三鍵の奏者

春澄蒼

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第一章 人魚の鱗は海へ還る

6 二人目の人魚

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 ハオリ島を一日で後にした一行は、東のとある国へ舵を向けた。カイトによって地図は示されたが、何のためにそこへ向かうのか、説明はないままだ。

 カイトは口数が減り、考え込む時間が増えた。
 それが船全体の空気を、重苦しいものにしていた。

 カイトはユエを手元に置きたがった。それは心配している訳ではなく、観察するためだったが、それも船の不協和音を生む原因の一つではあった。

 この船の船員は皆、多かれ少なかれカイトに助けられた者だ。カイトに恩を感じているし、慕っている。
 カイトに特別扱いされるユエを、よく思わない者もいる。また、ユエの態度があまりよろしくないことも、それに拍車をかける。

 ユエにとってみれば、カイトは頼みの綱だ。面倒を見てもらわなければ立ち行かないことも、理解している。理解してはいるが──こんな状況を引き起こしたのもカイトなのだから、素直にはなれなかった。

 それに、ユエは人の心の機微に疎い。自分が歓迎されていないのは、人魚だからだと思って、『人間なんて』という態度を崩さない。

 大陸が見えたのは、それが最高潮に達しようとしたころだった。



******
「岩が多い。慎重に進め」
 カイトが指示したのは、風を読むラークと波を読むクレインがいなければ、とても進めないような狭い海路だった。

 まるで川のように細長く続くそれは、実際には人工的に作られたものだ。
 それを知らないラークとクレインは、
「ここ、本当に通って大丈夫なの?」「っていうか、通ろうとするやつなんていなさそう」と不安げだった。

 しかし進んでいくと、今度は一目で分かる人工物が見えてきた。

「すげ……」
 船の倍はあろうかという、扉だ。それが岸と岸とを繋いで、海を塞いでいる。

「何者だ!」
 誰何の声は、岸の両側に控える門番から。槍を構えて臨戦態勢だ。

「クウェイルはいるか?カイトが来たと伝えてくれ!」
 矢をつがえかけたクレインを制して、カイトが声を張り上げる。

 その名前を聞いて、門番の一人が場を離れる。しかしもう一人は警戒を解かない。
 しばらくの睨み合いを破ったのは、一台の馬車だった。
 ガラガラとかなりの速さで駆けて来て、一人の男が降りる。

「カイト?!」
 四十前後の壮年の男が、岸から身を乗り出して、目があまりよくないのか、少し探してからカイトを見つけ、
「お前、こっちから来るな!この扉は開かないって言っただろう!!」
「こっちの方が近い」
「だからって……まったく……」

 カイトと男の親しげな態度に、双方武器を収め、息をつく。

 岸の男は一通りカイトに文句を言ってから、船に乗っている他の人影に気づき、
「お前っ!何人連れて来た?!」
 さらに文句が出てきた。

「七人だ。安心しろ。金も食糧も出す」
「そういう問題じゃ……!」
 呆れ果てて言葉をなくした男だが、カイトの次の言葉に、さらに息を呑む。

「クウェイル、奥方・・に会いたい」

 二人にしか分からない視線での会話──折れたのはクウェイルと呼ばれた男の方だった。
「……上がってこい」

 置いてけぼりだった船員に向き合って、
「荷物を全部出す。船はここで捨てる」
 カイトはいきなりそんなことを言い出すから、さすがに「ちょっと……!」と制止が入る。

 だがカイトは最初から決めていたのか、あっさりしたものだ。
「船を覚えられてきた。万が一目をつけられていたらまずい。それにどの道ここから当分は、海に用はない」

 この先の予定を決めるのはカイトだ。一行は完全に納得していないながら、言われた通り動き出す。

 門番にも手伝ってもらい、荷を運び出す。といっても、ほとんどは食糧だ。これまでも何度か船を変えたし、陸に上がれば馬に乗り換える旅をしてきたから、身軽さが信条になっている。

 荷に続いて人間も、垂らしてもらった縄で岸へ上がる。最後にユエを背負ったカイトが着くと、
「船は解体してくれ」
 とクウェイルに無茶を言う。

 もう言い返す気力もないクウェイルはため息だけを返して、後のことは全て門番に任せた。


******
 馬車で先に帰ったクウェイルを追って、一行は岸沿いを歩く。

「……あの人はどういう人なんだ?」
 最初に質問をしたのはアイビスだ。

「クウェイルはここの領主だ」
「領主!?」
 思いがけない言葉に、動揺が広がった。一行はあまり権力者にいい印象はないのだ。

「と言っても、田舎の貧乏領主だ。あいつの代になってここの林業を立て直したからな。領民には慕われているが」

「……カイトの友達、なの?」
 まるでそれが全ての基準であるように、ラークが聞く。

 カイトはユエを背負ったまま、片手で頭を撫でて、「ああ」と肯定する。
「十年……は経っていないか、七年、八年か……」
 それならばここにいる誰よりも長い付き合いになる。それに安堵する者と、嫉妬する者。


 一行が辿り着いた領主の家は、誰の想像より質素だった。

 その家の前に、きちんとした身なりの、初老の男が待っている。
「お久しぶりでございます、カイト様」
 優雅に礼をして、「皆様もようこそいらっしゃいました」一人一人を覚えるように目に写していく。こんな扱いをされたことがない者、つまりカイトとアイビス以外は、妙にぎくしゃくした動きで礼を返す。
 ヘロンなどは「うっうむ!くるしゅうない!」などと、おかしなあいさつをして、一行を和ませた。

 家に通されると、しかしせっかく和んだ空気が、驚きにかき消される。

「……なんだ、こりゃあ……」

 フェザントの呟きは、皆を代弁していた。

 家の床がほぼないのだ。
 板が張ってあるはずの場所は、ユラユラと水が溜まっている。廊下のように細い通路は確保されているし、家具もあるのだが、ほとんどは水の色に埋まっていた。

 奇怪な家の理由に最初に思い至ったのは、クレインだった。
「まさか……っ」
 そう言って固まる。

 他の者がクレインに聞く前に、その答えは現れた。

 目の前の水に波紋が起こる。
 それと同時にクウェイルが姿を現し、一行を睨みつけて、精一杯の怖い声を作る。
「カイトの連れだから仕方なく招いたが……もしお前たちが妻のことを外で話そうものなら、命はないと思え」

 だがクウェイルの忠告など、誰の耳にも届いてはいなかった。
 クウェイルと同じ方向から近づくもう一つの影。皆の視線は水路に注がれている。

 音もない静かな泳ぎ。
 広がる銀色と光る鱗。

 彼女は一行から少し距離を取って、顔を上げた。
 美しい顔に、今は怯えが混じる。

「……人魚……」
 見れば分かることを口に出したのは、自分も人魚のユエだった。


******
「えぇぇぇぇーーーーー!!」
「はぁーーーーー?!」
 静寂の後の二種類の大声に、新たな人魚は、びくっと水の中に身を隠す。

「なんっなっ……!!」
「どういうっ!!」
 言葉にならないアイビスとユエに詰め寄られているのは、カイトだ。

「おい、落ち着けよ」
 正面からアイビスに、背負ったユエには背後から糾弾され、さすがのカイトも困惑気味だ。

「落ち着ける訳……っ!」
「そうだ!人魚の知り合いがいるなら、わざわざあんな危ない橋渡らなくても……っ」
「メイでは無理だから、ユエを探したんだ」

 詳しく聞き出そうとする二人を制したのは、クウェイルだった。
「おい!よく分からんが、とにかく少し声を落としてくれ!メイが怯えているだろう!!」
 クウェイルが言うように、人魚は人の手が届かないところまで潜ってしまっていた。

「……順番に話す。だからいったん、腰を落ち着けよう」
 自分たちの糾弾はもっともなはずなのに、なぜかカイトに呆れたように言われ、釈然としなかったが、
「お茶をお持ちしました」
 先ほど玄関で出迎えた老人が、何事もなかったかのように現れ、気を削がれた一行は、それぞれ思い思いの場所に座っていった。

 全員の手が届かないことを確認して、クウェイルが人魚を呼ぶ。
 人魚はまだ腰が引けていたが、クウェイルの手を握り、そしてカイトを見て、やっと落ち着いたように、「カイト」と声を出した。

「メイ、悪いな。いきなり大勢で押しかけて」
「……びっくりしたわ」
 責めているよりも「しょうがないわね」といった声音だ。

 そして順番に来客を確認していく。ユエを見た時に一瞬、「あれ?」という顔をしたが、疑問を掴み損ねて、結局何も言うことはなかった。

「はじめまして。メイ、と言います」
「私はクウェイル。先ほども言ったが、いくらカイトの連れであっても、メイに害になるようなことがあれば……」
「クウェイル、こいつらは大丈夫だ。だからここに連れて来た」
 カイトの取りなしにも、怖い顔はやめない。そんなクウェイルを放置して、カイトはメイに向き合う。

「メイ、もう一度思い出してほしいんだが。『鍵』の伝説について」
「もう一度って……前にあなたに話したことが全てよ。王の一族に伝わる、とか。楽園への鍵だとか。絶対に使ってはならない、とか……」

 この会話で、『鍵』の情報は彼女からもたらされたことを、一行は推測できた。

「他にないか?なにか不思議な力があるとか、手にするとなにか起こるとか……」
「どうかしら……?私たちにもよく分からないものだから……」
「そうか……」と黙っていしまうカイト。

 しびれを切らしたアイビスが、「それで!?」と話を自分たちの方へ引き寄せる。
「なんで彼女では無理だったんだ?!」

「あぁ……メイは怪我をして、長く泳げない。だからとてもあの深海まで行かせられなかった。だからユエに頼んだんだ」
 聞いてみれば納得の話だったが、代役にされたユエにはおもしろくない。
「……なにそれ。俺は代わりだったってこと?」
「もしメイに頼んでいたら、お前はあの貴族から逃げられなかったんだ。むしろ幸運に思うべきだと思うが?」
「それはっ……そうだけど……」

 言い負かされたユエを一瞥して、しかし……とまた考え込む。
「メイも知らないとなると、いよいよ……他に『鍵』について詳しい者など……いや、そもそも『鍵』は……」

 独り言を続けるカイトを一行は見守り、クウェイルとメイは二人で顔を見合わせた。
「なんだか……よく分からないんだか……」
「でも今の会話ってなんだか……」

 ユエをじっと観察して、しっかりその足があることを確認し、「でも」「やっぱり」と夫婦で話し合う。
 もう聞いた方が早い、とクウェイルが意を決して聞こうとしたが、ほんの秒差でカイトが先に質問を投げる。

「メイ、人魚に足が生えるって話は、聞いたことないか?」
 直球すぎるそれに、二人は同じ顔をして固まる。

「……えぇっと、それって……つまり生えるって、こう、オタマジャクシがカエルになる時みたいに、にょっとヒレから生える、みたいな……話……の、訳……ないわよね……?」
 メイはもちろんユエを思い浮かべたはずなのに、なぜか言葉に出てきたのは、自分でもよく分からない奇抜な例え。
「……それはちょっと、水陸どちらも生きにくいんじゃないか?」
「そ、そうね……」
 夫婦漫才を終えて、笑わないその他の視線を受けて、改めてユエを見る。

「それってつまり……」
「人魚のヒレが、人間の足になる、ということだ」

「……なに……言っているの?いきなり……」
 動揺で身体が震えるのを、夫の手が優しく支える。だがその手も同様に震えていた。

「さっきから……だってさっきの話、なんだかまるで『鍵』を取ってきたみたいな……あなたが、取ってきた、みたいな……」
 人間にしか見えないユエを、恐怖に見開かれた目で見つめる。

 だがメイは確かに、彼になにか既視感を覚えた。青い髪と青い瞳。それは人間でもあり得ない色ではないのかもしれないが、人魚にとっては、特に東の一族にとってそれは特別だった。
(まるで物語に聞いた『姫』みたい……)
 そう思ったのは事実だった。

「あなたが……人魚、みたいな……」
 否定が欲しくてはっきり口にしたのに、返ってきたのは、肯定。
「そうだ、ユエは人魚。あんたの同郷だ」


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