ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第13話 里長の操言士と初めての恋情

2.魂の涙(上)

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「そう、ユルゲンくんは馬龍の攻撃を受けて、メヒュラの持つもうひとつの姿である動物型になってしまったけど、それはなぜなのか。それがわかれば馬龍がしようとしたこと、つまり神様の力を集めようとしているピラーオルドの具体的なやり方が、何かわかるかもしれない」
「だが、そのためにはまずユルゲンに目覚めてもらわないといけないし、そもそもユルゲンにメヒュラの自覚がなかったことからして、その理由を明らかにしないといけないのでは? 馬龍の攻撃はきっかけにすぎず、彼個人に別の事情があった可能性もある」
「それも考えられますね」

 エリックの指摘に、王黎は頷いた。

「『空白の物語』はどうしようもないですが、ユルゲンくんのことなら彼の故郷、傭兵の街メルゲントに行けば何かわかるでしょう。そこで、相談というか提案です」

 王黎は人差し指をピンと立てて、にんまりと笑った。

「まず、オリジーア国内の祈聖石を巡るのはやめましょう」
「えっ!? 王都に帰るということですかっ」

 紀更が大きく目を見開き、たいそう驚いた表情を作ると王黎は苦笑した。

「大丈夫、紀更、落ち着いて聞いて。道中で祈聖石のありかをキミに教えるのをやめる、ってことだよ。祈聖石の擬態をひとつずつ教えていたら、時間がかかってしまうからね。それよりも、目的地にたどり着くことを優先したい」
「目的地……傭兵の街メルゲントですか」
「うん。それから、サーディアのピラーパレスだよ」
「なっ!」

 今度はエリックとルーカスが驚愕の表情を浮かべ、続いてその顔は険しくなった。

「あんな風に招待されたんじゃね。行かないわけにはいかないかな、って」
「招待じゃない。挑発だ」

 ンディフ墓地での去り際の馬龍の不敵な笑みを思い出して、エリックはため息をついた。
 確かに、今までこちらの質問をはぐらかしてばかりだった馬龍があれだけ堂々と相手と場所を指定してきたのだ。罠、あるいはとてつもない危険はあるが、おとなしくサーディアへ赴けばこちらの知りたいことを知ることはできるかもしれない。

「まずはここから傭兵の街メルゲントへどう行くかだけど、ルートは三択です。ひとつ目、この塔からオリノス湾沿いに西へ進んで、セカンディアとの国境沿いにあるオルフェ城塞を目指す。そこでオリジーアの領土内に戻って、さらに西へ進んでアルソーの村に行き、そこからメルゲントまで南進する。オルフェ城塞から先は、事前に立てていた旅程と同じです」
「オルフェ城塞まではセカンディア国内ですけど、オルフェ城塞から先はオリジーア国内の移動になるので比較的安全な道ですね」

 ルーカスは頷いた。
 それから、と王黎は続ける。

「ふたつ目、ここからメルゲントまで、大陸を南西に向かってほぼ直進します。大陸中央のディーハ山脈を越えてノート川の下流域に出れば、一気にヨルラの里まで行けます」
「ひとつ目のルートに比べれば早く到着できそうだが、山越えとセカンディア国内を横断するという危険性を伴う道か。三つ目は?」
「三つ目はまあ、ほぼ確実に絶対選ばない選択肢ですが、ここから南進してセカンディアの王都シューリトンを目指し、シューリトンから西進してメルゲントを目指します。他国の都市部を堂々と移動することや土地勘がないことなどから危険性は高いですが、その代わり、神様やピラーオルドに関してセカンディアに伝わっている何かしらの情報が手に入る可能性があります」

 ほぼ確実に絶対選ばないという、妙に矛盾をはらんだ枕詞をつけておきながら、王黎の表情はどこか楽しそうだ。可能なら、きっとセカンディアの首都を経由する三つ目の道を選びたいのだろう。

「普通に考えて、ひとつ目の道ですよね」

 ルーカスがそう言ってエリックの表情をうかがう。エリックは無言で頷いた。

「王黎師匠、確認なんですが、出発は当然、紅雷とユルゲンさんが回復してからですよね」

 紀更は不安そうな表情で尋ねた。
 紅雷の意識は戻っているが、完治にはまだ時間がかかるだろう。それに、ユルゲンにいたっては意識すらまだない。クロナガミミギツネ型から人型に戻る気配もないし、すぐに動かすのはとても心配だった。

「もちろんだよ。それに、最美が持ち帰ってくる情報も欲しいしね。あの謎の円盤の情報次第では、この先のルートについてもう少し考慮すべきことがあるかもしれないね」

 王黎の言葉を聞いて、紀更はほっと胸をなで下ろした。
 どのルートを選択するか結論は出さなかったが、ひとまず話が一段落したところで、ルーカスは身体を休めるために客室に戻った。今日は王黎との修行をせず休養してよいことを確認した紀更も、紅雷の様子を見に客室へ戻る。
 王黎もお茶を飲み干してから客室に戻り、エリックは中央広間で長剣を振るったり腕立て伏せをしたりするなどして、それぞれの時間を過ごすことにした。


     ◆◇◆◇◆


 時は少しさかのぼり、ンディフ墓地での乱戦の直後。カルディッシュ城の背後に広がるウガラスノ樹林の奥深く。突如現れたうっすらと輝く半透明の円に驚いて、近くにいた野ウサギが逃げ出した。
 地面に光る半径一メイほどのその円は、馬龍たちがあらかじめ退路として用意しておいたものだ。操言の力を使えば、その円へと一瞬で退避できるようにと。ただし、それは本来、ルーア山林の中に用意したはずだった。ここウガラスノ樹林は撤退ルートとして使う予定ではなく、想定外の場所に飛ばされたということになる。

「っ、ぅ……はっ」

 徐々に消えていく円の光の中に転がったのは、タテガミライオン型のライオスだった。そして馬龍、アンジャリ、ローベルの順に、まるで空から降ってきたかのように次々に姿を現す。

「痛っ……」

 四人の中でも重症のアンジャリが苦悶の表情を浮かべた。
 地面に横向きで寝そべったまま身動きできないアンジャリの傍に、馬龍はかがむ。そして操言の力でアンジャリの傷をふさいでいった。

「アンジャリ、お前はピラーパレスに戻って休め。闇神様の許可が出るならレプティするといい。ライオス、お前もだ」
「そうさせて……もらおうかしら。でも、悪いけど送ってくれない? この傷じゃ移送盤の移動も、少しきついわ」

 操言士から加護を受けた言従士の爪によって、腕と太ももの肉をえぐられたアンジャリの傷は大きく、皮膚はふさがっても裂かれた組織はそう簡単には戻らない。失った血液もだ。そしてそれは、黒髪の傭兵に右手首から先を切り落とされたライオスも同じだった。

「ケッ、これくらい、どうってことねぇ! それよりアイツを追う! あの黒髪、ぜってぇ許さねぇ!」

 タテガミラオン型から人型に戻ってもなお、ライオスは獣のように吠えた。その目は血眼になっており、こめかみには太い血管が浮かんでいる。身体が震えているのは傷のせいか、それとも怒りのせいか。

「やめておけ。黒髪も我の攻撃を受けて負傷した。まっとうな勝負がしたいなら、まずは自分の身体を回復させるんだな」

 馬龍は持ち歩いている煙草に火をつけて一服しながらライオスに冷たい視線を向けた。

「馬龍様、ここはルーア山林ではありませんよね」

 左肩を負傷しているが、なんとか一人で動けるローベルが馬龍に問う。馬龍は煙草の煙を吐き出しながら周囲に視線を這わせた。

「ウガラスノ樹林だな。かすかに波の音が聞こえるから、北の方か」
「予定ではルーア山林に撤退するはずでした。この撤退の円も、なぜここに?」

 みなまで言わなくても、ローベルの言いたいことはわかった。
 闇の子――王黎の意識をなくすことができていたら、彼を連れてまずはルーア山林に撤退する予定だった。そのために、操言の力を使えば一瞬でルーア山林に戻れるように移動の仕掛けを用意しておいたのだ。
 ところが、移動先はルーア山林ではなくウガラスノ樹林。予想外の事態だが、馬龍は冷静に分析する。

「あの小娘に邪魔されたな」
「紀更、という操言士ですか」
「ああ。あの小娘が最後に見せた波動から考えるに、我ら全員を国外へ移動させたかったのだろう。だが、我はルーア山林に戻るように操言の力を使った。国外か、ルーア山林か。小娘と我の力がぶつかりあった結果、ここに飛ばされたのだろう」

 つまり、あんな未熟な小娘ごときに撤退を妨害されたということである。

(我らのこの仕掛けがなければ真に遠くへ、小娘の思い描くとおりに追い出されていた……あの小娘に我が負けたかもしれないだと?)

 馬龍は操言士としての自分の実力をわきまえているつもりだ――あんな小娘に劣るはずがないと。操言士としての経験も技術も、馬龍の方が上のはずだ。しかし実際は彼女の波動に影響されて、予定していた場所とは違う場所へ撤退している。

(なぜだ)

 少し考えて、馬龍はふと思い出す。最後の悪あがきのように、怒り狂ってこの四人を国外へ飛ばそうとイメージした小娘――操言士紀更の波動の大きさを。正しく制御できていなかったが、紀更からあふれる操言の力の大きさは誰よりも大きかった。まぎれもなく、馬龍をしのぐほどに。

(巨大な波動……大きすぎる操言の力。それに、反応を見せた改具月石)

 馬龍の胸元にしまわれている改具月石。それは怪魔を操るための具月石を、闇神様自らが改良したものだ。闇神様と同じ、「四分力しぶんりきを持つ者」に反応するようにと。

(先ほど確かに反応を見せた……小娘の波動に)

 ピラーオルドが求めている「闇の子」は王黎のはずだ。紀更ではない。だが馬龍は、急に嫌な予感がしてきた。
 自分たちは何かを間違えていないか。そもそも、まだ赤子だと思っていたはずの「闇の子」が王黎という成熟した操言士であると断定したことが、間違いではないのか。

(王黎と紀更……どちらが闇の子だとしても、闇の子は赤子のはずという理屈と合わない。どういうことだ? 我らは……いや、闇神様は何かを見誤っているのか)
「馬龍、早くピラーパレスへ戻りましょう。移送盤がオリジーアの操言士団に奪われる前に」

 アンジャリが苦悶の表情で馬龍をうながす。

「帰還する前に死ぬなよ」

 馬龍は頭の中に浮かぶ疑問をひとまず脇に置くと、煙草を足元に投げ捨ててかかとで踏みつぶす。そして負傷者を連れてサーディアを目指した。


     ◆◇◆◇◆


 始海の塔の客室。寝台で眠る紅雷は穏やかな寝息を立てている。
 ガラス窓の外は明るいが、太陽が天上に近付くにつれてやや曇ってきた。

(紅雷……)

 寝台の傍らに立ち、紀更は紅雷の頭をなでた。桜色の毛は紀更の手に吸い付くようになめらかだ。

――紀更様が相手を攻撃できないなら、あたしがやる! 傷つけることを怖がるなら、あたしが代わりにしてあげる!
――あたしがやる! やらせて! あたしが紀更様の言従士なんだからっ!

 ンディフ墓地での乱戦。ピラーオルドを攻撃する勇気が出なかった紀更は自分ができないこと――相手を傷つけることを紅雷に押し付けた。自分の手ではなく、紅雷の手で相手を傷つけることを選択した。

(ごめん……ごめんなさい、紅雷)

 紅雷が眠る寝台から離れて、紀更は窓ガラスの前に用意されている椅子のひとつを引き、腰掛けた。
 自分の判断はきっと正しかっただろう。紅雷は紀更の望み通りアンジャリに重傷を負わせ、ローベルの動きを止める一手にもつながった。ユルゲンが馬龍の攻撃を受けて負傷したが、ピラーオルドの狙いである王黎は無傷で無事だった。負傷者の数で見ると痛み分けだろうが、王黎の無事を考えればピラーオルドに勝ったと言えよう。
 だが、紀更の中には消えない罪悪感が残る。人間を傷つけるという行為を、紅雷に押し付けてしまったという罪悪感が。

(ピラーオルドだから、って理由だけで心の底からもっと憎めたら楽なのに)
――敵にまでするなんて、ずいぶん平和ボケしたお嬢さんね。

 アンジャリにはそう嘲笑されたが、紀更にはどうしても、ローベルもアンジャリも一人の人間として見える。怪魔のように、罪悪感なく傷つけることのできる相手としては扱えない。どんな風に傷つけても馬鹿にしても見下しても、何をしてもいい、そんな扱いのできる存在としては思えない。
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