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第二章 十字行路に風は吹く
14 弓
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弦を引き、的にした木の幹を狙って、矢尻を離す。矢は届くには届いたが、狙った場所からはずっと下に刺さって、しかもすぐに、地面にポロリと落ちてしまった。
「……まあ、最初はこんなもんだよ」
ユエの情けない顔を、クレインが慰める。
「まずは弦を引く筋力、それから数をこなして距離感をつかむこと、かな」
ユエは頷いて、すぐに次の矢をつがえた。
クレイン先生の弓矢の授業が始まったのは、昨日の出来事がきっかけだった。
******
一行は順調に進んでいた。
ユエはその順調さが当たり前だと思っていたが、実はラークとクレインの能力によるものだと知ったのは、恒例になったカイトとの夜の見張りの時間のことだ。
あれからユエは、カイトの見張りの時間を一緒に過ごすようになった。
最初の夜は結局、話している間にいつの間にか眠っていた。そしてカイトが運んでくれた天幕で、カイトの体温を感じながら目を覚ました。
それから刷り込まれたように、カイトが近くにいないと眠れないのだ。だからカイトが見張りの時間は一緒に起きて、そしてそのまま眠ってしまうユエを、カイトが天幕に運んで眠る、という繰り返しだ。
カイトと過ごすその時間は、ユエにとっては質問の時間だった。
陸のこと、世界のこと、歴史のこと、そして人魚のこと──カイトはなんでも知っていた。
「どうしてどこに川があるのか、分かるんだ?」
そんな質問をした時、ユエは自分以外みんなそれが分かるのかと思っていた。カイトが「お前、分からないのか?」と聞き返すから、余計に。
恥じ入ったユエに、カイトは真顔になって、
「そうか……どう変わったかばかりで、変わっていない方を気にしていなかった」
少し考えて続ける。
「川、水源を見つけるのは、クレインの人魚の亜種の力だ。あいつは人魚の亜種の中でも、かなり感覚が鋭い。ほとんどはただ泳ぎが得意ってだけのヤツが多いんだが……クレインは泳ぎはそれほどだが、そういう内的な感覚が人魚に近い」
「……俺……人魚にそんな力があるって、知らなかった」
「お前達にとっては、周りは全て水だったからな。探す必要もなかったから、もしかしたら感覚が薄れていったのかもしれない」
カイトにはそれ以上に考えがあったが、ユエに不安を抱かせないよう、今の段階で指摘することはやめた。
だから話を変えることにする。
「クレインが水場を見つけてくれるように、ラークが人通りの少ない道や天気を教えてくれるから、俺たちの旅は他よりずっと楽なものだ」
「ラークの、妖精の力……?」
「ああ。天気が分かれば、事前に備えることができる。耳がいいから、他の人間の位置が分かる。ラークもかなり感覚が鋭い。あいつは人の悪意まで読めるからな」
「悪意……?」
「ラークが言うには、人間──いや、生物の纏う空気から、ある程度の感情が読み取れるらしい。特に悪意や殺意、敵意なんかの負の感情は強く感じられるんだと。あいつが臆病なのは、そういう裏側を悟ってしまうから、だろうな」
その時のカイトの憂いの表情の意味をユエが知るのは、もっとずっと後になってからのことだ。
そう、それまで二人のおかげで順調だったのだが──もう少しで十字行路に突き当たるといった時に、問題は起こった。
******
「へへへ……金目のモノ、置いていってもらおうか」
ニヤニヤしながら取り囲むのは、十人ほどの男たち。分かりやすいいかにも『盗賊』の格好をしている。
順調に歩みを進めていた、アイビスとラークが跨った先頭を行く馬が止まったのは、その山の中ほどに差し掛かってからだった。
「……どうしよう……」
ラークがカイトを振り返る。
「先に、いるか?」
「うん、たぶん……」
「何人くらいだ?」
「たぶん……十、くらい。二十はいない、かな」
「そうか……」
一瞬の思考の後、カイトはそのまま進むことを決断した。他に迂回路はなく、戻るより進んだ方が早いという判断だ。
盗賊たちは、一行が準備万端で待ち構えていたことなど知らず、罠にかかった獲物をなぶるような目で見ている。
「いち、にぃ……全部で八人か。その内二人は子どもだ」
「安心していいぜ。ガキは殺したりしない」
「そうそう、売っ払うだけだ。運がよけりゃあ、今よりよっぽど楽しい生活ができるぜ」
「ひひひ!」
身を縮めるラークとユエ以外は、呆れた顔を隠そうともしない。
重さを感じさせない様で、カイトがひらりと馬から降りる。すでに降りていたアイビス、ジェイ、フェザントは己の武器に手をかけた。襲撃に備えて、ラークとヘロン、クレインとユエが同じ馬に乗っている。
「おいおい!やり合うつもりかよ!」
「大人しく捕まった方がいいぜ」
盗賊たちはよほど腕に自信があるのか、嫌な笑みを崩さない。
実は一番喧嘩っ早いクレインが、その顔を眺めることに嫌気がさして、戦闘を急かす。
「……もう、いいでしょ?」
顔を隠していたフードがはらりと落ち、現れた美貌に、山賊たちは一層色めき立った。
「うおぉ!こりゃアタリだぜ!」
「おほぉ!高く売れそうだ!!」
「待て待て!売っ払う前に俺たちで……ぐあっッ!!」
クレインに引き寄せられるように一歩踏み出した男が、つんのめるように転がる。手で押さえた太ももからは、矢が生えていた。
「は……?」
間抜け面を晒す隣の男の肩にも、矢が刺さる。
次の矢をつがえたクレインが、何の感情も読み取らせない表情で、まだ立っている残りの男たちを睥睨する。
「こっ、この……!」
楽な獲物だと侮っていたクレインから、思わぬ先制をくらって、山賊たちは激昂した。次々に獲物を抜き、本格的に戦闘が始まった。
******
「ぐ……」
「くそっ」
始まったと同時に終わった。見ているだけのユエには、それくらいの時間しか感じなかった。
山賊たちと一行の力の差は歴然だった。
カイト、アイビス、ジェイ、フェザント、四人ともほぼ一太刀、二太刀で相手を戦闘不能に追いやった。始まる前の山賊たちのあの余裕は何だったのかと、呆れるほどのやられっぷりだ。
できるだけ面倒を避けたいだけで、戦えば勝てる。その自負があるからこその余裕だ。
うめく山賊の懐から、ヘロンが金目のものを抜き取り、どっちが盗賊やら。
力の差があり過ぎたため命のやり取りにまで発展しなかったことは、襲撃者たちにとっての幸運だった。
必要のない殺しはせず、かと言って近くの憲兵なりに突き出す親切心も見せず、その場に放置して一行は先へ進んだ。
この戦いは、ユエに武力の必要性を感じさせるきっかけになった。
カイト、アイビス、ジェイは長剣を、フェザントは斧を使って戦っていた。今回は手を出す必要がなかったが、いざとなればラークもヘロンも戦える。
ユエにとって衝撃だったのは、クレインが意外にも、と言っては失礼だが、腕が確かだったことだ。自分と同じように非力だと思っていたクレインが、ただ守られるのではなく、弓を持って戦っていた。
これまでユエは、自分が戦うなんてことを、考えたこともなかった。それどころか、海賊船に捕まるまで、血を見る戦いを見たこともなかったのだ。
しかしメイの過去を聞き、こうして陸の旅を始めたことで、無力でいる自分を許してはいけないのではないかと思い始めた。
自分の身を守るためにも、力は必要だ。それだけではなく、己の命運を他人に託さないためにも。自分の命は自分で背負う。他人に何かを強要されないためには、自分で戦える力が必要だと。
それをカイトに相談したところ、「それなら、クレインに弓を習ってみるか?」と提案され、それでこの授業が始まった。
しかしこれまで武器など持ったこともなかったユエは、とにかく苦戦している。
******
練習と食糧の調達を兼ねて、クレインと狩りに来たものの、ユエの放った矢は獲物にかすりもしない。
「んー……」
「……面倒かけて、悪い……」
クレインだけならとっくに狩りを終わらせているだろう。力なく地面に落ちた矢を、腕組みして見つめるクレインに、ユエは申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「あ、いや……俺も人に教えるの、向いてないから。こういうのはアイビスの方が上手いんだけど」
ユエはクレインの眉間のしわを、自分のあまりの上達のなさを嘆いているのだと思ったのだが、実際にはクレインは、自分の先生としての資質を疑っていた。
「ラークも弓を使うし、本当はどっちかに教わった方がいいんだろうけど……」
言外に混じった『それはちょっと無理かな』という消極的な提案に、ユエも心当たりがあり過ぎて同意するしかない。
「アイビスとラークは、どうして俺を嫌うんだ?」
「あー……っと」
ユエのあまりに直球の問いに、クレインは言葉を濁す。
「最初は俺が人魚だからかと思っていたけど、そうじゃないみたいだから」
むしろアイビスは、人間の姿になってからの方が、当たりが強くなったくらいだ。ユエ本人は特に何かをした覚えはないが、だが自分のせいなのだろうと感じてはいた。だからクレインが返した言葉に、むしろ困惑が強まる。
「まあ、お前が悪い訳じゃないから」
「……そう、なの?」
「あの二人は、なんて言うか……カイトに心酔しているって言うか、な」
クレインの口調はどこか皮肉っぽくて、それをユエは意外に思う。
「ラークはカイトに『父親』を求めているところがあるから」
それどころか、他のみんなもどこか、この一行に『家族』のような絆を求めているのかもしれない、とクレインは考えている。
面々は本当の家族の縁が薄いものばかりだ。
ヘロンとジェイは孤児で親の顔さえ知らないし、ラークはほとんど捨てられたと言ってもいい。フェザントとクレインは家族を亡くしている。アイビスだけは、故郷に親兄弟が健在でそれほど不仲ということでもないのだが。
だからこそ、ただの仲間ではない繋がりを求めている。
その『家族』にいきなりユエという末弟が増え、それまで自分に割かれていたカイトとの時間が減ったことが、ラークがユエを避ける理由だろうと、クレインは予想している。
今までもそういう傾向はあった。
この仲間に変化があるたび、ラークはそれを怖れ、一時期不安定になる。
だがこれまでは、カイトがその不安を感じ取って、先回りして取り除いてきたのだ。『何も変わらない』と態度で示し、言葉でも甘やかして。
だが今回だけは、あれほどラークに甘いカイトが、何もしない。いや、分かっていてあえて放置しているようにも見えるのだ。
(なんだか、ラークの親離れを促しているみたい)
クレインはそのカイトの態度に賛成しているから、自分も何もしないし、ユエが何かをする必要もないと考えていた。
ラークはいかにも『守らなければ』という風体で、保護欲を誘う。そしてラークもその保護下から抜け出さずにこれまできた。
見た目ではヘロンよりラークの方が年下に見えるが、本来はラークの方が年は上で、普段の態度では、やんちゃなヘロンよりラークの方が落ち着いて見える。
だが本質的にはヘロンの方が、よほど自立心がある。
孤児でずっと一人で生きてきたヘロンは、もしも今この一行を放り出されても、上手く生きていけるだけの度胸も知識もある。
一方のラークは、途方に暮れる姿しか思い浮かばない。
カイトに依存し過ぎているし、絶対的な守護者としての役割を求め過ぎている。
だからこそクレインはこれをいい機会として、ラークの親離れを促した方がいいと黙認している。
(……だって、いつまでもこのままではいられない)
「だからまあ、父親を盗られた、みたいな?拗ねているだけだろ」
だからラークのことはいいんだ、とクレインは結んだ。
「アイビスは?」
「アイビスは……まあ、色々と複雑なんじゃない?あんまり気にしない方がいい。ユエが気にするほど、アイビスも意地になるかもしれないし」
問題はアイビスの方だ。
(あいつ、どれくらい自覚があるのかな……?もしかしたら全くの無自覚ってことも……)
クレインはアイビスのいかにも貴族然とした気位の高い顔を思い出して、ため息をつきたくなった。
(面倒……無自覚の恋心なんて)
だがクレインは、こちらにも何かをする気も言う気もない。嫉妬に巻き込まれるなんてごめんだと、こちらも傍観の構えだ。
(俺だって、他の奴のお節介を焼いてる余裕なんて、ない)
自分から「来なくていい」と置いてきたくせに、いつも影のように付き従うあの大きな体がないことを、どこかで心細く思っていることに、クレインは自嘲の笑みを浮かべる。
(俺とあいつは、ユエが加わったことで、何か変わることがあるのだろうか……)
「……ほら、練習に戻ろう」
まだ何かを聞き出そうにするユエに気づかないふりをして話を終わらせ、二人は狩りを再開した。
「……まあ、最初はこんなもんだよ」
ユエの情けない顔を、クレインが慰める。
「まずは弦を引く筋力、それから数をこなして距離感をつかむこと、かな」
ユエは頷いて、すぐに次の矢をつがえた。
クレイン先生の弓矢の授業が始まったのは、昨日の出来事がきっかけだった。
******
一行は順調に進んでいた。
ユエはその順調さが当たり前だと思っていたが、実はラークとクレインの能力によるものだと知ったのは、恒例になったカイトとの夜の見張りの時間のことだ。
あれからユエは、カイトの見張りの時間を一緒に過ごすようになった。
最初の夜は結局、話している間にいつの間にか眠っていた。そしてカイトが運んでくれた天幕で、カイトの体温を感じながら目を覚ました。
それから刷り込まれたように、カイトが近くにいないと眠れないのだ。だからカイトが見張りの時間は一緒に起きて、そしてそのまま眠ってしまうユエを、カイトが天幕に運んで眠る、という繰り返しだ。
カイトと過ごすその時間は、ユエにとっては質問の時間だった。
陸のこと、世界のこと、歴史のこと、そして人魚のこと──カイトはなんでも知っていた。
「どうしてどこに川があるのか、分かるんだ?」
そんな質問をした時、ユエは自分以外みんなそれが分かるのかと思っていた。カイトが「お前、分からないのか?」と聞き返すから、余計に。
恥じ入ったユエに、カイトは真顔になって、
「そうか……どう変わったかばかりで、変わっていない方を気にしていなかった」
少し考えて続ける。
「川、水源を見つけるのは、クレインの人魚の亜種の力だ。あいつは人魚の亜種の中でも、かなり感覚が鋭い。ほとんどはただ泳ぎが得意ってだけのヤツが多いんだが……クレインは泳ぎはそれほどだが、そういう内的な感覚が人魚に近い」
「……俺……人魚にそんな力があるって、知らなかった」
「お前達にとっては、周りは全て水だったからな。探す必要もなかったから、もしかしたら感覚が薄れていったのかもしれない」
カイトにはそれ以上に考えがあったが、ユエに不安を抱かせないよう、今の段階で指摘することはやめた。
だから話を変えることにする。
「クレインが水場を見つけてくれるように、ラークが人通りの少ない道や天気を教えてくれるから、俺たちの旅は他よりずっと楽なものだ」
「ラークの、妖精の力……?」
「ああ。天気が分かれば、事前に備えることができる。耳がいいから、他の人間の位置が分かる。ラークもかなり感覚が鋭い。あいつは人の悪意まで読めるからな」
「悪意……?」
「ラークが言うには、人間──いや、生物の纏う空気から、ある程度の感情が読み取れるらしい。特に悪意や殺意、敵意なんかの負の感情は強く感じられるんだと。あいつが臆病なのは、そういう裏側を悟ってしまうから、だろうな」
その時のカイトの憂いの表情の意味をユエが知るのは、もっとずっと後になってからのことだ。
そう、それまで二人のおかげで順調だったのだが──もう少しで十字行路に突き当たるといった時に、問題は起こった。
******
「へへへ……金目のモノ、置いていってもらおうか」
ニヤニヤしながら取り囲むのは、十人ほどの男たち。分かりやすいいかにも『盗賊』の格好をしている。
順調に歩みを進めていた、アイビスとラークが跨った先頭を行く馬が止まったのは、その山の中ほどに差し掛かってからだった。
「……どうしよう……」
ラークがカイトを振り返る。
「先に、いるか?」
「うん、たぶん……」
「何人くらいだ?」
「たぶん……十、くらい。二十はいない、かな」
「そうか……」
一瞬の思考の後、カイトはそのまま進むことを決断した。他に迂回路はなく、戻るより進んだ方が早いという判断だ。
盗賊たちは、一行が準備万端で待ち構えていたことなど知らず、罠にかかった獲物をなぶるような目で見ている。
「いち、にぃ……全部で八人か。その内二人は子どもだ」
「安心していいぜ。ガキは殺したりしない」
「そうそう、売っ払うだけだ。運がよけりゃあ、今よりよっぽど楽しい生活ができるぜ」
「ひひひ!」
身を縮めるラークとユエ以外は、呆れた顔を隠そうともしない。
重さを感じさせない様で、カイトがひらりと馬から降りる。すでに降りていたアイビス、ジェイ、フェザントは己の武器に手をかけた。襲撃に備えて、ラークとヘロン、クレインとユエが同じ馬に乗っている。
「おいおい!やり合うつもりかよ!」
「大人しく捕まった方がいいぜ」
盗賊たちはよほど腕に自信があるのか、嫌な笑みを崩さない。
実は一番喧嘩っ早いクレインが、その顔を眺めることに嫌気がさして、戦闘を急かす。
「……もう、いいでしょ?」
顔を隠していたフードがはらりと落ち、現れた美貌に、山賊たちは一層色めき立った。
「うおぉ!こりゃアタリだぜ!」
「おほぉ!高く売れそうだ!!」
「待て待て!売っ払う前に俺たちで……ぐあっッ!!」
クレインに引き寄せられるように一歩踏み出した男が、つんのめるように転がる。手で押さえた太ももからは、矢が生えていた。
「は……?」
間抜け面を晒す隣の男の肩にも、矢が刺さる。
次の矢をつがえたクレインが、何の感情も読み取らせない表情で、まだ立っている残りの男たちを睥睨する。
「こっ、この……!」
楽な獲物だと侮っていたクレインから、思わぬ先制をくらって、山賊たちは激昂した。次々に獲物を抜き、本格的に戦闘が始まった。
******
「ぐ……」
「くそっ」
始まったと同時に終わった。見ているだけのユエには、それくらいの時間しか感じなかった。
山賊たちと一行の力の差は歴然だった。
カイト、アイビス、ジェイ、フェザント、四人ともほぼ一太刀、二太刀で相手を戦闘不能に追いやった。始まる前の山賊たちのあの余裕は何だったのかと、呆れるほどのやられっぷりだ。
できるだけ面倒を避けたいだけで、戦えば勝てる。その自負があるからこその余裕だ。
うめく山賊の懐から、ヘロンが金目のものを抜き取り、どっちが盗賊やら。
力の差があり過ぎたため命のやり取りにまで発展しなかったことは、襲撃者たちにとっての幸運だった。
必要のない殺しはせず、かと言って近くの憲兵なりに突き出す親切心も見せず、その場に放置して一行は先へ進んだ。
この戦いは、ユエに武力の必要性を感じさせるきっかけになった。
カイト、アイビス、ジェイは長剣を、フェザントは斧を使って戦っていた。今回は手を出す必要がなかったが、いざとなればラークもヘロンも戦える。
ユエにとって衝撃だったのは、クレインが意外にも、と言っては失礼だが、腕が確かだったことだ。自分と同じように非力だと思っていたクレインが、ただ守られるのではなく、弓を持って戦っていた。
これまでユエは、自分が戦うなんてことを、考えたこともなかった。それどころか、海賊船に捕まるまで、血を見る戦いを見たこともなかったのだ。
しかしメイの過去を聞き、こうして陸の旅を始めたことで、無力でいる自分を許してはいけないのではないかと思い始めた。
自分の身を守るためにも、力は必要だ。それだけではなく、己の命運を他人に託さないためにも。自分の命は自分で背負う。他人に何かを強要されないためには、自分で戦える力が必要だと。
それをカイトに相談したところ、「それなら、クレインに弓を習ってみるか?」と提案され、それでこの授業が始まった。
しかしこれまで武器など持ったこともなかったユエは、とにかく苦戦している。
******
練習と食糧の調達を兼ねて、クレインと狩りに来たものの、ユエの放った矢は獲物にかすりもしない。
「んー……」
「……面倒かけて、悪い……」
クレインだけならとっくに狩りを終わらせているだろう。力なく地面に落ちた矢を、腕組みして見つめるクレインに、ユエは申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「あ、いや……俺も人に教えるの、向いてないから。こういうのはアイビスの方が上手いんだけど」
ユエはクレインの眉間のしわを、自分のあまりの上達のなさを嘆いているのだと思ったのだが、実際にはクレインは、自分の先生としての資質を疑っていた。
「ラークも弓を使うし、本当はどっちかに教わった方がいいんだろうけど……」
言外に混じった『それはちょっと無理かな』という消極的な提案に、ユエも心当たりがあり過ぎて同意するしかない。
「アイビスとラークは、どうして俺を嫌うんだ?」
「あー……っと」
ユエのあまりに直球の問いに、クレインは言葉を濁す。
「最初は俺が人魚だからかと思っていたけど、そうじゃないみたいだから」
むしろアイビスは、人間の姿になってからの方が、当たりが強くなったくらいだ。ユエ本人は特に何かをした覚えはないが、だが自分のせいなのだろうと感じてはいた。だからクレインが返した言葉に、むしろ困惑が強まる。
「まあ、お前が悪い訳じゃないから」
「……そう、なの?」
「あの二人は、なんて言うか……カイトに心酔しているって言うか、な」
クレインの口調はどこか皮肉っぽくて、それをユエは意外に思う。
「ラークはカイトに『父親』を求めているところがあるから」
それどころか、他のみんなもどこか、この一行に『家族』のような絆を求めているのかもしれない、とクレインは考えている。
面々は本当の家族の縁が薄いものばかりだ。
ヘロンとジェイは孤児で親の顔さえ知らないし、ラークはほとんど捨てられたと言ってもいい。フェザントとクレインは家族を亡くしている。アイビスだけは、故郷に親兄弟が健在でそれほど不仲ということでもないのだが。
だからこそ、ただの仲間ではない繋がりを求めている。
その『家族』にいきなりユエという末弟が増え、それまで自分に割かれていたカイトとの時間が減ったことが、ラークがユエを避ける理由だろうと、クレインは予想している。
今までもそういう傾向はあった。
この仲間に変化があるたび、ラークはそれを怖れ、一時期不安定になる。
だがこれまでは、カイトがその不安を感じ取って、先回りして取り除いてきたのだ。『何も変わらない』と態度で示し、言葉でも甘やかして。
だが今回だけは、あれほどラークに甘いカイトが、何もしない。いや、分かっていてあえて放置しているようにも見えるのだ。
(なんだか、ラークの親離れを促しているみたい)
クレインはそのカイトの態度に賛成しているから、自分も何もしないし、ユエが何かをする必要もないと考えていた。
ラークはいかにも『守らなければ』という風体で、保護欲を誘う。そしてラークもその保護下から抜け出さずにこれまできた。
見た目ではヘロンよりラークの方が年下に見えるが、本来はラークの方が年は上で、普段の態度では、やんちゃなヘロンよりラークの方が落ち着いて見える。
だが本質的にはヘロンの方が、よほど自立心がある。
孤児でずっと一人で生きてきたヘロンは、もしも今この一行を放り出されても、上手く生きていけるだけの度胸も知識もある。
一方のラークは、途方に暮れる姿しか思い浮かばない。
カイトに依存し過ぎているし、絶対的な守護者としての役割を求め過ぎている。
だからこそクレインはこれをいい機会として、ラークの親離れを促した方がいいと黙認している。
(……だって、いつまでもこのままではいられない)
「だからまあ、父親を盗られた、みたいな?拗ねているだけだろ」
だからラークのことはいいんだ、とクレインは結んだ。
「アイビスは?」
「アイビスは……まあ、色々と複雑なんじゃない?あんまり気にしない方がいい。ユエが気にするほど、アイビスも意地になるかもしれないし」
問題はアイビスの方だ。
(あいつ、どれくらい自覚があるのかな……?もしかしたら全くの無自覚ってことも……)
クレインはアイビスのいかにも貴族然とした気位の高い顔を思い出して、ため息をつきたくなった。
(面倒……無自覚の恋心なんて)
だがクレインは、こちらにも何かをする気も言う気もない。嫉妬に巻き込まれるなんてごめんだと、こちらも傍観の構えだ。
(俺だって、他の奴のお節介を焼いてる余裕なんて、ない)
自分から「来なくていい」と置いてきたくせに、いつも影のように付き従うあの大きな体がないことを、どこかで心細く思っていることに、クレインは自嘲の笑みを浮かべる。
(俺とあいつは、ユエが加わったことで、何か変わることがあるのだろうか……)
「……ほら、練習に戻ろう」
まだ何かを聞き出そうにするユエに気づかないふりをして話を終わらせ、二人は狩りを再開した。
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