ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第09話 歴解派操言士と空白の物語

5.決意(中)

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 ミッチェルに声をかけた紀更は、紅雷と一緒に守護部会館を後にした。
 まだ完全な暗闇にはなっていなかったが、紅雷は心配だからと言って紀更を家まで送り届け、別れを告げた。
 紀更が帰宅すると父の匠が閉店作業を行っており、母の沙織は夕食を作り始めているところだった。紀更も台所に立って母を手伝い、それから夕餉の席で再び旅に出ることを二人に告げた。

「父さん、母さん。私、王黎師匠とまた旅に出ることになったから」
「え? また?」
「それは王都の外へ、ってことかい?」
「そうよ」

 答える紀更に、二人は顔を見合わせた。すると食事の手を止めた匠が、紀更をじっと見つめる。

「紀更、それは絶対に行かなきゃいけないものなのかい」
「どういうこと?」
「都市部の外はいま、怪魔が以前よりも多く現れているらしいのよ。それに、操言士の誘拐が続いているって。ベラックスディーオじゃなくて、ヨルラやヒソンファ、南の方らしいけど。前の旅は大丈夫だったかもしれないけど、今は違うわ。外は危険よ。紀更、その旅はお断りできないの? あなたはずっと、王都にいればいいじゃない。それじゃだめなの? あなたが行かなきゃいけない理由があるの?」

 呉服屋を営む二人は、日々様々な客と接する。すると、王都の中にいながらも王都の外のこともよく聞こえてくるのだろう。
 匠の厳しい視線、沙織の心配する視線。どちらの気持ちも理解はできる。

「もちろん知ってるわ。わかってる」

 紀更は重々しく頷いた。
 怪魔の怖さは身をもって知っている。何度も実際に対峙したからだ。それに操言士の誘拐、しかもそれが馬龍たちピラーオルドの仕業だろうと気付いた時は身体が震えた。あの時の足元からじわじわと上ってくる恐れと不安を、忘れたわけではない。

「こんな状況なのに、紀更が王都の外へ行かなきゃならないのか? 母さんの言うように、それは断れないのか? 操言士団はどこまで紀更に無茶をさせれば気が済むんだ」
「断れないというより断らないわ」

 紀更も食事の手を止め、真剣な眼差しを父に向けた。

「私は、操言士団守護部の所属。そして守護部の主な仕事は怪魔と戦うこと。怪魔からこの国の街や人々を守ることが仕事なの。私、操言院の修了試験を受ける前から、守護部の所属になりたいと思ってた」
「ええっ!? どういうこと、紀更。どうしてそんな……それは危険な仕事ってことでしょう? どうしてそんな危ない道を選ぶのよ!」

 紀更の告白に沙織は動揺した。
 操言士団のこと、操言士のこと、自分が見聞きしてきたこと。それらを紀更は両親に話してきた。しかし一から十まですべてではない。それに、紀更が感じた価値や思いを、両親が同様に感じてくれたわけでもない。母からすれば、あえて危険な仕事に就くことを望んでいたと、いま突然聞かされたようなものだ。うろたえて当然だろう。

「操言士は人々の生活を守り、支えるのが役目よ。私、父さんや母さん、国の人たちを守りたい。それに守護部なら、私の力が発揮できると思ったの」
「紀更、お前は確かに、ほかの操言士と違う特殊な事情がある。昨日のことのように思い出せるよ、操言士団の人たちがうちにやって来た日のことを。紀更に操言の力がある、なんて言われて信じられない思いだった。でも違ったのは最初だけで、今の紀更はもう普通の操言士だろう?」
「そうよ、〝自分の力〟だなんて思い込んで! 紀更は修了試験に合格して、ちょっと天狗になってるのよ。あなたは普通の操言士……いえ、普通の女の子なのよ。わざわざ危険を冒すようなことなんてしなくていいじゃない!」

 王黎によると、紀更が持つ操言の力はとてつもなく大きいらしい。それがどれくらい異常なことなのか紀更はまだそれほど実感してはいないが、王黎がそう言うのならそうなのだろう。だから紀更は、自分のその「大きな力」を守護部で発揮できると思った。

「紀更は操言の力があって、操言院を出て操言士になった。でもまだ成人したばかりで、ついこの間まで子供だったんだ。力を発揮できる、なんて過信してはいけないよ。それは自分を滅ぼすことになりかねない」

 だが、操言の力の大きさについて説明したところで、操言士ではない両親からの完全な理解は得られないだろう。両親にとっての操言士とは「何かすごいことができる人たち」程度であり、操言の力は「自分たちにはない何か」程度にしか実感できないのだ。
 どんな操言士になって、操言士として何をしたいのか。紀更が考え続けているその悩みを、両親が自分事のようにとらえてくれる日はきっと来ない。両親にとっての紀更は「操言士」ではなく、残されたたった一人の「子供」なのだ。

(なんて言えばいいの)

 匠も沙織も、紀更を心配して言ってくれている。それはわかるが、これは過信ではない。後天的に授かった、紀更の操言の力。それが「普通」でないことは、紀更の思い上がりでも思い込みでもなく、事実なのだ。
 紀更は反論したかったが、そぁそ論点はそこではない。冷静に頭をはたらかせ、もう一度伝える。

「私、王黎師匠と一緒に旅に出るわ。もっと修行して、立派な操言士になりたいの。怪魔に怯えるオリジーアの人々を守るために。それが私の役目で、私の仕事なの」
「でも」

 沙織は食い下がる。匠も厳しい目付きのままだ。

「私、操言士ってよく知らないけど何かすごい人たちって……一年前まではそれぐらいにしか思っていなかった。私たちの生活を便利にしてくれて、間接的にお世話になっているけどあまりよく知らなくて……何か、自分とは別の場所にいる、自分たちとは違う人たちだと思ってた。父さんと母さんもそうでしょう?」

 匠と沙織はおずおずと互いに顔を見合わせる。返事はないが、紀更の指摘するとおりだろう。

「でもね、わかったの。気付いたの。私がそうやって安寧でいられたのは……将来のことなんて漠然としか考えてなくて、それでも毎日平和に過ごせて夜も安心して眠れていたのは、操言士が守ってくれていたから。王都もほかの村も街も、都市部をつなぐ道も、守ってくれている操言士がいるの」

 普段は意識などしない。都市部の中の平和が、操言士たちの努力と支えによって成り立っていること。それは当たり前のことだから。
 普段は感謝などしない。夜に怪魔を恐れることなく、安らかな眠りについて朝をむかえられること。それは当たり前のことだから。
 たとえ気付いても強い関心を寄せることはない。繰り返される日々の平和の陰には怪魔と戦い、怪魔を追い払い、傷つく操言士がいること。

「私たちの生活は、どこかにいる操言士のおかげよ。そしてその操言士も、私と同じように誰かの娘で、誰かの息子なの。顔も名前も知らない国民のために、時に危険な目に遭っても働いてくれる操言士……私もその操言士の一人になったのよ」

 自分の娘が危険な目に遭うかもしれない――そう恐れてから、匠も沙織もようやく気付く。いつも自分たちが当たり前だと思っている日常は、誰かの娘や息子の身の危険と引き換えに成立していることに。

「私はまだ新米だけど、王黎師匠に教わって学んで成長して、人々の役に立ちたいの。父さんと母さんだけじゃなくて、みんなに不安を感じてほしくない。安心させてあげたい。だって私は操言士で、それができるから」

 怖いか、と訊かれれば何度でも頷くだろう。
 レイト東街道で初めて怪魔カルーテと対峙した時。水の村レイトでこちらに向かってくるキヴィネに恐怖した時。ポーレンヌの夜に見た、巨大な怪魔ゲルーネ。
 慣れるはずがない。怖いものは怖い。でも、怪魔によって人々が傷つくことは――ラフーアやポーレンヌの時のように多くの人が泣き叫び恐怖する様は、繰り返したくない。誰もが平和で、心安らかに朝も昼も夜も過ごしてほしいと思う。

「それに一人じゃないの。王黎師匠も、この間うちに来た言従士の紅雷も一緒。護衛の騎士も一緒よ」
「騎士はいいけれど、言従士ってあの子、女の子だったじゃない」
「女の子だけど、ミズイヌのメヒュラなのよ。水辺に現れる怪魔スミエルを一人で斃せるんだから」
「でも本当に、外は危険なのよ。行かないでちょうだいよ」

 沙織は何度でも言う。幼かった俊を亡くし、これ以上紀更まで亡くしたらと思うと気が気ではない。大事な子供をこれ以上亡くすのはごめんだ。

「無茶はしないわ、母さん。心配かけてごめんね。それでも私は、操言士の役目を果たしたいの」

 この世界を創った、光の神様カオディリヒス。闇の神様ヤオディミス。わけあってヤオディミスは姿を消したが、カオディリヒスは初代オリジーア王ら人間に「力」を授けた。カオディリヒスから力を授かった人間――操言士がいたからこそ、オリジーアは長く繁栄してきた。「力」を持つ操言士はその力を磨き、正しく使い、人々を守り支えるさだめにあるのだ。
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