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第五章 牙を剥く世界
第三十三話 灰燼の静寂
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階段を登っていく足音が響く。
アルヴィナの炎によって浄化された今、地下迷宮の脅威はすべて取り除かれている筈だった。聞こえるのは地下を流れる排水の音だけだ。
十数名の生存者たちはみな疲れ切った足取りで出口に向かっていた。口を開くものは誰もいない。あまりにも多くを失った夜だった。
アルヴィナは列の最後尾を歩いている。毛先が紅くなった髪を隠すように頭を下げて。
三人の友達だけが、彼女のそばにいてくれた。
「光だ」
先頭を歩く生徒が呟いた。出口から差し込む朝日が、階段を金色に染めている。
一歩一歩、地上に近づくたびに、アルヴィナの胸には現実が重くのしかかった。失った仲間たち。変わり果てた自分。そして、これから待ち受ける現実。
「アル、大丈夫?」
レティシアがアルヴィナの肩を支えた。
「歩けるか?」
アルヴィナは小さく頷く。しかし、踏み出す足は重い。心の重さが、そのまま体に現れているかのようだった。
地上に出ると、そこには教師たちが待機していた。先頭のパトロナが、帰還した生徒たちに駆け寄った。
「皆、無事で……」
しかし、生存者の数を見て言葉を失う。参加者四十名のうち、帰ってきたのは十五名。半数以上の魂が天に昇ってしまった。
「他の者は?」
パトロナが震え声で尋ねる。生存者の一人が答える。
「みな《狂狼》のように、魔物に変異して……帰ってこられたのは我々だけです」
「なんと……」
教師たちが息を呑む。これほどの犠牲が出る事態は想定していなかった。いや、まったくしていなかったというと嘘になる。
彼らも現実を受け止められないのだった。
設営されていた救護テントで、生存者たちが治療を受けている。みな軽傷で済んでおり、問題なく話もできるので、教師たちは何が起こったのかを一人ひとりに訪ねた。そしてその事実に驚愕した。
人の形を模倣した《蠢くもの》の存在は、彼らも把握していた。しかし、それらが連携したり、学習して武装までするという事例は過去に一度も報告されていない。
武器を所持した相手との戦闘術など履修していない子供たちが、いったいどんな過酷な目にあっただろうか。最後まで聞き取ったパトロナは、ついに膝から崩れ落ちた。
その知らせだけでも衝撃だが、《蠢くもの》すべては一人の少女の手によって討伐されたのだという。
ある生徒はアルヴィナに声をかける。
「本当に、ありがとう。こうして生きていられるのも君のおかげだ。しかし...」
言い淀んだ言葉を、別の生徒が繋げる。
「あの炎は、一体何だったんだ?とても魔法とは思えない」
「君が以前から言うドラゴンと関係が?」
アルヴィナは何も答えられない。ただ一つ確かなことは、もう元の暮らしには戻れないということだった。
救護テントの端で、一人の少女が膝を抱えて座っていた。
シルビア。ルシアの親友だった少女。アルヴィナが近づくと、シルビアが、キッと顔を上げた。その瞳には、深い憎しみが宿っていた。
「あなたのせいよ」
冷え冷えした声でシルビアが言う。
「ルシアは……ルシアは死んだのよ」
「シルビア……」
「確かに、アルは魔物からは救ってくれたかもしれない」
シルビアの声が震える。
「でも、ルシアも一緒に燃やしたじゃない。救うって言うのなら、なぜルシアも助けてくれなかったの?」
アルヴィナは答えられない。
一時的にでも汚染を受けた自分ならわかる。あれは治療してどうにかなるものではない。濃縮された人間の〈悪意〉そのもの、憎しみの地獄から開放されるには、悪意を生み出す人間という種をこの世界から消すか、死で開放されるしかない。
《RSS》。理不尽を体現するものたちを指す言葉が頭によぎる。しかし、それを伝えたところで、シルビアの悲しみが癒えることはないだろう。
啜り泣く彼女に、アルヴィナはかける言葉が見つからなかった。
アルヴィナは一人でテントの外に出た。朝の冷たい空気が頬を撫でる。
「アル」
レティシアが後から追ってくる。
「一人になっちゃダメ」
「でも……私のせいで」
「それは違う」
ユスティナも現れる。
「アルはあの状況でできる事をしたんだ。だから私達は生き残れている」
「あんたは全力を尽くしただけなの。良いとか悪いとかじゃない」
レティシアが言い切る。
『アルがいなかったら、あたしらみーんな助からなかったよ』
三人の友情が、アルヴィナの心をほんの少し軽くした。しかし、目を逸らしようのない現実があった。
「わたし、変わっちゃった」
アルヴィナが自分の髪を見つめる。毛先は今でも元の色に戻らず、赤く染まったままだった。
「もう、普通の生活には戻れないんだ」
その後、学園に帰還した一行を待ち受けるものがいた。上空に浮かぶ黒い飛行船――その機体の側面には〈蛇に突き刺した剣〉のエンブレムが描かれている。
「なんだあれは……」
ユスティナが困惑の声をあげる。
〈オルド・アルカヌム・ガード〉
秘密機関の実働部隊。彼らが来たということは、今回の事件が単なる事故ではないということだった。
飛行船から降りてきた黒服の男たちが、生存者たちの身元確認を始める。その中の一人が、アルヴィナを探し出して何かをメモしている。
「あいつら、アルのことをずっと観察してる」
レティシアが不安そうな表情をアルヴィナに向けた。その当の本人は、黒服たちの目的に気がづいていた。
自分はもう、普通の学生として扱われることはない。今回使った力。そして、その結果。すべてが記録される。
『これから、どうなるの?』
エリスが心配そうに問う。誰も答えを知らなかった。
夕方、学園に戻った生存者たちは、他の生徒たちの視線を浴びた。噂はすでに広まっていた。
「地下で何があったの?」
「半分以上が死んだって本当?」
「アルヴィナが全部燃やしたって?」
好奇心と恐怖が入り混じった視線。アルヴィナは自分の部屋に逃げ込む。
鏡を見ると、そこには白と赤の交じる髪の少女がいた。もう、以前の自分ではない。
窓の外で、《黒猫》がひとつ鳴き声を上げた。まるで「始まったね」と言っているかのように。
翌日から、アルヴィナの新しい現実が始まろうとしている。英雄と呼ばれるか、怪物と呼ばれるか。それは、まだ誰にも分からなかった。
アルヴィナの炎によって浄化された今、地下迷宮の脅威はすべて取り除かれている筈だった。聞こえるのは地下を流れる排水の音だけだ。
十数名の生存者たちはみな疲れ切った足取りで出口に向かっていた。口を開くものは誰もいない。あまりにも多くを失った夜だった。
アルヴィナは列の最後尾を歩いている。毛先が紅くなった髪を隠すように頭を下げて。
三人の友達だけが、彼女のそばにいてくれた。
「光だ」
先頭を歩く生徒が呟いた。出口から差し込む朝日が、階段を金色に染めている。
一歩一歩、地上に近づくたびに、アルヴィナの胸には現実が重くのしかかった。失った仲間たち。変わり果てた自分。そして、これから待ち受ける現実。
「アル、大丈夫?」
レティシアがアルヴィナの肩を支えた。
「歩けるか?」
アルヴィナは小さく頷く。しかし、踏み出す足は重い。心の重さが、そのまま体に現れているかのようだった。
地上に出ると、そこには教師たちが待機していた。先頭のパトロナが、帰還した生徒たちに駆け寄った。
「皆、無事で……」
しかし、生存者の数を見て言葉を失う。参加者四十名のうち、帰ってきたのは十五名。半数以上の魂が天に昇ってしまった。
「他の者は?」
パトロナが震え声で尋ねる。生存者の一人が答える。
「みな《狂狼》のように、魔物に変異して……帰ってこられたのは我々だけです」
「なんと……」
教師たちが息を呑む。これほどの犠牲が出る事態は想定していなかった。いや、まったくしていなかったというと嘘になる。
彼らも現実を受け止められないのだった。
設営されていた救護テントで、生存者たちが治療を受けている。みな軽傷で済んでおり、問題なく話もできるので、教師たちは何が起こったのかを一人ひとりに訪ねた。そしてその事実に驚愕した。
人の形を模倣した《蠢くもの》の存在は、彼らも把握していた。しかし、それらが連携したり、学習して武装までするという事例は過去に一度も報告されていない。
武器を所持した相手との戦闘術など履修していない子供たちが、いったいどんな過酷な目にあっただろうか。最後まで聞き取ったパトロナは、ついに膝から崩れ落ちた。
その知らせだけでも衝撃だが、《蠢くもの》すべては一人の少女の手によって討伐されたのだという。
ある生徒はアルヴィナに声をかける。
「本当に、ありがとう。こうして生きていられるのも君のおかげだ。しかし...」
言い淀んだ言葉を、別の生徒が繋げる。
「あの炎は、一体何だったんだ?とても魔法とは思えない」
「君が以前から言うドラゴンと関係が?」
アルヴィナは何も答えられない。ただ一つ確かなことは、もう元の暮らしには戻れないということだった。
救護テントの端で、一人の少女が膝を抱えて座っていた。
シルビア。ルシアの親友だった少女。アルヴィナが近づくと、シルビアが、キッと顔を上げた。その瞳には、深い憎しみが宿っていた。
「あなたのせいよ」
冷え冷えした声でシルビアが言う。
「ルシアは……ルシアは死んだのよ」
「シルビア……」
「確かに、アルは魔物からは救ってくれたかもしれない」
シルビアの声が震える。
「でも、ルシアも一緒に燃やしたじゃない。救うって言うのなら、なぜルシアも助けてくれなかったの?」
アルヴィナは答えられない。
一時的にでも汚染を受けた自分ならわかる。あれは治療してどうにかなるものではない。濃縮された人間の〈悪意〉そのもの、憎しみの地獄から開放されるには、悪意を生み出す人間という種をこの世界から消すか、死で開放されるしかない。
《RSS》。理不尽を体現するものたちを指す言葉が頭によぎる。しかし、それを伝えたところで、シルビアの悲しみが癒えることはないだろう。
啜り泣く彼女に、アルヴィナはかける言葉が見つからなかった。
アルヴィナは一人でテントの外に出た。朝の冷たい空気が頬を撫でる。
「アル」
レティシアが後から追ってくる。
「一人になっちゃダメ」
「でも……私のせいで」
「それは違う」
ユスティナも現れる。
「アルはあの状況でできる事をしたんだ。だから私達は生き残れている」
「あんたは全力を尽くしただけなの。良いとか悪いとかじゃない」
レティシアが言い切る。
『アルがいなかったら、あたしらみーんな助からなかったよ』
三人の友情が、アルヴィナの心をほんの少し軽くした。しかし、目を逸らしようのない現実があった。
「わたし、変わっちゃった」
アルヴィナが自分の髪を見つめる。毛先は今でも元の色に戻らず、赤く染まったままだった。
「もう、普通の生活には戻れないんだ」
その後、学園に帰還した一行を待ち受けるものがいた。上空に浮かぶ黒い飛行船――その機体の側面には〈蛇に突き刺した剣〉のエンブレムが描かれている。
「なんだあれは……」
ユスティナが困惑の声をあげる。
〈オルド・アルカヌム・ガード〉
秘密機関の実働部隊。彼らが来たということは、今回の事件が単なる事故ではないということだった。
飛行船から降りてきた黒服の男たちが、生存者たちの身元確認を始める。その中の一人が、アルヴィナを探し出して何かをメモしている。
「あいつら、アルのことをずっと観察してる」
レティシアが不安そうな表情をアルヴィナに向けた。その当の本人は、黒服たちの目的に気がづいていた。
自分はもう、普通の学生として扱われることはない。今回使った力。そして、その結果。すべてが記録される。
『これから、どうなるの?』
エリスが心配そうに問う。誰も答えを知らなかった。
夕方、学園に戻った生存者たちは、他の生徒たちの視線を浴びた。噂はすでに広まっていた。
「地下で何があったの?」
「半分以上が死んだって本当?」
「アルヴィナが全部燃やしたって?」
好奇心と恐怖が入り混じった視線。アルヴィナは自分の部屋に逃げ込む。
鏡を見ると、そこには白と赤の交じる髪の少女がいた。もう、以前の自分ではない。
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