奥手な二人は脱いだら淫ら(R15版)

矢崎未紗

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第一章 曖昧な理想

第05話 濡れてとける理性(上)

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 結美に相談したあと、桃音は意識して天文研究会の部室を訪れるようにしていた。講義が始まる時間の三十分前には大学に着いて、部室へ行く。謙志がいなければ、その時々でいるメンバーと少しだけ会話をしてから講義に向かう。謙志がいたら、彼にも話しかけるようにする。話題はたわいないことばかりで、あまり長く広く会話を続けることはできなかったが、それでも少しずつ、桃音は謙志について知ろうとした。
 それに何より、謙志と同じ空間にいられるだけで嬉しかった。部室で二人きりになれたことはないが、視線を向ければそこに謙志がいる。スマホを見ていたり、同じ三年生と話していたり、ノートパソコンを開いていたり、していることはいつも違ったが、謙志が視界に入って彼の些細な言動を感じられるだけで、桃音は幸せを感じた。彼をかわいいとか困らせたいとか、相変わらずそんなふうに思う気持ちもたしかにあるのだが、同じ場所にいられるだけで幸せを感じるなんて、この気持ちはやはり恋心だ――そう確信した。
 謙志との距離は、徐々に縮まればいい――己の恋心を自覚した桃音は、そう考えていた。毎日でも謙志に会って話がしたいが、生まれて初めての恋を超特急で進める度胸などない。じっくりと、ゆっくりと、焦らずに関係が深まればいいと。それなのに――。

(――待って……待って、なに、この……展開……っ)

 動揺する桃音の視線の先で、ずぶ濡れの謙志が鍵を回してドアを開ける。桃音はものすごく、ものすごく躊躇したが狭い外廊下にいつまでも立っているわけにもいかないので、心臓をバクバクと高鳴らせながら玄関の中に入った。

「ちょっとそこで待ってろ」

 謙志は桃音を玄関の三和土たたきに残すと、靴を脱いで右手側の二番目のドアを開ける。桃音は困惑して混乱していたが、はっとして振り返り、ひとまず玄関ドアを施錠した。

「これ、使って」
「は、ぃ……」

 玄関に戻ってきた謙志は、少し大きめのフェイスタオルを桃音に渡した。桃音はそれを受け取ると、持っていたバッグを遠慮がちに廊下の床に置いて、玄関の三和土に立ったまま、自分の髪の毛や腕、上半身、それに足の雨水を拭く。気温が上がっていたので素足にアンクルストラップのサンダルだったおかげで、足元も拭くのが楽だった。

「はっ、く……しゅんっ」

 とはいえ、下着が透けるほどに濡れた上半身は、タオルで拭くだけで衣服が乾くことはなく、桃音は身体の芯に肌寒さを覚えた。

「舟形、風呂を使え」
「えっ!?」
「着替えは貸してやる。いま着てる服は洗って、室内乾燥機とドライヤーで乾かそう」

 謙志はそう言いながら右手側の二番目のドアの奥――洗面所と浴室なのだろうか、そこで何やら風呂の用意を始めた。

「え、あの、はっ、く……しゅんっ……いえ……そんな、悪い、はっ、くしゅ……んっ……です、から」
「そのままだと風邪をひくだろ。いいから」
(いい……くないよぉ……っ)

 たしかに、このまま濡れた服を着ていては、間違いなく風邪をひく。今の時点でそこそこ寒さを感じているのだから、このまま濡れネズミでいてはよくないだろう。それに、招いてもらったのにびしょ濡れのままでは、これ以上家の中に上がることさえできない。

(上がる……待って、上がるの……? だって、ここ……男の人の家……)

 小学生の時も含めて、桃音は異性の家に上がった経験などない。ましてや、家族がいない一人暮らしの男性の家など、いま人生で初めてお邪魔させてもらっている。

(待って……待って、これ……よくないんじゃ……ないの……)

 謙志のことは好いている。だが、それはそれとして、年頃の女の自分が年頃の異性の家に上がるのは、とても無防備で危険な行動ではないだろうか。何かあったら、自分にも落ち度があったということになる。

(でも……松浦先輩は、絶対に変なことはしないと思うし……)

 桃音はためらい、戸惑い、葛藤を複雑に重ねる。しかしその合間には、間抜けなほど気の抜けたくしゃみを繰り返した。

「はっく、しゅんっ」
「舟形、ほら。風呂はいま溜め始めたから」
「えっ、あの……でも……っ」
「いいから温まれ」
「あの…………はい……」

 断る理由は山ほどあるように思えたが、どれも謙志には届かない気がした。それに、濡れた身体が寒さに震えている。正直、この濡れた服を脱いで早く暖かい格好をしたい。
 桃音は渡されたタオルを持ったまま、意を決して靴を脱ぎ、室内に上がると、廊下を少し進んだ。そして恐る恐る、二番目のドアの先の洗面所に入る。その洗面所だけでなく、浴室のほうもすでに電気がついていた。

「服は洗濯機に入れていい」
「はい……」
「着替えは……間違いなくデカいと思うけど我慢してくれ」

 謙志はそう言うと、洗濯機の上に黒いトレーナーと綿主体の長ズボンを置いた。

「タオルは適当に出したから、好きなのを使え。中から鍵がかけられるから、必ずかけろよ」
「はい……」

 謙志はそう言うと、桃音を残して洗面所を出ていった。

(どうしよう……)

 桃音はまだ大いにためらいつつも、洗面所のドアの鍵をかけてから、ブラウスを脱ぎ始める。ぴたりと肌にくっ付いていたそれは、本当によく濡れていた。
 今日の桃音は、昼食後に三時限の講義を受ける予定だった。ところが、教授が体調不良とのことで休講になったのだ。そのため桃音は、二時限が終わったあとに一人で昼ご飯を食べてから、まっすぐに帰ることにした。
 しかし、ゆりのき通りを歩いているうちに突如降りだした強い雨に、しっかりと濡れてしまった。午後は天気が崩れると散々天気予報で言われていたのに、折り畳み傘も普通の傘も、持ってくるのをうっかり忘れてしまっていたのだ。
 びしょ濡れの状態で電車に乗るのはよくないだろうか。どうしたらいいだろうか。ひとまずレンテバー駅の構内に入った桃音は、しばらくそう迷っていた。そこへ謙志が声をかけてきたのだった。

(お風呂……入る……待って、メイクは……どうしたらいいの)

 脱いだブラウスとキャミソール、それにとても恥ずかしかったが、ブラジャーも洗濯機に入れる。この家にブラジャー専用のネットなどないだろうから、洗濯によってブラのワイヤーの形が崩れてしまうのは仕方ない。だが、次から次へと、桃音は難題に気が付いた。

(パンツ……えっ、どうしよう……脱いで洗濯しちゃったら、替えのものがないっ)

 それはブラジャーも同じだ。謙志が貸してくれたトレーナーはそこそこ分厚い生地だったので、ノーブラで着ても肌が透けるということはないだろうが、さすがにノーパンで人様のズボンをはくのはいたたまれない。

(どうしたらいいの……っ)

 桃音は泣きそうな表情で悩んだ。
 コンビニに行けば、デザインは少々ダサいが、替えの下着は手に入るだろう。だが、こんな状態の自分では買いに行けない。かといって、謙志に頼むなんてこともできない。

(パンツは……そんなに濡れて……ないよね?)

 桃音は脱いだフレアスカートも洗濯機に入れながら、最後まで唯一身に着けていたパンティをさわってみる。それは少しばかり湿ってはいたが、洗わずにもう一度はいてもギリギリ大丈夫な気がした。
 桃音はそのパンティを脱ぐと、閉めた洗濯機の蓋の上、謙志が貸してくれた着替えの横にちょこんと遠慮がちに置いた。そして浴室のドアを開ける。躊躇しながらもたもたと服を脱いでいる間に、湯船は自動でしっかりと溜まっていた。

(顔にはあまり、お湯をかけないようにして……)

 最低限のメイク道具は持っているが、メイク落としやスキンケア用品は持っていないため、なるべく顔にお湯をかけないように気を遣いながら、桃音はまず髪の毛にシャワーをかけた。冷たい雨水が流れていって、それだけでも気持ちがいい。シャンプーを使ってがっつりと洗うのは気が引けたので、気持ちだけシャンプーを手に取り、泡立てて軽く髪の毛を洗う。メンズ用のシャンプーなのか、嗅いだことのない香りがして妙にドキドキしてしまった。
 それから、ボディソープも借りて全身を軽く洗う。そうして身ぎれいになってからありがたくも湯船に浸からせてもらうと、思わず「はぁ……」と息が出てしまった。身体の中はだいぶ冷えていたようで、冷たくなってしまっていた血液が急に全身を巡り始めて、温かい湯船の中にいるのに鳥肌が立つ。しかしそれもしばらくしておさまると、桃音の身体はゆっくりと温まってきた。

(松浦先輩って……いつもこう……なのかな)

 雨に濡れている女の子がいたら、謙志はこんなふうに、すぐ自宅に招くのだろうか。身体の温まり具合を思うととてもありがたいが、これが彼の常套手段で、このあと自分は、彼に何かされるのだろうか。

(ううん、違う……松浦先輩はそんな人じゃない)

 桃音はここ数週間、頑張って部室で話しかけてきた謙志を思い出した。



 ――大学の講義は、時々休講になることがある。教授も人なので体調を崩すこともあるし、研究や取材などでどうしても大学を不在にするということも、決して珍しくはない。
 休講情報は大学のホームページなどで事前に確認することもできるが、よくあることではないので、そうこまめにチェックすることはない。そのため、講義の開始時間直前に、その日は休講になったことを知ることもままある。
 先日のある日は、謙志がそうだったらしい。突然講義が休講になったので、謙志は天文研究会の部室に来て、次の講義の時間まで部室にある本でも読んで時間を潰すことにしたらしい。
 先に部室に来ていた桃音は、そんな謙志に恐る恐る話しかけた。

「スポーツ科学部って……どんな講義があるんですか?」
「え? そうだな……実際にスポーツをする側として知りたいこと……たとえば効率的な身体の動かし方とか、けがの予防法とか。あと、スポーツを人に教える側が知っておくべきこととかだ」
「スポーツをする側と、教える側……そんな違いがあるんですね」
「どういう立場でスポーツに関わるかで、学ぶことは違ってくるんだ。選手としてか、コーチとしてか、監督としてか、それともスポーツ競技を運営マネジメントする側か」
「松浦先輩は……将来、どういう立場がいいとか……ありますか?」
「俺はティーチングコースにいるから……将来はまあ……選手を率いる指導者というより、技術的な面から支援するトレーナーになれればいいなと……思ってる」

 根っからの文化部育ちである桃音にとってスポーツとは、高校までの体育の授業と、ニュースで取り上げられる様々なスポーツの試合結果を少し見ることだけで、身近に感じるものではない。そのため、一口にスポーツと言っても、立場の異なる人が関わっているのだと、考えたこともなかった。
 スポーツに疎い桃音は、あまり上手に話を広げられなかった。謙志と自分の違いを感じ、二人がまったく別のフィールドに立っているような気がして寂しく思った。
 けれども、将来のことを真面目に語る謙志は格好よく見えて、彼が彼の望む未来をしっかりと進んでいければいいなと思った――。
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