってんだ?」
「実際のところなんて、俺にも分からんさ」
「カイト?!」
「だが……俺が今まで出会った妖精の亜種は皆最初に、聴力について言及した。『自分だけしか聴こえない音が聴こえる』『遠くの音が聴こえる』──『人の感情が分かる』『人の願いを叶える』という妖精像は、昔話やおとぎ話の妖精の特徴だ。聴力には触れないで、そっちの妖精像ばかりを語るのは──」
「じゃあ、そもそも母親も亜種じゃなかったってこと?!」
「その可能性が高いと、俺は思うがな」
『呪い』
カールが放ったその言葉が、一行の頭の中を巡る。
母娘そろって囚われた『妖精の亜種』という存在──
「……僕、ちょっとだけリアーナの気持ち、分かる、かも……」
ラークが静かに、言葉を紡ぐ。
「僕はリアーナとは反対で、家族には『そんな音は聴こえない』『お前がおかしいんだ』って──あるものをないって言われて……そのうち、本当に僕がおかしいのかなって思えてきちゃったんだ。だからカイトに妖精の亜種だって言ってもらえて、安心した。『ああ、僕は狂ってなかったんだ』って……」
「ラーク……」
「『あるものをない』って言われるのも、『ないものをある』って言われるのも、どっちも大変だよ……」
自分に対する憐れみではなく、リアーナに対する優しさが溢れる。
そんなラークにカイトは、いつもの『庇護すべき子ども』ではなく、一人の人として向き合う。
「間違えてはいけないのは、『亜種だから能力がある』のではなく、『こういう能力があるから亜種と呼ばれる』、と言うことだ。その順番を間違えると、自分が何者か分からなくなる」
「うん……うん……でも、間違えちゃったのなら、またやり直せばいい、よね?」
その単純な結論を簡単に出せるラークを、
「ああ、そうだな」
カイトは少し目を細めて、眩しそうに頭を撫でた。
******
旅支度を整えて騎乗した一行を、サーカス団の面々が取り囲んでいる。
カイトと握手をしたカールが、昨日を引きずらない笑顔を見せる。
「君たちに依頼をお願いした時、『互いにいい出会いになるといいね』と言ったことを、覚えているかい?」
「ん?ああ」
「私にとっては間違いなく、いい出会いになったよ」
「俺もな!!」
ギリーが続き、その他の団員からも同意が起こる。
ここにいないリアーナにも、この別れの声は聴こえているだろうか。
「この団を護衛できて、光栄だった。いい出会いかどうかは──」
「またなー!!」
「お世話になりました」
「また一緒に舞台に立とうぜ!!」
これを見れば分かる、と、カイトとカールは笑い合う。
──そして新しい旅が始まる。
「そうだ。『団を抜けたい』『旅をしたくない』、それがお前だ」
「ちがう……ちが、!!」
リアーナは受け入れられないというように、耳を塞いで首をブンブンと降る。
「そんな訳……だって私、旅をしなくちゃ……」
「旅を『しないと』?」
「お母さんが……言ったわ。『妖精は旅をする』って。だから私っ」
「お前の母親が本当に『妖精の亜種』だったのかは、俺は知らない。だがな、『妖精の亜種』の中でも、旅をする者もいれば町に住む者もいる。当たり前だ」
カイトの声は、リアーナに対する何の感情も見えない。ただ淡々と事実を並べていく。
「いいか、お前は『妖精の亜種』ではない。それを受け入れろ」
******
「サラ」
声を挟んだのは、カールだ。
「話してくれてありがとう。悪いが先にみんなの所へ戻っていてくれないかい?」
カールの言葉に少しだけ躊躇した後、サラは黙って頷いて、その場を後にした。
そして叱られるのを待つ子どものようなリアーナに向かい合う。
「私はね、リアーナ、今回のことは私にも責任があると思ってる」
「だん、ちょ……」
「私はこれまで、君が妖精の亜種かどうかは、どっちでもいいと思ってたんだ」
「え……」
「亜種なんてのはね、私からしてみれば、髪の色の違いや瞳の色の違い、その程度の『個性』だと思ってる。そもそも『亜種』とひとくくりにしてその人を分かった気になるのは、失礼だと思ってね」
カイトほどとはいかなくても、他よりはたくさんの亜種に出会ってきたカールは、そうやって亜種を受け容れた。
「君が自分のことを『妖精の亜種』だと信じることで、母親との繋がりを感じたり、自分を肯定できるなら、それでもいいと思ってきた」
カールは自分と目も合わせない『子ども』に、親として大人として対峙する。
「でもね、それは間違いだったよ」
カールの声は、苦味とそして、自身に対する反省を含んでいる。
「こんなことになる前に、君とちゃんと話し合うべきだった。君が……『亜種』という言葉を、言い訳に使うようになる前に」
「い、い訳……なんて、そんな……っ」
バッと顔を上げたリアーナは、だがカールの真摯な目に合って、それ以上言葉を繋げない。
「例え君が真実、サラのためになると信じてやったことだとしても、どうして仲間を傷つける方法を選んだんだい?」
「そ、れは……」
「その方法を選び、実行したのは、他ならぬ君自身だ」
そう、カールが最もリアーナを許せないのは、そこだった。どんな高尚な理由があっても、仲間を傷つける理由にはならないはずだ。まして──
「君は『誰かのため』じゃなくて、『誰かのせい』にしているよ。自分自身の責任を、全く負っていない。それが一番問題だと、私は思うよ」
──リアーナはそれに罪悪感すら感じていない。
「それに私はね、君が本当に無自覚だったのか、疑問なんだ」
一回目、道具に細工がされていた時、カールはすぐに『おかしい』と感じ取った訳ではなかった。
けが人が出て、次の公演の構成を考え直そうとした時に初めて、気づいた。
「あの時けがをしたのは、『妖精の願いごと』で裏方の者ばかりだった」
「……っ」
リーリア団がどの公演でどの演目を選ぶかは、基本的にカールが決定権を持っている。
その祭や催しの主旨を、主催者の傾向を考慮して、それに合った脚本を選ぶのだ。
そして脚本ごとに、役者や裏方は入れ替わる。
けが人が出演しない脚本は──そう考えた時に、ふと寒気に襲われたのだ。
「君は、自分の主演の公演には影響が出ないように、傷をつける人を選んだ」
「そんなの、偶然……」
もう、カールの瞳には、子どもに対する甘さは消えている。
「そして二回目──今回、君だけがけがを負って、なおかつ演目の変更を受け容れなかったことで、確信した──道具の細工は、リアーナ、君の仕業だと」
「…………」
「しばしば、けがをおしてなお舞台に立つ者を、人は賞賛するね。困難に打ち勝ったのだと。だがね、君の場合は、それとは違う」
カールは最後通告を突きつける。
「無自覚だったとは、言わせないよ。君は自分の虚栄心を満たすため、サラや他の人への対抗心のため、自分の評価を高めるために──人を傷つけ、舞台を侮辱したんだ……!!」
カールの鋭い言葉は、リアーナの纏った仮面を剥ぎ落とす。
そして最後に残ったのは──己の欲望──。
「な、によ……!なによなによ!団長が悪いんじゃない!!!」
地団駄を踏む。
「団長が……!団長がサラばっかりひいきするから!大きな舞台じゃ、サラの主演ばっかり!私がやりたいって言ってもやらせてくれなかったくせに……!!」
「……きちんと説明しただろう?貴族が関わる時なんかは、必然的に無難な──君が主演をやりたがらない普通の脚本を選ばざるを得ない」
「どうしてっ?!どうしてサラばかりが注目されるの?!」
リアーナの脳裏に浮かぶのは、サラが勧誘される場面──『うちの劇団に来ないか?』『私のものになれ』『君が欲しい』──……。
「あの時も!あの時だって!主役が私だったら、私が褒められたはずよ!!私は……っ!もし、あの時誘われたのが私なら……!」
「『喜んで団を抜けたのに』?」
「……え……?」
「サラへの嫉妬だな。自分が求めているものを、サラがあっさり捨てることが許せなかったんだろう?」
「ち、が……だって私は妖精の……っ」
「はぁ……また話がそこに戻るのか?」
やれやれ、と腰に手を当てるカイトを制して、カールが団長として幕を下ろしにいく。
「……リアーナ、君をこれ以上、団に置いておく訳にはいかない」
「っ!!いやっ!いやよ!!」
「どこか……知り合いの教会にでも……」
「いや!!私を放り出すのっ?!」
「……役者を続けたいのなら、どこかの劇団へ紹介してもいい」
「だめ!!だって私は……っ!旅をしないと……」
「リアーナ、君は『妖精の亜種』じゃないんだ。旅はしなくても、いいんだよ……?」
「わた、し……え?私は、だって……旅を……妖精は旅をしないと……だから、だって……」
目の焦点が合わなくなって、ブツブツと独り言を続けるリアーナを、カールの妻メリッサが、団の馬車へと連れて行く。
その背中を見送って、カールの心には様々な想いが交錯する。
だが最後に残ったのは、まだ団に入ったばかりの無邪気な笑顔──
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『ねえ団長、今『あーぁ、疲れたなー』って思ったでしょう?』
幼い女の子が得意げに、座り込んだカールの顔を覗き込む。
『……そうだね』
『やっぱり!私には分かるわ!!だって私は──』
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『メリッサ、今『とっても悲しい』って思ってるわ……』
『リアーナ……』
涙を拭うメリッサに身を寄せて、同じように泣き顔になる。
『メリッサが悲しいと、私もとっても悲しい……』
『……ありがとう、リアーナ。あなたはとっても優しいのね』
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「……大丈夫か?」
カイトの存在を忘れていたのか、カールはハッと顔を上げる。
「っすまないね……」
「いや」
「……自分から演目の変更を願い出るのなら、まだ変わることはできるかもしれないと思った。だが……まさか『サラのため』と言い出すとは……」
青白い顔面からは苦悩が消えない。
「カール、あんたもしかして、最初から──俺たちに護衛を依頼した時から、この結末を予想していたのか?」
「まさか……!私はそれほど賢人ではないよ……ただ、外の人を入れることで、何かいい影響があれば、と……」
疲れた顔で苦笑いを浮かべる。
「だが、リアーナが妖精の亜種ではないことには、気づいていたんだろう?」
「……確証があった訳ではないよ。でも……これでも何人か亜種を見てきたからね」
『私は妖精の亜種だから』がリアーナの口癖だった。そしてそれは彼女の母親の口癖でもあった。
リアーナは母親とずっと旅をしていて、その母親が亡くなった後、教会に預けられた。その教会を訪れたカールに彼女は、『私も連れて行って!私は旅をしないといけないの。だって私は──
「──『妖精の亜種』なんだから!!』ってね……まるで『呪い』みたいだと思ったよ」
『呪い』という音をカールは、忌まわしいというより、哀しいもののように口にした。
「そこの教会での話、それから自分の目で見てきて、『なんとなく』、ね……でも私には、キッパリと否定できる知識はなかった。だから曖昧に……してきてしまった」
「あまりあんたが責任を感じることはないと思うがな」
静かに首を横に振って、カールは自分のこれまでの責任と、そしてこれからを背負った。
「カイト、ありがとう。『悪役』を君に任せてよかったよ。これでやっとリアーナも、『自分』を受け入れるように変われるだろう……いや、そう、願うよ……あの『妖精の願いごと』は、リアーナへの餞にしよう。今回が最初で最後の上演だ……」
あの妖精は人の願いばかりを叶えて、自分の気持ちが分からなくなってしまった。だが最後には、自分の気持ちに向き合う。
カールはリアーナに、母親の願いに囚われずに、これからは自分のために生きて欲しいと、そう、願った。
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カールが団員たちに説明するため、光の中へ戻っていくのを、闇からカイトは見送った。
それと入れ替わりに、話し合いの場に人が近づかないように、周囲を見張っていた一行が、カイトを中心に集まってくる。
「一件落着!ってな!!」
ヘロンの明るい声に、先ほどまでの陰鬱が吹き飛ぶ。
「予想外の決着になったがな」
カイトはそんなことを言いながらも、驚いた顔をしてはいない。
「あのさ、あのさ!つまり、ラークが何も感じなかったのは、リアーナに殺意や悪意がなかったってこと?だって自分で自分を殺すつもりはねえもんな?!」
「ま、そうだな」
軽く返したカイトは、その後少し考えて続ける。
「……人の感情は本来、そんなに簡単に分類できない。例えば嫉妬だって憧れとは紙一重だし、憎みながらも愛することもある。複雑な感情の中でラークが感じ取ることができるのは、最も強く、最も単純な、殺意や悪意に集約されるということだ」
「ふーん」
絶対に理解していないだろう返事をするヘロンを、みんなが笑う。
「でもさー、サラとリアーナが一緒にいた時ラークはさ、『変な感じがする』って言ってたじゃん?あれはなんだったの?!」
「推測でしかないが、ラークはリアーナのサラに対する無意識の嫉妬を感じ取ったんじゃないか?」
「うん、そうかも……嫉妬の空気は、悪意に近いし」
ラークも納得したのか、うんうんと一人頷く。
「嫉妬か……一番おっそろしい感情だな……俺は話聞いてて、震えちまったよ……」
思い出したのか、フェザントが巨体を本当に震わせる。
「なんつーか、あの娘は自分でも何したいのか、分かんなくなっちまったんだろうなー……」
「そう?俺には確信犯に思えたけど?」
同情的なフェザントに対して、辛辣なのはクレインだ。
「『妖精の亜種』だからっていうのも、後付けっぽいし。サラに嫉妬して『嫌がらせしたい』とか『自分を上に見せたい』って感情が先にあって──最初からサラに責任を押しつけるつもりだったんじゃない?」
「うっわ、クレイン、厳しーーっ!!」
なぜか楽しそうなヘロンはさておき、最後はやはりカイトに視線が集まる。
「確かにクレインの言う通り、サラへの嫉妬や羨望が先にあったんだろうな。だがその感情は認める訳にはいかない。なぜならその感情を認めることはすなわち、母親が求める『妖精の亜種』像とはかけ離れていくものだからだ。だから『サラの願い』と思い込もうとして、だがどこかで無意識に自分の願望が現れる──」
「ねえ、カイト……」
ラークにしてははっきりとした口調で、
「リアーナはほんとうに妖精の亜種じゃなかったの?」
カイトの意見に異を唱えるようなことを言う。
「はぁ?!ラーク、今さら何言ってんだ?」
「実際のところなんて、俺にも分からんさ」
「カイト?!」
「だが……俺が今まで出会った妖精の亜種は皆最初に、聴力について言及した。『自分だけしか聴こえない音が聴こえる』『遠くの音が聴こえる』──『人の感情が分かる』『人の願いを叶える』という妖精像は、昔話やおとぎ話の妖精の特徴だ。聴力には触れないで、そっちの妖精像ばかりを語るのは──」
「じゃあ、そもそも母親も亜種じゃなかったってこと?!」
「その可能性が高いと、俺は思うがな」
『呪い』
カールが放ったその言葉が、一行の頭の中を巡る。
母娘そろって囚われた『妖精の亜種』という存在──
「……僕、ちょっとだけリアーナの気持ち、分かる、かも……」
ラークが静かに、言葉を紡ぐ。
「僕はリアーナとは反対で、家族には『そんな音は聴こえない』『お前がおかしいんだ』って──あるものをないって言われて……そのうち、本当に僕がおかしいのかなって思えてきちゃったんだ。だからカイトに妖精の亜種だって言ってもらえて、安心した。『ああ、僕は狂ってなかったんだ』って……」
「ラーク……」
「『あるものをない』って言われるのも、『ないものをある』って言われるのも、どっちも大変だよ……」
自分に対する憐れみではなく、リアーナに対する優しさが溢れる。
そんなラークにカイトは、いつもの『庇護すべき子ども』ではなく、一人の人として向き合う。
「間違えてはいけないのは、『亜種だから能力がある』のではなく、『こういう能力があるから亜種と呼ばれる』、と言うことだ。その順番を間違えると、自分が何者か分からなくなる」
「うん……うん……でも、間違えちゃったのなら、またやり直せばいい、よね?」
その単純な結論を簡単に出せるラークを、
「ああ、そうだな」
カイトは少し目を細めて、眩しそうに頭を撫でた。
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旅支度を整えて騎乗した一行を、サーカス団の面々が取り囲んでいる。
カイトと握手をしたカールが、昨日を引きずらない笑顔を見せる。
「君たちに依頼をお願いした時、『互いにいい出会いになるといいね』と言ったことを、覚えているかい?」
「ん?ああ」
「私にとっては間違いなく、いい出会いになったよ」
「俺もな!!」
ギリーが続き、その他の団員からも同意が起こる。
ここにいないリアーナにも、この別れの声は聴こえているだろうか。
「この団を護衛できて、光栄だった。いい出会いかどうかは──」
「またなー!!」
「お世話になりました」
「また一緒に舞台に立とうぜ!!」
これを見れば分かる、と、カイトとカールは笑い合う。
──そして新しい旅が始まる。
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