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第三章
共鳴者たち
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その女の声を、最初に聞いた瞬間、世界が裏返った気がした。
久我怜司は東京湾岸のガラス張りのホテルの一室で、ひとりの外国人女性と対面していた。
名はリサ・オルセン。北欧出身の研究者であり、国際的な音響神経学の権威――という肩書を持っていた。
だが、怜司はその肩書きよりも、彼女の“声”の響きに戦慄した。
「あなたね、久我怜司。
ずっと、探していたわ――同じ“周波数”を持つ人間を」
リサの声は低く、滑らかで、どこか金属の共鳴を思わせた。
彼女が言葉を発するたび、怜司の内耳がわずかに震えた。
反射的に防衛本能が働く。彼女の声もまた、“干渉波”を持っている。
「……あなたも、同じ力を?」
「力?いいえ。これは“構造”よ。人類の中に埋め込まれた、音の遺伝子構造。あな
たも私も、たまたまそれが発現しただけ」
怜司は眉をひそめた。
「構造、だと?」
「ええ。わたしたち“Resonators ”――共鳴者は、もはや言語を超えて伝達する。言葉ではなく、振動で意思を共有する存在。そして――私たちを必要としている組織があるの」
リサはスマートグラスをタップし、壁面のスクリーンに映像を浮かべた。
そこには「ORGΔN (オルガン)」という文字が浮かび上がる。
「オルガン……?」
「音によって世界を再構築する計画よ。国家も宗教も関係ない。“声”で社会を設計す
る集団」
怜司は乾いた笑いを漏らした。
「そんなものが実在するのか」
「ええ、もう動き始めている。あなたの声のデータは、政府の“ヒューマン・エンハンス計画”経由で共有されていたわ。あなたの講義映像、実験記録、すべて」
怜司の心臓が一瞬止まった。
由梨――彼女が研究したデータだ。あの研究所が、すでに掌握されていたのか。
「由梨はどうした」
リサの瞳がわずかに揺れる。
「彼女は、“音響中枢”の研究に関わっていた。あなたの能力を制御するための方法を探していた。でも……」
「でも?」
「彼女は消えたわ。三週間前に」
怜司の拳が震えた。
「オルガンの仕業か」
リサは静かに頷く。
「彼らは、あなたの声を“世界同調装置”のコアに使うつもりだった。あなたが発する
指令波を、衛星通信に重ねて地球全体に流すの。感情を、思考を、“均質化”するため
に」
怜司は息をのんだ。
「そんなことをして、何になる」
「秩序よ。暴力のない、完全に統制された社会。すべての人間が“静かに従う世界”」
「それは……人間じゃない」
リサは薄く微笑んだ。
「それでも、あなたの声が鍵を握っている。オルガンはもう動いているわ。
でも――私たち、“共鳴者”すべてが彼らに従っているわけじゃない」
彼女はポケットから小さな装置を取り出した。
白い半球状のデバイス。表面に刻まれた微細なラインが脈動している。
「これは“反共鳴装置”。共鳴の力を打ち消す“逆相”の音を出すの。私の仲間たち
は、これを使ってオルガンの支配に抗っている」
「仲間たち……?」
「ええ。ヨーロッパ、アジア、南米――世界中に散らばる共鳴者たち。
私たちは“声”を奪われないために戦っている」
そのとき、ホテルの窓の外で閃光が走った。
爆音。硝子が粉々に砕け、怜司は咄嗟にリサを抱き寄せた。
耳が割れるような高周波音――それは“音”ではなく、指令波だった。
「来たわ、オルガンのハウンド部隊!」
リサが叫ぶ。
怜司は身体の奥で“声”がうねるのを感じた。
脳の中に、獣のような振動が走る。 ――守れ。 ――殺せ。 ――共鳴せよ。
彼は深く息を吸い込み、喉の奥を鳴らした。
「――黙れ」
その瞬間、室内に飛び込んだ黒ずくめの男たちが一斉に膝をついた。
銃が床に落ち、彼らの目が虚になる。
怜司は我に返ると、冷たい汗を流した。
今、自分が放った声――それは** “無意識支配波”** 。
意識せずに、周囲の思考を止めるほどの力。
リサが彼の肩を掴む。
「もうコントロールできないのね。あなたの声は“個人”を越えてる」
「逃げよう。オルガンがここを包囲してる」
二人は裏口から脱出し、港の倉庫街へと走った。
夜風の中、リサが息を切らしながら言った。
「あなたが彼らに捕まれば、人類は終わるわ。あなたの声は“世界の鍵”なの」
怜司は苦く笑った。
「もうとっくに、人類の形をしてるかも怪しいがな」
倉庫の中に潜り込むと、壁一面に貼られた世界地図が目に入った。
赤い印が各国の都市を示している。
「これが、オルガンがすでに“感染”させた地域。国際放送網、音声AI 、広告音声……
声はもう、武器になってる」
怜司は地図を見つめながら言った。
「つまり、世界中の人間が“声”によって導かれている。無意識の支配だ」
「ええ。でも、まだ終わってない。私たち共鳴者だけが、抵抗できる」
リサの目が真剣に光る。
「怜司、あなたの声には“原音”がある。世界を再起動させる唯一の波形。私たちはそ
れを探している」
「原音……?」
「“創世の周波数”。古代の遺跡に刻まれた波形データが、それを示しているの。地球
の生命進化そのものを導いた音――」
その言葉の途中で、遠くからサイレンの音が響いた。
リサは怜司の腕を掴む。
「行きましょう、仲間のもとへ。あなたを“オルガン”より先に覚醒させる」
港の闇の中、数人の影が現れた。
フードを被り、胸元に同じシンボル――波紋を模した印をつけている。
リサが低く囁く。
「彼らが、わたしたち“共鳴者たち(Resonators )”」
怜司が一歩踏み出すと、彼らは一斉に口を開いた。
声が重なり、空気が揺れる。
それは言葉ではなく、音の祈りだった。
怜司の身体が共鳴し、頭の奥に膨大な映像が流れ込んでくる。
都市、海、血、そして――由梨の姿。
「――由梨?」
怜司の声が震える。
幻ではない。彼女は、生きている。
だが、その目は冷たく、別の声に操られているようだった。
リサが小さく言う。
「彼女も“共鳴者”だった。でも、オルガンに取り込まれた。いまや、“彼らの声”を
代弁する存在よ」
怜司の喉の奥から、抑えきれぬ叫びが漏れた。
「由梨を……取り戻す」
リサは頷く。
「そのために戦うの。オルガンの“中心(コア)”を破壊するために」
港の風が鳴り、遠くで船の汽笛が響いた。
怜司は空を見上げた。
音のない夜空の向こうで、地球全体が微かに震えている気がした。 ――声が、世界を繋ぎ始めている。 ――だが、まだ終わりではない。
怜司の中で、静かな覚悟が形を取った。
リサ、そして共鳴者たちとともに、彼は“声による支配”の中枢へと向かう。
すべての始まり――“沈黙の周波数”を打ち破るために。
久我怜司は東京湾岸のガラス張りのホテルの一室で、ひとりの外国人女性と対面していた。
名はリサ・オルセン。北欧出身の研究者であり、国際的な音響神経学の権威――という肩書を持っていた。
だが、怜司はその肩書きよりも、彼女の“声”の響きに戦慄した。
「あなたね、久我怜司。
ずっと、探していたわ――同じ“周波数”を持つ人間を」
リサの声は低く、滑らかで、どこか金属の共鳴を思わせた。
彼女が言葉を発するたび、怜司の内耳がわずかに震えた。
反射的に防衛本能が働く。彼女の声もまた、“干渉波”を持っている。
「……あなたも、同じ力を?」
「力?いいえ。これは“構造”よ。人類の中に埋め込まれた、音の遺伝子構造。あな
たも私も、たまたまそれが発現しただけ」
怜司は眉をひそめた。
「構造、だと?」
「ええ。わたしたち“Resonators ”――共鳴者は、もはや言語を超えて伝達する。言葉ではなく、振動で意思を共有する存在。そして――私たちを必要としている組織があるの」
リサはスマートグラスをタップし、壁面のスクリーンに映像を浮かべた。
そこには「ORGΔN (オルガン)」という文字が浮かび上がる。
「オルガン……?」
「音によって世界を再構築する計画よ。国家も宗教も関係ない。“声”で社会を設計す
る集団」
怜司は乾いた笑いを漏らした。
「そんなものが実在するのか」
「ええ、もう動き始めている。あなたの声のデータは、政府の“ヒューマン・エンハンス計画”経由で共有されていたわ。あなたの講義映像、実験記録、すべて」
怜司の心臓が一瞬止まった。
由梨――彼女が研究したデータだ。あの研究所が、すでに掌握されていたのか。
「由梨はどうした」
リサの瞳がわずかに揺れる。
「彼女は、“音響中枢”の研究に関わっていた。あなたの能力を制御するための方法を探していた。でも……」
「でも?」
「彼女は消えたわ。三週間前に」
怜司の拳が震えた。
「オルガンの仕業か」
リサは静かに頷く。
「彼らは、あなたの声を“世界同調装置”のコアに使うつもりだった。あなたが発する
指令波を、衛星通信に重ねて地球全体に流すの。感情を、思考を、“均質化”するため
に」
怜司は息をのんだ。
「そんなことをして、何になる」
「秩序よ。暴力のない、完全に統制された社会。すべての人間が“静かに従う世界”」
「それは……人間じゃない」
リサは薄く微笑んだ。
「それでも、あなたの声が鍵を握っている。オルガンはもう動いているわ。
でも――私たち、“共鳴者”すべてが彼らに従っているわけじゃない」
彼女はポケットから小さな装置を取り出した。
白い半球状のデバイス。表面に刻まれた微細なラインが脈動している。
「これは“反共鳴装置”。共鳴の力を打ち消す“逆相”の音を出すの。私の仲間たち
は、これを使ってオルガンの支配に抗っている」
「仲間たち……?」
「ええ。ヨーロッパ、アジア、南米――世界中に散らばる共鳴者たち。
私たちは“声”を奪われないために戦っている」
そのとき、ホテルの窓の外で閃光が走った。
爆音。硝子が粉々に砕け、怜司は咄嗟にリサを抱き寄せた。
耳が割れるような高周波音――それは“音”ではなく、指令波だった。
「来たわ、オルガンのハウンド部隊!」
リサが叫ぶ。
怜司は身体の奥で“声”がうねるのを感じた。
脳の中に、獣のような振動が走る。 ――守れ。 ――殺せ。 ――共鳴せよ。
彼は深く息を吸い込み、喉の奥を鳴らした。
「――黙れ」
その瞬間、室内に飛び込んだ黒ずくめの男たちが一斉に膝をついた。
銃が床に落ち、彼らの目が虚になる。
怜司は我に返ると、冷たい汗を流した。
今、自分が放った声――それは** “無意識支配波”** 。
意識せずに、周囲の思考を止めるほどの力。
リサが彼の肩を掴む。
「もうコントロールできないのね。あなたの声は“個人”を越えてる」
「逃げよう。オルガンがここを包囲してる」
二人は裏口から脱出し、港の倉庫街へと走った。
夜風の中、リサが息を切らしながら言った。
「あなたが彼らに捕まれば、人類は終わるわ。あなたの声は“世界の鍵”なの」
怜司は苦く笑った。
「もうとっくに、人類の形をしてるかも怪しいがな」
倉庫の中に潜り込むと、壁一面に貼られた世界地図が目に入った。
赤い印が各国の都市を示している。
「これが、オルガンがすでに“感染”させた地域。国際放送網、音声AI 、広告音声……
声はもう、武器になってる」
怜司は地図を見つめながら言った。
「つまり、世界中の人間が“声”によって導かれている。無意識の支配だ」
「ええ。でも、まだ終わってない。私たち共鳴者だけが、抵抗できる」
リサの目が真剣に光る。
「怜司、あなたの声には“原音”がある。世界を再起動させる唯一の波形。私たちはそ
れを探している」
「原音……?」
「“創世の周波数”。古代の遺跡に刻まれた波形データが、それを示しているの。地球
の生命進化そのものを導いた音――」
その言葉の途中で、遠くからサイレンの音が響いた。
リサは怜司の腕を掴む。
「行きましょう、仲間のもとへ。あなたを“オルガン”より先に覚醒させる」
港の闇の中、数人の影が現れた。
フードを被り、胸元に同じシンボル――波紋を模した印をつけている。
リサが低く囁く。
「彼らが、わたしたち“共鳴者たち(Resonators )”」
怜司が一歩踏み出すと、彼らは一斉に口を開いた。
声が重なり、空気が揺れる。
それは言葉ではなく、音の祈りだった。
怜司の身体が共鳴し、頭の奥に膨大な映像が流れ込んでくる。
都市、海、血、そして――由梨の姿。
「――由梨?」
怜司の声が震える。
幻ではない。彼女は、生きている。
だが、その目は冷たく、別の声に操られているようだった。
リサが小さく言う。
「彼女も“共鳴者”だった。でも、オルガンに取り込まれた。いまや、“彼らの声”を
代弁する存在よ」
怜司の喉の奥から、抑えきれぬ叫びが漏れた。
「由梨を……取り戻す」
リサは頷く。
「そのために戦うの。オルガンの“中心(コア)”を破壊するために」
港の風が鳴り、遠くで船の汽笛が響いた。
怜司は空を見上げた。
音のない夜空の向こうで、地球全体が微かに震えている気がした。 ――声が、世界を繋ぎ始めている。 ――だが、まだ終わりではない。
怜司の中で、静かな覚悟が形を取った。
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