ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第12話 幼き操言士と解かれた波動

6.密出国(中)

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「おねえちゃん、いくの」
「うん」
「すぐ、もどる?」
「ううん……わからないわ」

 紀更は一瞬迷ったが、気休めの嘘を言うよりも真実の言葉を伝えようと決めた。小さくても、潤は操言の力を持つ操言士の卵だ。嘘の言葉を聞かせたくはない。

「キフェラ集落には、もう戻ってこられないかもしれない」

 潤は紀更の足にしがみついた。「行かないで」と、声にならない思いが紀更の胸に届く。その潤の背中をさすりながら、紀更はやさしく声をかけた。

「でも、用事が終わってもしも元気に戻ってこられたら、お姉ちゃん、操言士になった潤くんを見たいな。勉強して大きくなって、お姉ちゃんと同じ、この操言ローブと操言ブローチを身に付けた潤くんに、また会いたい。これはね、一人前の操言士になれたっていう証なんだよ」

 紀更はしゃがむと、胸元に留めていたブローチを外して潤の手に握らせた。潤は紀更の足から離れ、そのブローチをまじまじと見つめる。Ⅲの文字が刻まれたそのブローチの石が紀更の瞳の色と同じであることに気付いた潤は、ブローチと紀更の目をしばし交互に見つめた。

「潤くんも、またお姉ちゃんに会ってくれる?」
「……うん」

 潤はブローチを紀更に返し、頷いた。

「ありがとう」

 紀更は潤からブローチを受け取ると、再び胸元に留めた。
 また会おうね。そう約束をしたい気もした。
 だが、この先どうなるかわからない。果たせない約束を残していくことが怖くて、紀更はただ潤を抱きしめた。それから、潤をエレノアの方へ行くようにうながす。

「紀更さん、これはあなたが持っていた方がいいでしょう」

 エレノアはそう言うと、手荷物の中から一本の横笛を取り出して紀更に渡した。

「これ、ローベルさんの……」

 紀更は複雑な表情で横笛を受け取る。それは昨日のンディフ墓地の戦闘で、紅雷がローベルから奪ってどこかへ投げ捨てたはずのものだった。

「帰り際に、騎士の一人が偶然見つけて持ち帰ったのです。彼らの手掛かりになるかもしれません」

 音の街ラフーア出身の、裏切りの操言士ローベル。この横笛は、きっと彼にとってとても大事なものに違いない。
 これをどうすればいいのか紀更にはわからないが、エレノアに預けることもここへ捨てていくことも、どちらも正しい対応ではないような気がした。

「エレノアさん、一緒に戦ってくださって、ありがとうございました。紅雷の治療も、エレノアさんが教えてくれなかったら私、何もできなかったかもしれません」
「いいんですよ、紀更さん。私も操言士です。できることがあるなら全力でする……それだけです。もしもまた、紅雷さんがあなたをかばってけがをしたら、その時は全力で助けてあげてください。あなたは紅雷さんにとって、ただ一人の操言士なのですから」
「はい」
「それと、この子のことも任せてください」

 エレノアは、潤のアッシュグレーの髪をやさしくなでた。
 国民登録だとか《光の儀式》を受けていないことだとか、潤のことで気になることはあるが、エレノアがそう言ってくれるならきっと大丈夫だろう。
 紀更はそっとほほ笑むと、カルディッシュの操言士と騎士たちにも一言別れを告げて、船に乗り込んだ。
 そして、最後まで浜辺に残った王黎にエレノアが静かに告げる。

「王黎さん、悩んで迷うときは思い出してください。あなたは偉大な操言士鳳山殿の血を引く者。あなたがこれまでに得た知識が、智慧が、きっとあなたを助けます」
「さすがに、ここ一番の驚きでしたよ。まさか僕の母が、鳳山殿の孫娘だったなんてね」
「うふふ。カルディッシュの操言士の研究は役に立つでしょう? それもこれも、あなたのように国中を歩いて回って、世界を見聞きしてくれる操言士がいるからです。でも、ピラーオルドのことをなんとかできるのは、きっと王黎さんと紀更さんだけです。過酷かもしれませんが、その血に恥じぬよう、頑張ってください」
「はい」

 危険だと止められることはあった。弟子の紀更、護衛のエリック、上司のラファルからも、何度も何度も危険だと諭された。
 だが、エレノアは王黎の背中を押す。
 祖父のムクトルが生涯を通して敬愛した操言士の血を引く者。カルディッシュの操言士以上に知識を持ち、過去を解き明かしたいと望む、操言士王黎。彼が自らを歴史解明派だと自称したことはないが、エレノアは王黎を同志だと思っていた。

「おじいちゃんは天から、そして私はカルディッシュから。皆さんの旅の成功を見守っています。どうぞ、お気を付けて」
「はい。あとは、よろしく頼みます」

 おもむろに、エレノアは手を振った。
 王黎は踵を返して桟橋を渡り、浜辺を振り返ることなく船に乗り込んだ。すると、誰も操舵していないのに船は自然と動き出し、沖合を目指して出航する。浜辺にかかっていた桟橋は海側からゆっくりと透明になって消えていき、陸地に残っていた者たちをおおいに驚かせた。

「どうか無事で」

 東の空に昇った太陽に向けて進んでいく船を、エレノアはじっと見送る。
 彼らはどこへ、何しに行くのだろう。
 とても気になる。今すぐに知ることができないのが、非常に残念だ。
 だが、彼らの進む道がやがて大きな何かをもたらす気がして、エレノアの口元には自然と笑みが浮かんだ。



 丈夫な白い布でできたマスト。そのマストを支える太い柱。磨き上げられた木片でできた甲板。ゼルヴァイス城が持つ船よりもやや小舟のこのダウ船は間違いなく、始海の塔から港町ウダへ行った時に乗船した船だった。

「紀更、船酔いは平気?」

 甲板に立っている紀更の背中に王黎は声をかけた。船の進行方向には空を目指して直立している始海の塔もどきがある。

「はい。この不思議な船だと、船酔いは大丈夫みたいです」
「それはよかった。塔は遠くに見えるけど船の速度がかなり早いから、意外と早く着きそうだね」
「怪魔スミエルが現れないといいですね」

 紀更は目を細めた。
 怪魔スミエルは湖や川、海などの水辺に出現する。
 最大で七人のこのパーティだが最美は一時離脱して久しいし、ルーカス、紅雷、ユルゲンは船内の寝台で休養中のため、現在戦力となるのはたったの三人だ。操言士の紀更と王黎がいるので怪魔に太刀打ちはできるが攻撃手が少ないので、スミエルの数があまりにも多いと厳しい戦局になることも想定される。

「それなら紀更、修行しようか」

 王黎がにこにこと笑顔を浮かべて、紀更の肩をぽんとたたいた。

「船が目的地に着くまで、この船を覆う怪魔避けの守りの壁を作って維持するんだ。守りの効果が切れないように自分の波動を常に感じるように心がけていれば、いい訓練になるよ」
「また無茶を……船がいつ目的地に着くかわからないのに。と言いたいところですが、やってみます」

 スパルタな師匠から課されるスパルタな修行ではあるが、やって損はない。休養している三人の身を守るためにもそうした方がいいだろう。紀更はそう判断して、船全体を覆う壁をイメージし、その壁には怪魔が近寄れないという効力を付与するように操言の力を使った。
 そして王黎の予想通り、昼頃というかなり早い時間帯に、船は陸地から伸びている桟橋に接岸した。ダウ船からは木の板がひとりでに桟橋へと伸びて、下船ルートを作る。
 紀更が操言の力で作り出し、訓練がてら維持し続けた防護の壁のおかげで怪魔スミエルと遭遇することもなかったので、実に快適な船旅だった。

「つ……疲れました」
「さすがに、守りの壁を長時間維持するのは体力を使うよね。でも紀更、一般的な操言士だったら今頃疲労で気を失ってるから。やっぱりキミの持つ操言の力の量は異常だよ」

 紀更は今にも座り込んでしまいそうなほどには疲れているのだが、師匠の王黎は愉快でたまらないといった表情で笑う。
 自分が普通に持っているものが、ほかの人に比べてどれだけ多いのか。今ひとつピンとこないが、王黎は嘘をついているわけではないのだろう。
 紀更は先を行くエリックと王黎の背中に追いつこうと、小走りで桟橋を進んだ。

「方角と距離からするとここはセカンディアの領土で、オリノス湾に面した半島だね。もう少し西に行くと小さな村があると思う。始海の塔もどきは歩いて少しのところ、か」

 狭い浜辺を歩いて内陸へ進むと、砂浜は乾いた土に代わり、やがてところどころに短い芝の生えたエリアになった。まばらに生えている周囲の木々は、妙にやせ細っている。

「王黎師匠、セカンディア国内にもオリジーアと同じように怪魔が出るんですよね?」
「うん、出るよ。出現頻度はオリジーアより低いと聞いたことがあるけど、油断はできないね。怪魔の気配を感じたらすぐ応戦するよ」

 王黎の言葉を聞いて、エリックは用心のために腰元の鞘に手をかけた。しかしエリックの警戒心は杞憂で、怪魔と出くわすことなく始海の塔もどきにたどり着けた。
 もどきの塔はサーディアのラッツ半島にあった始海の塔と同じで、外観は丸い円柱だ。心なしか、円の大きさはサーディアのものよりもやや小ぶりの気がする。

「ドアがひとつ……ほかにはなさそうだね」

 円柱の周囲を軽く歩いて、王黎は確かめる。紀更も塔の外壁に手でふれてみるが特にこれといった反応もなく、塔は静かに構えていた。

「じゃ、入ってみようか」
「待て、王黎殿。わたしが先に行く」

 王黎が入り口のドアノブに手をかけたところで、エリックが止めた。用心するにこしたことはないので、王黎は黙ってエリックに場所を譲る。
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