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4.ジェシカ
しおりを挟む「どういうことかな? これは」
ジェシカは目尻の上がった大きく丸い紺色の目を瞬かせて二人を見た。
「っていうか、それはこっちが聞きたい」
頭の後ろで手を組みソファに仰け反るように座る美青年にジェシカを目を見張る。
「俺達、よく気が狂わないでいられると感心しているくらいだ」
明らかに不機嫌な表情でソファに座り、長い足を組みかえる大人の男を見て緩みそうになる頬を手で押さえた。
「……すぐ来い、一大事だって言うから勤務を途中で代わってもらって駆けつれば……欲望のままに、こんなタイプの違う美男子を二人も召喚しちゃったって。どうすんのよ! イルメラ!」
燃えるような赤毛を高い位置で一つに結んだジェシカはイルメラの従姉妹であり親友でもある。
深夜にも関わらずアパートに駆けつけた彼女は、この国の治安を守る警備隊の一員だ。濃紺の詰襟に赤い縁取りの制服に身を包んだジェシカは隊の中でも活躍著しい有能な隊員だが流石にこの状況には面食らった。
「ジェシカ、どうしよう……」
二人に詰問されすっかり酔いが冷めたイルメラは魔法省内で二人の姿を見られては拙いと自分のアパートに慌てて連れ帰って来たのだ。
真っ青な顔をしたイルメラに対してジェシカが返す答えは一つだった。
「もう、帰すしかないでしょう。元の世界に二人を帰す! はい、それで終了!」
「そんな簡単に言わないでよ! 数千年前の記録でも大魔法使いが異世界から召喚した聖女は、この国に一生を捧げたという記録しかないのよ。元の世界に戻ったなんて記録は存在しないの……」
イルメラは三人の鋭い視線を身を縮める。
泉はソファから立ち上がるとイルメラに詰め寄った。
「痴女、お前。二十九歳処女のイルメラって言ったっけ……召喚して恋人にしたかったとか、俺に処女をもらってくれとか言ってたよな」
「そ、それは本心です!」
ジェシカは驚いて目を見開いた。
「はあ? 本心とか……やっぱ頭狂ってるわ、こいつ。酔って正常な判断が出来なかったとか判断能力が欠けていたとか言い訳するならまだしも。この状況どうするつもりなんだよ?」
「はい……仰るとおりです。お二人の生活をこんな形で台無しにして本当にごめんなさい」
追い打ちをかけるように翔太はイルメラを見下ろし言い募る。
「イルメラちゃん。悪いと思っているなら諦めずにやってもらおうじゃないか。召喚出来たんだから帰すことくらいどうにかなるだろ? 天才なんだろ?」
その鋭い眼光にイルメラは小さな悲鳴を飲み込んだ。
◆
結局、泉と翔太は元の世界に戻ることも叶わないまま時間だけが過ぎていった。
「俺達をいつまでこの狭いアパートに閉じ込めておく気なんだ?」
「ごめんなさい、ショータ。頑張ってはいるんだけど帰す方法は今のところ……」
早朝に出勤し、深夜に帰宅するイルメラと話ができるのは彼女が帰宅した夜の僅かな時間だけだった。
二人は深い溜め息をついた。
「俺がいるのは夢の中ではなくて異世界だって言うことは……どうにか理解出来た。で、異世界人の俺達の存在がバレると聖女ならぬ聖人扱いされ帰るどころの話ではなくなる。もしくは捕らえられる可能性だってある。要は相当マズイことになるってのもわかった。イルメラが俺達を元の世界に戻すのは難しい状況であるというのは納得はできないけれど……状況は理解した」
「イズー、ごめんなさい」
日常生活で魔法を使うことは国の法律で禁止されていた。イルメラのような魔力持ちは国に誓約書を書かされているのだ。泉と翔太を召喚したことがバレればイルメラは処罰されるだけでは済まないかもしれない。
彼女は申し訳無さそうに瞳を伏せた。
イルメラとジェシカが翔太と泉を発音しようとすると発音が難しいらしい。舌足らずな発音で自分達の名を呼ぶイルメラを二人は内心可愛いと思っていたがお互い顔には出さなかった。
「だけどさ! 俺達も人間だ。翔太が言うようにこの狭いアパートに監禁されたままだと流石に気が狂いそうになる。バレないように細心の注意を払うから外に出てもいいだろ?」
物置として使っていた部屋を片付け翔太と泉は同部屋で寝起きしていた。元いた世界でバイト三昧だった泉はレストランの厨房で磨いた腕を振るい毎日、栄養バランスを考え食事を用意してくれていた。
イルメラは泉の作ったミネストローネの湯気を見ながら苦悶の表情になる。こんな状況で大きな図体をした男二人を小さなアパートに閉じ込めておくのは彼等の精神的にも身体的にも良くないのは明らかだったからだ。
「この国の常識的なものを教えてもらえれば、なんてことはないと思うぞ。不思議なことに文字は読めないのに相手の言葉は理解できるし話すことも出来るんだからな」
翔太が泉に視線を向けると彼は嫌味っぽく言った。
「ああ。俺達、意外に適応能力高いと思うんだけど。なんたって、この状況を受け入れているんだからさ」
それを言われるとイルメラはぐうの音も出ない。
「わかった……私とジェシカでこの国の最低限の常識を教えるわ。だからもう少し我慢して」
その翌日から、イルメラとジェシカによるキトラニ王国の一般常識の深夜授業が始まったのだった。
◆
程なくして二人は隣国から引っ越して来たばかりのイルメラの遠縁にあたる兄弟で、職を探すために彼女を頼り同じアパートで暮らしているという設定で街に出ることになった。
イルメラとジェシカの引率のもと準備してもらった服を着て街に出た二人は好奇心を抑えられない子供のようにはしゃいでいた。
イルメラ自身も数ヶ月振りの休日だった。
引率というお役目ではあるが男性と一緒に外出するなんて初めてで昨夜は着ていくものを悩む。お洒落をするのは久し振りで自然と心が浮き立ったのだが、その浮き立つ気持ちは鏡に映る自分の姿を見て急に萎んでしまった。
痛み放題の青紫色の長い髪。目の下の化粧では隠しきれない大きなクマ。乾燥した肌には粉が吹いている。随分と見窄らしくなった己の容姿に凍りついてしまったのだ。
結局、何年も前に買った水色と白のストライプのワンピースをクローゼットから引っ張り出しストローハットを目深にかぶって顔を隠すような装いに落ち着いたのだ。
そんなイルメラの隣を歩いていたジェシカはちょっと考えるように斜め上に視線を上げて頬を掻いた後、決意したかのようにイルメラの顔を覗き込んだ。
「そういえば……確認なんだけど。彼等を召喚した目的って恋人にするため? その……処女もらってくれって言ったんでしょ? ごめん、イルメラが現状から逃れたいという気持ちはわかっているつもりよ。でも流石に国や魔法省に逆らって恋人を作ったりしたらマズイんじゃないかなって」
キトラニ王国で魔力持ちは徹底的に管理される。次世代に魔力を持った優秀な子孫を残すために家畜の交配のように魔力持ちの男女の性交も厳しく管理されていた。普通の夫婦のよう愛する相手と結婚し子を成すという生活は彼女には訪れることはないのだ。
性交のパートナーとなり半年経っても妊娠が確認できなければ次の相手を宛てがわれる。
子を授かることが出来た男女は互いの希望が一致すればパートナーとして結婚契約が結ぶことも可能だが、どちらか片方が希望しなければ互いにまた新しい相手を魔法省により宛てがわれるのだ。
一瞬にして強張ったイルメラの表情を見てジェシカは慌てた。
「ごめん、イルメラ。こんな楽しい時間にする話じゃなかったわ。ずっと心配で。もしかしたら……まだ、あの子のこと気にしているんじゃないかって思って」
「そうね……あのことがなかったら。今でも、こういうものなんだって現状を受け入れていたし疑問さえ持たなかったかもしれない」
下唇を噛んだイルメラを見てジェシカは胸が締め付けられた。
ジェシカは知っていたのだ。イルメラが性交制度に疑問を持ち始めたきっかけが学院時代の唯一の友の存在であることを。
「私自身、二十九歳にもなって好きな相手もいないのに性交制度に抗う必要があるのかって言われそうだけれど。性交制度に抗ったあの子の気持ちを蔑ろにしちゃいけないって思いは今でも変わらないの」
イルメラは立ち止まり声を潜めた。
「ジェシカ。私ね、苦痛を感じる人がいる限り性交制度はあってはならないと思っているの。私に出来ることがないかと考えて……忙しい仕事の合間に制度のついて密かに情報を集めているのよ。意味のない制度だと証明できれば、こんな制度自体なくせるかもしれないでしょう?」
イルメラの真剣な瞳にジェシカは正直戸惑い次の言葉が見つからなかった。二人の間に流れる沈黙を破るように大きな声が聞こえた。
「イルメラ! ジェシカ! 先行くぞ」
翔太の声に呼ばれイルメラが大きく息を吸い込み歩き始めるとジェシカは彼女の後ろ姿を見つめるしかなかった。
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