君はアイリス

矢崎未紗

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第2話(後編)

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「ベルツ少尉、起きろ。隊舎だ」

 鋭い声に、のんびりと覚醒する。ぼやける視界に数秒間ぼうっとしてから、エーファははっとして運転席を見やった。

「はっ、す、すみません!」
「おい、今は勤務時間中じゃないし、俺は怒ったわけではない」

 エーファが今にも敬礼をしそうな気配を察して、フレイザーはため息をついた。

「リースは所用があるらしいからな。お前だけ先に降りてくれるか」
「はい。あ、あの、行きも帰りも、ありがとうございました」

 決して短いとは言えない距離のドライブを、フレイザーは往路も復路もこなしてくれた。本人いわく、この車を他人に運転させたくない、とのことだったが、その言葉にしっかりと甘えてしまったことは事実だ。

「どうということはない。今夜はしっかり休めよ」
「はい、失礼します」
「じゃあね、エーファちゃん。また基地で」

 最後にリースとも別れを済ませて、エーファはフレイザーの車を降りる。
 どうしてもせずにはいられなかったのか、それとも隊舎の入り口だからなのか、見えなくなるまで敬礼の姿勢を続けたエーファに、車内のリースは苦笑した。

「ほんっと硬いねえ。十八歳には見えないぜ」

 フレイザーは特に相槌を打つこともなく、車を走らせる。向かった場所は、基地内の駐車場だった。

「長話ではないんだろうな」
「びっくりするほど長くはないかな。俺の調査結果をちょっと共有するだけだよ」

 フレイザーは車のエンジンを止める。本当に長い話ではないようで、リースは後部座席から少しだけ身を乗り出して口火を切った。

「まず、エーファちゃんの生い立ちだ。エーファちゃんの家、つまりベルツ家ってのは、第九宇宙団の中でも名の知れた白服の一族だ。親戚一同、ほぼすべての人間が代々軍人になっている。エーファちゃんの父親はロバート・ベルツ二等星大佐だ」
「珍しくはないな」
「まあな」

 両親共に民間人である民間の子供が、将来の職業として軍人を選び、自らの意思で軍に入るということはそう珍しくはない。私設の軍隊でない限り、軍人と言うのは基本的に国等の人材、つまり公務員だ。長く働くという意味では安定した職場である。
 そしてまた、自分の子供を全員軍人にし、親戚一同軍人ファミリーというのも珍しくない。なぜなら、親戚や親子というつながりをベースにした一種の派閥を作って、軍内で発言権を持てるようになるからだ。特に白服と言われるライネヴェジン軍事アカデミー出身者と、黒服と言われるシャーラヌス軍学校出身者は、その半分以上が軍人家系である。
 第八、もしくは第九宇宙団の所属という時点で、軍人家系の出身である可能性は想像にかたくない。今さらエーファがそうだと聞かされても、フレイザーに驚きはなかった。

「このベルツ大佐がまあ、クセのあるおっさんでさ」

 フレイザーのほかに誰にも聞かれていないのをいいことに、リースは上席者に対する不躾な発言をためらいもせずに口にした。

「いわゆる野心家ってーの? なんかいろいろ、グレーなことをやってるっぽい」
「ずいぶん曖昧な言い方だな。証拠がないのか」
「さすがに別の宇宙団だからな。悪い、調査っつーか、ちょっとつてを使って噂話をかき集めただけなんだわ」
「それでも聞く価値のある噂話なんだろう」

 普段ならリースの話すゴシップなどに興味を示さないフレイザーだったが、今回は別だった。なぜなら、「ジーニアスの舞踊」の功績を残したはずのエーファが、関係者共々謹慎処分になった経緯に関わることだからだ。

「ベルツ大佐は自分の昇格、昇進のためならかなり無茶な作戦も立案してる。敵が反抗惑星である、ってこともあって黙認されることが多いみたいだが、中には非人道的な作戦もあるみたいだ。そのひとつが、エーファちゃんが関わった例の作戦だ」
「反抗惑星の不意打ちは、容赦のない守護星軍への当然の抵抗だったわけか」
「そういうこと。で、当然ながらそんなベルツ大佐をよく思わない輩もいるわけだ。んで、以前からベルツ大佐と敵対していたある政治家が、どうやら今回の作戦について世論を先導したらしい。反抗惑星とはいえ現地人に対しての非人道的な行為は許すまじ、ってな。不利になる証言でもあったのか、ベルツ大佐側は関係者一同に謹慎処分を出して余計な情報流出を防ぎ、作戦の正当性について調査中、ってことにして煙に巻いたみたいだ」
「なるほどな。娘であるベルツ少尉は、ただただ父親に振り回されているだけか」
「その通り。そんな父親なもんだからさ、エーファちゃんってば幼少期の頃から軍人教育が徹底されていて、ご覧のとおり十八歳とは思えない感情の希薄さなわけだ」

 リースはそう言って肩をすくめた。

――三等星少尉エーファ・ベルツです。本日よりこちらの第八宇宙団飛行隊所属となります。よろしくお願いいたします。

 エーファと初めて会った日を、フレイザーは無言で思い出す。
 表情の変化に乏しく、無駄口をたたかないところは軍人だからだと思った。けれど上官の一人として接しているうちに、それが彼女の素であると理解した。一般的な人間の情緒がろくに育まれないまま、つまらない硬質さを伴ってここまで生きてきてしまったのだろうと。

――お前には、戦闘データの精査を頼みたい。ものによっては数年分にもなる。
――了解しました。
――なぜそんなものを、とは訊かないのか。普通はあり得んだろう、解析を放置したデータが数年分も積もっているなど。
――経緯を訊いた方がよろしいでしょうか。それを知らなければ作業に支障が出ますか。
――いや、そんなことはないが……まあ、いい。抽出項目とカッティング項目、それに基本的なデータの処理方法はこのマニュアルに従え。

 フレイザーは、決して社交的で朗らかな人間ではない。リースへの苛立ちや怒りをあらわにすることが多いが、それでも人並の喜怒哀楽はあり、表情も普通に出せる。
 しかしエーファは違った。彼女はフレイザーと違って、一切持ち合わせていないかのように、感情や情緒がなかった。人工知能搭載の人形と会話でもしているようだった。いや、プログラムされているとはいえ機会があればユーモラスな発言をすることもあるだけ、人工知能の方がまだ人間味があるかもしれない。

――もったいない……。

 いつだったか忘れたが、ふとフレイザーはそう思った。
 作り物のような表情だが、その顔立ちはどこか猫を思わせる。アーモンド形の目、薄茶色の瞳、紅のひとつもささない唇だが、笑えば大きくつり上がるのだろう。
 そう、笑えばいい。少しでもいいから、彼女が笑うところを見てみたい。彼女と会話を重ねるうちに、フレイザーはそんな風に思っていた。

「とにかく、エーファちゃんが単独で何かやらかしたってわけじゃないことは間違いない。〝ジーニアスの舞踊〟も、まあ過大評価すぎるかもしれないけど、実際に宇宙戦艦を護ったのは事実だ。残念だな、せっかくなら彼女の操縦の腕前をちょっとでも見たいもんだ」
「それは無理だろう。飛ばないことを条件にうちにいるようなもんだ」

 曲がりなりにもパイロットならば、飛べない時間の長さは多大なる不安を育てる。果たして自分はもう一度飛べるだろうか、感覚は戻るだろうかと。
 しかしそのような不安さえも、エーファからは読み取れない。それほど宇宙戦闘機に愛着がないのかもしれないが、そうだとするなら、とことん彼女の感情というものは芽吹くことすらできないままでいるのだろう。

「ベルツ大佐の作戦の正当性が証明されれば、エーファちゃんも飛べるかね。でもさ、ちょーっと気になる噂話があるんだよねえ」
「なんだ。もったいぶらずに言え」

 先ほど、運転中にちらりと横目で見たエーファは、いつの間にかすやすやと寝入っていた。初めての遊園施設で一日を過ごし、慣れないことばかりで疲れたのだろう。あまりじろじろと見るものではないと思ったが、そもそも勤務時間中に見る機会などあるはずがない彼女の寝顔に、フレイザーはなんだか落ち着かない気持ちになった。
 そんなフレイザーを少しからかったあとに、リースは言ったのだ。エーファだけを隊舎で下ろして、そのあと少し話せないか。エーファについてわかったことがあると。

「たぶん、こっちが本題だと思うぜ。エーファちゃんの父親のベルツ大佐が、その敵対してる政治家と対立してる政治家とコンタクトをとってるらしいんだ」
「つまり、敵の敵は味方、ということで利用しようというのか」
「そういうこと。まあ、それだけなら珍しい話じゃない。そういう形での争いが好きなおっさん同士、好きにやってくれって感じだな。ただ、なぜかその場にエーファちゃんの名前が出てきてるらしいんだよ」
「なぜだ?」
「俺に訊くなよ。そもそも、ベルツ大佐は自分の出世と権力拡大が最大の目的っぽい人だぜ? 娘を遊園地に連れていったこともない父親が、よりにもよってこの局面で娘自慢なんかするはずない。なーんかある……ってことで気を付けてくれよな、ベリンガム大尉!」

 リースは後部から手を伸ばすと、バチン、と音がするほどの強さでフレイザーの肩をたたいて激励した。

「痛い、やめろ! なんで俺に頼むんだ」
「そりゃお前、便宜的な措置とはいえ、エーファちゃんはお前の補佐官だろうが。部下の安全監督は上官の義務でもあるんだぜ?」
「ベルツ大佐は第九宇宙団だろう。第八宇宙団の所属になったベルツ少尉に、わざわざちょっかいをかけると思うのか」
「あー、ややこしいから〝エーファちゃん〟でよくね? まあ、普通ならよその宇宙団にちょっかいなんてかけないけどよ。ベルツ大佐はそんな甘っちょろい人っぽくないんだよなあ」
「まさか、娘を連れ戻すというのか。わざわざ何のために?」
「自分の保身に利用するためだろ。エーファちゃんはたぶん、ろくに愛情もかけられず、軍人として生きることを強制されたんだ。そんな風に育てる父親だぜ? 十八歳の娘なんて、使い勝手がちょうどいい頃合いじゃねぇか」

 リースはよほど、エーファの父親についてよろしくない噂話ばかり耳にしたのだろう。ロバート・ベルツについて、リースの物言いは非常に冷たかった。

「何かが予期されるとしても、それはまったくの憶測にすぎない。俺たちにできることは、現段階では何もない」

 フレイザーはそう言うと、車のエンジンをかけた。リースから聞けることはこれで終いだ。これ以上はただの妄想になるだけで、具体性がないと判断した。

「言われずとも、自分の補佐官の監督は行う」
「頼むぜ、未来の指揮官様。いや、教官様か? かわいいエーファちゃんがかわいそうな目に遭うのは嫌だもんな」

 軽薄な台詞を気安く吐くリースを、フレイザーはバックミラー越しに睨みつけた。

――とても……楽しかったです。

 雪解けの最初の一滴を思わせる、はかない笑顔。
 笑えばいいのに、とフレイザーは思っていたが、今日ついに初めて彼女が見せたそのその小さなほほ笑みは、とてもかわいかった。リースなんかに見せず、自分だけに見せてほしいと思わず思ってしまうほどに。

(ちっ……何を考えているんだ、俺は)

 フレイザーはそんな風に考えた自分に、胸の中で舌打ちをする。それから、先ほどよりも少しだけ乱暴な運転で、リースを降ろすべく男性用隊舎に向かうのだった。
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