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第一章 学園都市アストラフォラへ
第五話 禁句〈ドラゴン〉
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アルヴィナが学園に入学して数日が経った。学生寮と校舎を行き来する生活にまだ新鮮さを感じながら、彼女は新生活を続けていた。
ここでの魔法の授業とは、実践だけでなく行使する心得やルール、さらには歴史まで基礎教養を最初に叩き込まれる。慌ただしい課題に追われ、家族と離れた不安を噛みしめる暇さえなかった。それは他の新入生も同様のようだ。
そんなある日のこと。今日も座学の講義のため、一年生は講堂に集まっていた。天井のステンドグラスから差し込む春の柔らかい日差しが、床に叙事詩を描く。
中央の教壇に立つパトロナの声が、石壁に反響する。
「今日における我々人類は、村や街の中で命の危険を感じることは無くなったと言っていいだろう。しかし、古代の人類は違った。《凶狼》、《狩人》。皆も知るであろうこれらの魔物が闊歩する時代において、か弱い人間は隠れて息を潜め、奴らの餌食にならないよう祈ることしかできなかった」
パトロナが黒板に自動筆記で描いた怪物の図を指示棒で指し示し、話を続ける。
「人類の転機は火の魔法の発見だ。最初の魔法〈火を灯す魔法〉が人類の生存確率を大きく押し上げた。まず、光を嫌う《狩人》の夜襲から集落を守れるようになった」
人型の怪物の図にバツ印をつける。
「火を扱う技術が進むと、《凶狼》の攻略方法が見つかる。どんなに武器で切っても叩いても復活して襲いかかってくる奴らだが、体にまとわりついた緑の粘液を焼き払うことで無力化できることがわかった。火を獲得してから人類の躍進が始まったのだ」
アルヴィナはペンを走らせつつ、手帳の片隅に〈ドラゴン=魔物?〉と書き留める。
「質問!」
挙手した彼女に、教室が一斉に注目する。
「《ドラゴン》は魔物に分類されますか?」
空気が凍りついた。ヒソヒソとささやき声が聞こえ、気まずい雰囲気が講堂を支配する。
「君はアルヴィナだったね。故郷での話は報告を受けているよ。だからこそ慎重に答えよう」
教授は跳ねっ返りの生徒を諭すように苦笑を浮かべた。
「君が提唱しているドラゴンだが、世界中の伝承、歴史資料を探してもどこにも確認されていない。存在しないものを説明することはできないな」
「まだ誰も知らないだけです!」
「そうとも、私は知らない。高名な研究者の皆さんだって誰も知らない、君の心の中にしかいないんだ。私に何を教えられるというのだね」
椅子が軋む。隣列の席にいる銀のフレームの眼鏡をかけた少女――名前はユスティナといったか――が立ち上がっていた。
「個人的な妄想は講義の妨げです。学園は《魔法三原則》の再現性を重んじている筈です」
「見たものは見たんだもの!」
アルヴィナの声が裏返り、ユスティナの顔をキッと睨みつける。感情が堰を切ったように溢れ出し、その次の瞬間に髪先が緋に染まった。胸の奥で燃える炎が、ついに表へと姿を現した。火花がパッと散り、学生たちに驚きが伝播する。教室に響く驚愕の声。
教授が慌てて「炎よ鎮まれ」と叫び、結晶のついた短杖を掲げた。魔法の言葉が空中に青白い光の網を張り、暴走しかけた炎を封じ込める。
髪の変化は一瞬のことで、また再び真っ白に戻ったが目撃した生徒たちはどよめき立った。話を続けられる空気ではなくなり、アルヴィナはもやもやした気持ちのまま、黙るしかなかった。
講義が終わった後。とぼとぼと廊下を歩くアルヴィナの背中に、容赦のないユスティナの声が届く。
「感情で力を暴走させるだなんて。まず自制を学ぶべきだ」
「――だったらあなたも妄想だなんて決めつけないでよ」
「私は事実に忠実なだけ。事実を指摘して何が悪い」
ユスティナの声が氷の刃となって胸をえぐる。
(学園に来れば沢山のことを学べると思っていたのに。どうして否定されなきゃならないの!?)
理不尽な憤りが胸の中で燻る。
「だったら……事実と認めさせればいいんだよね?」
「誰の目にも明確な根拠が他にあるのならな」
冷笑を浴び、アルヴィナはぱっと踵を返した。
駆け込んだのは授業を終えた後の無人の大講堂。傾き始めた陽が床に万華鏡を落とす。静寂の中で、光と影が美しく神秘的な踊りを舞っていた。
その光景とは反対に、アルヴィナの心の中は炎が荒れ狂っていた。握った拳が再び熱く脈動し――脳裏に炎の咆哮が鮮明に蘇る。何度否定されようとも、今だって毎日鮮明に思い出せる。あの日、確かに見た、確かに感じた〝ドラゴン〟の存在を。
背後で扉が軋む音が響いた。息を切らして追ってきたユスティナが立っている。
「何をする気だ?」
答える前に髪先が緋色を帯びた。感情の高まりと共に、力が制御を離れていく。
「あなたの言う通り、私が間違ってた。見たことがないものを信じろと言うのがばかだった」
足元の石畳は伝わった熱で赤くなり、ステンドグラスはきしむ。床の色彩が揺らめいて、まるで大講堂全体が彼女の激情に共鳴しているかのように。
「だったら、見せてあげる。よおく目を見開いてなさい、これがドラゴンの炎だ!!」
光の偶然だろうか。その言葉の瞬間、ユスティナの目には講堂の床に大きな翼の影が広がったように見えた。
「まさか、暴走させる気か!?」
「暴走なんかじゃない! これこそが私の見たドラゴンの力だよ!」
叫びと同時に、アルヴィナの髪全体が燃え上がった。左眼は炉を熱する石炭のように、真っ赤に輝く。アルヴィナの劇的な変化に、ユスティナが言葉を失う。
(……このような魔法は見たことがない。いや、そもそもこれは魔法なのか?)
彼女の常識では、体系だった魔法と違い衝動から放たれたそれには正確に意図が込められず、効果が発散してしまう筈だった。魔法は奇跡ではあるが、奇跡がおこる必然性と使い手の強い確信が必要だ。本人が心から信じることができないようなこと、例えば無から有を生み出したり、物理的に説明できない現象は引き起こせない。そう長年の研究で判明している。
しかし現実として眼の前の少女は燃料もなく燃え上がり、しかもその身体は無傷のようだ。
アルヴィナは右手を天井にむかって掲げた。すると周囲の身体の炎が手のひらに集まり、より強く渦巻く大きな火球が生み出される。拡散されていた熱エネルギーが一点に集中し、彼女を中心に温度が急上昇していく。
ユスティナの肌にも熱波が押し寄せ、反射的に簡易結界を張る魔法器〈結界膜〉を取り出した。
「危険だ、落ち着きなさい!」
しかしアルヴィナの感情は止まらない。
(どのみちこのままじゃ村にいた時と変わらない。だったらもうどうなってもいい!)
空に向かってありったけの気持ちを解き放つと、火球が呼応するように天井に向かって飛んでゆく。
「アルヴィナ!!」
叫び声の瞬間、ステンドグラスが爆散し、赤・藍・翡翠の破片が二人に降り注ぐ。
ユスティナがアルヴィナに覆いかぶさるようにして〈結界膜《けっかいまく》〉を張った直後に、雨のように硝子の破片がばちばちと背中を叩いた。その胸の下で呆気にとられた顔の少女が、右手を向けている大講堂の天蓋には、小型の隕石でも通り抜けたかのような穴――高熱でガラスを溶かしながら、しかしそれは内側から衝突している――がぽっかりと開いている。
さらに遅れて、穴から見える遠く上空で、空気を震わす大爆発が起こった。わずかに残っていた虹の破片も、その振動で光の雨となって舞う。
ユスティナは顎の下にぶら下がった眼鏡をかけ直し、ゆっくりと上半身を起こした。二人の周囲にはステンドグラスをはめ込んでいた木枠や屋根材の残骸が散らばっていた。小さな破片は〈結界膜 〉に防げただろうが、大きな瓦礫が彼女達を押しつぶさなかったのは運が良かっただけだった。
無我夢中でしでかしてしまったことに、アルヴィナはようやく落ち着いた頭の中で理解した。視界を埋め尽くす色彩の坩堝。
「その力が、あなたの言う〝ドラゴン〟なのか?」
立ち上がりながらユスティナが問いかける。
「うん……わたしには彼ほど強い火は出せないみたいだけど」
「そうか」
そう短く返事をすると、ユスティナは考え込むように黙った。
「――見事だわ、その力」
衝撃で外れた扉の向こうから、ぱちぱちと拍手が鳴る。
深紅のリボン、金糸の長髪――レティシア・アンティクア。
「実技訓練に入る前にもかかわらず、講堂を吹き飛ばすだなんて。平凡な庶民とは思えませんわね」
彼女は微笑み、白手袋を外す。
「その才能、私と測り合いませんこと? 〝決闘〟を申し込みます」
騒ぎを聞きつけた生徒たちの声が近づいてくる。
戸惑いと、不遜さと、真逆の感情が宿る二組の瞳に炎が描かれた。その傍でユスティナは天井の穴をじっと見上げている。
ここでの魔法の授業とは、実践だけでなく行使する心得やルール、さらには歴史まで基礎教養を最初に叩き込まれる。慌ただしい課題に追われ、家族と離れた不安を噛みしめる暇さえなかった。それは他の新入生も同様のようだ。
そんなある日のこと。今日も座学の講義のため、一年生は講堂に集まっていた。天井のステンドグラスから差し込む春の柔らかい日差しが、床に叙事詩を描く。
中央の教壇に立つパトロナの声が、石壁に反響する。
「今日における我々人類は、村や街の中で命の危険を感じることは無くなったと言っていいだろう。しかし、古代の人類は違った。《凶狼》、《狩人》。皆も知るであろうこれらの魔物が闊歩する時代において、か弱い人間は隠れて息を潜め、奴らの餌食にならないよう祈ることしかできなかった」
パトロナが黒板に自動筆記で描いた怪物の図を指示棒で指し示し、話を続ける。
「人類の転機は火の魔法の発見だ。最初の魔法〈火を灯す魔法〉が人類の生存確率を大きく押し上げた。まず、光を嫌う《狩人》の夜襲から集落を守れるようになった」
人型の怪物の図にバツ印をつける。
「火を扱う技術が進むと、《凶狼》の攻略方法が見つかる。どんなに武器で切っても叩いても復活して襲いかかってくる奴らだが、体にまとわりついた緑の粘液を焼き払うことで無力化できることがわかった。火を獲得してから人類の躍進が始まったのだ」
アルヴィナはペンを走らせつつ、手帳の片隅に〈ドラゴン=魔物?〉と書き留める。
「質問!」
挙手した彼女に、教室が一斉に注目する。
「《ドラゴン》は魔物に分類されますか?」
空気が凍りついた。ヒソヒソとささやき声が聞こえ、気まずい雰囲気が講堂を支配する。
「君はアルヴィナだったね。故郷での話は報告を受けているよ。だからこそ慎重に答えよう」
教授は跳ねっ返りの生徒を諭すように苦笑を浮かべた。
「君が提唱しているドラゴンだが、世界中の伝承、歴史資料を探してもどこにも確認されていない。存在しないものを説明することはできないな」
「まだ誰も知らないだけです!」
「そうとも、私は知らない。高名な研究者の皆さんだって誰も知らない、君の心の中にしかいないんだ。私に何を教えられるというのだね」
椅子が軋む。隣列の席にいる銀のフレームの眼鏡をかけた少女――名前はユスティナといったか――が立ち上がっていた。
「個人的な妄想は講義の妨げです。学園は《魔法三原則》の再現性を重んじている筈です」
「見たものは見たんだもの!」
アルヴィナの声が裏返り、ユスティナの顔をキッと睨みつける。感情が堰を切ったように溢れ出し、その次の瞬間に髪先が緋に染まった。胸の奥で燃える炎が、ついに表へと姿を現した。火花がパッと散り、学生たちに驚きが伝播する。教室に響く驚愕の声。
教授が慌てて「炎よ鎮まれ」と叫び、結晶のついた短杖を掲げた。魔法の言葉が空中に青白い光の網を張り、暴走しかけた炎を封じ込める。
髪の変化は一瞬のことで、また再び真っ白に戻ったが目撃した生徒たちはどよめき立った。話を続けられる空気ではなくなり、アルヴィナはもやもやした気持ちのまま、黙るしかなかった。
講義が終わった後。とぼとぼと廊下を歩くアルヴィナの背中に、容赦のないユスティナの声が届く。
「感情で力を暴走させるだなんて。まず自制を学ぶべきだ」
「――だったらあなたも妄想だなんて決めつけないでよ」
「私は事実に忠実なだけ。事実を指摘して何が悪い」
ユスティナの声が氷の刃となって胸をえぐる。
(学園に来れば沢山のことを学べると思っていたのに。どうして否定されなきゃならないの!?)
理不尽な憤りが胸の中で燻る。
「だったら……事実と認めさせればいいんだよね?」
「誰の目にも明確な根拠が他にあるのならな」
冷笑を浴び、アルヴィナはぱっと踵を返した。
駆け込んだのは授業を終えた後の無人の大講堂。傾き始めた陽が床に万華鏡を落とす。静寂の中で、光と影が美しく神秘的な踊りを舞っていた。
その光景とは反対に、アルヴィナの心の中は炎が荒れ狂っていた。握った拳が再び熱く脈動し――脳裏に炎の咆哮が鮮明に蘇る。何度否定されようとも、今だって毎日鮮明に思い出せる。あの日、確かに見た、確かに感じた〝ドラゴン〟の存在を。
背後で扉が軋む音が響いた。息を切らして追ってきたユスティナが立っている。
「何をする気だ?」
答える前に髪先が緋色を帯びた。感情の高まりと共に、力が制御を離れていく。
「あなたの言う通り、私が間違ってた。見たことがないものを信じろと言うのがばかだった」
足元の石畳は伝わった熱で赤くなり、ステンドグラスはきしむ。床の色彩が揺らめいて、まるで大講堂全体が彼女の激情に共鳴しているかのように。
「だったら、見せてあげる。よおく目を見開いてなさい、これがドラゴンの炎だ!!」
光の偶然だろうか。その言葉の瞬間、ユスティナの目には講堂の床に大きな翼の影が広がったように見えた。
「まさか、暴走させる気か!?」
「暴走なんかじゃない! これこそが私の見たドラゴンの力だよ!」
叫びと同時に、アルヴィナの髪全体が燃え上がった。左眼は炉を熱する石炭のように、真っ赤に輝く。アルヴィナの劇的な変化に、ユスティナが言葉を失う。
(……このような魔法は見たことがない。いや、そもそもこれは魔法なのか?)
彼女の常識では、体系だった魔法と違い衝動から放たれたそれには正確に意図が込められず、効果が発散してしまう筈だった。魔法は奇跡ではあるが、奇跡がおこる必然性と使い手の強い確信が必要だ。本人が心から信じることができないようなこと、例えば無から有を生み出したり、物理的に説明できない現象は引き起こせない。そう長年の研究で判明している。
しかし現実として眼の前の少女は燃料もなく燃え上がり、しかもその身体は無傷のようだ。
アルヴィナは右手を天井にむかって掲げた。すると周囲の身体の炎が手のひらに集まり、より強く渦巻く大きな火球が生み出される。拡散されていた熱エネルギーが一点に集中し、彼女を中心に温度が急上昇していく。
ユスティナの肌にも熱波が押し寄せ、反射的に簡易結界を張る魔法器〈結界膜〉を取り出した。
「危険だ、落ち着きなさい!」
しかしアルヴィナの感情は止まらない。
(どのみちこのままじゃ村にいた時と変わらない。だったらもうどうなってもいい!)
空に向かってありったけの気持ちを解き放つと、火球が呼応するように天井に向かって飛んでゆく。
「アルヴィナ!!」
叫び声の瞬間、ステンドグラスが爆散し、赤・藍・翡翠の破片が二人に降り注ぐ。
ユスティナがアルヴィナに覆いかぶさるようにして〈結界膜《けっかいまく》〉を張った直後に、雨のように硝子の破片がばちばちと背中を叩いた。その胸の下で呆気にとられた顔の少女が、右手を向けている大講堂の天蓋には、小型の隕石でも通り抜けたかのような穴――高熱でガラスを溶かしながら、しかしそれは内側から衝突している――がぽっかりと開いている。
さらに遅れて、穴から見える遠く上空で、空気を震わす大爆発が起こった。わずかに残っていた虹の破片も、その振動で光の雨となって舞う。
ユスティナは顎の下にぶら下がった眼鏡をかけ直し、ゆっくりと上半身を起こした。二人の周囲にはステンドグラスをはめ込んでいた木枠や屋根材の残骸が散らばっていた。小さな破片は〈結界膜 〉に防げただろうが、大きな瓦礫が彼女達を押しつぶさなかったのは運が良かっただけだった。
無我夢中でしでかしてしまったことに、アルヴィナはようやく落ち着いた頭の中で理解した。視界を埋め尽くす色彩の坩堝。
「その力が、あなたの言う〝ドラゴン〟なのか?」
立ち上がりながらユスティナが問いかける。
「うん……わたしには彼ほど強い火は出せないみたいだけど」
「そうか」
そう短く返事をすると、ユスティナは考え込むように黙った。
「――見事だわ、その力」
衝撃で外れた扉の向こうから、ぱちぱちと拍手が鳴る。
深紅のリボン、金糸の長髪――レティシア・アンティクア。
「実技訓練に入る前にもかかわらず、講堂を吹き飛ばすだなんて。平凡な庶民とは思えませんわね」
彼女は微笑み、白手袋を外す。
「その才能、私と測り合いませんこと? 〝決闘〟を申し込みます」
騒ぎを聞きつけた生徒たちの声が近づいてくる。
戸惑いと、不遜さと、真逆の感情が宿る二組の瞳に炎が描かれた。その傍でユスティナは天井の穴をじっと見上げている。
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