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3話「悪くない」

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              斉藤さいとう 志穂しほ 二十歳 



 もうすぐ世界は終わる……

 今、部屋の時計の針は十二時二十分を指しているから、後二時間くらいでこの地球の生物は死滅する。

「どうして!」

 私は叫ぶ。

 そんなこと許せなかった。納得出来なかった。

 だって私はまだ二十歳だ。たった二十年しか生きていない。その私に残された時間がわずか二時間。少なすぎる。足りない……全然足りない。

 私には行ってみたい場所がたくさんあった。

 私はせっかく日本に生まれたのに、まだ一度も富士山に登ったことがない。いつかは登ってやろうって思っていた。それに海外にだって行ってみたかった。海の町ベネチア。機械がない時代に作られたローマのコッロセオも見てみたかった。まるで御伽噺の世界から飛び出してきたような町並みのデンマーク。幻想的な自然風景に囲まれるフィンランド。オーロラだって自分の目で見てみたかった。

 食べてみたいものだってたくさんあった。

 私は来週、友達と有名なケーキ屋さん「ソレイユ」の食べ放題に行く約束をしていた。すごくすごく楽しみにしていた。世界三大珍味だってキャビアしか食べたことがない。キャビアはしょっぱいばかりであまりおいしいとは思えなかったけど、フォアグラとトリュフも食べてみたかった。それだけじゃない。私はいつか絶対に一個何千円もするような高級なタマゴを使ったタマゴかけご飯を食べてやるんだって、ずっと前から決めていた。

 それなのに……そんなささやかな願いすら、もう叶いはしない。

「なんで! なんで!」

 叫びながら手に持っていたリモコンをテレビに向かって投げつける。大きな音を立てて液晶画面が砕け、テレビが倒れた。

 ざまあみろだ。世界が滅びる時間をカウントしながら、その理由を偉そうに解説してなんかいるから悪い。まぁ、このテレビもかなり高かったけど、世界が滅びるとあってはもうどうでもいい。

 そして私は叫び続ける。

「私は! やりたいことがあった。やってみたいことがまだいっぱいあった。夢だってある! 着てみたい服、読んでる途中の小説、レンタルが始まったらすぐに借りるつもりでいた映画、薦められていた音楽。たくさん、本当にすごくすごくたくさん、これからしてみたいことがあった。それなのに! それなのに……」

 そこまで言ったとき、私は後ろから強く抱きしめられた。

 そして気がついた。彼は悠太ゆうたは世界の終りが刻々と迫るこのわずかな時を、私の怒りを聞くことなんかに費やしてくれていたんだ。

「悠太は何がしたかった?」

 私は聞いてみる。抱きしめられたまま、悠太のほうを見ないで……

「そうだなぁ……僕はもっと、ずっと志穂と一緒にいたかったな。もっと志穂の隣で志穂の話が聞いていたかった」

 涙が溢れてきた。

 私は思う。そんなに悪くないのかもしれない。悠太の隣で悠太と一緒に最期を迎えられるのなら……それは、まぁ、終わり方としては最高だ。

 私と悠太は幼なじみ。

 家が隣同士で年齢も一緒。両親同士も仲がよく物心ついた頃から私たちはずっと一緒だった。

 でも二人の性格は全然違う。活動的な私と、物静かな悠太。まだ小さかった頃、冒険への旅へと連れ出すのはいつだって私の方からだった。

 私は楽しそうだと思ったものには何にでも果敢に挑戦した。

 中学のときはたくさんの部活を掛け持ちしていたし、生徒会長もやった。悠太には無理やり書記をやらせた。

 高校は悠太と別のとこに行った。悠太は公立の進学校。私は私立の女子校。女子校が楽しそうだったので、女子校にした。楽しかった。やっぱり生徒会長もしたし、いろいろなことがあった。

 それでも悠太とはいつも一緒だった。家に帰った後、悠太の部屋のベッドの上に座って、机で勉強をしている悠太の背中に向け、今日あったことを話すのが日課だった。小学校の頃、先生が言っていた。遠足は家に帰るまでが遠足だと。でも違った。私には違ったんだ。私の遠足は悠太に話して聞かせるまでが遠足だった。遠足だけじゃない、悲しかったことうれしかったこと、どんな出来事だってそれが完結するのはベッドに座って、その出来事を悠太に話して聞かせたときだった。

 高校二年のとき、学校で事件が起きた。三年生の先輩と先生の恋愛が明るみになって問題になったのだ。それで私も恋愛に興味を持った。今まで誰かを特別に好きになったことなんてなかったし、やることがいっぱいの忙しい日々でそんな余裕もなかった。告白は何度かされたことがあったが、全部丁寧に断った。まぁ、半分くらいは同性からだったけど。正直、面倒くさかった。

 それでも知識はそれなりにある。ラブストーリーの漫画も映画も小説も、私は大好きだ。ただしハッピーエンドのやつに限る。切ない話はあまり好きじゃない。

 私はいつだって興味を持ったことには挑戦してきた。

 しかし今回は問題があった。恋愛は一人では出来ない。相手が必要だった。世界でたった一人だけの、特別な異性。一生を共に歩む特別な人。

 思い当たるのは一人しかいなかった。物語みたいに狂おしい想いも、ときめきもない。それでも一緒に隣を歩いてほしいと思える人は、一人しか思い浮かばなかった。それが当たり前すぎて、他の誰かなんて考えられない。

 だから、私は告白した。

「私、今度は恋愛がしてみたいの。相手役をお願い出来る?」

 いつものように悠太の部屋でそう言うと、悠太は何も言わずにうつむいて頷いてくれた。私はそのとき見逃さなかった。悠太がポロポロと涙をこぼしているのを。ちょっとキュンときた。

 それから今日まで、私と悠太は恋人同士。

 そう……私は運命の人の隣で生まれた。探す必要なんてなかった。ずっとずっと一緒だった。きっと物心ついたときから、ずっと両想いだった。私は超ラッキーだ。

 世界に今、どれだけの人がいるのだろう。見当もつかない。仮に五十億人だとしたら、私は五十億分の一を探すこともなく引き当てた。

 神様にこれ以上何かを望むなんて罰が当たる。文句を言うなんてもってのほかだ。

もうすぐ世界は終わる。

 だから私は言う。

「さぁー、もう時間がない。私を強く、おもいっきり抱きしめて」

 悠太は言われた通りに抱きしめてくれる。

 私は今、幸せだ。ずっと幸せだった。最高の人生だった。

 だからこそ、まだ死にたくはなかった。

 私の人生にはこれからも、もっとたくさんの幸せが待っているはずだった。私には夢見る未来があった。

 いつかきっと悠太からプロポーズされるはずだった。それがどんな場所で、どんなタイミングだったって私の答えはもう決まっている。結婚式ではウエディングドレスが着てみたかった。子供もほしかった。出来ることなら男の子と女の子どっちもほしかった。子供のことで悠太と二人、一喜一憂したかった。そしていつかはこの腕に孫も抱いてみたかった。

 そんなふうに二人で一緒に年を重ねていきたかった。

 もちろん幸せなことばかりではないだろう。それでも二人でならどんな苦難だって、スキップしながら乗り越えられたはずだ。

 それなのに……世界はもう終わってしまう。

 でも……それでもたった一つだけ、一番望んでいた夢は叶った。私が死ぬまで、私が消えてなくなるそのときまで、ずっと悠太と一緒にいたい。その願いだけは叶った。

 だから、まぁ……こんな終わり方も悪くない。
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