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第四章
声の戦場
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音が、世界を覆っていた。
海の彼方からも、都市の中心からも、あらゆる方向から同じ振動が押し寄せてくる。
それは風でも波でもなく、“声”そのものだった。
人々はテレビのニュースに耳を傾け、スマートスピーカーに話しかけ、無意識のうちに”同じトーン”で言葉を発していた。
街は静かだが、沈黙ではなかった。
世界そのものが共鳴している――その光景は、もはや生物の群れではなく、ひとつの巨大な有機体のようだった。
久我怜司は廃港に停泊する古い貨物船の甲板に立ち、風に晒されながら遠くの都市の光を見ていた。
隣にはリサ、そして彼女の仲間たち――共鳴者たち。
船内には「反共鳴装置(アンチ・ノード)」のプロトタイプが設置され、衛星通信を逆
位相で中和する準備が進められていた。
リサが低く言った。
「オルガンの中枢は、東京湾地下にある“音響統合センター”。
あそこから全地球的指令波が発信されてる。
あなたの“原音”を重ねれば、システム全体を崩壊させられる」
怜司は黙って頷いた。
由梨――彼女がその中にいる。
そして今は、オルガンの“声の巫女”と呼ばれる存在になっているという。
夜風が吹き抜ける。
怜司は静かに喉を鳴らした。
彼の声はもう、自分の意志では完全に制御できなかった。
感情の波ひとつで、空気が震え、金属が共鳴する。
この声が、世界を救うか、壊すか。
オルガンの施設は、地下300 メートル。
巨大な円形のホールに、音響拡散壁が幾何学的に配置されていた。
中央には光の柱――衛星通信装置の「音響塔(ソニック・スパイン)」が立ち上がり、
その根元に由梨がいた。
白い衣をまとい、静かに祈るように口を動かしている。
その唇が発する音は、人間の声ではなかった。
機械と神のあいだにあるような、無限のハーモニー。
怜司が足を踏み入れた瞬間、由梨の瞳がゆっくりと彼に向いた。
「……怜司」
「由梨……」
その声は懐かしいのに、どこか別人のようだった。
怜司は彼女に歩み寄ろうとしたが、足が動かない。
空気が粘りつき、身体を締めつける。
リサが背後で叫ぶ。
「ダメ!彼女の声は完全に“融合”してる!もうオルガンの一部なの!」
怜司は叫んだ。
「お前を取り戻す!」
しかし、由梨の口から流れ出た音がそれを遮った。
「あなたは、もう不要なの。世界は“ひとつの声”で語る時代に入った。
争いも、孤独も、もう存在しない」
怜司の脳裏に、街の光景がフラッシュバックする。
笑顔で歩く人々、整然とした交通、争いのないSNS ―― しかしその瞳は、誰もが同じ色だった。
「それは調和じゃない。思考を奪われただけだ!」
怜司はリサに目をやる。
「アンチ・ノードを起動しろ!」
リサがスイッチを押すと、低い逆相のうなりが空間を満たした。
音響塔がわずかに揺れる。
由梨の声が一瞬、乱れた。
怜司はその隙を突き、前に進んだ。
「由梨、俺たちはあの日、約束しただろ。
“声で人を救う方法を探そう”って!」
彼女の瞳が微かに揺れた。
「……救う?いま、すべての人が安らかよ」
「違う。静かなだけだ。心が死んでる!」
怜司は喉の奥から全力で声を放った。
「――目を覚ませ!!」
その瞬間、音の波が衝突した。
怜司の声と由梨の声。
共鳴と反共鳴がぶつかり合い、空間が歪む。
床の金属が波打ち、天井から光が砕け散る。
「玲司、やめて!このままじゃ空間が崩壊する!」
リサの叫びも届かない。
二つの声は、もはや人間の音ではなかった。
怜司の意識が遠のく。
だが、その深淵の奥で、別の音を聞いた。 ――“沈黙”
それは音のない音。
彼が最初に「異常な静けさ」を感じた、あの講義室の沈黙だった。
彼は悟った。
声の源は、沈黙の中にある。
怜司は口を閉じ、息を止めた。
由梨の声が押し寄せる。
だが彼は、何も発さない。
代わりに、完全な沈黙を放った。
音のない波が広がった。
光が消え、世界が止まる。
その静寂の中で、由梨の唇が震えた。
「……怜司……あなた、何を……」
「“無音”だ。俺たちの原点。声を持つ前の人間の在り方だ」
彼は手を伸ばし、由梨の頬に触れた。
その瞬間、彼女の中の共鳴が崩れ、目から涙がこぼれた。
「……わたし……あなたの声が、聞こえない……」
「それでいい。もう、聞こえなくていいんだ」
光が爆ぜ、音響塔が崩壊した。
アンチ・ノードが作動し、衛星通信はすべて遮断された。
世界は、再び** “沈黙”** を取り戻した。
数日後。
東京は、奇妙な静けさに包まれていた。
誰もが少しずつ言葉を取り戻し、個人の声を再び発し始めていた。
“統一された声”は消え、人々の声は不揃いで、ばらばらで、だが確かに生きていた。
怜司は海辺に立ち、壊れた貨物船を見つめていた。
隣には、静かに寄り添う由梨。
彼女はすべてを思い出していた。
「……あれが、終わりだったのね」
「いや、始まりだよ。
音を超えた“沈黙”から、人間はもう一度やり直せる」
リサが遠くから歩いてきた。
「世界各地で共鳴者が次々と目を覚ましている。あなたの“無音波”が、彼らの支配を解いたのよ」
怜司は微笑む。
「声は、武器にも救いにもなる。
でも、沈黙だけが――人を自由にする」
彼は海に向かって深く息を吐いた。
波の音が戻ってくる。
それはもう、“命令”ではなく、“調べ”だった。
世界は静かに呼吸を取り戻し、音と沈黙のあいだで、再び“自由”を学び始めていた。 ――声の戦場は終わった。 ――だが、人間の“言葉の戦い”は、まだ続いていく。
海の彼方からも、都市の中心からも、あらゆる方向から同じ振動が押し寄せてくる。
それは風でも波でもなく、“声”そのものだった。
人々はテレビのニュースに耳を傾け、スマートスピーカーに話しかけ、無意識のうちに”同じトーン”で言葉を発していた。
街は静かだが、沈黙ではなかった。
世界そのものが共鳴している――その光景は、もはや生物の群れではなく、ひとつの巨大な有機体のようだった。
久我怜司は廃港に停泊する古い貨物船の甲板に立ち、風に晒されながら遠くの都市の光を見ていた。
隣にはリサ、そして彼女の仲間たち――共鳴者たち。
船内には「反共鳴装置(アンチ・ノード)」のプロトタイプが設置され、衛星通信を逆
位相で中和する準備が進められていた。
リサが低く言った。
「オルガンの中枢は、東京湾地下にある“音響統合センター”。
あそこから全地球的指令波が発信されてる。
あなたの“原音”を重ねれば、システム全体を崩壊させられる」
怜司は黙って頷いた。
由梨――彼女がその中にいる。
そして今は、オルガンの“声の巫女”と呼ばれる存在になっているという。
夜風が吹き抜ける。
怜司は静かに喉を鳴らした。
彼の声はもう、自分の意志では完全に制御できなかった。
感情の波ひとつで、空気が震え、金属が共鳴する。
この声が、世界を救うか、壊すか。
オルガンの施設は、地下300 メートル。
巨大な円形のホールに、音響拡散壁が幾何学的に配置されていた。
中央には光の柱――衛星通信装置の「音響塔(ソニック・スパイン)」が立ち上がり、
その根元に由梨がいた。
白い衣をまとい、静かに祈るように口を動かしている。
その唇が発する音は、人間の声ではなかった。
機械と神のあいだにあるような、無限のハーモニー。
怜司が足を踏み入れた瞬間、由梨の瞳がゆっくりと彼に向いた。
「……怜司」
「由梨……」
その声は懐かしいのに、どこか別人のようだった。
怜司は彼女に歩み寄ろうとしたが、足が動かない。
空気が粘りつき、身体を締めつける。
リサが背後で叫ぶ。
「ダメ!彼女の声は完全に“融合”してる!もうオルガンの一部なの!」
怜司は叫んだ。
「お前を取り戻す!」
しかし、由梨の口から流れ出た音がそれを遮った。
「あなたは、もう不要なの。世界は“ひとつの声”で語る時代に入った。
争いも、孤独も、もう存在しない」
怜司の脳裏に、街の光景がフラッシュバックする。
笑顔で歩く人々、整然とした交通、争いのないSNS ―― しかしその瞳は、誰もが同じ色だった。
「それは調和じゃない。思考を奪われただけだ!」
怜司はリサに目をやる。
「アンチ・ノードを起動しろ!」
リサがスイッチを押すと、低い逆相のうなりが空間を満たした。
音響塔がわずかに揺れる。
由梨の声が一瞬、乱れた。
怜司はその隙を突き、前に進んだ。
「由梨、俺たちはあの日、約束しただろ。
“声で人を救う方法を探そう”って!」
彼女の瞳が微かに揺れた。
「……救う?いま、すべての人が安らかよ」
「違う。静かなだけだ。心が死んでる!」
怜司は喉の奥から全力で声を放った。
「――目を覚ませ!!」
その瞬間、音の波が衝突した。
怜司の声と由梨の声。
共鳴と反共鳴がぶつかり合い、空間が歪む。
床の金属が波打ち、天井から光が砕け散る。
「玲司、やめて!このままじゃ空間が崩壊する!」
リサの叫びも届かない。
二つの声は、もはや人間の音ではなかった。
怜司の意識が遠のく。
だが、その深淵の奥で、別の音を聞いた。 ――“沈黙”
それは音のない音。
彼が最初に「異常な静けさ」を感じた、あの講義室の沈黙だった。
彼は悟った。
声の源は、沈黙の中にある。
怜司は口を閉じ、息を止めた。
由梨の声が押し寄せる。
だが彼は、何も発さない。
代わりに、完全な沈黙を放った。
音のない波が広がった。
光が消え、世界が止まる。
その静寂の中で、由梨の唇が震えた。
「……怜司……あなた、何を……」
「“無音”だ。俺たちの原点。声を持つ前の人間の在り方だ」
彼は手を伸ばし、由梨の頬に触れた。
その瞬間、彼女の中の共鳴が崩れ、目から涙がこぼれた。
「……わたし……あなたの声が、聞こえない……」
「それでいい。もう、聞こえなくていいんだ」
光が爆ぜ、音響塔が崩壊した。
アンチ・ノードが作動し、衛星通信はすべて遮断された。
世界は、再び** “沈黙”** を取り戻した。
数日後。
東京は、奇妙な静けさに包まれていた。
誰もが少しずつ言葉を取り戻し、個人の声を再び発し始めていた。
“統一された声”は消え、人々の声は不揃いで、ばらばらで、だが確かに生きていた。
怜司は海辺に立ち、壊れた貨物船を見つめていた。
隣には、静かに寄り添う由梨。
彼女はすべてを思い出していた。
「……あれが、終わりだったのね」
「いや、始まりだよ。
音を超えた“沈黙”から、人間はもう一度やり直せる」
リサが遠くから歩いてきた。
「世界各地で共鳴者が次々と目を覚ましている。あなたの“無音波”が、彼らの支配を解いたのよ」
怜司は微笑む。
「声は、武器にも救いにもなる。
でも、沈黙だけが――人を自由にする」
彼は海に向かって深く息を吐いた。
波の音が戻ってくる。
それはもう、“命令”ではなく、“調べ”だった。
世界は静かに呼吸を取り戻し、音と沈黙のあいだで、再び“自由”を学び始めていた。 ――声の戦場は終わった。 ――だが、人間の“言葉の戦い”は、まだ続いていく。
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