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第11話 駅前の観覧車
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あの日から、三週間。
校庭の砂埃と、クラスメイトたちの悲鳴。そして、遠ざかっていく救急車のサイレンの音。世界から色が失われた一日が、まるで遠い昔の悪い夢だったかのように、潮見ヶ丘の町には、本格的な夏が広がっていた。空には真っ白な入道雲が、神々の住む城のようにどこまでも高くそびえ立ち、耳が痛くなるほどの蝉時雨が、容赦なくアスファルトに降り注いでいる。
七海はその夏の強い日差しの中を、病院の出口からゆっくりと現れた。
以前よりも、少しだけ頬がこけて見えた。腕も、手首も、白いワンピースの下から覗く足も、触れたら折れてしまいそうなほど細くなっている。
だが、その瞳の輝きだけは、少しも変わっていなかった。彼女は僕の姿を見つけると、少しも変わらない、はじけるような笑顔で小さく手を振った。
「春樹くん、おまたせ!」
その声を聞いた瞬間、僕の心臓をこの三週間、ずっと重く押さえつけていた巨大な岩が、すっと、跡形もなく消え去ったような気がした。
僕はあの日、教室で立てた誓いをずっと果たせずにいた。七海が入院している間、彼女のお楽しみノートは、僕の机の引き出しの奥で静かに眠っていた。彼女がいない世界で、僕一人で、あのリストを叶えることなんてできるはずもなかったのだ。
だが、今は違う。彼女が目の前にいる。生きている。笑っている。
「退院おめでとう、天野さん」
その一言を口にするのに、僕には全力の勇気が必要だった。大きな安堵と、再び彼女を失うかもしれないという恐怖とが、喉の奥で混じり合って声が震えた。
僕は自分のカバンから、ノートをそっと取り出した。
「だから、これを始めよう」
僕は、七海のおたのしみノートを開き、指さした。
『③ この町で一番高い、駅前の観覧車に乗る』
七海は一瞬きょとんとした後、すぐに全てを理解したようだ。僕が今まで見た中で、一番嬉しそうな顔で、力強く笑った。
問題は、柚希だった。
あの日以来、僕たちの間には、非常に気まずい空気が流れていた。廊下ですれ違っても、お互いにどう声をかけていいかわからず、ただ目を逸らすだけ。
七海の発作の時、彼女が「あたしのせいだ」と自分を責めていたことを、僕は知らないわけではなかった。僕も、あの場で何もできなかった自分を責めていた。僕たちは二人とも、同じ無力感と、罪悪感の深い沼の中でもがいていたのだ。
学校の公衆電話の前で、何度もためらった。十円玉を握りしめた僕の手は、じっとりと冷たい汗をかいていた。
でも、ここで僕が動かなければ、何も始まらない。僕たちの夏は、あの日止まったまま、動き出すことはないだろう。
僕は覚悟を決めて受話器を取り、彼女の家の電話番号を震える指で押した。
数回のコールの後、柚希が出た。
「……もしもし」
いつもよりずっと低い、覇気のない声。その声に、僕の中にある罪悪感が大きくなった。
「……柚希……僕だ。春樹だ」
「……うん。わかってる」
「あのさ……明日、もし暇だったら……天野さんの退院祝いで……」
「あたしは……いいよ」
僕の言葉を遮るように、彼女は言った。その声には、拒絶と、そしてどうしようもない悲しみと、自分自身への罰のようなものが感じられた。
「あたしなんかが行ったら、また、七海ちゃんに無理させちゃうかもしれないし……。それに、あんたも、あたしといたって楽しくないでしょ」
違う。
違うんだよ、柚希。
僕は受話器を、壊れそうなくらい強く握りしめた。
「……柚希がいないと、ダメなんだ」
「えっ……」
「天野さんが、七海が言ってたんだ。三人で行きたいって。柚希ちゃんも、一緒じゃないと意味ないって。……僕も、そう思う」
それは、半分本当で、半分、僕が作った必死の嘘だった。そして最後の部分は、僕の紛れもない本心だった。
電話の向こうで、柚希の嗚咽が聞こえる。その後、長い、長い沈黙。それは、彼女が自分の心の内で、激しく戦っている時間だったのだろう。
やがて、彼女は絞り出すような涙声でこう言った。
「……仕方ないな。七海ちゃんがそこまで言うんだったら……私は付き合ってあげるだけだからね! あんたのためじゃないんだからね! 絶対、勘違いしないでよね!」
あまりにも不器用で、どうしようもなく優しい返事に、僕は、電話の向こうで見えないのをいいことに、泣きそうなくらい安堵した。
僕たちの町の駅前には、時代から取り残されたような小さな遊園地があった。
少し錆びついたアトラクション。擦り切れた音で繰り返し流れる、気の抜けたマーチの音楽。わたあめの焦げ付くように甘い匂い。その、どこか物悲しいノスタルジーが、僕たちの、少しだけぎこちない再会にはちょうどよかった。
三人は、まだ、微妙な距離感を保って園内を歩いていた。
だが、七海の全てを初めて見るかのような純粋な喜びが、僕たちの間の凍りついた空気を、春の陽だまりのように少しずつ溶かしていく。
「わあ、メリーゴーラウンドだ! 本物のお馬さんみたい! しっぽ、ふさふさ!」
「七海ちゃん、あっちに、コーヒーカップもあるよ。絶対、目が回って気持ち悪くなるやつ。あたしのおすすめは、あっちのバイキングね」
柚希も、いつもの調子を取り戻し始めていた。まだ、ほんの少しだけ硬さが残っていたけれど。
そして僕たちは、この遊園地のたった一つのシンボルである、古くて小さな観覧車の前に立った。空へと続く、僕たちの夏を再び動かすための特別な乗り物だ。
「柚希ちゃん、春樹くん、早く早く!」
七海に促され、僕と柚希もゴンドラに乗り込んだ。
ぎしぎしと、少しだけ不安になるような音を立てて、僕たち三人を乗せたゴンドラが、ゆっくりと動く。
扉が閉まり、僕たちは地上から切り離された空の上の、小さな三人だけの個室に閉じ込められる。
七海は、最初少しだけ怖がっていた。ゴンドラが風に煽られてカタンと揺れるたびに、僕の服の袖をきゅっと強く握りしめる。
その時だった。
「うわ、見て! あたしたちの小学校、あんなにちっちゃい! アリみたい!」
柚希がわざと、舞台俳優のように大きな声を上げた。
「ほら、あそこの校庭! 昨日、あたしが特大ホームラン打ったとこだ!」
「嘘つけ。三振だっただろ」
「本当だって! あっ、ハルの家、あれじゃない? 屋根、変な色してるやつ!」
柚希は、七海の恐怖を紛らわせるため、そして、僕たち三人の間に残る最後の気まずさを吹き飛ばすため、必死に次から次へと眼下の景色を指さして、大声でしゃべり続けた。あまりにも不器用すぎる健気な優しさに、七海も僕も気づいていた。
七海は、僕の袖を握っていた手をそっと離すと、くすくすと心からの笑い声を上げた。
「柚希ちゃん、ありがとう」
「……別に。あたしはただ、客観的な事実を述べているだけだし」
ぶっきらぼうにそう言って、ぷいっとそっぽを向く柚希の耳が、夕日に負けないくらい真っ赤に染まっていた。
僕たちの間にあった、薄く硬い氷の壁が、完全に溶けてなくなった瞬間だった。
ゴンドラはやがて、一番高い場所へとたどり着いた。
一番、空に近い場所。
眼下には、僕たちが生まれ育った潮見ヶ丘の町の全てが、手のひらに収まるくらい小さく、どうしようもなく愛おしく広がっていた。僕はこの二人を、そして、この二人と過ごす時間そのものを失いたくないと、強く、強く思った。
七海は、ゴンドラのガラスに額をくっつけるようにして、その光景を一瞬たりとも見逃すまいと、大きな瞳に焼き付けていた。
そして彼女は、まるで天啓でも受けたかのように僕たちに言った。
「ねえ、知ってる? 観覧車が一番高い場所に来た時にお願い事をすると、空に一番近いから神様に届きやすいんだって」
そう言って、彼女はそっと目を閉じた。
それに倣うように、柚希も僕も静かに目を閉じる。
柚希は、神様に何を願っただろう。きっと彼女のことだ。心の底から、必死に強く願ったに違いない。
――神様、仏様、この世の全ての偉い人、お願いします。七海の病気を、治してください。そのためなら、あたし何でもしますから。大嫌いなピーマンだって、毎日残さず食べますから。
僕は、何を願っただろう。
――神様。僕は、奇跡なんて大それたことは望みません。ただ、どうか、このどうしようもなく幸福で、そして壊れやすい時間が、一日でも一時間でも、ううん、一秒でも長く続きますように。
僕たちが、それぞれの切実な祈りを捧げている間。
そっと目を開けた七海は、誰にも気づかれずにそんな僕たちの横顔を、この世で最も尊いものでも見つめるかのように、穏やかで、少しだけ哀しい瞳で、ただ静かに見つめていた。その瞳は、僕たちの祈りが、優しくて、温かくて、そして、その祈りが叶わないことを知っているから、苦しくて申し訳ないと語っているようだった。
観覧車が、ゆっくりと地上へと戻っていく。
たった数分間の、魔法の時間が終わっていく。
ゴンドラを降りた後、七海は僕たち二人を交互に見上げた。
「すっごく、楽しかったね!」
そして彼女は、まるで今思いついたみたいに、無邪気に、だが、どこか切実な響きを込めてこう言った。
「また、三人で乗ろうね。次は、もっと、もっと高いところまで行ける、大きな観覧車がいいな。雲の上まで行けるくらいのやつ!」
悪意のない、未来への希望に満ち溢れた言葉。その裏側に隠された、『生きたい』『もっと遠くへ行きたい』という、彼女の叫び。
その言葉が、僕と柚希の胸をどうしようもなく締め付けた。
次が果たして、本当に、僕たちに訪れるのだろうか。
僕と柚希は、一瞬だけ顔を見合わせた。そして、その瞳の奥に、同じ答えのない問いと、そして、同じ切実な願いを共有しながら、無理やり笑顔を作った。それはもう、子供どうしの軽い約束ではない。叶えられるかどうかもわからない不確かな未来に対して、それでも、僕たちが全力で抗うという誓いだった。
僕たちは、二人で声を揃えて力強く頷いた。
「うん、約束だ」
夏のあまりにも強い日差しが、僕たち三人の姿を、この一瞬を永遠に焼き付けるかのように、そして、残された時間の短さを際立たせるかのように、容赦なく照らしつけていた。
校庭の砂埃と、クラスメイトたちの悲鳴。そして、遠ざかっていく救急車のサイレンの音。世界から色が失われた一日が、まるで遠い昔の悪い夢だったかのように、潮見ヶ丘の町には、本格的な夏が広がっていた。空には真っ白な入道雲が、神々の住む城のようにどこまでも高くそびえ立ち、耳が痛くなるほどの蝉時雨が、容赦なくアスファルトに降り注いでいる。
七海はその夏の強い日差しの中を、病院の出口からゆっくりと現れた。
以前よりも、少しだけ頬がこけて見えた。腕も、手首も、白いワンピースの下から覗く足も、触れたら折れてしまいそうなほど細くなっている。
だが、その瞳の輝きだけは、少しも変わっていなかった。彼女は僕の姿を見つけると、少しも変わらない、はじけるような笑顔で小さく手を振った。
「春樹くん、おまたせ!」
その声を聞いた瞬間、僕の心臓をこの三週間、ずっと重く押さえつけていた巨大な岩が、すっと、跡形もなく消え去ったような気がした。
僕はあの日、教室で立てた誓いをずっと果たせずにいた。七海が入院している間、彼女のお楽しみノートは、僕の机の引き出しの奥で静かに眠っていた。彼女がいない世界で、僕一人で、あのリストを叶えることなんてできるはずもなかったのだ。
だが、今は違う。彼女が目の前にいる。生きている。笑っている。
「退院おめでとう、天野さん」
その一言を口にするのに、僕には全力の勇気が必要だった。大きな安堵と、再び彼女を失うかもしれないという恐怖とが、喉の奥で混じり合って声が震えた。
僕は自分のカバンから、ノートをそっと取り出した。
「だから、これを始めよう」
僕は、七海のおたのしみノートを開き、指さした。
『③ この町で一番高い、駅前の観覧車に乗る』
七海は一瞬きょとんとした後、すぐに全てを理解したようだ。僕が今まで見た中で、一番嬉しそうな顔で、力強く笑った。
問題は、柚希だった。
あの日以来、僕たちの間には、非常に気まずい空気が流れていた。廊下ですれ違っても、お互いにどう声をかけていいかわからず、ただ目を逸らすだけ。
七海の発作の時、彼女が「あたしのせいだ」と自分を責めていたことを、僕は知らないわけではなかった。僕も、あの場で何もできなかった自分を責めていた。僕たちは二人とも、同じ無力感と、罪悪感の深い沼の中でもがいていたのだ。
学校の公衆電話の前で、何度もためらった。十円玉を握りしめた僕の手は、じっとりと冷たい汗をかいていた。
でも、ここで僕が動かなければ、何も始まらない。僕たちの夏は、あの日止まったまま、動き出すことはないだろう。
僕は覚悟を決めて受話器を取り、彼女の家の電話番号を震える指で押した。
数回のコールの後、柚希が出た。
「……もしもし」
いつもよりずっと低い、覇気のない声。その声に、僕の中にある罪悪感が大きくなった。
「……柚希……僕だ。春樹だ」
「……うん。わかってる」
「あのさ……明日、もし暇だったら……天野さんの退院祝いで……」
「あたしは……いいよ」
僕の言葉を遮るように、彼女は言った。その声には、拒絶と、そしてどうしようもない悲しみと、自分自身への罰のようなものが感じられた。
「あたしなんかが行ったら、また、七海ちゃんに無理させちゃうかもしれないし……。それに、あんたも、あたしといたって楽しくないでしょ」
違う。
違うんだよ、柚希。
僕は受話器を、壊れそうなくらい強く握りしめた。
「……柚希がいないと、ダメなんだ」
「えっ……」
「天野さんが、七海が言ってたんだ。三人で行きたいって。柚希ちゃんも、一緒じゃないと意味ないって。……僕も、そう思う」
それは、半分本当で、半分、僕が作った必死の嘘だった。そして最後の部分は、僕の紛れもない本心だった。
電話の向こうで、柚希の嗚咽が聞こえる。その後、長い、長い沈黙。それは、彼女が自分の心の内で、激しく戦っている時間だったのだろう。
やがて、彼女は絞り出すような涙声でこう言った。
「……仕方ないな。七海ちゃんがそこまで言うんだったら……私は付き合ってあげるだけだからね! あんたのためじゃないんだからね! 絶対、勘違いしないでよね!」
あまりにも不器用で、どうしようもなく優しい返事に、僕は、電話の向こうで見えないのをいいことに、泣きそうなくらい安堵した。
僕たちの町の駅前には、時代から取り残されたような小さな遊園地があった。
少し錆びついたアトラクション。擦り切れた音で繰り返し流れる、気の抜けたマーチの音楽。わたあめの焦げ付くように甘い匂い。その、どこか物悲しいノスタルジーが、僕たちの、少しだけぎこちない再会にはちょうどよかった。
三人は、まだ、微妙な距離感を保って園内を歩いていた。
だが、七海の全てを初めて見るかのような純粋な喜びが、僕たちの間の凍りついた空気を、春の陽だまりのように少しずつ溶かしていく。
「わあ、メリーゴーラウンドだ! 本物のお馬さんみたい! しっぽ、ふさふさ!」
「七海ちゃん、あっちに、コーヒーカップもあるよ。絶対、目が回って気持ち悪くなるやつ。あたしのおすすめは、あっちのバイキングね」
柚希も、いつもの調子を取り戻し始めていた。まだ、ほんの少しだけ硬さが残っていたけれど。
そして僕たちは、この遊園地のたった一つのシンボルである、古くて小さな観覧車の前に立った。空へと続く、僕たちの夏を再び動かすための特別な乗り物だ。
「柚希ちゃん、春樹くん、早く早く!」
七海に促され、僕と柚希もゴンドラに乗り込んだ。
ぎしぎしと、少しだけ不安になるような音を立てて、僕たち三人を乗せたゴンドラが、ゆっくりと動く。
扉が閉まり、僕たちは地上から切り離された空の上の、小さな三人だけの個室に閉じ込められる。
七海は、最初少しだけ怖がっていた。ゴンドラが風に煽られてカタンと揺れるたびに、僕の服の袖をきゅっと強く握りしめる。
その時だった。
「うわ、見て! あたしたちの小学校、あんなにちっちゃい! アリみたい!」
柚希がわざと、舞台俳優のように大きな声を上げた。
「ほら、あそこの校庭! 昨日、あたしが特大ホームラン打ったとこだ!」
「嘘つけ。三振だっただろ」
「本当だって! あっ、ハルの家、あれじゃない? 屋根、変な色してるやつ!」
柚希は、七海の恐怖を紛らわせるため、そして、僕たち三人の間に残る最後の気まずさを吹き飛ばすため、必死に次から次へと眼下の景色を指さして、大声でしゃべり続けた。あまりにも不器用すぎる健気な優しさに、七海も僕も気づいていた。
七海は、僕の袖を握っていた手をそっと離すと、くすくすと心からの笑い声を上げた。
「柚希ちゃん、ありがとう」
「……別に。あたしはただ、客観的な事実を述べているだけだし」
ぶっきらぼうにそう言って、ぷいっとそっぽを向く柚希の耳が、夕日に負けないくらい真っ赤に染まっていた。
僕たちの間にあった、薄く硬い氷の壁が、完全に溶けてなくなった瞬間だった。
ゴンドラはやがて、一番高い場所へとたどり着いた。
一番、空に近い場所。
眼下には、僕たちが生まれ育った潮見ヶ丘の町の全てが、手のひらに収まるくらい小さく、どうしようもなく愛おしく広がっていた。僕はこの二人を、そして、この二人と過ごす時間そのものを失いたくないと、強く、強く思った。
七海は、ゴンドラのガラスに額をくっつけるようにして、その光景を一瞬たりとも見逃すまいと、大きな瞳に焼き付けていた。
そして彼女は、まるで天啓でも受けたかのように僕たちに言った。
「ねえ、知ってる? 観覧車が一番高い場所に来た時にお願い事をすると、空に一番近いから神様に届きやすいんだって」
そう言って、彼女はそっと目を閉じた。
それに倣うように、柚希も僕も静かに目を閉じる。
柚希は、神様に何を願っただろう。きっと彼女のことだ。心の底から、必死に強く願ったに違いない。
――神様、仏様、この世の全ての偉い人、お願いします。七海の病気を、治してください。そのためなら、あたし何でもしますから。大嫌いなピーマンだって、毎日残さず食べますから。
僕は、何を願っただろう。
――神様。僕は、奇跡なんて大それたことは望みません。ただ、どうか、このどうしようもなく幸福で、そして壊れやすい時間が、一日でも一時間でも、ううん、一秒でも長く続きますように。
僕たちが、それぞれの切実な祈りを捧げている間。
そっと目を開けた七海は、誰にも気づかれずにそんな僕たちの横顔を、この世で最も尊いものでも見つめるかのように、穏やかで、少しだけ哀しい瞳で、ただ静かに見つめていた。その瞳は、僕たちの祈りが、優しくて、温かくて、そして、その祈りが叶わないことを知っているから、苦しくて申し訳ないと語っているようだった。
観覧車が、ゆっくりと地上へと戻っていく。
たった数分間の、魔法の時間が終わっていく。
ゴンドラを降りた後、七海は僕たち二人を交互に見上げた。
「すっごく、楽しかったね!」
そして彼女は、まるで今思いついたみたいに、無邪気に、だが、どこか切実な響きを込めてこう言った。
「また、三人で乗ろうね。次は、もっと、もっと高いところまで行ける、大きな観覧車がいいな。雲の上まで行けるくらいのやつ!」
悪意のない、未来への希望に満ち溢れた言葉。その裏側に隠された、『生きたい』『もっと遠くへ行きたい』という、彼女の叫び。
その言葉が、僕と柚希の胸をどうしようもなく締め付けた。
次が果たして、本当に、僕たちに訪れるのだろうか。
僕と柚希は、一瞬だけ顔を見合わせた。そして、その瞳の奥に、同じ答えのない問いと、そして、同じ切実な願いを共有しながら、無理やり笑顔を作った。それはもう、子供どうしの軽い約束ではない。叶えられるかどうかもわからない不確かな未来に対して、それでも、僕たちが全力で抗うという誓いだった。
僕たちは、二人で声を揃えて力強く頷いた。
「うん、約束だ」
夏のあまりにも強い日差しが、僕たち三人の姿を、この一瞬を永遠に焼き付けるかのように、そして、残された時間の短さを際立たせるかのように、容赦なく照らしつけていた。
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