三鍵の奏者

春澄蒼

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第六章 追憶の海に花束を浮かべて

番外編 船の日常

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 人魚の島での滞在は、最終的になんとひと月にも及んだ。

 その間、東の一族と中央の一族の歴史的な再交流に立ち会い、東の族長がユエを純血の人魚として認める宣言を出すのを見届け、人魚と人間の貿易が厳しい制約つきで始動したのを見守った一行は、人魚の島への自由な航行を許可されるまでに親交を深めて、惜しまれつつ島を後にした。


 船はヘイレンからかっぱらったもので、あえて蒸気船ではなく帆船を選んだ。ヘイレンから簡単に金をたかれなくなる今後は、高価で入手も難しい石炭を使う蒸気船よりも、ラークの風で進める帆船のほうがいいだろうという判断だ。

 途中までは人魚たちが波を起こして手伝ってくれて、船は順調に人魚の領海を出た。

 ここからはしばらく海の旅が続く。
 目指すは十字行路の南端にあたる、大陸一大きな港町だ。
 そこから十字行路を北上してベレン領へ向かうことになる。


******


 久しぶりに気の置けない仲間だけになった船は、賑やかで穏やかな時間が流れている。

 今、甲板で行われているのは、フェザントによるアスカへの剣の指導だ。
 剣といってもまだ長剣は扱えないから、短剣を投げ武器として使うための的当てが主な訓練法だった。

「とうとうフェザントも観念したな!あーんなにアスカに戦い方を教えるの、嫌がってたのに」
 茶々を入れるヘロンに、アスカが得意げに胸を張る。「いっぱい、頼んだの。アスカの粘り勝ち」

 フェザントは苦笑いするしかない。
「あくまで自分の身を守るためだからな!危ねえことを許したわけじゃねぇぞ!」

「はーい、お父さん」
「っ誰がお父さんだ!!」
 アスカではなくヘロンから挙がった手を、フェザントは容赦なく叩き落とした。

 なかなか筋がいいアスカを見守りながら、フェザントはまだ消化し切れていない複雑な気持ちを持て余していた。

 アスカに武器の使い方を教えることに反対だったのは、なにも彼女が幼いからとか女の子だからとかだけではない。
 一生武器を持たなくてもいい人生を送れるなら、その方が幸せだと思うからだ。

 武器は持つだけで人生を変えてしまうもの。
 まだ世界を広げている途中のアスカには、もっと多くを知った上で選んでほしかった。
 しかしそんな悠長なことを言っていられないことはフェザントにもわかっているし、アスカ自身も感じているから、こうして訓練が始まったのだ。

 本人が望むも望まないも関係なく、世界の重要人物であるアスカは世界の中心へと連れ出されてしまうだろう。
『妖精の鍵』が見つかったとして、その後のことまでフェザントにはまったく予想できないが、『ドワーフの鍵』の所有者としてアスカにもなにか担う役割があるのかもしれないと思うと、今のうちに力をつけておくに越したことはない。

 自分も武器を持つ者としてフェザントは、戦いの中で学ぶことも多いという事実を無視することはできなかった。


「フェザント、この距離ならもう外さないよ。もっと的から離れてもいい?」
「ん?ああ、そうだな。だが、肩や腕を傷めないように休み休みだぞ」
「はーい!」

***


 同じころラークは、アイビスに師事して学びを深めていた。
 これまではカイトやアイビスの指示を待って船を動かしていたが、自分ひとりでも判断ができるようになればと、船のことや旅の日程の組み方などを教えてもらっている。

 ラークのその意欲に驚かされたアイビスだったが、素直で吸収の早いラークを相手に教師役をするのは意外に楽しく、航海日誌のつけ方やお金の管理にも授業は広がっていく。


「忙しいのにありがとう、アイビス」
「いや。これでラークが手伝ってくれるようになれば、俺も楽になるからな」

 そう言うアイビスは、むしろなぜもっと早く、こうして手伝ってもらうことを考えなかったんだろうと不思議なくらいだ。

 たぶんこれまでは、ひとりでやった方が早いと思っていたし、自分だけの仕事があることで、仲間の中の自分の立場みたいなものを守りたかっただけなのかもしれない。


 アイビスはいい機会だと静かに意気込んだ。

 これから先、また仲間がバラけることがあるかもしれない。何かの事情で自分がいなくなることだってあるかもしれないし、もしかしたらラークひとりで船を動かすような緊急事態になるかもしれないし──。

 考えすぎたアイビスは、ラークだけでなくヘロンにも色々仕込んでやろうと親切にも思い立ち、逃げ回るヘロンを捕まえては勝手に講義をすることになるのだった。


******



 話し声の絶えない昼間とはうってかわって、波の音だけが響く夜がやってくると、闇がもっとも深まるころに、ラークはヘロンに起こされて眠たい目をこするハメになった。

「……なに?」
「しっ!静かにっ!」

 基本的に寝つきがいい者ばかりの船室は、二人のこっそりとしたやり取りでさえ大きく空気を動かす。
 ヘロンはこっそりと、しかしきっぱりとした態度でラークを外へと連れ出して、また文句を言うために開かれた口を、「し~!!」とジェスチャーで塞ぐ。

 そして次に指差しで、ラークの視線をマストへと向かわせた。
 指の誘導に従って目線を上げていくと、マストの見張り台にまさに今滑り込んだ人影が見えた。


 海の上で泥棒はいないから、どう考えてもアレは仲間の誰かだ。
(あれがどうしたの?)視線だけで問いかけると、ヘロンはしゃべるなのジェスチャーはそのままに、反対の手で『耳をすませろ』というジェスチャーを加える。

 ワケがわからないままラークは指示に従って、いつもは抑えている聴力を少しだけ上げる。

「──意外と風が強いな」「それだと少し冷えるだろう。これを羽織るといい」
 聴こえてきたのはクレインとジェイの会話。先ほどの人影は、ジェイから見張りを交代するクレインだったらしい。


「……なんなの、ヘロン?」やはりわからずに問いかけると、「あの二人、なにしてる?」いや~な感じの笑顔でヘロンに聞き返される。

「なにって……『風が強い』とか『上着を貸そうか』とか……」
「っかーーっ!なにやってんだよ、ジェイ!!せっかくの二人きりなんだから、さっさとイチャイチャしろよなっ」
「…………」

 ひそめた声に精一杯感情を込めるヘロンを、ラークは呆れた目で睨みつけた。

「なに、のぞきするつもりなら、僕もう行くよ」
「待て、待て、待って!ただののぞきじゃねぇよ!」
「のぞきとは認めるんだね」
「違うちがーう!見守りにきたんだって!」
「…………」
「なんだよ、なにもそんな目で見なくても」

 ため息をついたラークが「帰るよ。ジェイも降りてくるし、見つかる前にヘロンも帰った方が──」と言いかけると、「はあ?!ウソだろ、おい!」とヘロンは慌てる。

「ウソだろ、せっかくクレインと二人きりなのにっ!せめてもうちょっと話してこいよ!!くそ、ラーク、出番だ!」
「は?」
「ジェイが降りてこられないように、強い風を吹かせてやれ!」
「えっ、なに言ってんの?!」

 すったもんだとラークの首にかかる妖精の笛を取り合った末に、無理やり唇に挟み込まれて、ラークはやけくそで笛を吹いた。

 ビュッ!!と吹いた風が見張り台を乗り越えようとしていたジェイの身体を押しとどめ、ビューンと続いた風にクレインの手がジェイを引き戻す。

「急に強くなったな……今戻るのは、危ないんじゃない?」
「……そう、だな。風が止むまで、もう少し──」

 頭上で交わされた会話をヘロンに伝えると、してやったりと拳を握っている。
 ヘロンはここからが本番と鼻の穴をふくらませていたが、ラークは今度こそと、断固とした態度でヘロンを引きずってその場を離れたのだった。


******


 次の日。今夜の最初の見張りはカイトだ。
 夕飯をみんなで食べてから、船室を出ようとするカイトの服のすそを、ユエがぎゅっとつかんて訊く。

「おれも一緒に行って、いい?」
 予定では、カイトの次にユエが見張りにつくことになっている。
 カイトの見張りの時間を一緒に過ごして、かつその後のユエの時間も──というお誘いだ。

 おお、この場で言うのか、という周囲のある意味尊敬の目の中で、最近開き直り気味のカイトも堂々とユエの頭を撫でて許可した。


 嬉しそうについていくユエの背中を見送って、ヘロンがラークにぼそりと言う。
「……あんくらい堂々としてくれたほうが、こっちも恥ずかしくないよなー」

 いつまで経っても互いが照れ合っているお二人にチラッと目をやるが、ヘロンのその思いは少しも届くことはなかった。

***


「……寒いのか?」
「ん?んーん、ただくっつきたいだけ」
 狭い見張り台では互いの距離が近くなるのは当然だが、ユエの距離感はそんなものではない。

 カイトの立てたひざの間に陣取って、腕は広い背中に回して、ほっぺたを胸元にすりつける。
 そして寒いだとか狭いだとかの言い訳が用意されていてもそれを使わず、潔く自分の欲求を隠そうともしない。

 カイトも髪を撫でながら頭のてっぺんにキスを落として、大事そうに腕の中に囲い込む。


 その体勢で二人がしたことといえば──「今日は星がきれい」「本当だな」「星座って人魚と人間では違うんでしょう?」「そうだな、例えばあの星は──」とか「ユエ、中央の一族は確か今は三つに分かれてるんだよな?」「うん、コウ・コク・シの三つ。今回、東の一族との交流を再開したのは、結局『コウ』だけだったね」「お前がいたのは『シ』だったな」「そう。『コク』も一応使者だけはよこしたのに、『シ』は……おれのこともはっきりした返事はなかったし」「返事ができないのが、返事なんだろう。純血を否定するだけなら簡単なはずだ」とか、そんな意味があるようなないような会話だった。


「カイト、あのね」「……ん、ああ」
 会話の途中、一瞬だけ気をそらしたカイトだったが、ユエはそれに気づかず続ける。

「おれ、ユラン姫のお墓参りに行ってから、色々考えたんだけどね」
「考えたって、なにを?」
「『人魚の鍵』のこと」

 東の族長から純血と認められて、唯一の使い手の元に預けられた鍵は、ネックレスになって首にかかっている。
 ユエが手のひらに乗せて月の光に当てると、鍵は銀の艶めきを放って、まるで舞台上でライトを当てられた主役のような顔をする。

「人間の間では、死後の世界とか生まれ変わりとかって、どういうふうに考えられてるの?」

 ユエの突拍子もない質問には慣れたもので、これがどう鍵につながるかはわからないが、とりあえずカイトは答える。

「そうだな。一般的な考えでは、まず死者の国から使いがやってきて魂を肉体から引き抜き、死後の世界へと連れて行かれる。そこで天国へ行くか地獄へ行くか決める裁判が行われ、天国へ行くことになったら──」
「待って、聞きたいのはそこじゃないや」

 これは長くなると感じたユエが、珍しく途中でさえぎった。

「おれが知りたいのはね、例えば……死んだ人同士が死者の国で会うことがあるのか、とか、生まれ変わった人とまた会うために何かすることがあるのかなって。ほら、人魚はお互いの鱗を交換しておけば、来世でまた会えるっていうおまじないがあるでしょう?」

 ユエの聞きたいことはわかったカイトだったが、今度は先ほどのようにスラスラと答えが返せない。

「う~ん……まじないはたくさんあるだろうが、田舎ごとにそれぞれ風習が違っていて、人間全体に共通するようなものはないかもな」
「う~ん、じゃあ……」

 一般論で質問することが難しいと気づいたユエは、もう直接名前を出すことにする。

「ジャン・ノーの魂は、百年現世にとどまってたわけだよね?」
「そうだな」
「その場合ジャン・ノーは、百年前に亡くなったユラン姫と死者の国で会えるものかな?」
「んん?」
「百年の時間差タイムラグがあるってことでしょう?もし魂が生まれ変わるなら、ジャン・ノーが死者の国に着いた時にはもうユラン姫は生まれ変わってて……二人は死者の国でも来世でも、もう二度と会うことはないんじゃないかなーって、おれ人魚はそう思うんだけど、人間の感覚でも、同じ?」

「そう……そう、だな」
 カイトは感慨に浸りながら、ユエの髪を撫でた。
 この発想はユエの優しさから出たものだ。死後の信仰について知識はあっても、信じてはいない自分では思いつくことはなかった考え。


 ユランの死は決して負けではなかった。
 むしろ死後を思えば、逃げ勝ちだ。


「ジャン・ノーは自分が百年この世に縛られていたことを知らない……ということは、やつは死んだユランのすぐ後を追った気でいたはず……」
「ジャン・ノーがあれだけあっさり自分の死を受け入れたのは、もしかしたら、死後の国へ行ってユラン姫を今度こそ捕まえる気だったのかもしれない、とか?」
「そうだな。しかし実際にはユランはもう百年も前に生まれ変わっていて……いや、下手したら生まれ変わって、死んで、また転生して──そうなっていたら、ユランの魂を見つけることなど二度と……」

 怒り狂うジャン・ノーと、してやったりのユランの顔が交互に浮かんで、カイトはなんだか晴れやかな気分になる。


 もちろん、こんなものは空想だ。
 死後の世界があるかさえ定かではないし、もし万が一あったとしても、人魚や人間の想像通りの制度システムになっているとは限らない。

 空想でいいのだ、とカイトは思う。
 この場合大切なのは真実よりも、カイトとユエの気持ちだ。


 そしてユエも、カイトとは違う人物を思い浮かべて同じことを考えていた。

「ユラン姫もたぶんおれと同じ感覚だったよね。それで、ジャン・ノーもそうだとすると、『人魚の鍵』はもしかしたらユラン姫のためにジャン・ノーの魂をこの世に縛りつけたのかなって」
「ユランのため……」
「ユラン姫が逃げられるように、時間を稼ぐために」
「おもしろい考えだな」

 ユエの新解釈はカイトの興味をそそった。

 ユランの死後のあの一連の、奇跡とも呪いとも呼べる出来事を、『人魚の鍵』の力が引き起こしたという推測はカイトにもまったく異存はない。
 しかしそれが誰の意思に基づいていたかについては、ユエが唱える『人魚の鍵』自身説をいつの間にか正解と信じてしまって、他の可能性について議論しなかったことにカイトは気づく。


 つまりユエは、鍵が自発的に選択したというよりも、ユランの意思をくみ取ってそれを叶えてあげたのではないか──そういう構図を示したのだ。

「例えばこういう可能性も──」
 カイトもユエも、こんなことを議論してもあまり意味がないことはわかっている。
 ユランの意思もジャン・ノーの意思ももう本人には聞けないし、そしてそもそも『人魚の鍵』が意思を持っているという考えも、今はユエひとりの感覚だけでわかっていることで、証明しようがないのだから。


 それでも会話を続けるのは、たぶんユランの死を悼むためだ。


「ジャン・ノーの魂を縛ったのはユランの意をくんだ鍵の仕業だったが、その後、鍵はジャン・ノーの恐怖に負けて支配された。俺を近づけさせなくしたり、大渦を作ったり、ガイコツを動かしたり……アレはジャン・ノーの意思を反映したものだろうからな」
「じゃあ、おれを勝手に人間に変えたのは、やっぱりジャン・ノーの妄執なのかなぁ?」
「どうだろう。鍵の本来の使われ方としてはそれが正しいと思うと、鍵が自分の役割を果たしたともとれる。それにもしかしたら、鍵の目的はそれそのものではなく、ユエの中に逃げ込むためにはまずユエを人間に変える必要があった、とか?」

 混乱してきたユエが「むむむ……」と考え込んでいると、またカイトがふ、と意識をどこかへ飛ばして、ユエには気づかれないくらいこっそりと笑う。


 それをきっかけにして、カイトは口をおしゃべり以外のことに使うことに変更する。

「んっ……!なに、急に」
 首の後ろを思いっきり吸われて、いきなりすぎる行為にユエも驚く。
 けれどカイトは飄々と、
「もう解禁してもいいかと思って」

「解禁?」
あとをつけるのを。人魚の島では自粛していたからな」

 そう言うと、楽しそうにまた首筋を吸う。
 雰囲気ムードを作ることなくいきなり恋人モードになったカイトを、ユエはいささか不思議に思うが、すぐにそんなことはどうでもよくなる。

「口づけするなら、唇にしてよ」
「ははっ、了解だ」



******



 さらに次の日。
 あくびをするヘロンの背後をとって、カイトは密談めいた声を出す。

「昨日、のぞいてたな」

 ぎっくーーっ!となったヘロンだったが、カイトの顔は怒っておらず、しょうがないなと余裕だ。

「ラークも巻き込んで。聞きたい話は聞けたか?」
「なんだよ、やっぱ気づいてたのかぁー……だからあんな長々と話してたのかよっ」

 そう、ヘロンはクレインとジェイの見張りをいたように、昨夜のカイトとユエの会話も盗み聞きしていたのだ。

 そしてデバガメに気づいていたカイトは、二人が諦めて去るまで聞かれても困らない話題を続けて、ちゃんと二人きりになってからキスを始めたのだった。


「好奇心旺盛なのはいいが、ほどほどにしておけよ。クレインあたりにキレられても助けてはやらんぞ」
 コツンとひたいにげんこつを当てられたヘロンは、それでも負けずに反論をする。

「はいはーい!性教育は大人のギムだと思いマース!!」
「……時々、妙に真理をつくな、お前」


 カイトに感心されたことに気をよくしたヘロンが、またこりずにしでかして、今度こそクレインにボコボコにされる──そんな未来はそう遠くないのだった。



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