僕と賢者の108日

三谷玲

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1日

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 義父から譲り受けた子爵家の華麗な玄関口で、ミッシャは妻に別れの挨拶をした。

「シャルロッテの結婚式までには戻るよ」
「あまり、無理はしないでくださいね? 持参金だってなんとかなりますから」
「たまには父親らしいことをしてあげたいんだ」

 仕事ばかりであまり家庭を顧みることはなかった。罪滅ぼしとは言わないまでも、娘のために出来るだけのことはしてやりたい。
 家計についてはよくわからないが、あるに越したことはないだろう。平民出身のミッシャには貴族の収入がどうなってるのか皆目見当もつかないが、これだけ立派な家を維持するには、王立魔術団の給与だけでは賄えないことだけはわかる。

「せめてどこへ、どのような仕事に行かれるかだけでも教えていただけません?」

 心配そうな表情の妻に、ミッシャは苦笑いをした。

「僕も詳しくはわからないんだ。でも、大丈夫。昔馴染みの依頼だからね」

 うしろめたいことはない、が、オスカーの名を出すのは躊躇われた。

「そろそろ行かないと。じゃあ、しばらく留守を頼んだよ」

 追及されるのを恐れて、ミッシャは妻の頬に口付けると、その場を後にした。



 ギルドではすでにオスカーが待っていた。

「早いな」
「時間が惜しいですから。移動しますが、行けますか?」
「……苦手なんだよなぁ」
「相変わらずですね。仕方ありません」

 ミッシャは補助魔法は得意だが、それ以外はからきしで転移についてはまったく方向違いに飛ぶため、魔術団でも禁止されていた。
 オスカーは呆れ顔でミッシャの手を取ると、マントですっぽりと覆った。

「あ、おい。待――」

 ミッシャの制止も聞かず、オスカーは詠唱することなく転移した。



「待てって言ったのに……。気持ち悪っ」

 ミッシャは転移魔術自体も苦手だが、他人の魔力も苦手だ。酒に酔ったように頭がふらふらし、足に力が入らない。
 オスカーの腕を掴んで、なんとか地面を踏みしめると石畳みとも土の上とも違う感触に驚いた。
 マントから顔を出すと、冷たい風が頬を突き刺す。

「どこだ、ここ」
「ここからは徒歩で移動します。自分で歩いてください」

 あたりは一面の銀世界だった。
 雪を踏みしめ、木々の合間にある道ならぬ道をオスカーが先を歩く。ミッシャは凍える寒さに身体を小さくしながら後をついていった。

――北の山か……。昔、何度か来たことがあったな。

 魔獣の巣食う洞窟がいくつも点在し、魔獣の活動が活発になる夏には、麓の村まで襲ってくる。そのため、ギルドにも討伐依頼が張り出されていた。
 ミッシャもオスカーやほかの仲間と共に、何度かその依頼を引き受けていた。
 とはいえ、ミッシャが魔獣を倒すわけではない。
 ミッシャの役割といえば、仲間に補助魔法を施し、鼓舞するだけである。
 魔力の器を持ち、魔術師として様々な魔術を覚えたミッシャであったが、モノにできたのは補助魔法のみ。
 弟子とはいってもあっという間にオスカーに追い抜かれた。
 今と同じように、オスカーの背を追ってばかりだった。
 昔を懐かしく思えるようになった。
 それだけ、ミッシャは年を取ったのだと自覚した。

「凍え死ぬかと思った……」

 冷えた身体を震わせて頭に積もった雪を振り落とすミッシャに、オスカーは昨日から何度も見せる呆れ顔をした。

「耐寒すら掛けられないんですか?」
「あ、忘れてたわ」

 すっかり前線から離れていたからか、得意の補助魔法ですら掛け忘れていた。アハハと空笑いをするミッシャに熱風が吹きすさぶ。
 さすが賢者様、と一気に乾き、体温が上がったミッシャが見上げた先には氷に閉ざされた塔があった。

「ここがお前の根城か?」
「ええ。誰にも邪魔されない快適な空間です」

 言う通り、その塔は氷だけでなく、強固な結界が施されていた。
 これを破れるのはオスカー同様賢者だけだろう。ミッシャは氷の結晶のように美しい魔術に魅入っていた。

――破るのがもったいないくらいだ。

 しばし呆然としているミッシャに「また凍りたいんですか?」とオスカーが背を押した。
 ギギっと鈍い音と共に分厚い扉が開く。
 がらんとした空間。円柱状の塔の壁に沿った螺旋階段は最上階まで続いているようだ。
 それ以外は地下への階段が一つ。
 扉の閉まる大きな音と共に、カキンと凍り付くような結界音が響いた。

「ずいぶん厳重なんだな」

 外の気配が一切感じられないことに驚いて、ミッシャが振り向くと、オスカーは琥珀色の目を細めた。

「大事なものを守るためには必要なことです」

 寒くなくなったはずのミッシャの背筋が凍るような気配がした。
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