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第四章 地下に眠る太陽のカケラ
57 潜入
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ワァァァーーー!!!
地下の大広間に、歓声が反響する。
野太い歓声と拍手は、舞台の幕が降りるまで続いていた。
「はーぁ、小さなサーカス団だったが、なかなかよかったな!」
「ああ!転がり落ちる岩もホンモノみたいだったし、花が降ったり、衣装も華やかで!!」
「そうそう!それに何と言っても女優が──」
「「「美人!!!」」」
笑い声が折り重なり、舞台の余韻を長引かせている。
「ハンナ・アーリア団か。聞いたことなかったがな」
「いや、俺はどっかで聞いたことがある気が──」
兵士たちは好き勝手に感想を言い合いながら、目の前に並んだ豪華な料理と、給仕をする美しい女性たち、そして趣向を凝らした舞台を愉しんでいる。
ここはヴェルドットとの国境の町、ドワーフ王弟軍の本拠地である。
大山脈の地下に造られた大広間では、純血の少女『アティラ様』を慰めるための宴会が行われている。
しかしそれはただの名目に成り果て、兵士たちの娯楽の意味合いの方が大きい。
それを示すように、王弟を取り囲んだ豪華絢爛な食事と女性たちに比べ、主役がいるはずの天幕には二人の兵士がそばに控えるだけで、ひっそりと静まり返っていた。
******
「ご苦労。しばしこの部屋で待て。報償を用意する」
舞台を終えた芸人たちにそう言い置いて、文官らしき男はそっけなく出て行く。
部屋には酒や果物、食事も用意されていて、約束された報酬もなかなかの額だ。これだけを見ると、王弟はかなり太っ腹な人物に思える。
「……これだけの金、どこから湧いてくるんだかな」
先ほどまで、舞台で爽やかな笑顔を振りまいていた騎士役が、それを完全に払しょくして、皮肉な笑みに変わる。
「やはり横流ししてるな」
ハンナ・アーリア団の団長と名乗った男が、それに答える。
「……うん、いいよ」
扉に耳を当てて、外の音を聞いていた子どもが、「近くには誰もいないよ」と報告する。
「さて、それでは作戦開始といこう」
『アティラ様』の天幕は、兵士たちの宴会場よりも一段上、中二階にある。裏側にある階段の下に二人の兵士、そして階段を上った天幕の横にも二人の兵士が立つ。
そこは確かに、舞台も宴会場もよく見える場所ではあるが、人と接触させないように隔離しているようにも見えた。
階段の周囲は他に人気がなく、時折、給仕の女性が追加の食事や飲み物を運んでくるが、そそくさと最低限の仕事をして去って行く。
そこには、畏怖が溢れている。
狂信的な一般の民とはまた違う、王弟の腹心たちの間には、見たくない知りたくない、でも無視はできない、という後ろ向きな感情がにじんでいた。
舞台では次の演目が始まっていて、歌と踊りが観客をも巻き込んでいる。
と、調理場の方が、にわかに騒がしくなった。
わっ!とか、きゃっ!という悲鳴に続いて、ガシャン!と何かが割れる音。
階段下の兵士二人が顔を見合わせ、様子を伺おうとすると、ふっ、と廊下の灯りが全て消える。
「えっ?」「なんだ──」「う……」
うめき声の後に、カシャンと鎧が何かにぶつかる音。
「っおい!どうした?」
階段上の兵士が足を踏み出した時に、ふわっ、と灯りが戻った。
「問題ない。風で火が消えただけだ」
「暗闇で足がもつれた」
くぐもった声が返り、少ししてから何事もなかったように、兵士二人が持ち場に戻った。
よく考えれば、こんな地下の入り組んだ通路に、それほど強い風が吹く訳がないのだが──階段上の兵士たちが疑いを抱く前に、給仕が二人現れて階段を上ってくる。
「おい、何だか奥が騒がしかったが……?」
階段上の一人が声をかけると、「調理場にネズミが出て……少し騒ぎに」と、こちらからもこもった声が返る。
うん?いつもの給仕の女性と違うな、と兵士の一人が顔を覗き込むと──フッと妖艶な笑みに目を奪われ、動きが止まる。
給仕はどちらも初めて見る顔で、文句なしに美しいのだが──それはどこか、この世ならざる者のような不思議な魅力の美しさだった。
兵士の一人がかろうじて、「……っい、つも運んでくる者と、違うが──」と問い質すと、「いつもの者は、先ほどのネズミ騒ぎで腰が抜けてしまって……代わりにわたしくどもが」
女性と思うと低い声も、秘密めいたささやきになると、ぞくっとするほど色っぽい。
「……お二人ともお疲れではないですか?ずっと見張りで、何も飲んでいないのでしょう……少しだけいかがですか?」
艶っぽい笑みとささやきに、ダメだと分かっていても、差し出される盃に手が伸びてしまう。
それでも最後は「い、や、仕事中なので……」と、理性をかき集めて断った兵士二人に、
「……そうですか。それは──残念!」
バシャッ!と、顔めがけて盃の中の液体がかけられる。
「うわっ」「な、なにを──」
その液体は、目に入ると激痛を運び、口に入ると舌が痺れてろれつが回らない。
悶える兵士の首の後ろに正確な手刀が入り、二人は音もなく崩れ落ちた。
******
「……もうっ、なんで俺がこんなこと……絶対に必要なかったしっ!こんな強力な薬なら、さっさとぶっかければいいだけでしょ!」
グチグチとクレインから漏れる不満の羅列を、兵士を拘束しながらカイトが苦笑いで聞く。
「……おい、アレの機嫌は、お前が取れよ」
もう一人を拘束するジェイに、コソッとカイトがささやくが、ジェイはお手上げというジェスチャーを返すだけだ。
***
アスカに接触するために、一行が立てた作戦は次のようなものだった。
王弟一派が夜毎宴会を開き、国外から芸人たちを招いているという情報を得て、その演者として潜り込む。
十字行路を一緒に旅したアンナ・リーリア団の名をもじり、さらに脚本や演出も無断で拝借して、旅芸人を装った一行は、ヘイレンの裏工作もあってあっさりと潜入できた。
どうやら王弟は、国内の勢力にはスパイを疑って警戒が強いが、国外にはあまり注意を向けていないようなのだ。
国境の町を牛耳ったことで、国王の政策に反して、ヴェルドットと私的に貿易をしている疑いもある。
ヘイレンが掴んだ情報によると、王弟はかなり羽振りがよく、その貿易でかなりの利益を得ているのだが、そのことは王弟を支持する民たちには知られていない。
おそらく、アスカが発見した地下の遺跡から、宝石などを横流ししている。
──それが、カイトとヘイレンの予想だった。
潜入に伴い、顔見知りがいる可能性があるフェザントは作戦から外れた。
代わりにヘイレンが団長として加わり、さらに舞台装置や衣装なども、ヘイレンの資金力で最上のものが用意された。
問題は、俳優だ。
ヘイレンが「こちらで何人か用意しようか?」と提案したが、「部外者がいると、いざという時に動きにくい」とカイトが却下した。
という訳で、一行の中で配役を決めなければならなかった。
最終的には、主役の騎士をカイトが、そのライバル騎士をアイビスが、二人が取り合うヒロインを、ユエが女装して演じることで、何とか形になった。
女装を全力で拒否するクレインは、ユエにヒロインを押しつけることには成功したが、結局は、「もう一人くらい女性役が欲しい」というカイトの要望によって、女装させられることと相成った。
舞台は準備期間を考えれば、大成功に終わったと言ってよかった。
無難な恋愛劇で、演技力よりも派手な演出や衣装が目立ったそれは、本家のギリーやカール団長に見られたものなら、膝詰めでお説教を食らいそうな出来ではあったが……とにかく、前座は終わった。
本番は、その後なのだ。
控え室から抜け出した一行は、二手に分かれた。
ヘロンとアイビスが調理場へ行き、騒ぎを起こして注意を引く。
ラークが起こした風で灯りを消し、闇に紛れて兵士を襲い、鎧を奪って、カイトとジェイが成り代る。
そこへ、給仕の女性のフリをしたクレインとユエが現れ、兵士の油断を誘って、酒に混ぜたマイナ特製痺れ薬を飲ませる──はずだったが、最後は力押しになってしまった。
それでも作戦は概ね予定通りである。
***
階段上にいた二人の鎧も奪い、ひとつはヘイレンが身につけ、もうひとつは後から来るアイビスのために残しておく。
それを恨めしげに見るクレインは、給仕の制服のままだ。
王弟の趣味なのか、長いスカートの横側にスリットが入って脚がチラチラと見えるそれを、早く脱ぎ捨てたくてたまらないらしい。
ちなみにこれは、兵士の鎧と違って女性から奪ったものではなく、事前にヘイレンが用意した、よく似たものである。
舞台の装置や衣装をあの短期間で用意したヘイレンの手腕に、一同は驚かされたが、この場所の見取り図や制服などの情報にも、大いに助けられていた。
ただしクレインだけは、(余計なものを準備してくれて……!なければないで、どうにでもやりくりできただろうに!!)と恨み節が止まらない。
「見張りが四人しかいなかったんだ。しょうがないだろう」
ジェイが宥めるが、
「いいじゃねぇか、そのままで。お前、それ、すげぇよく似合ってるぜ」
ヘイレンが言ってはいけない一言を放って、「……『似合ってる』?」クレインの端正な顔を痙攣らせる。
「ク、クレイン!似合ってると言っても、別に女に見えるって意味では……!」
つられてジェイからも本音が漏れ、さらにクレインの機嫌を急降下させる。
あわあわと言い訳するジェイだが、クレインにはなかなかその本心が伝わらない。
ユエもクレインも確かに、その柔らかなで優雅な衣装が似合っているし、誰もが見惚れるほど美しい。
だが、イコール女性に見えるという訳ではない。
舞台のためのハッキリとした化粧をしたクレインは、中性的だ。
例えばそれこそ舞台で、女性が男を、男性が女を演じるような、両方の魅力を併せ持つ色気がある。
対して、薄化粧にとどめたユエは、無性的だった。
まだ男女に分かれる前の、無垢な魂がそのまま顕現したかのような──神秘的で、触れることすらはばかられるような清澄さがある。
共通するのは、どちらも性別を超越した美しさだということだ。
しかしその絶妙なニュアンスを伝える語彙力が、ジェイにはなかった。
何とか機嫌を取ろうとするジェイと、褒められれば褒められるほど眉間のシワが濃くなるクレイン、そしてそれにチャチャを入れるヘイレンと、オロオロするラーク。
緊迫した場面にも関わらず、いつも通り過ぎる仲間たちに、「……おい、時間がないんだが」と、カイトが呆れた声を出すまで、緊張感のないそんなやり取りが続くこととなった。
***
猿ぐつわをし縛り上げた兵士四人を暗がりに隠し、兵のフリをしたヘイレンとジェイが見張りの位置につくのを確認してから、カイトは慎重に天幕へと近づく。
外の異常に気づいているはずだが、中からの反応はない。
「アスカ」
カイトの呼びかけにも、応える声はない。
「アスカ、俺たちはお前の両親に頼まれて、お前を助けに来た」
今度は反応を待たずに、カイトは天幕の入口に手をかける。
カイトであっても緊張があるのか、少し躊躇ってから、グッと力の入った手で幕をめくった。
「……アスカ、だな」
カイトが念を押したのは、アスカと思われる小さな身体が、地下の、さらに天幕の中にいるにも関わらず、黒いマントに覆われていたからだ。
「……俺はカイトと言う。さっきも言ったが、お前の両親、ラサージェに頼まれて、お前を助けに来た」
アスカは身動きひとつせず、固まったままだ。顔も見えないから、表情を読み取ることもできない。
「お前は好き好んで王弟に協力している訳ではないだろう?両親はお前をこんな目に合わせたことを謝っている」
どれだけ言い募っても、聴こえていないのではないかと不安になるほど、ピクリともしない。
あまり時間があるとは言えないため、急かしたくはないのだが、カイトにも焦りが忍び寄る。
それを分かってか、それとも何も考えていないのか──狭い入口を塞ぐカイトの腕の間に、頭を押し込むようにして、ユエが天幕の中に割り込んだ。
「俺はユエ。……腕を、見せて」
そう言って、ゆったりとした動作で腕を伸ばす。
アスカはビクッと体を揺らしたが、それを宥めるようにさすってから、ユエの手がマントの中の細い腕を取った。
「……ひどい……」
褐色の肌は、一面やけどの跡でいっぱいだった。
あの『お披露目』の度に見せていた奇跡は、アスカの肌に何度も何度もやけどを負わせていた。
反対の腕にも、両の足にも、それは及んでいる。
「痛いでしょう……?もう、大丈夫だよ」
ユエの行動と声音は、慈愛に満ちている。
それが伝わったのか、アスカも少しだけ身じろぎし、いきなり現れた侵入者を見極めようと、布越しに目を合わせた。
アスカの猜疑心を晴らすには、もっと胸を衝くような言葉が必要だ。
カイトはそう感じ取った。
「広い世界を、知りたくないか?」
アスカは怯えている。
そして、諦めている。
何を言えばアスカの心を動かせるのか──カイトは瞬時に、最善を選んでいた。
「……お前の首にかかる、その鍵──それが何なのか、知りたくないか?」
焦点の定まらなかった目に、一筋の光が戻る。
「その鍵は、特別なものだ。それを使えば、お前も太陽の下を歩けるようになるだろう」
『鍵』が三種を人間に変える──それはまだ、何の根拠もない推測に過ぎない。
カイトは断定を避けながらも、アスカの興味を引くような言葉を選んでいる。
例えハッタリでも、卑怯な手を使おうとも、この場でアスカを説得しなければならないと、カイトは覚悟を決めていた。
そして、最後の一押しは、思いがけずユエからもたらされる。
「俺は、人魚だよ。でも今はこうして──人間になって陸にいる」
いきなりの告白は、アスカの耳にするりと入り込む。虚を衝かれて無防備な心に、慈雨のように沁み渡っていく。
「俺のここ──胸の中に、『鍵』がある。アスカが持ってる鍵と仲間の、蒼い『人魚の鍵』だよ。……アスカは、一人じゃない。俺たちは味方──仲間だよ」
「……ほんとう?」
声を出すことを忘れていたような、かすれた小さなささやき──それはあれほど大勢の人を熱狂させる『アティラ様』などではない、まだあどけない子どもの、怯えた響き。
助けを求める声だった。
地下の大広間に、歓声が反響する。
野太い歓声と拍手は、舞台の幕が降りるまで続いていた。
「はーぁ、小さなサーカス団だったが、なかなかよかったな!」
「ああ!転がり落ちる岩もホンモノみたいだったし、花が降ったり、衣装も華やかで!!」
「そうそう!それに何と言っても女優が──」
「「「美人!!!」」」
笑い声が折り重なり、舞台の余韻を長引かせている。
「ハンナ・アーリア団か。聞いたことなかったがな」
「いや、俺はどっかで聞いたことがある気が──」
兵士たちは好き勝手に感想を言い合いながら、目の前に並んだ豪華な料理と、給仕をする美しい女性たち、そして趣向を凝らした舞台を愉しんでいる。
ここはヴェルドットとの国境の町、ドワーフ王弟軍の本拠地である。
大山脈の地下に造られた大広間では、純血の少女『アティラ様』を慰めるための宴会が行われている。
しかしそれはただの名目に成り果て、兵士たちの娯楽の意味合いの方が大きい。
それを示すように、王弟を取り囲んだ豪華絢爛な食事と女性たちに比べ、主役がいるはずの天幕には二人の兵士がそばに控えるだけで、ひっそりと静まり返っていた。
******
「ご苦労。しばしこの部屋で待て。報償を用意する」
舞台を終えた芸人たちにそう言い置いて、文官らしき男はそっけなく出て行く。
部屋には酒や果物、食事も用意されていて、約束された報酬もなかなかの額だ。これだけを見ると、王弟はかなり太っ腹な人物に思える。
「……これだけの金、どこから湧いてくるんだかな」
先ほどまで、舞台で爽やかな笑顔を振りまいていた騎士役が、それを完全に払しょくして、皮肉な笑みに変わる。
「やはり横流ししてるな」
ハンナ・アーリア団の団長と名乗った男が、それに答える。
「……うん、いいよ」
扉に耳を当てて、外の音を聞いていた子どもが、「近くには誰もいないよ」と報告する。
「さて、それでは作戦開始といこう」
『アティラ様』の天幕は、兵士たちの宴会場よりも一段上、中二階にある。裏側にある階段の下に二人の兵士、そして階段を上った天幕の横にも二人の兵士が立つ。
そこは確かに、舞台も宴会場もよく見える場所ではあるが、人と接触させないように隔離しているようにも見えた。
階段の周囲は他に人気がなく、時折、給仕の女性が追加の食事や飲み物を運んでくるが、そそくさと最低限の仕事をして去って行く。
そこには、畏怖が溢れている。
狂信的な一般の民とはまた違う、王弟の腹心たちの間には、見たくない知りたくない、でも無視はできない、という後ろ向きな感情がにじんでいた。
舞台では次の演目が始まっていて、歌と踊りが観客をも巻き込んでいる。
と、調理場の方が、にわかに騒がしくなった。
わっ!とか、きゃっ!という悲鳴に続いて、ガシャン!と何かが割れる音。
階段下の兵士二人が顔を見合わせ、様子を伺おうとすると、ふっ、と廊下の灯りが全て消える。
「えっ?」「なんだ──」「う……」
うめき声の後に、カシャンと鎧が何かにぶつかる音。
「っおい!どうした?」
階段上の兵士が足を踏み出した時に、ふわっ、と灯りが戻った。
「問題ない。風で火が消えただけだ」
「暗闇で足がもつれた」
くぐもった声が返り、少ししてから何事もなかったように、兵士二人が持ち場に戻った。
よく考えれば、こんな地下の入り組んだ通路に、それほど強い風が吹く訳がないのだが──階段上の兵士たちが疑いを抱く前に、給仕が二人現れて階段を上ってくる。
「おい、何だか奥が騒がしかったが……?」
階段上の一人が声をかけると、「調理場にネズミが出て……少し騒ぎに」と、こちらからもこもった声が返る。
うん?いつもの給仕の女性と違うな、と兵士の一人が顔を覗き込むと──フッと妖艶な笑みに目を奪われ、動きが止まる。
給仕はどちらも初めて見る顔で、文句なしに美しいのだが──それはどこか、この世ならざる者のような不思議な魅力の美しさだった。
兵士の一人がかろうじて、「……っい、つも運んでくる者と、違うが──」と問い質すと、「いつもの者は、先ほどのネズミ騒ぎで腰が抜けてしまって……代わりにわたしくどもが」
女性と思うと低い声も、秘密めいたささやきになると、ぞくっとするほど色っぽい。
「……お二人ともお疲れではないですか?ずっと見張りで、何も飲んでいないのでしょう……少しだけいかがですか?」
艶っぽい笑みとささやきに、ダメだと分かっていても、差し出される盃に手が伸びてしまう。
それでも最後は「い、や、仕事中なので……」と、理性をかき集めて断った兵士二人に、
「……そうですか。それは──残念!」
バシャッ!と、顔めがけて盃の中の液体がかけられる。
「うわっ」「な、なにを──」
その液体は、目に入ると激痛を運び、口に入ると舌が痺れてろれつが回らない。
悶える兵士の首の後ろに正確な手刀が入り、二人は音もなく崩れ落ちた。
******
「……もうっ、なんで俺がこんなこと……絶対に必要なかったしっ!こんな強力な薬なら、さっさとぶっかければいいだけでしょ!」
グチグチとクレインから漏れる不満の羅列を、兵士を拘束しながらカイトが苦笑いで聞く。
「……おい、アレの機嫌は、お前が取れよ」
もう一人を拘束するジェイに、コソッとカイトがささやくが、ジェイはお手上げというジェスチャーを返すだけだ。
***
アスカに接触するために、一行が立てた作戦は次のようなものだった。
王弟一派が夜毎宴会を開き、国外から芸人たちを招いているという情報を得て、その演者として潜り込む。
十字行路を一緒に旅したアンナ・リーリア団の名をもじり、さらに脚本や演出も無断で拝借して、旅芸人を装った一行は、ヘイレンの裏工作もあってあっさりと潜入できた。
どうやら王弟は、国内の勢力にはスパイを疑って警戒が強いが、国外にはあまり注意を向けていないようなのだ。
国境の町を牛耳ったことで、国王の政策に反して、ヴェルドットと私的に貿易をしている疑いもある。
ヘイレンが掴んだ情報によると、王弟はかなり羽振りがよく、その貿易でかなりの利益を得ているのだが、そのことは王弟を支持する民たちには知られていない。
おそらく、アスカが発見した地下の遺跡から、宝石などを横流ししている。
──それが、カイトとヘイレンの予想だった。
潜入に伴い、顔見知りがいる可能性があるフェザントは作戦から外れた。
代わりにヘイレンが団長として加わり、さらに舞台装置や衣装なども、ヘイレンの資金力で最上のものが用意された。
問題は、俳優だ。
ヘイレンが「こちらで何人か用意しようか?」と提案したが、「部外者がいると、いざという時に動きにくい」とカイトが却下した。
という訳で、一行の中で配役を決めなければならなかった。
最終的には、主役の騎士をカイトが、そのライバル騎士をアイビスが、二人が取り合うヒロインを、ユエが女装して演じることで、何とか形になった。
女装を全力で拒否するクレインは、ユエにヒロインを押しつけることには成功したが、結局は、「もう一人くらい女性役が欲しい」というカイトの要望によって、女装させられることと相成った。
舞台は準備期間を考えれば、大成功に終わったと言ってよかった。
無難な恋愛劇で、演技力よりも派手な演出や衣装が目立ったそれは、本家のギリーやカール団長に見られたものなら、膝詰めでお説教を食らいそうな出来ではあったが……とにかく、前座は終わった。
本番は、その後なのだ。
控え室から抜け出した一行は、二手に分かれた。
ヘロンとアイビスが調理場へ行き、騒ぎを起こして注意を引く。
ラークが起こした風で灯りを消し、闇に紛れて兵士を襲い、鎧を奪って、カイトとジェイが成り代る。
そこへ、給仕の女性のフリをしたクレインとユエが現れ、兵士の油断を誘って、酒に混ぜたマイナ特製痺れ薬を飲ませる──はずだったが、最後は力押しになってしまった。
それでも作戦は概ね予定通りである。
***
階段上にいた二人の鎧も奪い、ひとつはヘイレンが身につけ、もうひとつは後から来るアイビスのために残しておく。
それを恨めしげに見るクレインは、給仕の制服のままだ。
王弟の趣味なのか、長いスカートの横側にスリットが入って脚がチラチラと見えるそれを、早く脱ぎ捨てたくてたまらないらしい。
ちなみにこれは、兵士の鎧と違って女性から奪ったものではなく、事前にヘイレンが用意した、よく似たものである。
舞台の装置や衣装をあの短期間で用意したヘイレンの手腕に、一同は驚かされたが、この場所の見取り図や制服などの情報にも、大いに助けられていた。
ただしクレインだけは、(余計なものを準備してくれて……!なければないで、どうにでもやりくりできただろうに!!)と恨み節が止まらない。
「見張りが四人しかいなかったんだ。しょうがないだろう」
ジェイが宥めるが、
「いいじゃねぇか、そのままで。お前、それ、すげぇよく似合ってるぜ」
ヘイレンが言ってはいけない一言を放って、「……『似合ってる』?」クレインの端正な顔を痙攣らせる。
「ク、クレイン!似合ってると言っても、別に女に見えるって意味では……!」
つられてジェイからも本音が漏れ、さらにクレインの機嫌を急降下させる。
あわあわと言い訳するジェイだが、クレインにはなかなかその本心が伝わらない。
ユエもクレインも確かに、その柔らかなで優雅な衣装が似合っているし、誰もが見惚れるほど美しい。
だが、イコール女性に見えるという訳ではない。
舞台のためのハッキリとした化粧をしたクレインは、中性的だ。
例えばそれこそ舞台で、女性が男を、男性が女を演じるような、両方の魅力を併せ持つ色気がある。
対して、薄化粧にとどめたユエは、無性的だった。
まだ男女に分かれる前の、無垢な魂がそのまま顕現したかのような──神秘的で、触れることすらはばかられるような清澄さがある。
共通するのは、どちらも性別を超越した美しさだということだ。
しかしその絶妙なニュアンスを伝える語彙力が、ジェイにはなかった。
何とか機嫌を取ろうとするジェイと、褒められれば褒められるほど眉間のシワが濃くなるクレイン、そしてそれにチャチャを入れるヘイレンと、オロオロするラーク。
緊迫した場面にも関わらず、いつも通り過ぎる仲間たちに、「……おい、時間がないんだが」と、カイトが呆れた声を出すまで、緊張感のないそんなやり取りが続くこととなった。
***
猿ぐつわをし縛り上げた兵士四人を暗がりに隠し、兵のフリをしたヘイレンとジェイが見張りの位置につくのを確認してから、カイトは慎重に天幕へと近づく。
外の異常に気づいているはずだが、中からの反応はない。
「アスカ」
カイトの呼びかけにも、応える声はない。
「アスカ、俺たちはお前の両親に頼まれて、お前を助けに来た」
今度は反応を待たずに、カイトは天幕の入口に手をかける。
カイトであっても緊張があるのか、少し躊躇ってから、グッと力の入った手で幕をめくった。
「……アスカ、だな」
カイトが念を押したのは、アスカと思われる小さな身体が、地下の、さらに天幕の中にいるにも関わらず、黒いマントに覆われていたからだ。
「……俺はカイトと言う。さっきも言ったが、お前の両親、ラサージェに頼まれて、お前を助けに来た」
アスカは身動きひとつせず、固まったままだ。顔も見えないから、表情を読み取ることもできない。
「お前は好き好んで王弟に協力している訳ではないだろう?両親はお前をこんな目に合わせたことを謝っている」
どれだけ言い募っても、聴こえていないのではないかと不安になるほど、ピクリともしない。
あまり時間があるとは言えないため、急かしたくはないのだが、カイトにも焦りが忍び寄る。
それを分かってか、それとも何も考えていないのか──狭い入口を塞ぐカイトの腕の間に、頭を押し込むようにして、ユエが天幕の中に割り込んだ。
「俺はユエ。……腕を、見せて」
そう言って、ゆったりとした動作で腕を伸ばす。
アスカはビクッと体を揺らしたが、それを宥めるようにさすってから、ユエの手がマントの中の細い腕を取った。
「……ひどい……」
褐色の肌は、一面やけどの跡でいっぱいだった。
あの『お披露目』の度に見せていた奇跡は、アスカの肌に何度も何度もやけどを負わせていた。
反対の腕にも、両の足にも、それは及んでいる。
「痛いでしょう……?もう、大丈夫だよ」
ユエの行動と声音は、慈愛に満ちている。
それが伝わったのか、アスカも少しだけ身じろぎし、いきなり現れた侵入者を見極めようと、布越しに目を合わせた。
アスカの猜疑心を晴らすには、もっと胸を衝くような言葉が必要だ。
カイトはそう感じ取った。
「広い世界を、知りたくないか?」
アスカは怯えている。
そして、諦めている。
何を言えばアスカの心を動かせるのか──カイトは瞬時に、最善を選んでいた。
「……お前の首にかかる、その鍵──それが何なのか、知りたくないか?」
焦点の定まらなかった目に、一筋の光が戻る。
「その鍵は、特別なものだ。それを使えば、お前も太陽の下を歩けるようになるだろう」
『鍵』が三種を人間に変える──それはまだ、何の根拠もない推測に過ぎない。
カイトは断定を避けながらも、アスカの興味を引くような言葉を選んでいる。
例えハッタリでも、卑怯な手を使おうとも、この場でアスカを説得しなければならないと、カイトは覚悟を決めていた。
そして、最後の一押しは、思いがけずユエからもたらされる。
「俺は、人魚だよ。でも今はこうして──人間になって陸にいる」
いきなりの告白は、アスカの耳にするりと入り込む。虚を衝かれて無防備な心に、慈雨のように沁み渡っていく。
「俺のここ──胸の中に、『鍵』がある。アスカが持ってる鍵と仲間の、蒼い『人魚の鍵』だよ。……アスカは、一人じゃない。俺たちは味方──仲間だよ」
「……ほんとう?」
声を出すことを忘れていたような、かすれた小さなささやき──それはあれほど大勢の人を熱狂させる『アティラ様』などではない、まだあどけない子どもの、怯えた響き。
助けを求める声だった。
応援ありがとうございます!
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